10-10 正体不明
「都警のデータベースを、ハッキングねえ」
「ええ。せっかく都警が、人数に物を言わせて、殺人事件の捜査をしているのよ? なら、殺された柴田ノゾミについて、現時点で1番多くの情報を持ってるのは都警でしょ。情報は、あるところから頂戴しないとね」
「相変わらず、思いっきり違法じゃねえか」
「白石塔内の法律を気にする帝国人なんていないでしょ? 観光に来る帝国貴族たちなんて、好き放題にハメを外して遊び呆け、しまいには白石塔の人間を死なせても気にしないじゃない? ここは帝国の管理する箱庭のようなもの。私たちは帝国の市民じゃないし、さすがにそこまでのことはしないけど、日本の法律を守る筋合いなんてないわね」
平然と言ってのけるカールに、トウゴは舌を巻いてしまう。
かく言う自分も、最近では日本の法律を遵守できているわけではないのだ。
それ以上は何も言えまいと、諦める。
「まあ、手段は何でもいいや。そんで、何がわかったんだ?」
「AIVで共有するわね」
カールは虚空をなぞるジェスチャーをして、自分の眼前に漂うホログラム映像を、トウゴとユウトに投げつけるようにした。すると2人の目の前にも、カールが見ている映像が表示される。現れたのは、タワーマンションの立体図だ。トウゴが潜入した方ではなく、刑事と共に訪れた、殺人現場があった方の建物のようだ。
カールが指先で立体図に触れると、そこからウインドウがポップアップ表示される。マンションの廊下を俯瞰して録画している、監視カメラの映像のようだ。
「被害者である柴田ノゾミのマンション各階には、監視カメラが設置されてるわ。警察が欧州した録画映像が、これよ」
映像の隅に打刻されている日時は、現在ではない。殺人事件があった当日の、犯行時間直前くらいだ。被害者の部屋の前が映し出されている様子で、そこへおもむろに、1人の女性が現れる。若くはなく、少し歳のいった容姿をしていた。25歳である被害者よりは、明らかに年上だろう。殺人現場となった部屋の呼び鈴を鳴らし、出てきた柴田ノゾミによって、招き入れられていた。この時、被害者の表情に恐怖はない。ただ困惑した様子は窺えた。それでもすぐに、愛想笑んでいる。
予期せぬ知人が、予期せぬタイミングで来訪した。
そんな場面に見えた。
「誰よ、このおばちゃん?」
「石橋警部の言ってた“容疑者”ってのは、コイツのことか……」
しばらくして、女性は1人で部屋から出てくる。
帰りは、送迎する柴田ノゾミの姿は見られない。
そうして何事もなく、女性は去って行き、カメラのフレームから姿を消した。
カールは結論を告げる。
「来訪者は柴田アケミ、51歳。被害者の母親よ。見ての通り。犯行予測時間帯に、1人で娘の部屋を訪れて、そしてしばらくした後に、帰って行ったみたいよ。被害者の部屋に監視カメラは設置されてないから、室内で何をしていたかは、想像するしかないわね」
呆れながら、ユウトが感想を口にする。
「想像も何も。こんなん、母親が犯人で決まりじゃねえの? 堂々と玄関から入ってきて、犯行を終えて帰ったんだろ? 子供殺しとは、またエグい事件だなあ」
「兄貴と同意だな。母親は、たしか元女優だったか? この母親が犯人だって言うなら、室内で争った形跡がなかった理由も納得がいくぜ。被害者の方は、母親に殺されるだなんて考えてもいなかったんだろう。動機は知らねえけど、急に不意打ちで殺されたってのが、事件の全容じゃないか?」
言いながら、トウゴは考え込んでしまう。
「妙だな。これじゃあ容疑者も何も、母親以外に犯行可能なヤツなんていないだろ。石橋警部の口ぶりじゃ、まだ逮捕に至ってないような感じだったけど……なんで警察は、母親を逮捕してねえんだ?」
「母親には“犯行が不可能”だからよ」
「……?」
「容疑者である柴田アケミは、アメリカに住んでるの」
カールの発言に、トウゴとユウトは耳を疑う。
「はあ? アメリカに住んでるって……じゃあ、この日は日本に帰国してたとかか?」
「いいえ、帰国してないわ」
言いながら、カールは別の監視カメラ映像を表示させる。
今度は、どこかのレストランの店内のようだ。
そこに、容疑者と思われる柴田アケミの姿が映っていた。
