9-15 愛国者たちの決意
夜が訪れる。
今夜も眠れずにいた。
「……」
天蓋付きの、立派なベッドに横たわっていた。
ネグリジェ姿のアデルは、目を見開き、じっと頭上を見上げている。
大きな窓。白いレースのカーテン越しに、月光が降り注いできている。銀色の輝きが室内を照らし、暗闇の中に沈んだ調度品の輪郭を露わにしていた。美しい静寂に包まれた、平和な夜。帝国の脅威から守られ、安心して過ごせる場所にいるのだ。
仲間たちと命懸けの旅をして、ずっとこんな場所を求めてきた。
ようやくそれを手にしたというのに……心は虚ろだった。
信頼できる友。イリアとジェシカは、自分の元から離れていってしまった。
そして最愛の少年は、依然として行方不明のままだ。
アデルの憂いを秘めた眼差しが、悲しげに細められた。
「…………ケイ」
今夜も、その名を囁いてしまう。
その名を口にするのは辛すぎて、いつだって、泣き出しそうになる。
2年前。雨宮ケイは、人々の前から忽然と姿を消した。
どうして姿を消したのか。諸説は様々にある。だが当日、会う約束を交わしていたアデルにとって、ケイが自分の考えで失踪したのだとは考えられなかった。黙ってアデルのことを置き去りにしたなどとは、考えたくないという、個人的な主観も入っている。だが、誰にも何も言わず、残された人々に心配をかけるような消え方は、ケイらしくない行動に思えていたのだ。
そもそもケイが、どうやって痕跡を残さずに失踪できたのかが、わかっていない。
最後にケイと話した祖父の証言や、目撃者たちの証言によれば、何物かの運転する車に乗り込んだという噂もある。しかし、都市周辺を偵察飛行している無人機や、路上の監視カメラには、そうした怪しい車両の姿は映っていなかった。何者かに映像を改竄されたような形跡もあると聞かされているが、それ以上のことは何もわかっていないのが現状だ。
確かな事実は……ケイは、アデルに一言も言わずにいなくなった。
そのことで、アデルは深く傷ついたのである。
「……もう1度、会いたいです」
姿を見られない不安で、押し潰されそうになる。
胸が締め付けられるように苦しい。
空気が薄まったように、息苦しささえ感じた。
ケイが今、どこかで無事でいるのか。最も知りたいそのことすら、わからないことが辛かった。新国の王という立場に押し上げられ、途方もない権力を与えられているというのに。少年1人の行方さえわからずにいる。他国の侵攻を抑止できる、死の騎士、雨宮ケイが王国に不在であることを、帝国側に知られてはならない。その都合上、表立った捜索ができずにいるのが原因だ。
地位と権力が、今のアデルにとっては、足枷になっている。
昔のように、自分の気持ちや都合だけを優先して、行動することは許されなくなった。もしも今すぐに、アデルが王の立場を退いて、ケイを探しに出てしまえば……おそらくアルトローゼ王国はおしまいだ。帝国に侵攻を躊躇わせている抑止力。すなわち、人の王と、死の騎士が不在とわかれば、すぐにでもこの地は、帝国の支配下に逆戻りだろう。この国の設立に携わった人々は皆、不穏分子として、無残に虐殺される未来が見えている。その時、人々の自由も、永遠に奪われて消えるのだ。
多くの人々を救う代償に、愛する者を救えない。
それが今のアデルである。
「…………私は、泣き虫のアデルではいけないんです」
ベッドから身を起こし、姿見の前に立った。
感情を表に出さないようにした、無表情な自分の顔が映っている。
辛くても。不安でも。今は王でいなくてはならない者の顔だ。
多くの人たちが、アデルのことを頼っている。
その人たちの希望を、裏切ることはできない。
国民たちのために、玉座を離れるわけにいかないのだ。
耐えろ。泣くな。気丈であれ。大丈夫だ。
鏡に映った自分に向かって、胸中で何度も言い聞かせる。
今すぐにケイを探しに行きたい。
その本音を押し殺しながら、自分を偽り続けるしかないのだ。
この国を維持することができるのは、今はアデルしかいないのだから。
……コンコン。
扉がノックされた。
臣下の者だろうか。
こんな夜ふけに、来訪者が来るのは珍しかった。
「……誰ですか?」
「お休みのところを申し訳ありません、アデル様」
「その声は、あなたですか……。どうぞ、入ってください」
返事をした男の声には、聞き覚えがある。
