10-8 恋した面影
「ケイントラヴァースぅぅ?」
臭い物でも嗅いだように、ジェシカは鼻にシワを寄せている。
不快そうな表情で、自分よりも背の高いケインの顔を見上げながら尋ねた。
「誰よ、それ?」
「いや、オレですけど……」
口籠もりながら、ケインは恐る恐るの態度で応える。イラついている様子のジェシカは、ケインの襟首を掴み上げて揺すった。
「はあ?! アンタはケイよ! ケインじゃないわ! アンタの顔と声を、アタシが間違えるわけないでしょ!? どっからどう見ても、ケイじゃないのよ!」
「そ、そう言われましても……」
スライムたちを撃退した後、ケインたちは落下した廃ビルを上り、隣のビルの屋上まで移動していた。陽光の下、潮風が吹き抜ける屋外へ出れば、周囲から異常存在の気配が消えて、少し安堵できた。落ち着いたところで、この問答が始まったのである。
「ムキー! 何を他人のフリしてんのよ! しかも変によそよそしい敬語づかいまでしちゃってさ! まるで他人みたいじゃない! いったい何の遊びのつもり!? 怒るわよ?!」
「敬語くらい遣いますよ。ジェシカさんは年下っぽいですけど、学院の上級生で、先輩ですし。しかも超有名人じゃないですか。それ以前に、そもそもすでに怒ってますよね……?」
「フヒ……ジェシカちゃん、落ち着いて。初対面の下級生を、初手で絞め殺すのは良くないよ」
ジェシカと行動を共にしている同級生だろう。
丸眼鏡の少女が、少し慌てた様子で、ジェシカへ落ち着くように促している。
だがジェシカは、構わずケインの首を締め上げている。
「初対面じゃないわ! 止めないでよ、リンネ! このバカ、2年も行方不明だったのよ!? その間、連絡もよこさずにどこへ雲隠れしていたのか、締め上げてでも吐かせないと! そうでもしなかったら、アタシの気が収まらないのよ! アタシや、あの子が、どれだけ心配していたか……!」
「見てよ、アル。ケインの首筋に、見たこともない太い血管が浮いてる……」
「うむ。顔色が青くなってきておるし、本当に死ぬかもしれない感じだのう」
「フヒ! 呑気に見てないで、あなたたちも止めるの手伝って!」
リンネと呼ばれた丸眼鏡の少女は、サムとアルの2人に助力を求める。
本気でケインを絞め殺しそうだったジェシカを、なんとか引き離した。
ジェシカはケインを睨んだまま、今度は杖を構えて見せた。
「フン。しらばっくれても無駄よ。アンタに経路を繋いで、解析現象理論を走らせれば1発でわかるんだから」
「解析魔術って、医療系の魔術ですよね。そんなのまで使えるんですか……! ジェシカ先輩は、いったい何種類の魔術を使えるんです。まさか本物の魔人族……?」
「くぅ~! アタシのことなんてよく知ってるくせに、そうやってすっとぼけられると本気でムカつくわ! そんな演技、すぐにボロが出るってわからせてあげる。何て言ったってケイは、機人族みたいな有機機械骨格を有してて、しかも人狼血族と同等の肉体再生能力を持った変人なのよ? そんなおかしな身体の人間、他にいないでしょ」
「いや、他にいないって言うか……そんな珍妙な人間が実在するんですか?」
「論より証拠! 肉体構造を確認すればアタシの言ってることが正しいって証明できるわ! 見てなさい!」
ジェシカはケインの額に、杖の先端を押しつけてきた。そうして目を閉じ、集中し始める。ケインには何をしているのかわからなかったが、そうすることで、ケインの肉体構造を、魔術で解析しているのだろう。身体は痛くもかゆくもなかったが、その間に自分の深層部位まで覗き込まれているのかと思うと、不思議な気分だった。
「…………あれ?」
ジェシカは目を開き、困ったような顔をする。
なにやら狼狽えている様子で、ケインの顔を見ながら後退った。
顔からは、血の気が失せている。
「ウソ…………アンタ、ただの人間……?」
「当たり前じゃないですか」
「以前にケイの身体を解析した時と、全然違う……? え? ええ……? じゃあ、アンタは本当に、ケイとは“別人”ってことなの……?」
「ようやく、納得してもらえましたか」
言葉を失って、ジェシカは黙り込む。ついさっきまで、ケインのことを“ケイ”という別人だと確信していたのに、それが勘違いだとわかったようだ。そのことが、相当にショックだった様子である。俯いて、とても悲しそうな顔をしていた。人違いされたケインだったが、落ち込んでいるジェシカの様子を見ていると、なんだか同情したい気持ちになってしまう。