「彼女はカリフォルニアでアパート暮らしよ。彼女は女優業を引退した後に、西海岸で日本食のレストランを始めたの。マンションの監視カメラに姿が捉えられていた時は、この映像の通り。従業員たちと仕事をしていたわ。海を隔てた遠い国にいたという、完璧なアリバイがあるの」
「うう……わけわかんねえぞ。じゃあ、この監視カメラに映ってんのは誰なのさ」
「……“そっくりな別人”ってことか?」
トウゴはカールに尋ねた。
対してカールは肩をすくめ、降参のように首を左右へ振る。
「それがわからないから、大阪都警の捜査も行き詰まっているみたいよ。カメラを見る限り、被害者の部屋を訪れたのは、被害者の母親にしか見えない女性が1人だけ。仮にこの女性が犯人でなかったとしても、この時間帯には娘は何者かに殺されているはず。犯人でないなら、死体を見た後に、何食わぬ顔で部屋を出てくるというのは奇妙でしょ」
「状況証拠的には、この母親が犯人としか思えねえ。けど、崩せないアリバイがあるってことかよ」
「整形した他人とかか?」
「若いOLを1人殺すために、整形までするヤツがいんのか?」
「さあなあ。でも推理小説みたいじゃんか、おもしれえ。このわけがわからん殺人事件が、半グレとか救済兵器にどう関わってんのか。謎が深まってくよなあ」
ユウトに言われ、トウゴはますますわからなくなる。
「……本当にこの殺人事件が、斗鉤兄妹や、ブラッドベノムの連中に関係してると思うか、カール?」
「どうかしら。今のところ、謎が謎を呼んでるだけで、点と点が繋がってないわね。ただ漠然と、奇妙な事実が次々と発覚してるだけっていうのが、現状かしら」
「だよな……」
カールがホログラムの共有をやめたタイミングで、ユウトが席を立つ。
なにやら顔色が悪く、股間がムズムズするのか、慌てた様子である。
「おっとっと。わりい、ブラザー。ちょっとションベンに行きたくなってきた。我慢できねえよ」
「どう考えても飲み過ぎだろ。少しは自制しねえと」
「へいへい。話の続きは、俺が戻ってきてからな」
店内にトイレはない。ユウトは小走りで、店外にある野外トイレへ向かった。その背を見送りながら、トウゴは溜息を漏らして呟いた。
「まったく、しょうがねえ兄貴だぜ」
「あんなでも、優しいお兄さんじゃない」
カールはグラスを磨きながら、微笑ましそうに語った。
「あなたたち兄弟が、東京都出身だってことは知ってるわ。ユウトちゃんが、元は自衛官だったってこともね。聞けば、故郷を捨てて1人で旅立とうとする弟を、放っておけなかったって言ってたわ。元東京都民の人たちは、今ではアルトローゼ王国に移住したんでしょ? 自分だけでも残っていれば、ユウトちゃんだけでも、ご両親と一緒にそこへ行くこともできたのにね。それでもあの子は、トウゴちゃんを選んだわけでしょ。たった1人の弟なんだから、兄貴が守ってやらなくちゃいけなんだって、私には言ってるわよ」
言われたトウゴは、不貞腐れたように俯いて、応えた。
「……わかってる。兄貴には、たとえ死んでも返しきれねえ恩があるんだ」
「死んじゃダメでしょ。そうならないようにするために、ユウトちゃんはお目付役として傍にいるだから」
「そのお節介なところも全部含めて、しょうがねえ兄貴なんだよ。いつも自由に生きるんだって言ってるくせに、実際には俺のことばかり気にしやがって。そろそろ俺のことなんて放り出して、自分勝手にしろってんだ。ったく」
「ウフフ。素直じゃない兄弟よね。でも最近のトウゴちゃんなら、たしかに放っておいても良いかもね。私と出会ったばかりの頃は、それはもう見ていられないくらい、心がボロボロみたいだったから」
「……あんたにも迷惑かけたよ」
カールが磨いていたグラスを置いて、トウゴの顔を見る。
真面目な態度で、尋ねてきた。
「それで、これからどうするの?」
「どうするって、何のことだ」
「タワーマンションの調査依頼の仕事は、もう果たしたでしょ? なら、私との契約はおしまい。すでに依頼料は、トウゴちゃんの口座に振り込み済みよ。ミズキちゃんも巻き込んじゃったみたいだし。ここから先は、いつもなら、ほとぼりが冷めるまで地下へ潜って、嵐をやり過ごすでしょ?」
