10-14 正直者な先輩
午後の授業が始まるまで、およそ1時間ほどだ。
ジェシカの買い物に付き合っていたら、昼食を食べる暇がない。
総合戦略学科のキャンパスから出てすぐの場所に、軽食を売っている屋台がある。ジェシカの勧めもあり、そこで簡単に食事を済ませることにした。なんでも学院内で展開している有名チェーン店らしく、ジェシカお勧めのホットサンド屋らしい。「チリビーフサンド」を注文すると、アツアツのそれを、店員が紙の包みに入れて手渡してくれる。それを食べ歩きながら、2人は昼の繁華街を歩き始めた。
「これは……美味いですね!」
「でしょー?」
得意気に、ジェシカは胸を張ってニヤける。
「スマイルサンドの店舗は、島のあちこちにあるし、早いし安いし、小腹が空いた時に、しばしば立ち寄ってるのよね。アタシの研究室の前にないのと、深夜営業してないのが欠点だけど」
「いや、それは欠点じゃなくて、ジェシカ先輩の都合では……」
小さな口でサンドを頬張りながら、ジェシカは幸せそうな顔をしている。
だがふと、寂しそうに言った。
「……なんか、思い出すわ。初めて白石塔に行った時、ケイにハンバーガーのことを教えてもらったっけ。あれも、このホットサンドに似てて、美味しかったのよね」
「へえ。ジェシカ先輩は、ケイさんって言う人と、白石塔へ行ったことがあるんですか」
「もう2年以上も前のことよ……」
うっかりケイの話をしてしまった。
途端にジェシカから元気がなくなってしまう。
萎れた花のようになってしまった彼女を見ていると、何だか気の毒になってしまう。
サンドを食べながら、ケインは話題を変えた。
「それで、人語を喋る異常存在っていうのは、遺跡で見つかったんですか?」
「あー。あの調査活動の結果ね。遺跡をくまなく探したけど、見つからなかったわ。きっとガセネタだったのよ。人騒がせな話よ、まったく」
「たしかジェシカ先輩たちは、1ヶ月くらい前に派遣されてたんでしたっけ? オレたちと会った時は、滞在2週間目くらいですか。あんな異常存在だらけの遺跡で、さぞや大変でしたよね。あそこで普通に長期間サバイバルできるだけでも、すごいことですよ」
「まあね。雑魚しかいなかったから、大して危険はなかったけど」
「あのスライムたちが雑魚扱いですか……。雷火の魔女って、言われてるだけの実力があるんですね。使ってた雷の魔術も凄まじかったし。ちょっとした戦略兵器並みの威力でしたよ」
「フフン。もっと褒めて良いのよ!」
おだてられて、調子に乗るジェシカ。
どうやら機嫌を取り直した様子である。意外と単純な性格らしい。
とにかく、少し元気を取り戻した様子で、ケインは安心した。
そしてふと思い出して、話を続ける。
「そう言えば……。学院に戻ってきたから世界地図で見ましたけど、あの辺って本当に辺境だったんですね。何もないだだっ広い未開地みたいでしたし、グレイン企業国が管理してる“白石塔”も何本か、あの辺りにあったみたいですし」
「あー。グレイン企業国の管理区だから、たしか白石塔の内世界では“北米”って言われている場所だったかしら。カリフォルニアとかいう地域だったと記憶してるけど。ケインは、白石塔の中に入ったことはあるの? ほら、金持ちの貴族とかって、たまに白石塔の内部へ観光に行ったりしてるんでしょ?」
「いえ。オレはまだ、行ったことないですね。卒業後に帝国騎士団に入ることになったら、任務で出入りすることがあるかもしれないですけど。別に個人的な興味もないというか」
「フーン」
ケインは神妙な顔で呟いてしまう。
「……白石塔って、何のために存在するんですかね」
「……?」
「帝国人なら、みんな白石塔の存在を知ってますよ。けど、なんでその中に下民を住ませていて、企業国が管理しなきゃいけないのか。少なくとも、オレは理由を知りません。生まれた時から、あるのが当たり前で。けど、なくても別に困らなくて。だから何のためにあるのかなって、前々から思ってました。七企業国王とか、そういう高い地位の人たちは知ってるのかもしれないですけど」
疑問を口にするケインに、ジェシカは感心した様子だった。
「意外ね」
「意外、ですか?」
