9-9 トリックスター
アルトローゼ王国に滞在して3日後のことである。
淫乱卿は再び、王の間へ召集をかけられた。
アデル・アルトローゼ王は、以前と同様に側近を侍らせ、花園の玉座に座っていた。人智を超えた美しさは相変わらずで、憂いを帯びた眼差しを、玉座の前の淫乱卿やアキラたちへ向けてきていた。
謁見して間もなく、アデルは単刀直入に告げた。
「あなたの申し出を――――“お断り”します」
隣国の企業国王から提示された、同盟締結の誘い。
それをアデルは、ハッキリと拒否した。
国益を考えれば、受けるべき話のはずだ。
だが否定する判断に至ったアデルに、アキラたちは驚いた顔をする。
自分との婚姻を拒絶されたことを受け止められず、胸を砕かれるような思いである。
淫乱卿だけは動じた様子もなく、髭をさすりながら尋ねた。
「ほお……。それはまた、どうしてですかね」
「端的に言えば、これ以上、帝国に関わりたくないからです」
アデルは淡々と、同盟を結ばない決断に至った理由を語り出す。
「たしかに我が国は、下民を含めた、全ての民を取りこぼさずに生かそうとしています。それが正しいことであると、信じているからです。その結果として、自国の資源や生産能力だけで、国家運営を続けていくのが、徐々に困難な状況へ陥っています。ですが、その救済の方法を他の企業国に求めたなら、我々は今一度、帝国の社会と関わりを持つことになります。あなた方との国交に依存すれば、必ずそこが、弱みとなってしまうでしょう。問題のない、盤石な国家運営など、そもそもありえないことなのです。これは、我々が自力で解決すべき課題です」
「フム。帝国に弱みを握られたくないから、何とか自活していく道を模索すると?」
「その通りです。我が国は中立。帝国と争う意思もなければ、帝国に支配されるつもりもありません。お互い平行線の、今のままの関係を継続したい」
帝国の力は借りないという、芯の通った強い意思を感じた。安直に、他人からもたらされた救いの手を取らず、信念に基づいて判断する。かつての意志薄弱だったアデルを知るアキラから見て、今のアデルは力強く、頼もしい存在に思える。
少女は王となり、本当に強く成長したのだ。
そのことを、アキラは実感させられていた。
だが同時に、不思議なこともあった。
再会した時から、なぜかずっと、アデルは悲しそうな顔をしている。元々、無表情で無愛想な少女であり、アキラは笑顔など見たこともないが、今のように悲しそうな顔をしていることはなかったはずだ。その表情を見ていると、無理に虚勢を張っているようにも見えてしまうのだ。強い意思を感じさせるのに、見ようによっては、弱く儚そうにも見える。奇妙な矛盾を抱えた王だ。
そんなアデルは、黙り込んだ淫乱卿へ尋ねた。
「議会と熟慮の末に導いた答えです。不服ですか?」
「いいえ。気骨ある、1つの賢い選択だと思いますよ」
淫乱卿は愛想笑いを浮かべ、痛烈な質問を返した。
「ところで、王よ。あなたは臣下の者から“早く子を成せ”と、そう忠告されているのではないですかな?」
「……!」
唐突に、下世話な発言をする淫乱卿。
図星を突かれたのか、アデルは少し驚いた表情を見せた。
淫乱卿はニヤけながら続けた。
「アルトローゼ王国は、ロゴス聖団と同様に、帝国社会で中立の立場を保てている。それは、あなたの“解放の力”があってこそのこと。あなたが殺されるか、寿命で死ぬようなことがあれば、その力は王国から失われてしまうでしょう。だからですよ。このままでは、あなたの代が潰えるのと同時に、この王国にも終わりが訪れてしまうのです」
「……」
「あなたの子孫が、あなたの力を継承して生まれてくるのか。王国の臣下たちの関心は、そこにあると見ていますね。もしもそうでなければ、アルトローゼ王国は、あなたの代で潰える可能性が高いと見ています。臣下たちはさぞや絶望することでしょう」
淫乱卿は言いながら、王の傍に佇むリーゼやレイヴン、それに黒甲冑の雨宮ケイに視線を這わせた。それぞれがどんな態度を取っているのか、観察しているのだろう。甲冑に顔が隠れた雨宮ケイの表情はわかなかったが、リーゼとレイヴンは、険しい顔をしていた。
