2-8 暗号発信者
佐渡は咳払いをして、話しを付け足してきた。
「それともう1つ。僕が知っている情報をお伝えしておきますね」
『佐渡は、本当に色々と調べ回ったのですね』
「そりゃあ、伊達に5年くらい、この世界を見てきてませんからね!」
佐渡は得意気な顔をしている。
もう一度、咳払いをしてから話し始めた。
「僕が怪物に殺され、自身を手術することで命を繋ぎ止めた、直後の話です。なんとか生き延びることができた僕でしたが、その後も、毎日のように浦谷のような“殺し屋”に付け狙われました。なぜか」
「なぜかって……そりゃあ、佐渡先生たちの暗号解読チームが、シケイダの正体に迫ったからって話しだったよな。理由は知らねえけど、シケイダのことを一般人に知って欲しくない管理者に、目ぇつけられてたんだろ?」
「そもそも、最初からそれ自体が変なんですよ。管理者は、どうやって、僕たちがシケイダの正体に近づいていたという事実を察知できたんでしょうか」
佐渡は、ケイたちを試すように尋ねてきた。
「僕たちが暗号解読を始めたこと。それを解いて、富士の樹海に辿り着いたこと。アデルさんを見つけたこと。そうした事実の1つ1つを、いつからどのように、管理者は監視できていたのだと思いますか?」
佐渡の投げかけてくる疑問は、言われてみれば、奇妙なことのように思える。
「僕たちの暗号解読チームは、10人くらいのメンバーでした。常に一緒に行動していたわけではありませんし、それぞれが、ほぼ単独で行動していて、たまに情報交換などのために協力していた程度の、緩い繋がりしか持ってませんでした。そのメンバーの1人1人を確実に見つけ、消して回り、壊滅させたんです。いったいどうして気付かれたのか、僕にはその原因がわかりませんでした」
「たしかに、管理者には、どうしてわかったのかしら。最初から佐渡先生たちを監視していたならわかるけど……でも佐渡先生たちが暗号解読を始めることがわかっていなければ、そんなことしないわよね」
「……瀕死の重傷を抱えたまま、生き延びたばかりの当時の僕は、ひどく怯えていました。死後の世界が見えるようになったばかりでもあったので、目に映るもの全てが、怖くてたまらなかったんです。本当の地獄へ迷い込んだような気分でしたよ」
佐渡は自嘲を浮かべ、続けた。
「毎日、移動を続けて、日本の各地をあちこち逃げ回り続けました。けれど怪物はどこまでも追ってくる。まるで僕の居場所がわかっているかのようにね。最初の刺客は、僕を殺したと勘違いして去って行ったのに、どういうわけか管理者は、その後も僕が生きていることを知ったようで、執拗に、次々と刺客を送り続けてきました。怖くて怖くて。ある時、僕は何日か、眠れない日が続いたんです」
佐渡はメガネの位置を指先で正し、告げた。
「すると、不思議なことが起きました。――――怪物が現れなくなったんです」
「……?」
「眠らなかった翌日は、刺客の怪物が現れない。僕は、その法則性に気付きました。だから、その時になって初めて、考え始めたんです。もしかして“眠ると居場所がバレる”のではないかと」
「なんで……眠ると居場所がバレるんだ?」
「当時は、管理者のことも知りませんでしたし、理由なんてよくわかりませんでした。ただ確かなことは、眠ると、自分の居場所は怪物たちに通報される。そうした仕組みが、この世界に存在するのだと考えたんです。眠ることで僕は、怪物たちが監視している“何らかのネットワーク”に繋がってしまう。その結果、見つかってしまう。そう考えると、暗号解読チームのメンバーが見つかった理由もわかった気がしました。みんな“眠ったから”。怪物たちに記憶を読まれ、暗号を解読していることを知られ、発見されたんじゃないか。そう思ったんです」
佐渡の推理は突飛で異様だったが、筋は通っているように聞こえた。
それを聞いて、トウゴは慌てた。
「おいおい、マジかよ。それってつまり―――― 管理者は人の記憶も管理してるって言ってんのか?!」
ケイたち他のメンバーも、同様のことを考えていた。
だが佐渡は、意味ありげな無言の態度で、何も答えない。
しばらく黙った後、ゆっくりと再び語り出した。
「この星の生物は、眠らなければ生きていけません。では、なぜ眠る必要があるのか。その理由は、実のところハッキリとした理由がわかっていません。一般的に考えられている理由は、疲労した脳や神経節を休息させるため。あるいは、記憶の定着や整理を目的にしている行動と考えられています。この疑問について、僕はある仮説を持っています」
「仮説……?」
