9-8 半グレの影
麗らかな昼下がり。
寂れた喫茶店のカウンター席に突っ伏して、寝ている男がいた。ミリタリージャケット姿で、左眼には眼帯をしている。どこかやさぐれた雰囲気だった。店に客が来ないのを良いことに、峰御トウゴは、朝からずっとそこに居座っている。
心地よく眠っていたトウゴだったが、ふと肩を揺すられ、起こされる。
寝ぼけ眼で頭を持ち上げると、隣席には、見知った顔の人物が座っていた。筋肉質の男である。刈り上げた黒髪。分厚いダウンジャケットを羽織り、金のネックレスを首にぶら下げている。いかにもガラの悪い、まともな職業ではなさそうな青年に見えた。
ガラの悪い男は、トウゴへ微笑みかけてくる。
「やっと起きたか、弟よ」
「なんだ、兄貴か……」
峰御ユウト。トウゴの実兄である。
どうやらユウトは、近くのコンビニへ寄ってきた後らしい。カウンター席の脇に、ビニール袋が置かれていた。安い値札のついたウイスキー瓶を手にしている。グラスにそれを注ぐと、チェイサーも無しに、ストレートのまま飲み始めた。鼻孔をくすぐる濃い匂いに、トウゴはイヤそうな顔をして言った。
「酒くせえなあ。また真っ昼間から、喫茶店で酒を飲むのかよ」
「どうせミズキちゃん以外に客なんか来ない店なんだから、固いこと言うなって。これは俺のエンジンオイルなんだっつの」
ユウトは勝手に、カウンター席の裏をゴソゴソと漁り、コーヒーカップを引っ張り出した。そうして自分のグラスと、カップの両方に、酒を注ぎ始める。
「で? 最近は、やっと安眠できるようになったのか? あてもなく2人でアークをブラブラしてた頃は、お前、いつも不眠症だったじゃん? 今は気持ちよさそうに寝てたぜ」
「……不眠症なんて、だいぶ前の話じゃねえか」
「かもな。けど、こうしてカールのとこに居候するようになってからも、悪夢を見てるって言ってたろ? さっきのは、悪い夢を見てたようには見えなかったからな。ちょっと安心したんだぜ?」
「……」
いまだに悪夢を見ることは多い。
愛する少女が、目の前で傷つけられているのに、何も出来ない夢。
自分の無力さを呪い、何もかもを憎悪する夢。
いつか見た現実が、トウゴの心理的トラウマになっているのだろう。
絶望の瞬間を、何度となく夢の中で味わうのだ。
険しい顔をしている弟へ、ユウトは酒をついだカップを差し出してくる。
「まあ何でも良いさ。2年前のどぎつい失恋から、ブラザーが立ち直ってきてんならよ」
「……お節介な兄貴だぜ」
トウゴは苦笑しながら、カップを受け取る。
乾杯をして、2人で酒をあおった。
「そうさなあ。お前も、その辺で適当に女でも作った方が良いぜ? 別に本気じゃなくたって良いんだ。世知辛い世の中で、自分のことに親身になってくれる女がいるってのは、心の支えになる。失恋慣れしてる、兄貴からの助言だ」
「カールといい、兄貴といい。俺の周りには反面教師しかいねえのかよ」
「せめて、しくじり先生と呼べ。反面教師は、なんか悪い見本みたいだろ」
トウゴたちが酒を飲んでいると、店主であるカールが、外出から戻ってきた。
呆れた顔で、カウンター席の2人を見る。
「まーたお店で、昼間からお酒飲んでる。ダメって言ったでしょ、ユウトちゃん」
「なんで俺にだけ言うんだよ。今日はトウゴも飲んでるだろ。俺だけじゃないって」
「どうせユウトちゃんがお酒買ってきて、トウゴちゃんに勧めたんでしょ」
「バレバレだな、兄貴」
「チッ。勘弁してくれよ、カール。せっかく綺麗な顔してるんだから、怒ったら台無しだぜ?」
「まったく、ユウトちゃんは仕方ない子よね。でもお世辞がうまいから許してあげるわ」
腰に手を当てて、カールは嘆息する。
そうしてからカウンターに入り、2人からグラスとカップを取り上げた。
これ以上は飲ませないのだという態度で、カールはそれを洗い始める。
「それはそうと。トウゴちゃんに頼まれてた、例のタワーマンションの件。少し調べてきたわよ」
「んん? タワーマンションの件?」
不思議そうな顔で尋ねるユウトに、トウゴが説明した。
「あー。兄貴がいない時。つまりは、一昨日だな。ちょっとばかし新規の解決依頼があったんだ。警察からの依頼で、色々あって、殺人事件現場に呼び出されたんだ」
「殺人事件現場? ほお。そりゃあ、刑事ドラマで警察が現場検証とかしてるような場所だよな。立入禁止のテープとか貼ってあるような。あんまり行く機会がないし、面白そうじゃん。俺も行ってみたかったなあ」
