10-9 京都潜伏
京都市。
大阪から逃げるようにしてやってきた頃には、夕暮れ時だった。
宇治川に面した旅館で、トウゴとミズキは部屋をとる。
「ど、どうして! 私とトウゴさんが同じ部屋なんですか!?」
真っ赤な顔をしたミズキが、目をグルグル回しながら困惑していた。広めの畳の部屋には、トウゴとミズキの2人だけだ。ちゃぶ台の上に置かれていた灰皿を手に、トウゴはタバコを吸いながら答えた。
「俺たちは狙われてるんだ。自分の身を守れる俺だけならともかく、お前のことは守ってやらんといかんだろ。別々の部屋だと、それがやりづらい」
「だ、だからって! これはちょっと、その……!」
「別に取って食ったりしねえよ。布団は別々だし。女子高生に手を出したりしたら、俺の社会的立場が終わるだろ。大丈夫だって」
「うぅぅ~……!」
トウゴは、ウエストポーチから予備のスマートフォンを取り出した。
それをミズキに手渡す。
「これって……」
「さっき、高速のサービスエリアで、俺はお前のスマホを壊しただろ?」
「忘れてませんよ! まだローン払い終わってないのに!」
「スマホってのは便利な反面、GPSが内蔵されてるからな。敵側に位置情報を漏らさないためだよ。壊したヤツの代わりに、俺の予備をやる」
「予備って……そんなのいくつも持ち歩いてるんですか?」
「まあな。短縮ダイヤルに俺やカールの連絡先を入れてあるから、一緒にいない時に何かあったら、すぐに呼べ。別に通話できなくても、俺たちのスマホに、位置情報が転送される仕組みになってるから。話せない状況でも応援を呼べる。いつも携帯して、近くに置いておけ」
「……」
淡々と説明してくるトウゴに、ミズキは怪訝な顔をする。
「トウゴさんって……スパイか何かですか?」
「いいや。そんな大層なもんじゃねえよ」
「じゃあ、いったい何なんですか? お化けが見えたり、それと戦ったり。こんな予備のスマホとか持ってたり……。もしかしてマンガとかで見た、悪い霊を退治する秘密学校の生徒とかですか!? 呪術師とか、そう言うのが実在するってことでしょうか!」
「マンガの見過ぎだろ……」
「えー! じゃあますます、何なんですかー!」
トウゴは頭を掻きながら、当たり障りなく説明する。
「解決屋って呼ばれてる。こういう心霊沙汰の事件の解決を依頼されて、事件の原因を調査したり、除霊したりして、金をもらう仕事だ。役所とか、企業とか、そういう連中がクライアントだな。うさんくせえが、言うなら“心霊探偵”みたいなもんだよ」
「か、かっこいい……!」
「は?」
「やっぱり、マンガの呪術師みたいなヤツじゃないですか! トウゴさんもお化けが見えてたってことは、私と同じように“霊感”があるってことですよね!? じゃあ、私もそういう仕事できるんでしょうか! トウゴさんの会社? で採用とかしてもらえるんでしょうか!」
「……やめとけ、こんな仕事。日の目を見ない上に、危ないだけで儲からないんだぞ」
なにやら目を輝かせて、トウゴの話に感銘を受けている様子のミズキ。
それを面倒そうに見やりながら、トウゴは言った。
「まあ、募る話は、お前の準備ができてからだ」
「私の準備……? それって何のことですか?」
「今はまだ、お前に細かい状況を説明できないんだよ。もしも知りすぎたら、すぐに化け物がお前の居場所を突き止めて、殺しに来るからな。まずは、そうならないための道具が必要だ」
トウゴの言っていることは、ミズキには意味不明だった。
だが何とか意味を咀嚼して、確認する。
「……聞いたら呪われる話の類いってことですか?」
「そんなところだ。今からその道具を取ってくるから、しばらくお前はここで待機していてくれ。そう言えば温泉があるらしい。それに浸かってたらどうだ?」
「温泉があるんですか! 温泉好きです! はい、喜んで入ります!」
「なんかミズキて、思ってたよりも現金なヤツだったんだな……」
「よくわからないけど、お化けに狙われることになった上に、年上の男の人に連れ回されて宿を共にすることになったんですよ? 前向きに生きないと、落ち込んじゃうだけじゃないですか!」
「お、おう。そうだな」
ミズキは旅館が準備してくれていた浴衣に着替え、嬉しそうに部屋を後にした。ちゃんとスマートフォンを持っていった様子で、言いつけを守っていることに安心する。
「……なんか少し、アイツに似てるんだよな」
呟き、苦笑してしまう。
自身の左眼の眼帯に触れ、今は亡き少女の顔を思い浮かべた。
◇◇◇