「今しがたお話した通り、僕が管理者に狙われ、追跡された原因は“睡眠”でした。つまり人は眠ると、管理者からの“記憶閲覧”を受け付ける状態に入るのではないかと。眠ることで、僕たちの脳は、管理者の管理する、何らかのネットワークシステムのようなものに接続されるのだと考えると、イメージがしやすいかもしれません」
「それってもしかして……集合無意識ってやつかしら」
「よくそれをご存じですね。集合無意識は、全人類が無意識下で共有している、広大な意識領域と考えられています。僕たち人間、1人1人の意識は、集合無意識という巨大な海に浮かぶ、小島のような存在であるという考えです。僕たちはその巨大な海を隔てて、誰もが繋がっているんです。管理者が管理するネットワークとは、おそらくそうした代物ではないかと、僕も思いますよ」
サキの意見を、佐渡は肯定した。
今度は、イリアが口を開いた。
「なるほど。佐渡先生が昨日、雨宮くんたちに服毒自殺させた理由がわかったよ」
話しを聞いていたイリアは、合点がいった様子である。
「浦谷の正体を知った雨宮くんたちは、管理者にとって都合の悪い存在になった。もしも昨晩、雨宮くんたちが普通に眠っていたなら、佐渡先生たちと同様に、雨宮くんたちの脳は管理者が管理するネットワークに接続され、問題人物であることが検知されてしまう。翌日には刺客を送り込まれ、殺されることが予想できていたんだね」
ケイも理解したらしく、イリアの後を続けた。
「……だからオレたちを眠らせず、死なせることで、ネットワークへの接続を回避した。生きているけれど、限りなく死んだ状態に近い脳なら、ネットワーク上のオフライン端末みたいなものなんですよね? 眠れば殺されるというのは、そういう意味だったんですね」
「となると。僕の雇った探偵は、何も知らずに昨晩、眠ってしまったために、管理者から知りすぎた人物だと検知されて殺されたわけか。じゃあ、今日の下校路で待ち伏せていたという怪物は、おそらくボクのことを狙って送り込んできた刺客、ということになるのかな?」
ケイとイリアの推察を聞いて、サキとトウゴも理解できた。
「私たち、佐渡先生が色々と調べてくれた知識によって、知らず知らずに助けてもらったのね……!」
「ありがてえ先生だぜ、ほんとによ!」
『よくできた男ですね、佐渡』
アデルにも褒められて、佐渡は照れくさそうに頭を掻いた。
「大したことじゃないです。おそらく、君たちよりも僕の方が、管理者にとって都合の悪い、知りすぎている人物でしょう? 僕自身が殺されないために編み出した処世術を、君たちにも伝授しただけです」
佐渡は白衣のポケットから、自作の毒錠剤を取り出した。
改めてマジマジと、それを見下ろした。
「僕が怪物に襲われなかったのは、眠らなかった翌日と、殺された翌日。この2パターンでした。人間である以上、永遠に眠らないことはできないですから……無死の赤花を持っていたわけですし、敵の追跡を振り切るため、試しに死んでみようと思ったんですね」
「試しに死んでみるって、すげえチャレンジャーだな……」
「ええ。でも、それが正解でした。今では、管理者のネットワークに引っかからないよう、この5年間、毎日服毒自殺していますよ」
最後の佐渡の発言が引っかかり、トウゴは怪訝な顔をする。
その引っかかりの理由に気づき、すこぶる嫌そうな顔をしてしまう。
「……ん。待てよ。するってーと……」
「私たちもこれから毎晩、佐渡先生みたいに服毒自殺し続けないと、怪物に襲われちゃうってわけなの!?」
「そうですよ? 知覚制限が外れても、眠ればネットワークに繋がってしまうことに、変わりはありません。だから毎日、僕のように死ぬのがお勧めです!」
サキとトウゴは、頭を抱えて嫌がり、わめき立てた。
それを宥めてから、佐渡は1つ手を叩いて見せた。
「さてと。今までお話したのは“これまでのこと”です。今日、君たちに1番お話したかったのは“これからのこと”の方なんですよ」
そう言って佐渡は意気揚々と、デスクの上に置いてあった、モバイルPCを手に取る。そのPCを起動させると、写真データを集めたフォルダを開き、1つを表示させた。
PC画面へ大写しにした、ある画像データを、佐渡はケイたちに掲げて見せた。
「これは、君たちの街のすぐ近くにある知覚不可領域の様子です。僕が撮ってきた写真ですね。巨大ビルディングが建ち並んでいるのに、通行人の姿が見られない、無人の広大な区画。仮に“無人都市”とでも呼びましょうか」
それは今朝、ケイが電車の窓の向こうに見た、あの巨大都市の風景である。
明かりの灯った、見たこともない巨大なビルが建ち並ぶ区画。