「とりあえず……。そのケイさんって人と、オレの顔がソックリで、見間違えたって言うことはわかりましたよ。顔どころか、声もなんでしたよね? 名前まで似てるなんて、すごい偶然です。なら、ジェシカさんが間違えるのも、仕方なかったですよ」
「そんな……アンタがケイじゃないなんて……」
「ジェシカさん、さっきオレの顔を見た途端に、泣いてましたけど……ケイさんって人は、よっぽど大事な人だったんですか?」
「……」
「なんか……似ててすいません……」
本来なら、謝る必要もないことなのだろうが、つい謝ってしまう。
ジェシカの悲しそうな顔が、見ていていたたまれなかったためだ。
暗い雰囲気になってしまったケインとジェシカを見やりながら、サムが小声で、隣に立っていたアルに話しかける。アルは先程から、神妙そうな顔で2人の会話を見守っていたのである。
「どうしたのさ、アル。なんか、ジェシカさんたちと会ってから、ずいぶんと静かじゃない? あんまり喋らないし。妙に硬い表情してない?」
「ん? そうかの。まあ、ちょっとあれこれと考え事をしていたせいかのう」
「考え事? こんな時に、いったい何をさ」
「秘密じゃ」
「……あ、そう」
ニカッと微笑んで誤魔化すアルに、サムは呆れた視線を返す。
落ち込んでいる様子のジェシカを見ていられず、ケインは話題を変えようとする。助けてもらった時から、気になっていたことを尋ねてみることにした。
「それで。ジェシカさんと、そちらの……リンネさんでしたっけ?」
「フヒ。私、いつも影が薄いって言われるのに、すぐに名前を憶えてもらえて嬉しいよ、フヒヒ……!」
「ええっと、はい。……お2人はこの群青遺跡で、何をしてたんですか?」
ジェシカとリンネは、顔を見合わせた。言って良いものか。少し迷った態度だったが、気を取り直した様子のジェシカが、嘆息混じりに肩をすくめて答えた。
「最近、この近くに住む人たちから、専門家協会へ奇妙な通報があったのよ。なんでも、“人語を喋る異常存在”が、人家の近くに出たって話よ」
「え? それってつまり、会話できる異常存在ってことですか?!」
驚いたサムが、ジェシカに問いただす。
ジェシカは腕組みをして、肯定の頷きをして見せた。
「そ。その異常存在が人家を襲ったってことじゃないみたいだけど、1度でも人里にやって来たヤツは、また戻ってくる可能性が高い害獣の扱いになるのよ。そいつが群青遺跡の方に去って行くのが目撃されてるから、おそらくは、この界隈に巣穴があるんじゃないかというのが、専門家協会の見立てだったわ」
「ほほう。この遺跡に、人の言葉を話す異常存在が潜んでおるのか。それは世にも珍しい。面白そうじゃのう」
「面白くないでしょ。怖すぎでしょ。異常存在が何を考えてるか、発言できる個体ってことでしょ? 人喰いの怪物の思考なんて、僕は知りたくもないよ」
「そうは言うがのう。異常存在に知性を与えて、コミュニケーションを取ろうとする学術実験は、過去に何度も例があるのじゃぞ? もしかしたら、その成功例の実験個体が逃げ出したのかもしれぬ」
「なんだかそれって、B級のホラー映画みたいな展開じゃない? どう考えてもヤバい研究でしょ。あんな強くて凶暴な人喰い種族に、知恵を与えるなんてさ。帝国社会がひっくり返っちゃうよ……」
サムとアルの感想を聞いた後に、ジェシカは続きを語った。
「そんで、専門家協会に上がってきたのは、異常存在の討伐依頼。怪物狩りの派遣要請だったわけだけど、もしも本当に、人の言葉を喋る珍しい異常存在が実在したんだとしたら、大発見だし、黙って殺してしまうのはマズいと思ったらしいわ。それでクルステル魔導学院に情報が回ってきたの。結果、怪物狩りの代わりにアタシが派遣されて、学科長からは、情報の真偽の確認を命じられているわ」
「フム。学科長から直々の指示で、しかもたった2人の生徒だけを派遣とはのう。“雷火の魔女”殿は、ずいぶんと学院からの信頼が厚いようじゃな」
「その呼び名は、世間が勝手にアタシを持て囃すのに使ってる偽名みたいなもんよ。実際のところ、私はただの“優秀な学者”であって、学院からは何の特別扱いもされていないわ。まあ、その名を名乗っていれば、本名を知られずに済むこともあるし、メディアにあちこちで騒ぎ立てられることもないから便利に利用してるんだけど。とにかく、この場にはすでに、優秀な学者が2人もいるんだから十分なのよ。調査員が大勢いれば良いってわけでもないわ。不出来なヤツなんて足手まといなだけよ。アタシとリンネは少数精鋭なの」