「フフ。アデル王の統治する時代は、今の考えでうまくいくかもしれません。ですが、あなたの寿命は短い。それに比べ、私のように真王様から“不老”を与えられている者にとっては、100年やそこらの時間など、あっという間の出来事だ。あなたが老いて死んだ後、また後任の者に同じ話を持ちかけてみるとしましょうか。それ以前に、あなたが死んだなら、その時点でアルトローゼ王国は帝国にとっての脅威ではなくなる。100年後に王国が存続していられるかは、怪しいものですがね」
「……」
「もしも当家との婚姻関係を結べば、貴女が亡き後も、アルトローゼ王国は平穏無事でいられることでしょう。当家と血縁の子供ができたなら、なお良い。そうなれば、この国は四条院企業国の庇護下へ、永遠に留まることができることでしょう」
「……それは、やがてこの王国が四条院企業国に呑み込まれるということを意味しますね」
「かもしれませんなあ? まあ、今日のところは良いでしょう。お誘いは、これで終わりではありません。また気が変わったのなら、いつでも私にお声がけください。貴女に、その若さと美貌が残っているうちは、アキラとの婚姻を前向きに考えて差し上げましょう」
言いたいことを言い終える。
淫乱卿は丁寧にお辞儀をして見せ、玉座に踵を返した。
そうして護衛のアキラたちを引き連れ、王の間を後にする。
遠ざかって行く隣国の王の背を、アデルは見送った。
◇◇◇
「……なんとか、誤魔化しきれたみたいだね」
淫乱卿がいなくなったのを確認してから、リーゼは胸を撫で下ろした。その隣で、レイヴンも同様に、張り詰めていた空気から解放され、安堵の溜息を漏らす。
「四条院コウスケは、スーパー自己中野郎だ。申し出を断ったら、どんなヤバいことをしでかすかわからない、サイコパスだってのに、真正面からキッパリ断れるアデルちゃんは豪胆だねえ」
「もしも企業国王に暴れられたら、私たちだけで止められていたかどうか……。やっぱり、暗愁卿を殺した赤剣の使い手が、この場にいたから思いとどまったのかな。たとえ“偽物”でも、雨宮ケイがいて助かったよ」
リーゼとレイヴンに視線を送られた、黒甲冑の男。
雨宮ケイの役を務めた偽物。
赤剣の使い手は、兜を取り外す。
アデルは、男に労いの言葉をかけた。
「雨宮ケイの役、ご苦労でした、エイデン」
流れるようなショートの黒髪は、前髪だけ長く、目元にかかっている。女性のような、艶めかしさのある美形の顔立ちをしていた。表情の乏しい、寡黙な男剣士。エイデン・リゼルバーグは、アデルの前に跪き、その手を取ってキスをする。
「アデル様のお役に立てて光栄です。私めにできることがあれば、何なりとお申し付けください」
「出たよ、キザ行動」
「何度見ても、エイデンがアデルの手にちゅーするの。見てて恥ずかしいよ」
イヤそうな顔をしているレイヴンと、赤面しているリーゼなど眼中にない。エイデンはアデルの顔を見上げ、その憂いを秘めた眼差しを見つめ続けていた。アデルは寂しげに言った。
「本物の雨宮ケイが行方不明になってから、もう2年が経ちます。帝国の恐れる剣士の不在は、他国に決して知られてはならない国家機密です。この国に今、雨宮ケイがいないのだと知られたなら、他国に侵略の糸口を与えることになりかねません。国の内外を問わず、あなたに2年もの長期間、雨宮ケイの役を演じさせているのは、申し訳ないと思っています」
「気になさらないでください。そのおかげで、私はこうしてアデル様のおそばに置いていただき、御身を守る大役を務められているのです。そのことを苦に感じることなど、ありえません。帝国という腐った社会の中で、上級魔導兵などというくだらぬ貴族たちの道具として働かされていた私にとって、心底より忠誠を誓った王の手足となれる今は、身に余る喜び。暁光です」
歯の浮くようなセリフを真面目に言うエイデンに、レイヴンは本気でイヤそうな顔をしていた。そんなやり取りを苦笑して見つめてから、リーゼは真顔になって言った。
「アデル。あなた、四条院家と結婚するつもりだったよね?」
「……」
問いただされたアデルは、無言だった。
否定しないアデルに、リーゼは腹が立った。
「議会で否決されたから、ああいう返事をしただけで、今も本当は、結婚を受けた方が良いと思ってるんじゃないの?」
「……」
「いくら王様だからって、やめてよ。自分がみんなのために、犠牲になろうなんて考えるのは。 だってアデルには……!」