「まあ、兄貴ならそう言うよな。ただ、面白半分に行かない方が良いぜ。なんせ、その現場へ足を踏み入れたヤツが、次々に“不審な自殺”をしてるっていう現象が起きてるらしい。その原因を特定して、解決してくれってのが、依頼内容だった」
「は? なんだそれ? つまり入っただけで死にたくなる現場ってことか?」
「そう言うことになるな」
トウゴは嘆息をして、話を続けた。
「実際に現場を見て回ったけど、異常は見られなかった。あるとしたら……殺人現場のリビングから見えた、隣のタワーマンションだな。後から階層を数えてみたが、たぶん26階あたりだと思う。フロア一帯に、高濃度なマナが溢れて、押し込められているように見えた。マナ濃度が高い場所は、弱い異常存在が生じやすい場所だろ? ただ、あの濃度だと……クラス4の異常存在が住み着いていても、おかしくねえレベルだ」
「へえ。クラス4ねえ。白石塔の中にしちゃあ、そんなのがいるのは珍しい」
「現場に来て自殺したくなった連中ってのは、そこに潜んでるクラス4の姿を見たせいで、精神に異常をきたしたのかもしれねえ。以前に戦ったことのあるクラス4も、目を見ただけで、こっちの脳みそがイカレそうになった。精神攻撃、つまりはネットワーク攻撃を仕掛けてくる化け物だったぜ」
「それ系の攻撃してくる奴等って、低クラスでも駆除するのが面倒だよな」
トウゴの話を聞いて、ユウトは独自に考察した。
「うーん。白石塔内に生息してるクラス3以上の異常存在たちって、帝国騎士団が管理してる生物兵器だろ? 連中は、なにかの手違いで知覚制限が解けてしまった人間を始末するための、全自動の掃除屋のはず。殺人ルンバみたいなもんだ。するってーと、クラス4相当がいるってことは、そのマンションは帝国騎士団の駐屯所とか、白石塔内の異常存在どもを管理するための施設だったりじゃね? 東アジア全般の白石塔は、四条院家の管理区だったよな。なら、四条院騎士団がなんかやらかしてる場所なのかもよ」
ユウトの推察に応えたのは、カウンター越しのカールだった。
「いいえ。私の情報網で調べた限りでは、四条院企業国が管理している施設ではなかったわ。つまり帝国も、その存在を知らない場所よ」
断定するカール。
トウゴは、眉をひそめて尋ねる。
「ピンとこねえな。首都の、しかも梅田の一等地に、帝国の目が届いてない異常地帯があるってことかよ?」
「……私が調べたことを報告するわね」
カールは妖しい笑みを浮かべて続けた。
「トウゴちゃんが異常を見つけたタワーマンションは、築8年の物件。梅田の一等地で、37階建ての高級住宅として売りに出されたわ。上層階の部屋の値段は1億円を超えてるわね。いわゆる“億ション”ってやつ。建物の管理会社は、関西三笠不動産。首都の物件を手広く扱っている会社だけど、最近になって管理会社が変わってたわ。その大元を辿ってみたら、よからぬ団体に行き当たったのよね」
「よからぬ団体?」
「――――“ブラッドベノム”。この界隈で幅を利かせている、半グレ集団よ」
その名は、聞いたことがあった。
良い噂を聞かない、犯罪者の集団だ。
トウゴとユウトの表情が、僅かに険しくなる。
「2人とも関西生活にも慣れてきたんだし、聞いたことはあるでしょ? 1年前くらいから、急速に関西圏で勢力を伸ばしてきたグループね。取り扱っている闇商売は、人身売買に、薬物売買。それで儲けた金を元手に、ビットコイン投資をやってるわ。売り物系で現金を稼いで、投機によって資金を伸ばすというビジネススタイルみたい。こういう非合法組織って、白石塔内で帝国の汚い仕事を請け負う、いわゆる請負業者になっていることがよくあるけど、彼等は設立から間もない団体だから。まだ、帝国の息はかかってないわ」
「帝国とは無関係の、ヤバい連中が管理してるタワーマンションだった。ってことか……?」
「そう言うことになるわね。ブラッドベノムが不動産物件を購入する時には、赤宝社っていうフロント企業を使ってるんだけど。問題のタワーマンションは、1ヵ月くらい前に、そのフロント企業によって管理権を手にしているわ。ようするにトウゴちゃんが調べてるマンションは、今はブラッドベノムの持ち物になってるってことよ」
「半グレが運営してる高級住宅ねえ。そんなところに、まともな人間が住んでんのかよ?」