旅館のすぐ傍に、小さなバーがある。
普段は開いていない店だが、今日は「貸し切り営業」の札が出ている。
店内には、店のオーナーが1人と、カウンター席の2人だけだ。
客の1人である峰御ユウトが、手にしたアンプルを見ながら呟いた。
「これが噂の、“救済兵器”ってヤツか」
「見た感じ、俺たちがレイヴンのオッサンに打たれた、解放ワクチンにしか見えねえよな?」
隣の席で、灰皿にタバコの火を押しつけながら、トウゴが応える。
ユウトは酒の入ったグラスを片手に、考え込んでしまう。
「製造できるのなんて、アルトローゼ財団のテクノロジーだけだろ。それが今あるとすりゃ、アルトローゼ王国だ。なら、原産地は帝国が断交中の、あのお国ってか? なんだってこんなもんが、大阪のタワーマンションで大量に隠されてる?」
「兄貴も知ってるだろ? 白石塔を経由して、禁制品を企業国間で密輸する話はよくあるこったろ。たぶん、このワクチンも密輸品で、アルトローゼ王国からどこかの企業国に運び込まれる途中なんじゃないのか?」
「はあ~ん。だとすりゃ、かなりヤバい話じゃんか。七企業国王たちは、市民たちが支配権限から解放されてしまう事態を恐れて、アルトローゼ王国と断交してんだろ? なのに、こんなのが密輸されて企業国内で出回り、知らない間に人々が自由意志を得ていましたなんてことになりゃあ」
「エヴァノフ企業国の二の舞。事態は革命にまで発展するかもな」
「人々を解放し、革命への道を焚きつける。だから救済兵器ってか?」
「かもな。あくまでこれが、俺たちの知ってる解放ワクチンと同じものなら、って前提で成り立つ推測だ。実際のところ、まだ成分までわかってるわけじゃねえんだから、仮説だな」
トウゴは、グラスに注がれた酒に口を付けた。
「なら、ブラザーが調査依頼された、例の殺人事件は、この件と関係してるかもしれねえな。殺されたOLだったか? なんかヤベえことを知っちまって、半グレに消されたんじゃねえの?」
「さあな。それもまだわかんねえよ。とにかく、そのアンプルの詳しい成分とかは、見た目じゃわからねえだろ? これからカールに調べてもらうつもりだ。できそうか?」
トウゴは、カウンター越しのバーテンダーを見やる。
グラスを拭いているのは、カールだった。
この店は、カールが無数に経営している「開店休業店」の1つだ。喫茶店と同様に、実際のところ店としての機能はほとんどなく、カールが隠れ家として使っているだけの場所だ。
「まあ、そういうのに詳しそうなツテはいるわね。後で預かっておくわ」
「頼むぜ」
トウゴは、ユウトからアンプルを受け取る。
封入された赤い液体を見ながら、改めて昨晩の総括を始めた。
「それでだ……。昨晩に忍び込んだタワーマンションだが。管理会社は、半グレ集団のブラッドベノムのもんだって話だったよな? そこの知覚不可領域フロアには、大量の武器弾薬と、このアンプルが隠されていて、しかも警護してるのは、珍妙な異常存在の兄妹ときてる。なら、ブラッドベノムは、異常存在を運用している白石塔内の半グレ組織ってことになるよな? 他の構成員も、みんな異常存在だったりするのか?」
「どうかしら。半グレというだけあって、ヤクザのような組織体になってない、ならず者の集まりでしかないから。構成員の名簿があるわけでもないし、全員の素性を調べるのは簡単じゃないわね」
「半グレなんて連中は、組織に属さないからなあ。俺が今ここで、ブラッドベノムの一員だって名乗りゃ、俺だって構成員になれちまうような、ゆるーい繋がりの連中だしよ」
「ただ、トウゴちゃんの言うような組織がいるなんて、聞いたことない話ね。バックにどこかの騎士団がいるような、帝国の請負組織でもないのに、異常存在を運用しているだなんて」
「しかも世にも珍しい、喋る異常存在だってんだろ? そのうえ……警護してたのは、異常存在に成り下がった斗鉤兄妹ってか? あのサイコパス兄妹、前々からイカレてるとは思っていたが、行くとこまで行き着いちまった感じだなあ」
「トウゴちゃんとユウトちゃんは、異常存在に知り合いがいるの?」
「知り合いっつーか。俺と兄貴は、因縁のある兄妹だよ」
カールに答えてから、トウゴは続けた。
「帝国騎士団が有する生物兵器の異常存在は、命令の受け答えや、あらかじめプログラムされた“人間の真似事”ができるように設計されてる。以前に俺たちが遭遇した浦谷みたいに、白石塔内の社会生活に溶け込んで、潜伏できるようにするための機能だ。その結果として、どこか機械じみた、平坦な会話くらいは可能になってる。けど、あの兄妹については、ちゃんとした独自の意思を持ってて、独自の判断で行動している様子だったぜ。ダイキの野郎は……俺との殺し合いを“楽しんでる”みたいだったからな」
