10-4 サムライ乙女
グレイン企業国領の最南端に位置する、ケネル半島。その陸地から、およそ20キロメートルほど先の海洋に浮かぶ、巨大人口島が存在する。上空から見下ろせば、白い蓮の花を彷彿とせる形をした島だ。海面に浮かぶ花弁の部分は、その上に街が築かれているほどに巨大であり、中央部からは、海中に根を伸ばすようにして、水面下へ階層構造の施設を広げている。海中からその全貌を見上げれば、大きなクラゲのようにも見えるだろう。
クルステル魔導学院――――。
水上を漂い、移動することができる、海洋都市だ。
人工島全体が、1つの学術都市である。空を移動する、空中学術都市ザハルと同様で、都市ごと海上を移動することができる学び舎である。最後に海上移動を行ったのは、もう200年も前のことだ。以前は隣国であるエレンディア領に存在していたが、海洋資源調査のために、グレイン企業国領へ移動してきた。それ以後はずっと、今のところグレイン企業国領の海に停留している。
最北端の街で、大陸間鉄道に乗ってから5日後。
ケインたちはようやく、最南端の都市へ辿り着くことができた。
当初の計画では、3日の道のりだったが、やはりそこは鉄道の旅。事前に予期していた通り、少なからずのハプニングが起きた。途中の線路が、地殻変動の影響で壊れていたため、その修理が発生したり、異常存在の群れの通過待ちを行ったりで、予定よりも2日の遅延が発生している。日程に余裕を持って出発した判断は、結果として正解だったのだ。到着した時には、すでに入学式は翌日にまで迫ってきていた。
最南端の都市でホテルに泊まり、翌朝に学院へ向かう。海洋都市へ向かうための転移門をくぐれば、そこはもう、南海の太陽の下、水上に浮かぶ学術都市だ。
◇◇◇
人工の砂浜の向こうに、群青色の海が広がっている。
ヤシの木が植林された沿岸道を、ケインとサムはスーツケースを転がしながら歩いていた。
2人とも今日は、学園から支給されている男子用の制服姿だった。
「想像はしていたけど……やっぱり南の方は暑いんだな」
南方の気候に合わせた生地で作られている制服だが、それでもケインは暑苦しそうに、胸元を摘まんで引っ張っている。それを横目に見ながら、サムは笑った。
「あはは。ケインは寒い地域出身だから、こういう気候は、きっと堪えるんだろうね。僕の実家は、ここからそんなに遠くないし。暑さは、まだ何とかなるよ。けどやっぱ、暑いものは暑いよね。すぐに慣れると良いんだけど」
学術都市とは言っても、島内にいるのは学生だけではない。商売のために訪れている行商人たちもいれば、島のシステム管理を仕事とし、そのために家族ごと住んでいる一般住人たちもいる。屋台や露天商も多く見受けられ、沿岸の通りは大勢の人々で活気づいていた。学生服姿の若者たちと、私服姿の一般人たちの比率は半々くらいだろうか。住人たちは日焼けしている人や水着姿も多く、周囲はまさに南国の景色だ。
ケインとサムは、人混みを歩きながら、総合戦略学科の校舎へ向かっているところである。通りを歩いていると、ふと前方から近づいてくる奇妙な集団に、ケインは気が付いた。
修道服を着た女性の一団。
ただそれだけなら良いが、各々が刺突槍や刀剣、散弾銃などを携えて、軽武装している。頭にはベールを戴き、その顔は無骨なガスマスクによって覆い隠されている。見るからに物々しい、まるで神に仕える武装集団だ。
「武装した修道女たち……?」
「初めて見る? あれが、ロゴス聖団の僧兵だよ」
すれ違う武装修道女たちを見送った後、サムが教えてくれた。
「この学園って、聖団の管理地区にあるんだ。だから、この地区を守っているのは帝国騎士団じゃなくて、ロゴス聖団の私兵さ。まあ、私兵って言っても、金で雇われた傭兵とは違って、修行という名目で戦闘訓練を積んだ、ゴリゴリの信者たちだよ。聖団への忠誠心が強いし、1人1人が、かなり練度の高い兵士らしい。中には“聖人”と呼ばれる、強力な魔術の使い手もいるらしいよ」
「聖人?」
「帝国騎士団で言う、上級魔導兵みたいな連中じゃないかな。まあでも、魔術の腕で言えば、それよりもかなり上って噂があるけど」
「へえ。サムは情報通だなあ」
「ケインが色々と知らなすぎるだけだろ? こんなの、一般常識レベルの話だってば。よくそんなんで、この学院の試験に受かったよね……」
「ははは、そうだね。オレもサムと同じで、合格点ギリギリだったから」
「まあ、ケインが頭良すぎる優等生とかだったら、僕なんかじゃ、近寄りがたい存在だったかもだけど。その点に関しては、一緒にいて気が楽なんだけどね」