「ええ。私の知ってる貴族の連中は、みんな自分のことしか考えてないわ。優雅でリッチな生活ができていれば、他のことはどうでも良いってヤツばかり。だから真王なんていう、誰も謁見したことのない、得体の知れない帝国の親玉に従って、疑問も持たずに与えられた仕事をしてる。白石塔の管理っていう“目的不明の仕事”をね。なのに、ケインは疑問を感じるんだ」
「……誤解ですよ。貴族がみんな、真王様や七企業国王の指示に疑問を持っていないなんて。そんなことないです。ただ白石塔のことは、知らない外国の話みたいなもので。感心を持とうと思わなければ、気にならないだけですよ」
「まあ、実際はそんなものなのかもね」
ジェシカの口ぶりは冷ややかだった。
もしかしたら、貴族が嫌いなのかもしれない。
何となく、言葉や態度の節々から、そうした雰囲気を感じられる。
だが、だとしたらジェシカはなぜ、ケインを自分の私用に付き合わせるべく、呼び出したのだろうか。わからなくなる。らしくないとは言え、ケインも一応は貴族なのだ。そろそろ本題について、ケインは尋ねてみることにした。
「それで……急にオレを呼び出して、こうして付き合わせてる理由はなんなんですか? 買い物って、いったい何を買うんです?」
「え? いや……その……」
尋ねられたジェシカは、少し口籠もりながら、苦々しい顔で答える。
「初めて会った時、いきなり引っぱたいちゃったでしょ? だからその……ちゃんと謝りたかったし。なにか埋め合わせしないといけないと思って」
「じゃあ、謝るために呼び出しを?」
「うん…………叩いてごめんね」
ジェシカはしおらしく、頭を下げて謝ってきた。
急に素直な一面を見せられて、ケインはしばらく、呆気にとられてしまう。
だがなんだかおかしくて、笑ってしまった。
「な、なにがおかしいのよ!」
「あはは、すいません。ジェシカ先輩って、良い人だなと思って」
「???」
「いえ。怒ったり笑ったり、感情がすぐ表に出るし。悪いことをしたら、ちゃんと謝ってくれるし。なんかすごく、素直で善良なんだろうなと思ったんですよ」
ジェシカは赤面しながら、ワンピースのスカートを固く握る。
褒められているのか、けなされているのか。
わからないが、大好きな少年の顔でそう言われると、恥ずかしくなってしまう。
頬を熱くしているのが見られないように、ジェシカは俯き加減で言った。
「か、からかわないでよ。本当に悪かったと思ってるんだから。買い出しって言うのはその、なんかお詫びの品でも買ってあげようかなって思って、それで呼び出したの!」
「なるほど。じゃあ、お詫びに、オレに何か奢ってくれようとしていたわけですか」
「まあ、貴族が欲しがるような、とても高価なものは買えないわよ? でも学院から、遺跡の調査報酬をもらったし、それなりに軍資金はあるから、値がはるものじゃなければ、何でも良いわよ」
ケインは微笑んで言った。
「じゃあ、このチリビーフサンドを、もう1つ買ってもらって良いですか?」
「へ?」
「育ち盛りだから、1つじゃ足りなかったんですよ。美味しかったんで。買ってくれたら、この前のことはチャラで良いです」
「……そんなんで良いの?」
「はい」
ジェシカは、パッと表情を輝かせる。
まるで頭を撫でられた子犬のように、嬉しそうにしていた。
本当に、感情がすぐに表に出る少女である。
「そのくらいのことで良ければ、任せておきなさい。先輩が買ってきてあげるわ!」
「あ、走ると転びますよ!」
「子供扱いすな!」
パタパタと元気よく駆け出し、ジェシカは来た道を戻って、屋台へ向かう。まるでヤンチャな子供も同然だ。その振る舞いを見ていて、ケインは微笑ましい気持ちになってしまった。
だがそれも束の間だった。
「あ……!」
ジェシカは、行き違いで歩いていた、学生の集団にぶつかってしまった。
高等部の制服を着ている、女子集団である。
おそらく、この界隈にある学校の子供たちだろう。
ケインが傍から見ていた限りでは、ぶつかったのはジェシカの粗相ではない。相手方が、わざとぶつかってきたように見えた。
「うわ。ごめーん、小さすぎて見えなかったー」
制服女子の1人が、半笑いでわざとらしく謝った。転んで、膝をすりむいたジェシカは涙目で、黙って路上にヘタリ込んでいる。