アデルには好きな相手がいるではないか。
そう言おうとして、リーゼは言葉を呑み込んだ。
アデルは玉座を立った。
そうして、3人の護衛たちに告げる。
「私は、自室に戻ります。少し疲れました」
「お送りします」
王の間を後にするアデルの隣に付き従い、エイデンもその場を後にする。
遠ざかって行く少女の背を見ながら、リーゼは悲しそうな顔をして言った。
「……ケイがいなくなってから、アデル、ずっと無理してる」
頭を掻きながら、レイヴンも嘆息して言う。
「なんでもかんでも、1人で抱え込んじまってるって感じだよな。いきなり王様に祭り上げられて、これまでみたいに雨宮少年に頼ることもできず、逆に自分が何億人もの国民たちに頼られる存在になったんだ。しかも、あのエロ企業国王の予想通り、毎日のように大臣どもから見合いの話をもちかけられてる。アデルちゃんの後継者は死活問題だから、さっさと子作りさせたいんだろうが……。何をするにしても、周りからの期待がデカすぎる生活なんだ。誰だってしんどいに決まってるって」
「自分のこと、ぜんぜん話してくれなくなった。いつも苦しそうで、辛そうで。見ていられない時がある。今日だって……代わってあげられるなら、代わってあげたいよ」
「けど、今はどうしてやることもできないさ。今にもバラバラになりそうな、不安定なこの国をまとめあげられるのは、彼女だけだ。唯一で不可欠な王様なんだから」
レイヴンの言うことは、間違っていなかった。
アデルが苦しくても、それに縋るしかない。
そんな自分たちのことを、リーゼは歯がゆく思っていた。
「……今どこにいるの、ケイ?」
◇◇◇
案内の王国騎士が先導し、帰国のための飛空艇乗り場まで案内してくれることになった。アルトローゼ大聖堂の通路を歩きながら、アキラは父親に進言した。
「……良いのですか、父上。せっかくリスクを冒してここまで来たというのに、このままでは無駄足になってしまいます」
淫乱卿は何も答えない。
そのことを少し焦れったく思い、アキラは具申する。
「アデル王は、話せばわかる相手のはずです。互いに見知った仲である私が、もう少しだけ残って、交渉を続けてみましょうか?」
しつこい息子の言い様に、淫乱卿は溜息を漏らした。
そうして、ほくそ笑みながら応えた。
「どうでも良い」
「……? 今、なんと仰いましたか?」
「どうでも良いのだ、アキラよ。最初から、同盟や婚姻の成否などに興味はなかった」
「……!?」
父親の発言の意味が、よく理解できなかった。
同盟締結や婚姻の話など、どうでも良いこと。
たしかにそう聞こえた。
だが、この国へ来た理由は、それが目的ではなかったのか。
その交渉が決裂したと言うのに、淫乱卿は平然としている。
「私はただ、この国に“不和”をもたらすためにやって来た。小娘に謁見しようとしたのは、その目眩ましにすぎん。肝心な目的は、すでに達成したのだよ。全ては予定通りと言うことだ」
「目眩まし? 不和? それは……いったいどういうことで……」
「この王国には、アデル・アルトローゼや、原死の剣以外にも、危険な兵器が眠っている。だが、帝国と関わり合いになりたくないという、あのバカな小娘は、それを有効活用することを考えてもいない。全く以て愚かなこと。宝の持ち腐れだとも」
淫乱卿はアキラを見向きもせずに、不敵に笑んで言った。
「小娘の死と、王国の終わり。それが同時にくるであろうことを、すでに予見している者たちは大勢いるだろう。だからこそだ、アキラよ。小娘が死ぬ前に、行動を起こそうとする者は必ず現れる。私は、その者たちを焚きつけ、鼓舞してやったのだ」
アキラは困惑してしまう。
同盟締結の話はカモフラージュ。
真の目的は別にあった。
つまり、父親はそう言っているではないか。
「重要だったのは、王への謁見ではない。本当に会いたかったのは、王以外の相手だ。結果として、滞在中に会うべき者には会えた。話すべきことも話せた。そして“欲しかったモノ”も手に入った」
「父上、欲しかったモノとは、いったい……?」
「間もなくクマが、巣穴から出てくるぞ?」
アキラの疑問に、淫乱卿は詳しく答えない。ただ、これから始まるであろう悪夢に思いを馳せ、自身が練った計画の遂行を、楽しみにしている様子だった。
次話は月曜日に更新予定です。