3-1 完全武装
佐渡の診療所で情報交換をした日から、3日が過ぎた。
あれから、空に太陽の姿が見えたことは1度たりともない。
薄い色合いの黒雲と呼ぶべきか、あるいは靄と呼ぶべきか。
ケイの見解としては、あれは黒い霧だ。それが上空を埋め尽くしていて、昼間であっても、常に太陽の光が地上へ届かないように遮っている。
かといって地上が闇に覆われているかと言えば、そういうこともない。世界のいたるところに発光植物が生息していて、それらが無数に輝くことで、地表は昼に近い明るさを保てているのだ。面白いのは、24時間のサイクルで明滅を繰り返しているようで、昼間の時間帯は輝き、夜の時間帯は消灯する性質を持っていることもわかった。……太陽の光を浴びられない地表で、どうして生息できるのか。見たことも聞いたこともない、謎の植物としか言い様がないだろう。
今日は朝から、生憎の雨空だった。
ケイたちは久しぶりに、佐渡診療所の、花の栽培室へ集まっていた。
「おっせえ!」
腕を組みながら苛立っていたトウゴは、思わず口に出してしまう。
実際のところ、時間通りに集まったのはオカルト研究部メンバーだけたった。
ケイたちは長らく、待ちぼうけをしている。
「佐渡先生とイリアのやつ、いったいどこで油売ってやがるんだ! 約束の集合時間から、もう1時間くらい経ってんだぞ! 今日から学校が土日休みだって言っても、これから探索する場所の広さを考えたら、泊まりがけになるかもしれねえんだ。なるべく早く出発した方が良いってのによ……!」
『落ち着いてください、トウゴ。イリアは時間通りに来ることの方が珍しいです』
こめかみに青筋を浮かべているトウゴを、アデルが宥めた。
『長時間にわたってイライラし続けるのは、お勧めできません。統計データによれば、人間はストレスを抱えすぎると、早死にする傾向があるそうですよ』
「いやいや、おめえのおかげで、俺たち死なねえだろが……」
『おお、言われてみるとそうでした。では、私はトウゴの命の恩人でしょうか。感謝してください』
「雨宮! 何なの、このドヤ花! まるで不思議ちゃんと話してるみたいなんだけど!?」
「実際に不思議ちゃんなんです。すいません」
ケイは叱るかわりに、ポケットから花を出しているアデルの茎部分をつつく。アデルは「やめてください」と言って、クネクネと茎を揺らして嫌がっていた。
トウゴは嘆息を漏らし、怒らせていた肩を落とした。
「まったくよぉ……。イリアが、無人都市へ行く前に準備が必要だって言うから、この3日間、我慢して待ってたんだぞ。この状況を何とかしてくれるかもしれねえって言うシケイダに、今すぐ会いに行きてえ気持ちを抑えてよお。この3日間、佐渡先生の薬で毎晩自殺して……ああ、クソ! 死なねえとわかってても、自殺すんのってメンタルにくるわ!」
「佐渡先生は5年間、毎日死んでるみたいですし。ヘタレを自称してますが、実なところ強メンタルですよね。オレは毎朝、体調最悪なのがキツいです。まだまだ自殺初心者みたいです」
「いや、初心者にすらなりたくねえだろ普通?!」
「こう毎日、何度も死んでしまって、身体への負担とか後遺症とか、大丈夫なのかなって思いますよ。花の効能が、どれくらい死んだ段階で顕れてるのか知りませんけど、酸素や血液供給が止まると、たしか脳細胞って壊れるんですよね」
「それな……。まあ、佐渡先生が何度も死んでて平気なんだから、大丈夫な気はするけどよ」
『心配ですね。ケイの知能が、トウゴと同等以下になってしまうのは困ります』
「お前の中の俺ってどんだけ馬鹿なの!?」
ふとケイは、部屋の隅で一眼カメラの手入れをしているサキに気が付いた。
バッテリー残量や、カメラの設定を確認している様子である。
久しぶりにカメラを手にしているサキを見て、ケイは思い当たった。
「……撮影、再開するんですか?」
話しかけられたサキは、得意気に胸を張って答えた。
「決めたの。私たちの身に起きている数奇な出来事、その全てを、これからカメラに収めておこうってね。それで、いつかドキュメンタリーとして動画サイトにアップするのよ。この世界の、隠された真実を発信するニューチューバー。我ながら、かなりイケてるアイディアだと思わない?」
有名ニューチューバーになることを目標にしているサキなのだから、その考えが出てくるのは、自然なことなのだろう。ここしばらく、動画撮影について口にすることさえしなかったサキのことを、ケイは逆に心配していたくらいだった。多少は元気を取り戻してくれたようで、喜ばしいことではあったのだが……ケイは厳しい現実も口にする。
「気持ちはわかりますけど……。知覚制限のかかってる普通の人たちは、無意識に知覚不可領域について認識することを避けてる、って話しでしたよね。動画にしてアップしても……もしかして、誰もが見るのを避けるかもしれませんよ。もしも見てもらえたとしても、オレたちが見ているものとは違う、偽世界の風景に見えるだけかも」
「だから言ってるじゃん? いつか、って。たとえ人間の目ではわからなくても、カメラには真実が映り、記録として残しておくことができるわけでしょ?」
ケイに言われても、サキはへこたれていなかった。
「私が撮った映像は、きっといつか、日の目を見る機会がくる。そう信じてるのよ。よく考えたら私って今、ものすごい特ダネの、真っ只中にいるわけよね。動画配信者としては、これを撮影しないなんて選択肢、絶対にないと思うの」