「すごい自信家……でも雷火の魔女の噂を知ってると、納得できちゃうなあ」
「フヒ。実際、ジェシカちゃんは並外れた魔術の使い手。一緒にいて、私は安心だよ。それに私たち浮いてるから、他に同行してくれる友達がいな――――」
「オホホホ! 余計なことは言わなくて良いのよおお、リンネええ!」
微笑みながら、ジェシカはリンネの口を塞いで誤魔化す。
大まかな事情を察し、ケインたちは苦笑した。
ケインたちも、入学式に参加するために、会場を目指して遺跡を進行中である事情を話す。かつて聞いたこともない、その珍妙な実技試験をケインたちが受験中であることを知ると、ジェシカは腹を抱えて笑った。ゴール地点の座標までは、今のペースでは間に合わないから、少し急いだ方が良いと忠告され、ケインたちは焦り始めた。
ジェシカたちは遺跡の調査を続行し、ケインたちも試験を続行する。
互いに別れることになり、ジェシカはケインたちの遠ざかる背中を見送った。
「……ケイン・トラヴァース。本当に、ケイとは別人なの?」
自分の魔術の解析結果を、疑っているわけではない。
だが、何かを見落としている気がしてならなかった。
それほどまでに、ケインは雨宮ケイと瓜二つなのだ。
少し、身元を調べてみる必要があるだろう。
◇◇◇
ジェシカたちと別れた後、ケインたちは急ぎ足で実技試験のゴール地点を目指した。
スライムたちとの戦闘によって、それなりに時間を取られたのだ。
他のパーティーよりも、だいぶ遅れてしまっているだろう。
2度の野宿を経て、最終日の早朝には、すでに小走りで移動していた。
ケインが、ホログラムの地図を確認しながら言った。
「ゴール地点まで、直線距離であと3キロくらいだ。期日までは、残り2時間。急ごう」
「うむ、ラストスパートじゃな!」
「ひい! アーサーたちなんか助けなければ、もうちょっと余裕があったはずなのに!」
「文句を言っておらんで、今は走るのじゃ。ほれほれ、急げ急げ~」
「うあああん!」
群青遺跡を抜けた先には、岬があった。
実技試験のゴール地点は、どうやら、その切り立った崖の上である。
空間転移の魔術で先回りしたのであろう、セイラ学科長や、すでにゴールした、他の生徒たちの集団が見えてきていた。傾いた廃ビルの背伝いに海を渡り、ケインたちはようやく陸地に辿り着く。草木の生えたジャングルのような道のりを駆けて、すでに見えてきている岬の頂点を目指す。
「もうすぐだ!」
「あと15分しかないよ! 間に合うの、これ!?」
「間に合わせるのじゃ! ほれ、行くぞ!」
「まだ全力疾走できる余裕あるの!? どんだけタフなのさ、アルとケインは!」
木々を抜けると、開けた草っ原に出る。そこから先は上り坂になっていて、もう目と鼻の先に、岬の天辺が見えてきている。3人は息を切らせて駆ける。もはや残り時間を確認する余裕もなく、ギリギリ滑り込むような形で、生徒たちの一団がいる場所まで到達した。
「はあ……はあ……! 間に合ったの!?」
「どうじゃろうな……」
肩を揺らし、呼吸を整えながら、熱を口から吐き出す。そうしてケインたちは、周囲を見渡した。どうやら余裕を持ってゴールできた者は多くないようで、いずれも最後は駆け足だったのだろう。疲れてへばっている様子の生徒たちが散見された。
ケインは、試験官であるセイラ学科長の方を見やった。
セイラはジッと、自分の手首に巻いた腕時計を見下ろしていた。
やがて、ポツリと呟いた。
「…………時間です」
そう告げる。
「ということは、僕たち間に合ったってことだよね!?」
「はい。現時点でここにいる皆さんは、実技試験に合格と見なします」
「やったあああ!」
生徒たちから歓声が上がる。
喜び抱き合う者。ガッツポーズをしている者や、飛び跳ねている者もいる。
サムもケインに抱きつき、安堵の声と共に喜んでいた。
セイラ学科長は、生徒たちを見渡して宣言した。
「皆さん。実技試験、お疲れ様でした。ここまで無事に到達できた395名を、クルステル魔導学院、総合戦略学科の、本年度の新入生として歓迎いたします」
冷淡だった態度はどこ吹く風で、セイラは優しく微笑みかけてきた。
「ようこそ、学院へ」
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