「住人たちの身元調査もしたけど、ほぼ全員が一般人。そもそも住人たちの大半は、8年前から住んでるのよ? それはブラッドベノムが管理者になる以前の話でしょ。管理者が最近になって、そういう連中に代わったってことを知らないのか。あるいは知っていても、今さら簡単に引っ越しできないんじゃないかしら。別に、半グレのフロント企業が管理会社になったところで、住んでる人たちの暮らしは何も変わらないでしょうし、違法でもない。日常生活に差し支えがないから、あまり気にならないんだと思うわ」
「まあ、たしかに借家に住んでて、そこの管理会社のことを気にする機会なんて、あんまりないよなあ。管理会社が変わって、急に家賃が上がったとかなら、気になったりもするだろうけど。住人たちが気にしてないってことなら、そういう変化もなかったってこったろ?」
「……その半グレ連中は、どうしてタワーマンションの管理者なんかに、なりたかったんだ? そんなに管理者って、儲かる仕事なのかよ?」
「良い質問ね、トウゴちゃん。面白いのは、ここからよ」
カールは真顔になる。
「マンションの24階から27階。この4階層には、住人が1人も住んでいないわ。マンションが完成して以来、ずっとこのフロアにだけは“人が住んでいたことがない”の」
「ん? そうなのか? それはまた、なんでだ?」
「人々の“認知が操作されてるから”だと思うわ」
「……!」
カールの推察を聞いて、峰御兄弟は驚く。
「過去の履歴を洗ったけど、不動産屋は、そのマンションの4フロアを売りに出したことが一度もない。住んでいる住人たちも、その4フロアに人が住んでいないことを、ずっと知らずに生活しているみたいよ。しかも、誰もそこへ近づかないように、何者かが“認知操作”を行った形跡まで見つかってる。24階から27階は、売り手にとっても、住人たちにとっても、“存在しているけれど存在しない階”になってるのよ」
「なんだそりゃ?! 東京にあった無人都市みたいに“知覚不可領域”ってことか?」
「はっはー。大都会の一等地に、帝国も関知してない、謎の死角があるってことかよ? なんだかすごいものを見つけたようだな、ブラザー」
ユウトの意見に、カールも同意する。
「興味深い場所よね。謎の4フロアは、何者かによって人払いの処理が施されていて、しかも、そこには何があるのかも不明。わかっていることは、トウゴちゃんが遠巻きに見て、異常なほどにマナが立ちこめていそうだったって言う話だけ。しかも、その建物を1ヵ月前に半グレ組織が買い取ってる。そして間もなく、隣のマンションでは殺人事件が起きて、連続自殺騒動まで発生しているわ」
「そりゃ怪しいなあ。建物自体は8年前からあるんだろ? けど殺人事件や自殺が起きたのは、つい最近になってから。つまりは、1ヵ月前に半グレが買い取ってから、その謎の4フロアで、人を死なせるような何かの変化が起きたってことだよな?」
「殺された女の事件に、半グレの連中が絡んでいそうだってことか……」
トウゴは険しい顔で俯き、黙り込んだ。
何やら考えを巡らせている弟を見て、ユウトは心配そうに忠告した。
「弟よ、ヤバそうな匂いがプンプンするぞ。あんまり深入りしない方が良いんじゃね? ヤバそうなわりに、解決したって、警察が相応の報酬を払ってくれるかもわからないんだろ?」
「まあ……たしかに、依頼人の石橋警部は、すでに問題が解決したつもりでいるな。霊視料金で謝礼を少しもらったし、依頼人的には解決済みの事件だ」
「だろ? ならこれ以上は調べてもタダ働き。なのに、黒幕がヤバそうな案件に、わざわざ自分から首を突っ込む必要なんかねえって」
ユウトの意見は、もっともだった。これ以上、マンションの件を深く掘り下げてたところで、トウゴたちに儲けはない。危険手当を払ってくれるような依頼人がいるわけでもないのだ。仕事として引き受ける意味はないだろう。
「でも、トウゴちゃんは“個人的”に興味があるんでしょ?」
「……」
カールに図星を突かれてしまう。
1度は請け負った仕事だ。石橋警部から謝礼はもらったものの、トウゴの中では、きっちりと仕事を終えられた手応えを感じられていない。連続自殺の原因について解明できたわけでもなく、中途半端な状況だ。その謎の答えに、興味がないと言えばウソになる。
「なら、こうしない?」
カールはトウゴに提案してきた。
「謎の4フロアに何があるのか、私も興味があるわ。帝国さえ把握していない、ミステリースポットなのよ? 色々と面白いものが眠っているかもしれないわ。だから私が依頼人として、トウゴちゃんに依頼を出すの」
「カールが依頼人?」
「ええ。ちょっと様子を見てきて欲しいっていう、簡単なお仕事」
カールはウインクをして見せた。