「なるほど。……それって部長らしくて、なんか良いですね」
「褒めてる?」
「褒めてます」
「そっか。えへへ」
サキは薄く頬を桜色に染めて、恥ずかしそうに笑った。
ケイに褒められることは、まんざらでもない様子である。
唐突に、部屋のドアが開けられた。
顔を覗かせたのは、佐渡とイリアの2人である。
「お待たせしました~……」
なぜか佐渡は、すでに疲れ切って憔悴しているような様子である。フラフラしていた。
続いて入室してきたイリアは、いつもと変わりない優雅な態度である。
「待たせたね」
「遅かったじゃねえか! 何してたんだよ! ってあれえ、今日は女子の制服ぅ?!!」
今日のイリアは、星成学園の女子生徒の制服を着ていた。
トウゴと初対面の時は、男子生徒の制服であったのに。
その姿は、通学路で見かけて、トウゴが一目惚れした時のイリアそのものである。
顔を真っ赤にして、トウゴはしどろもどろになってしまっていた。
「じょ、じょ、じょ、女装!? いや、この前の方が男装だったのか?!」
「あー。君もボクの性別が気になるクチなのかな?」
イリアはからかうように、わざとトウゴの目の前に近づいた。
トウゴの腕に抱きつき、そうして、僅かに起伏のある自らの胸を押しつける。
女性のように柔らかい肌。胸も……ある? いや、ないというべきだろうか。微妙だ。動揺し、耳まで赤くして硬直するトウゴ。その耳元に、温かい息を吹きかけながら、イリアは囁いた。
「美しいのなら、性別なんてどっちでも良いことだろう? ボクの性を知ることができるのは、この衣服を剥ぎ取る資格のある者。ボクと伴侶になる者だけさ」
トウゴは鼻血を出している。
完全に魅了され、魂が抜けたように呆然としていた。
その様子を面白がっているイリアを、ケイとサキは呆れた顔で見ている。
イリアは仕切り直す。
「さて、遅れてすまなかった。佐渡先生に車を出してもらって、荷物を運ぶのを手伝ってもらっていたのさ」
『荷物ですか?』
「ああ。2人じゃ診療所内に持ち運ぶのも大変なんだ。車まで来て、見てくれるかな」
言われてケイたちは、イリアの背に続いて診療所を出る。
外は小雨が降っていて、ケイたちは髪を濡らした。
駐めてある佐渡のセダン車。そのトランクの前に集合する。
佐渡がリモコンキーでロックを解除すると、開いたトランクの中には、重厚なジュラルミンケースが山積みにされていた。空いた隙間には、黒のボストンバッグが詰め込まれており、トランク内はいっぱいだった。
ジュラルミンケースの1つを、イリアは開いて見せた。
収められていたのは――――軍用の“突撃自動小銃”である。
「ガチのマジか……? これって…………本物?」
「このジュラルミンケース全部、もしかして銃……?!」
トウゴとサキが、驚愕して感想を漏らす。
答えたのはイリアではなく、その隣で困ったように頭を掻いていた、佐渡の方だった。
「あはは……。イリアくんに、港倉庫まで連れて行かれてね。そこにいた、どう見てもその筋の怖い人たちから、大金で買い取ってきたものですよ。とんでもない金額がやり取りされる取引現場でしたから……まず間違いなく、本物だと思います」
本物の銃火器。
人を殺すための道具。
平和に暮らす一般人なら、生涯、目にすることさえないかもしれないものだ。そもそも日本では、銃器の所持は禁止されている。この場にあること自体が違法行為である。つまりイリアは、不法な手段で武器を調達し、犯罪行為をしでかしたことになる。
イリア当人は、事もなげな涼しい顔で説明した。
「思ったよりも、これの密輸に日数がかかったんだよ。だから数日、出発を待ってもらうことになったんだ。なにせ、これから行く場所は、未知の怪物たちが蠢く危険地帯だと言うじゃないか。丸腰では危ないだろう?」
「……相変わらずの、狂った金持ちぶりだな、イリア」
「金を持っていることは、ボクの取り柄の1つだからね。野良貴族とでも呼んでくれ」
佐渡がトランクから荷物を下ろし、診療所内へ運び始めた。
それに倣って、ケイたちも荷下ろしを手伝う。
自身は手伝わず、イリアは全員を監督しながら腕を組んで言った。
「どれも最先端の軍事テクノロジーが用いられている。君たちのために取り寄せた一級品揃いだ。さあ、好きなものを手に取って、使ってくれ。進呈するよ」
「好きなものって言われてもよぉ……」
「私たち、こんな銃の使い方なんて知らないんだけど……!」
「ハハハ。使い方なんて、持っていればそのうち、自然と身につくさ。ないよりは、あった方が良い。なら持っているべきだ。武器って言うのは、そういうものだろう?」
ジュラルミンケースをあらかた運び出すと、トランクの最奥に、ケイは奇妙なものを見つけた。
「イリア、これは……?」
「さすがは雨宮くん、お目が高い。それは君のために取り寄せた“特別品”さ。君のスタイルに合うだろうと、前々から思っていたんだ。少し前に、裏競売で競り落とした美術品を、実戦で使えるように手入れしたものさ」
立派な鞘に収められた、古めかしい騎士剣。
古美術品のようなそれに手を伸ばし、ケイは手に取った。
鞘から抜いた剣は、分厚く重厚な両刃の剣身だ。素晴らしい技術で研ぎ込まれており、しっかりとした刃が付いている。それは模造品や飾りなどではない。今すぐに実戦で使用可能な状態である。
剣へ見入るケイを、イリアは妖しく微笑んで見守っていた。