「それでも良かったんだけどよ……事情が変わっちまった」
「例の斗鉤っていう兄妹のこと?」
「ああ」
こみ上げる怒りを押し込めるように、トウゴはグラスを握って言った。
「クソッタレの斗鉤兄妹が出てきたんだ。あの2人については、俺の手で、直接に始末をつけてやらなきゃ気が済まねえ。それに、アイツ等が関わってるかもしれない殺人事件があるって言うんだろ? なら、どうせまたロクでもない“計画”があるはずだ。それごとぶっ潰して、連中を追い詰めてやりたい」
「つまり、復讐ってことね……」
「止めるつもりか?」
カールは苦笑して応えた。
「まさか。知っての通り、私は善人じゃないもの。綺麗事を言ったところでウソらしくなるし、引き留めたところでやめないでしょ? それに、殺されて当然の悪党なんて、実際のところ世の中にゴロゴロいるわ。トウゴちゃんがゴミ掃除をしたいって言うなら、誰にもそれを止める理由なんてないわよ。ただね」
言いながら、少し寂しそうに笑った。
「世界に星の数ほど人がいても、生まれてから死ぬまでの間に知り合える人数は、ごく僅かでしょ。あなたたち兄弟は、私にとって、もう知らない他人なんかじゃない。一緒にいるのは、ここ何十年かぶりに楽しいし。だから、死んで欲しくないなって、そう思うだけ」
「……お互い様だ」
「なら嬉しいわ」
カールは懐から、小箱を取り出した。
それを、トウゴの前に置いた。
「忘れないうちに渡しておくわね。ミズキちゃんのために、用意したわ。“偽装フィルタ”の拡張機能。トウゴちゃんの注文通り、知覚制限の無効機能は無し。けど、事実を知りすぎても、異常存在に襲われることはなくなるわ。EDENの通報回路を切るから。状況が落ち着いたら、ミズキちゃんの脳に拡張機能を入れてあげるけど、今は間に合わせしかないから。この指輪を持たせておいて」
トウゴは小箱を開いて、中身を確認する。カールが言う通り、指輪が1つ、収められていた。箱から取り出したそれを、自分の懐にしまい込んで、トウゴはグラスに残った酒を飲み干した。
「助かるよ……。アイツには、この件が終わった後も普通の生活を送って欲しいからな。白石塔の外に、世界が広がってるなんてこと、知らなくて良いんだ。俺や兄貴みたいに、後戻りができなくなっちまう」
「それには私も同感よ」
2人で話し込んでいると、トイレから戻ってきたユウトが戻ってきた。
「おーっす、2人共。待たせたな」
「悪いな、兄貴。俺はそろそろ旅館に戻るよ。ミズキの様子も気になるしな」
「んー? そうなのか? じゃあ、俺たちだけでもうしばらく飲むとするか?」
ユウトはカールの方を見て、微笑みかけている。
トウゴは席を立ち、兄と入れ違いで、店を出て行こうとする。
「……?」
違和感を感じた。
具体的に、それが何なのか。
すぐにはわからなかった。
だが、一気に全身の産毛が逆立ち、鳥肌が立つ。
「なんだ……?」
店のドアに手をかけながら、思わず店内を振り返る。
バーカウンターに腰掛け、飲みかけだったグラスとつまみに手を付ける兄。
それと談笑を始めている様子のカール。
一見して、何もおかしくない光景だ。
だが一拍遅れて、トウゴは感じた違和感の正体に気が付く。
「兄貴が、酒臭くねえ……!」
今しがた、すれ違ったユウトは酒臭くなかったのだ。
トイレへ行く前には、全身から匂うほどのウイスキー臭が漂っていた。
だが戻ってきた時には、それが掻き消えている。
店の外で夜気に当たってきたからではない。
「ヤバい、カール! そいつは兄貴じゃねえぞ!」
「……え?」
トウゴは懐から自動拳銃を取り出した。
だが、間に合わない。
ユウトはジャケットの袖に隠していた仕込みナイフを展開し、一瞬でカールの首を掻ききった。見知った顔を前にして油断しきっていたカールは、唖然とした表情のまま、切り裂かれた喉から出血して倒れ伏してしまう。
「カール!」
トウゴは叫ぶ。そうしながら、間髪入れずにユウトめがけて銃を発砲した。
ユウトは、人間とは思えない身のこなしで、その銃弾を避けて見せた。
「テメエ……誰だ……!」
「……」
ユウトの顔をした、正体不明の“何物か”は、笑いもせずにトウゴの顔を見つめてきていた。何も答えず、ただ静かな殺意だけを放っている。