「それはたしかに、普通の異常存在には見られない態度ね。ただ、本当に楽しんでいたのかしら。そういう反応をするように、プログラムされているだけで、実際にはただの異常存在なのかもしれないわよ?」
「楽しんでやがったさ。あの斗鉤ダイキの目は……見間違いじゃねえよ」
トウゴは忌々しそうに思い出し、断言した。
因縁が深そうな態度を見やり、カールはそれ以上、何も言わなかった。
咳払いをしてから、再びカールが口を開く。
「とにかく。異常存在を運用してるって時点で、白石塔の外側の世界に通じている連中なのは、ほぼ確定でしょうね。つまり背後にどこかの帝国騎士団がついている可能性が高いわ。白石塔の人間たちだけで、異常存在を手懐けたりするのは、技術的に不可能よ」
「ああ。そしておそらくそりゃあ、四条院騎士団じゃない。だとすりゃあ、他の企業国ってことになる。淫乱卿の管理する白石塔内で、他国がコソコソ何かやってるってなると、こりゃあ穏やかじゃない。いったい誰が、どんな企みを持って動いてやがるんだか……」
「ウフフ。トウゴちゃんにマンションの調査を依頼して正解だったわね。特ダネをゲットじゃない。こういう情報を欲しがる人たちって多いのよね。お金になりそうな予感がするわ」
カールの発言を聞いて、トウゴは思い出す。
「そういやカールの本業は、情報屋だったよな。密輸とか強盗とか、他に良くないことをたくさんやってたから、忘れてたけどよ。誰に何を売りつけるのか知らないけど、まーた悪い顔してんな」
「仕方ないでしょ? 私の商売は、帝国の目が届かないところで、日陰者たちに利益を提供する仕事よ。必然的に、帝国では悪とされてることに手を染めてる。そういうところに需要とビジネスチャンスがあるんだから」
カールは話を続けた。
「トウゴちゃんがマンションに行っている間、私の方は、例の殺人事件の方を洗っていたわ」
「石橋警部から持ち込まれた、そもそもの依頼……。証券会社に勤めるOLが殺された件か」
「ええ。改めてだけど、被害者は柴田ノゾミ、25歳。大阪都のなんばに本社がある、才賀証券に勤めていたOLよ。大手の会社員ね。大学を卒業してから入社して、今年で2年目。勤務態度は良くて、仕事熱心だったみたいね。有給を使ったこともないそうよ」
勤め先の名前までは初めて聞いた。
「つまり“真面目ちゃん”だった、ってことか」
「ええ。少なくとも社会に出てから、人に恨まれるようなことはしてないわね。大学時代も品行方正なお嬢様タイプだったみたいだし、怨恨による殺害の線は薄いんじゃないかしら」
「わからんぜえ? ストーカーかもしれないだろ。最近は、そういうねちっこい男が多いみたいだしなあ」
「殺害現場に争った形跡はなかったんだぜ? ストーカーとか怨恨は、たぶんないだろ」
トウゴはタバコの箱から、もう1本を取り出した。
それを咥えると、隣のユウトがライターの火を貸してくれた。
一服しながら、カールの話を聞く。
「彼女が殺された理由が、例のタワーマンションに関係しているかどうか断定できないわ。けれど、もしも関係があるなら、何かしらの接点があるはず。そう考えたから、ためしに柴田ノゾミと、ブラッドベノムの共通点を探ってみることにしたの」
「なるほどなー。さっすが、カール。普段から色々と考えてるヤツは、賢いことを思いつくもんだ」
「いや、そんなに斬新な調査でもないだろ。兄貴は普段から何も考えてなさすぎだっつの。あと、真面目な話してる最中に飲んでばっかりいんなよ」
「べらんめえ、ブラザーよ。飲まずしてシラフでいられるかってんだ」
「飲んだ方がシラフでいられねえんだよ、普通は」
「トウゴちゃん。ユウトちゃんは酔っ払っている状態が平常状態なの。逆に酔ってない真面目なユウトちゃんなんて、不気味以外の何でもないでしょ。飲ませてあげなさい」
「ここはダメな大人の見本市かよ……」
アル中になりかけている兄を窘めることは諦め、トウゴは黙り込む。気を取り直して、カールは語り出した。
「脱線したわね。それで、彼女を調査するに当たって、まず始めたのが大阪都警への“ハッキング”よ。白石塔内部のネットワーク技術なんて、機人族の私からすれば大したことないもの。堂々と、石橋警部たちの捜査資料を見せてもらったわ」