恭しい言い回しの中に、鼻につく嫌味を感じさせる口調。
扉を開けて会釈をして見せたのは、金髪の、太ったスーツ姿の男である
モラー・フェルティエ。
かつて、アデルたちを捕らえて奴隷扱いをした、忌まわしき因縁の帝国貴族である。アデルたちのクーデターに貢献した功を評価され、今ではアルトローゼ王国の議会の一員に抜擢されている。その腐った性根を知るリーゼは、モラーを国家運営に携わらせることに、反対していた。だが、こうした不遜な輩は、蚊帳の外に置くよりも、中に入れて、目が届くようにしておいた方が良いというレイヴンの助言に従った結果である。
表向きの態度は、アデルに対して従順なふりをしてはいる。だが裏では様々に暗躍し、よからぬことをしているという噂も耳にしていた。それでも、王国の現体制に反抗的な議員たちを束ね、ガス抜きさせる役として優秀だと、レイヴンは評価しているようだった。アデルは、その見解を信じていた。
「私に何か御用でしょうか、フェルティエ議員?」
「このような夜分遅くに申し訳ございません、アデル様」
「構いません。まだ起きていましたから。それで?」
「はい。今しがたまで、大聖堂で、新東京小議会の仙崎議員と話し合いをしていたところでして」
「仙崎議員と?」
元は東京都で、内閣総理大臣をしていた人物だ。かつての東京解放戦で、自衛隊やケイたちと共に戦った英傑である。今では首都の79層の代表者たちを束ねた、小議会のリーダーを務めている。仙崎議員は、ケイがいなくなった後に、新東京都の運営を一手に引き受けてくれた恩人でもある。アデルの相談にものってくれる、信用している人物の1人だ。
モラーは上目遣いで、申し訳なそうにアデルへ言った。
「とある“情報”がありまして、それについて2人で話し合いをしていました。結果……どうしても今すぐ、アデル様のお耳に入れておいた方が良いという結論になりましたもので。ご足労で申し訳ないのですが、大聖堂の玉座の間まで、一緒に来ていただけないでしょうか。お見せしたいものがございます」
「私に見せたいものですか」
「はい。お時間は取らせません」
「……わかりました。ただごとではなさそうです。共に行きましょう」
城内であっても、外出の時は、護衛を呼ばなければならない手順になっている。アデルはAIVを起動させた。目の前に展開されるホログラムのメニュー画面から、専用回線の通話アプリを選択し、エイデンを呼び出す。夜遅くであっても、エイデンは即座に通話口に応答する。
『外出ですか、アデル様?』
「はい。フェルティエ議員に呼ばれました。大聖堂で仙崎議員と会いますので、同行お願いします」
『フェルティエ議員が……? 承知しました。今すぐにお迎えに上がります』
連絡して1分も経たないうちに、黒甲冑で顔を隠したエイデンが、雨宮ケイとして現れる。モラーを含め、議会の議員たちは、その正体がエイデンであることを知らされていないのである。ボイスチェンジで変声したエイデンが、アデルに会釈をした。
「お迎えに上がりました、アデル様。向かいましょう」
「エスコートをお願いします」
「喜んで」
「それではアデル様、雨宮様。参りましょう」
アルトローゼ大聖堂は広大だ。
玉座の間までの道のりを、モラーが先導することになった。
◇◇◇
アルトローゼ大聖堂
議会場であり、王宮でもある巨大な建物だ。その見た目は文字通りで、カトリック教会を思わせる造形をしている。一見して歴史ある建造物に見えるが、内部はあちこちに最先端技術が持ち込まれていて、王国の中枢を担う様々な機能を有していた。
人々に慕われる場所であって欲しい。
王であるアデルの、そんな希望に沿ってデザインされた建物でもある。敷地の周囲は、まるで自然庭園であるかのように、色とりどりの花や木々に囲まれている。内部にもあちこち草花が植えられていて、玉座にいたっては花壇にしか見えない。威厳を保ちながらも、優しいアデルの性格を体現した、驕らない雰囲気の建造物として仕上がっていた。
モラーに案内され、アデルとエイデンは玉座の間へ辿り着く。
淫乱卿との謁見も行われたその部屋は、広大な聖堂だ。
ステンドグラスが天井を埋め尽くし、その下には花園の玉座が置かれている。
「……?」
入ってすぐに、アデルは違和感を感じた。