「なんだよ。それじゃあ、まるでオレがバカみたいな言い方じゃないか」
「少なくとも、僕と同じくらいにはバカだろ?」
顔を見合わせ、2人して笑ってしまう。
気を取り直し、再び校舎までの道のりを歩き出す。
話の続きとばかりに、サムが言った。
「聖団の兵士って、僕も今まであんまり見たことないからなあ。布教の旅をしてる、宣教兵とかは、その辺の街角でたまに見かけるじゃない? けど、こんなにたくさんの僧兵がいるのを見るのは初めてだよ。なんか、カルト教団のアジトっぽくて、変な感じだね」
「オレは聖団の人を見るの自体が初めてだよ。北部の辺境暮らしだったから。教会に通うような習慣もないし、神父にさえ会ったこともない」
「そうなんだ。まあたしかに、アーサーのスノーボード旅行について行った時も、あの辺で見かけたのって、市民よりも帝国騎士ばかりだったかも。聖団の人なんて、ただでさえどこの街でもレアな存在なのに、ケインの故郷じゃ、さらにウルトラレアかもしれないよねえ」
ふと、ケインは立ち止まる。
つられてサムも立ち止まり、神妙な顔をしているケインを、不思議そうに見やった。
「どうかしたの、ケイン?」
「……いや」
先程、すれ違ったばかりの修道女たち。
ケインは振り向き、その背をマジマジと見た。
「あの修道服……。なんか以前に、どこかで見たことあるような気がしてきた」
「え? 聖団の人を見るのは初めてって、今さっき言ってたじゃない?」
「そうなんだけど……」
既視感というものだろうか。
具体的に、いつ見たのかは思い出せなかった。
「いや、たぶん気のせいだな。ごめん」
「平気なら良いんだけどさ……」
再び歩き出すが、2人の会話は途絶えてしまう。ケインは自分の感じている違和感について、考え込んでしまっていた。なぜそのことが気になるのか、ケイン自身にもよくわからない。
「あ、おい、ケイン!」
「……!?」
サムの警告は間に合わず、ケインは道行く他人にぶつかってしまった。
誰にぶつかったのか、確認するよりも先に、ケインは謝った。
「ご、ごめん! よそ見をしてて……!」
「……まったく」
呆れた声で応えたのは、腰に片手を当てている女子生徒だ。
桃色の長髪。それを、ポニーテールにまとめていた。整った顔立ちは気が強そうで、眼差しには、力強さがある。腰には2本の打刀を差していた。本差しと脇差しだろう。長さが違う大小の刀である。少女からは、まるでサムライのように静謐な気配が漂っている。
少女は腕を組み、ジロジロとケインの姿を見やってきた。
つま先から頭の天辺まで、ケインに視線を這わせた後に、ニカッと微笑んだ。
「ほお。そなたの制服。妾と同じく、総合戦略学科か」
「わ、わらわ……?」
「そなた、名は何と言う?」
ぶつかったケインの方に非があるとは言え、少女は、妙に上から目線だ。
名を尋ねられたケインは、応えた。
「……ケイン・トラヴァース。君も同じ学科の新入生ってこと?」
「ケイン・トラヴァース……?」
「……?」
名前を聞いてすぐに、少女は怪訝そうに眉をひそめた。
なぜ、そんな反応をされるのか。ケインにはわからなかった。
「オレのことを知ってるの?」
少女は神妙そうな顔で、ケインの顔をしばし観察している様子である。
何かを考え込んだ後に、気を取り直して微笑んだ。
「……いいや。知らんな」
「?」
「さっきの質問に答えよう。妾も、そなた等と同じく、総合戦略学科の新入生じゃ。2日前に学院へ到着して、すでに学生寮で暮らしておる。そして、そなた等が目指す校舎は、この道を真っ直ぐ行けば、もうすぐじゃ。急がぬと、入学式に間に合わぬぞ。妾も急いていたでな」
女子生徒はケインたちに背を向け、颯爽と先を行く。
吹き抜ける風で、長髪が揺れた。
「妾の名は、アル。よろしく頼むぞ」
ニヤリと不敵に笑んで、1度だけ振り向いて見せた。手を振り、その場を後にする。アルと名乗った少女の背を見送りながら、サムは、心奪われたように呆けている。
「なんだか、カッコいい感じの子だったね……。あ、僕の名前はサムだからね! よろしくね!」
名乗り忘れたサムが、少女の背に向かって自己紹介する。
聞こえているのかは、わからない。
毅然とした態度。凛とした眼差し。そこには、強い意志が宿っているように感じさせられた。サムと同様に、アルの背を見送りながら、ケインは別の感想を口にした。
「……たぶん、強いな」
少女の挙動の節々から、その気配が漂っていた。