地図アプリに存在しない、奇妙な場所である。
「ここが、なんだって言うんですか?」
「――――CICADA3301暗号の“発信者”が、この都市のどこかにいます」
「!?」
唐突に宣言する佐渡。
ケイたちは驚き、絶句してしまった。
「富士の樹海でアデルさんを見つけた時。その場で、パソコンも一緒に見つかっています。その画面に表示されていた、セミの画像を暗号解読していたところ、奇妙な数字が現れたんですよ」
「……数字だあ?」
「はい。一見してGPSの座標値のようでしたが、緯度経度を示す数値としてはありえない、虚数単位が付いた座標値だったんです。知覚制限がなくなった今だからこそ、その意味がわかったんです。虚数単位の座標が示す場所。それは――――この都市なんです!」
佐渡は自信に満ちた目を、メガネの奥で輝かせた。
「シケイダが望んでいた、自分の元に辿り着ける選ばれた人材というのは、つまり知覚制限から解放され、死後の世界を認識できる“僕たちのような人間”のことだったんですよ。シケイダ暗号が最初に示していた場所は、富士の樹海でした。おそらくは、そこでまず無死の赤花、つまりアデルさんを見つけろという意味だったに違いありません! アデルさんの存在とは、人類をシケイダの元へ導くための、招待状のようなものだったのです!」
『私を樹海に置いたのが、シケイダだったというのですか……?』
一通り、佐渡の説を聞かされて、全員が言葉を失ってしまう。
疑念をはらんだ表情で、互いに顔を見合わせた。
「……で、本当なのか? シケイダがここにいるってのは……?」
「たしかシケイダって……管理者が、人類に見つけて欲しくない人物って話しだったわよね。だから、それに近づいた佐渡先生たちのチームが犠牲になったわけだし」
「フフフ。ならつまり、シケイダは管理者と“敵対”する存在である可能性があるってことじゃないのかな?」
「!!」
「そのとーーーーり!」
佐渡は拳を固めて力説する。
「無人都市は、僕1人では潜入できなかった場所です。怪物たちが蠢く、とても危険な場所なんですよ。しかも広い。試しに無人機を飛ばしてみたこともありますが、飛行可能距離が届かず、目的地周辺の様子はわかりませんでした。でもでも、今は君たちがいます。これだけ多くの仲間がいれば、歩いて都市の最奥に辿り着けるかもしれません」
「おいおい、なんかもう行く話しになってねえか……?!」
「行きましょう! 行くべきです! このまま何の行動も起こさなければ、僕たちはこれから一生、管理者に怯えて暮らさなければなりません。ですがもし、シケイダが管理者に対抗し得る存在であるのなら……この地獄のような現実を、脱する術を知っているかもしれません」
シケイダを探しに行きたがっている様子の佐渡。
だが、サキとトウゴは不安そうだった。
怪物がいるという話しなのだ。
否応にも、あの恐ろしい浦谷の姿が脳裏をよぎってしまう……。
ただ1人だけ。ケイだけは黙って、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「――――あっはっはっは!」
笑い声を上げたのは、ケイではない。唐突に、イリアが哄笑したのだ。
何事かと、全員の視線がイリアに集まる。
「実に面白い話しじゃないか! 世界に隠された大いなる謎に迫る! こんなに興味深いことがあるだろうか! そんじょそこらでは、大枚をはたいたところで味わえない大冒険だよ!」
イリアは全員の前に歩み出た。
佐渡の前に立ち、自身より遙かに背の高い佐渡を、下から見上げて提案する。
この上なく妖美な笑みで。
「佐渡先生。ボクは君が気に入った。無人都市への潜入捜査。ぜひとも協力させて欲しい。そうだな、まずは資金援助と、装備調達で協力させてもらうのはどうだろう。1億円ほどなら、すぐにでも用意できると思うよ」
「い、1億円!?」
わけのわからない金額を提示してくるイリア。
佐渡は素っ頓狂な声を上げてしまった。
サキもトウゴも、唖然としている。
イリアは、冗談でも言っているのだろうか?
常識的に考えれば、まだ10代のイリアが、そんな大金を動かせるわけがない。普通の感覚なら、そう思うのが当然だが……それが決して冗談ではないことを、ケイは知っている。
「ただし条件がある。ボクを君たちの仲間に入れてくれることだ。まずはボクにも、死後の世界とやらが見えるようにして欲しい」
イリアは催促するように、佐渡へ手を差し出した。
視線の先には、佐渡の手のひらに乗った、毒の錠剤がある。
「さあ――――ボクにも“自殺”をさせてくれ」
狂った大金持ちの胸中には、恐怖など存在しなかった。