玉座の間では、大勢の議員たちが、アデルの登場を待っていた様子だ。スーツ姿の老若男女が、円陣を形成して玉座を取り囲んで立っている。モラーの話からして、待っているのは仙崎議員だけだと思っていた。20人は集まっているだろうか。議員が100人しかいないことを考えれば、かなりの人数が集まっている様子だった。少なくとも、その場の顔ぶれの中に、仙崎議員の姿はない。
違和感を感じているのは、護衛のエイデンも同じ様子だった。
赤剣の柄に手をかけながら、鋭い視線をモラーへ送っている。
「フェルティエ殿。聞いていた話と、少々違うご様子ですが。この集まりはいったい……」
尋ねられたモラーは、ばつが悪かったらしく、小走りで逃げるように去って行く。そうして、玉座を囲んでいる議員たちの円陣に加わった。釈明もされず、アデルとエイデンは、ただ異様な状況の中に放り出されてしまう。
円陣を作っている議員たちが、一斉にアデルの方へ身体の向きを変えた。
1人の女性議員が、口を開いた。
「アデル様。これが、この国の。いいえ。アークの人々の未来のためなのです」
「……どういう意味でしょう、カレル議員?」
その女性議員の名前を憶えていたアデルは、動じずに尋ねる。
答えたのは、その隣に立つ、獣人族の男議員だった。
「淫乱卿が謁見で言っていたことは正しい。同じことを、我々も考えていたからです」
「……」
この場に参集している議員たちが、目論見を持ってアデルを呼び出したことを、エイデンは察する。赤剣の柄を握り、いつでも抜刀できるようにして、威嚇した。今のところは襲ってくることなどない様子だ。だがエイデンはアデルの手を引き、自身の背後に隠す。「油断しないでください」とだけ、鋭く警告した。
男議員は続けた。
「先代の人狼血族の始祖、ガイア殿と、私は意見を共にしていました。帝国人たちとの共生を夢見る、“共存派”の1人でしたから。そんな私やガイア殿が、長年の間、夢見続けていた理想郷。このアルトローゼ王国は、それに限りなく近い。この国を建国されたアデル様が、どれだけ偉大な存在であるか。我々がどれだけ貴女様を尊敬し、かけがえのない存在なのだと考えているか。そんなアデル様の“亡き後”の、アルトローゼ王国の行く末については、不安しかありません」
別の議員たちが、口々に続きを語り出す。
「強大な帝国の支配するアークで、この王国が独立していられる今は、まるで奇跡のような時間です。ですが、その奇跡を実現させているのは、アデル様の存在があってこそ。とても残念なことですが、アデル様の命は有限。帝国に暗殺されずに生きながらえたとしても、いつかは寿命で息絶えます。そうなれば王国の存続は不可能。我々は、この平和な理想郷を後世へ遺したい。できることならば、永遠に」
「そのために“必要な全ての措置”を、我々ここに集まった有志一同は、容赦なく断行することを決意したのです。この国の存続のため、できることは何でもする。たとえ、アデル様を傷つけることになろうともです」
「我々は“愛国者”。これから我々のなすことが、人の道を外れているとそしられようとも、全てはこの国の未来を思ってのこと。そのために、今は心を鬼にします」
「申し訳ありません、アデル様。ここから先の国家運営は――――我々が行います」
明確な叛逆の宣告。
エイデンは激昂し、赤剣を抜き放った。
「なんと不敬な! アデル様を傷つけるなど言語道断! 貴様たち全員、反逆者として粛正してやる!」
今にも議員たちに斬りかかろうと身構えるエイデン。
だがそこに冷や水を浴びせる声が、割り込んだ。
「――――そんな偽物の剣では、私を止めることはできないな」
「!」
玉座の間。アデルたちが入ってきたのとは、反対面に位置する扉が開いた。その向こうから姿を現した1人の男が、靴音を響かせて、ゆっくりと歩み寄ってくる。
長い黒髪を結い上げた、緑眼の壮年男。細面の表情には、穏やかな笑みを湛えている。黒いネクタイに、黒い喪服の礼装。腰には日本刀を帯刀していた。あまりにも高名なその男の顔なら、エイデンはよく知っていた。だからこそ驚愕し、恐れおののく。
「バカな……! “剣聖”が、なぜここに!」
剣聖サイラス・シュバルツ。
その男は、あまりにも強すぎる。
「それはこちらのセリフ。行方不明の雨宮ケイが、なぜここにいる?」
「!」