「誰かと思えば“元”同級生のジェシカじゃん。こんなところで会うなんて、ぐーぜーん」
「ジェシカってだれー? あー、思い出したー。たしか見た目はガキなのに、精神年齢は20歳のオバさんだっけ? 学院最年少の天才飛び級生だとか、ちょっと顔が良いくらいでチヤホヤされてたけど、ババアが年相応に認められてるだけっつか。実際のところはちょっと賢い程度のヤツでしょー?」
「ババアすぎて老衰したかと思ってたー。まだ息してたんだー」
ゲラゲラと笑い合って、女子生徒たちはロクな謝罪もせずに立ち去っていく。
笑われたジェシカは、泣き出しそうな顔で俯き続けていた。
見ていられず、ケインは駆け寄った。
「大丈夫ですか、ジェシカ先輩! あの高校生たち、謝りもしないで……!」
ケインの肩を借りて、ジェシカはその場で立ち上がる。
悲しそうな顔で言った。
「……気にしないで。あれは、アタシの短い高校時代で同級生だった子たち。あの子たちがアタシに突っかかってくるのは、いつものことよ」
「……! いつものって……!」
「小学校でも、中学校でも、アタシの学院生活は、ずっとこんなだった。たぶん、たくさんの人たちに嫉妬されてるから」
ジェシカは、こぼれかけていた涙を、腕で拭って続けた。
「私は魔人族。人間のように見えて、人間じゃない。あの子たちの言う通り、身体は14歳だけど、実年齢は20歳よ。それに、生まれた時から魔術の才能に溢れてるから、種族の優位性で、人間よりも高度な魔術を複数使いこなせるわ。そのことが気に食わない人たちは……この学院には、たくさんいるのよ」
「いじめられてきた、ってことですか?」
「……」
ジェシカは何も答えなかった。
それはどう考えても、無言の肯定である。
遺跡で出会った時に、ジェシカの同僚のリンネが、「私たちには他に友達がいない」という発言をしかけていた。あれはつまり、ジェシカの周りには気を許せるような他人が、多くなかったことを意味したのだろう。雷火の魔女と呼ばれる天才児の学院生活は、決して順風満帆の薔薇色などではなかったのだ。その現実が今さらわかって、ケインは言いようのない無力感を感じる。
「本当は今日、あなたのことを聞こうと思っていたんだけど……。ごめんなさい。もう無理。奢るのは、また今度ね」
ジェシカは、ケインの元から逃げるようにして駆け出した。
小さな背中が、人混みの中に遠ざかって行き、やがて見えなくなってしまう。
弱々しい姿を見られたくなかったのだろう。
ジェシカが去って行った後も、ケインはその場で立ち尽くしていた。
◇◇◇
雪に覆われた山中の森。森林限界に近い高所に、ヒッソリと身を寄せるよう、木造の家々が建っている。キャンプ地から、道なき道を車で走ること2時間。ようやく辿り着いた。
停車した車から、2人の人物が降り立った。1人は、大荷物を担いだ黒髪の大男。もう1人は、メガネをかけた、赤髪ボブカットの少女だ。少女は、小柄な背に大きな杖を背負っている。
「着きましたね、ボーガさん!」
「ん」
「ここが、雪森の村グノーア。ケインさんが、2年間を過ごした場所みたいです」
「んん」
口数の少ない寡黙な大男は、少女の言葉に短く相づちをする。村の入口の看板の前に並び立ち、2人はそこから、建ち並ぶ小さな家々を見渡した。最初はウキウキした顔で瞳を輝かせていた少女だったが……いつまでもそうしているのは寒い。いそいそと、雪を踏みしめながら歩き始めた。
最初に訪れるべきは、村で唯一の酒場。
村長に顔の利く女将が経営しているという店だった。
店内に入ると、数名の客がいる。いずれも村人たちだろう。よそ者であるエマたちをギロリと横目に睨みながら、何やら不穏な態度で酒を飲み続けている。
「おや、可愛らしいお客さんだ。村の外から人が来るなんて珍しい」
来店した客を出迎えるべく、顔を出した女将が微笑みかけてくれた。少しは友好的そうな人物の登場に、エマは胸を撫で下ろす。そうしてすぐに、自己紹介をした。
「初めまして、私はエマ・クラーク。こちらの大きい人は、ボーガ・バレルさん。専門家協会から派遣された、北方自然環境調査隊の一員です。村長さんに会えますか?」