雨宮ケイの不在を知っていて、それを指摘してくる剣聖。国家機密であり、一部の者しか知らないはずの情報だった。だが、サイラスも、今の言葉を聞いていた議員たちも、驚いた様子などない。つまり……王国にいる雨宮ケイが偽物であり、エイデンがその役を演じていることを知っていたのだ。
「……!」
この状況にどう対応するべきか、エイデンは視線をアデルに送って意見を求めている。雨宮ケイの偽物であるエイデンでは、とてもではないが剣聖に対抗することはできないだろう。王国最強の護衛が偽物であることが知られていては、もはやアデルは丸裸も同然だ。
憂いを帯びた眼差しで、アデルは剣聖を見つめた。
「……久しぶりですね、剣聖。獣殺競技大会で遭遇して以来でしたか」
「あの時の少女が、ご立派になられたものです。心底から尊敬しておりますよ、アデル王。貴女には、私を帝国の支配権限から解放していただいた御恩がある。悪いようにはしませんので、抵抗しないでいただけると助かる」
「……あなたが、この愛国者を名乗る者たちのリーダーということですか。我が国の一部の議員たちを煽動して、操っている様子ですね」
「まあ、そんなところでしょう。それと一応、言っておきますが。よくご存じでしょう? この国には、支配権限の通用する人間は1人としていない。これは彼等の自由意志によるものですよ、アデル様」
剣聖は、含みのある言い方で微笑んだ。
アデルは淡々と続けた。
「2年前に私たちが起こした、エヴァノフ企業国のクーデター。あの時、あなたは私たち反乱軍の陣営へ加担しました。メディアの元に姿を出して、私たちを勇者たちの追撃から救ってくれましたね。ですがその時の振る舞いのせいで、帝国からは反逆者として扱われているはず。あなたたちシュバルツ家は、グレイン企業国籍を剥奪されて、以後は地下に潜って行方をくらましていたはずです。それが我が国の領土に潜伏していたとは、意外でした。なぜ今この時になって、突然に姿を現したのです」
「なかなか鋭い洞察。王として人々の信認を得ながら、尽力してきただけのことはある」
問われた剣聖は、世辞を交えた後に、本質を語り出した。
「どうにも淫乱卿は、我々の動きを気取りつつあるようでした。さすがは蛇中の蛇。あの腹黒い男の嗅覚は一流です。東京を失った刑罰を免れるため、エヴァノフに濡れ衣を着せた立ち回りは、おぞましかったのを憶えていますよ。この企業国が貴女たちに陥落させられたことによって、残された七企業国王は、互いに協力関係を深める以外に選択肢がなくなった。この状況は全て淫乱卿の思惑通り。意図的に非常事態をつくり出すことで、自身の罪への追求を回避して見せたのです。しかも、因縁の相手である暗愁卿を葬って見せた」
「何が言いたいのですか」
「四条院コウスケは愚かだが、すさまじく頭が切れる。こと、策謀に関しては一流でしょう。それほどの賢い男が動き出しているということは、おそらく、今からアークの“勢力図が変わる”ことを察知して動いている。彼も何かを仕掛けてくるつもりでしょう。我々も、もはや“計画”を早める以外にないと見ました」
「淫乱卿が動き出している……? あの謁見のことを言っているのですか」
「あの交渉は半分本気。もう半分は、私へのメッセージでしょう」
「……あなたたちの計画とは、この状況のことを言っているのですか」
「ええ。その通りです」
剣聖は悪びれもせずに認めた。
「悠長にしていられなくなった。準備が万全とまではいかないが、これ以上に待てば、機を逃すかもしれない。戦況は風吹くままに変わるもの。そろそろ我々は、計画を次の段階へ進める頃合いだ」
剣聖が指を鳴らすと、アデルの背後の扉が開く。城内を守護する王国騎士団が姿を現した。おそらく、剣聖や愛国者たちの息がかかった、一部の騎士たちなのだろう。アデルの両腕を拘束し、エイデンからは武器を取り上げる。
「クッ……! 貴様等、これは裏切り行為だぞ! アデル様にこんなことをして、ただで済むと思っているのか……!」
エイデンの苦言など気にした様子もない。
騎士たちはアデル共々、エイデンを連行して、どこかへ連れ出してしまう。
玉座の間に残った議員たち。
剣聖はそれを見渡してから、ほくそ笑んだ。
「さあ、諸君。始めよう――――“第二次星壊戦争”を」
その宣告は、アーク全土へ深刻な衝撃をもたらす。




