9-6 国家間交渉
花園の玉座に座する王。
アデル・アルトローゼ。
可憐な少女にしか見えない彼女だが、その外見とは裏腹に、エヴァノフ企業国で起きたクーデターを指揮したと言われている戦姫である。企業国王を打ち破り、若くして、この国を建国し、玉座に就いている。その才覚は、人並み外れていると目されていた。
アデルの表情は、どこか寂しげで憂いを秘めている。何かを語ろうとすることもなく、無言のまま、ただじっと、相対している淫乱卿を見つめているだけだ。すると、玉座の傍らに立つ、機人族のリーゼが、アデルの代わりに口を開いた。
「……アルトローゼ王国は、帝国によって禁足地として認定された。その結果、2年前から、他国との交流は行わず、ずっと孤立させられてきている」
リーゼは、高圧的な口調で語り出す。
「けれど、それで構わなかった。互いに不干渉を貫く関係は、望むところだったから。おかげで争うことをせずに、今日までを平穏に過ごしてくることができた。暗黙の了解でしかないけれど、我々は“自治権”を与えられているのだと解釈している」
そこまで話した後に、リーゼは視線を鋭くした。
「この不干渉の姿勢を、あなた方、帝国社会は“国境封鎖協定”と呼んでいる。その協定を破って、こうして企業国王の1人が、我が王へ“秘密の謁見”を希望してきた。直接に会ってしか、話せないことがあるのだと言われたから、やむなく我が王はそれを許諾した。けれど正直なところ、我々は、あなたには良い印象がない。1度は互いに殺し合った間柄。今さら、余計な美辞麗句での挨拶は無意味。単刀直入に、用件を話してもらいたい」
さっさと謁見の目的を話せと、リーゼは遠回しに言っている。
その冷ややかな視線を見て、淫乱卿は悪びれもせずに笑んだ。
「それをお望みとあれば、良いでしょう」
淫乱卿は、もう1度だけアデルに向かって一礼する。
そうしてから、気色の悪い敬語使いで語り始めた。
「帝国における7つの企業国は、それぞれが独立して、自国の民を養える国力を有しています。人々が生きる上で、エネルギーや衣食住などの資源の確保は必須。それらを、ある程度なら自国の生産能力だけで調達できるということです。つまりは、他国との貿易に依存しなくても、人々が最低限の暮らしをすることは可能ということ。しかし、この理屈を実際に成立させるためには、とある“前提条件”が必要になる」
淫乱卿は、不敵に笑んで断言した。
「――――弱者を“人間として扱わない”こと、です」
「……」
「底辺弱者が何万人と野垂れ死のうとも、それを気にかけない“割り切り”ですよ」
淫乱卿が、何の話を切り出そうとしているのか。察しがついたリーゼは、苦い顔をしてしまう。その表情の変化を見逃さず、淫乱卿は話を続けた。
「帝国の階級制度の中には“下民”と呼ばれる、人権がない者たちが存在しています。彼等を人間として扱わず、彼等に資源を配らずに見殺しにすることで、企業国は他国と貿易をせずとも、自国の生産能力だけで自活することができるのです。しかし貴国がやっている施政のように、下民を差別せず、彼等にも等しく資源を与えようとすれば、自国の生産能力だけでは賄いきれない」
「……何が言いたいの?」
「その顔を見るに、すでに察しておられるのでしょう? アルトローゼ王国の建国から2年。他企業国との交流は断絶され、貿易も途絶えていました。当時の蓄えは、2年分くらいあったことでしょう。ですがそろそろ、市場では不足し始めている資源が目に見えてきて、国民たちから、そのことに対する不満や陳情が出始めているのでは?」
「……」
リーゼは黙り込んだ。
騎士団長のレイヴンも、黒甲冑姿の雨宮ケイも、否定の言葉を挟もうとはしない。
その沈黙は、図星を意味していた。
淫乱卿は、狡猾な蛇のように微笑む。
「問題を単純化して考えるなら、アルトローゼ王国の課題は“他国との貿易ができない”という点です。それ故に、食糧も、エネルギーも、自国の資源だけでやりくりするしかなくなっている。元々、自然の中で自活できる獣人たちはともかく。下民を含め、この国にいる10億人近い元帝国人たちの生活を、自国の資源だけで養うことは困難なはず。だからこそ今、あなた方には他国との交流が必要なのです。不足した資源は、他国から得るしかないのですよ。元エヴァノフ企業国である貴国の主要産業は重工業のはず。それに不可欠な鉱石などの天然資源は、私の企業国では豊富に採掘されていますよ。とても欲しいはずでしょう?」
「……それを、あなたの企業国が提供すると?」
「四条院企業国は、アルトローゼ王国との貿易を行っても良いと考えています。もちろん“条件付き”ですがね?」
核心を突いたリーゼの問いに、淫乱卿は即答した。
事前に話を聞かされていなかったアキラたちも、その傍らで驚いてしまう。
余裕の態度で、淫乱卿は弁舌した。
「自由とは――――これまで人類が、長い歴史の中で1度として制御できたことのない最強の暴力。だから帝国は、下々から自由を奪い、それを封じ込めることで、1万年にわたる平穏の時代を創りあげてきました。あなた方は、自由意志を下々に与えることが正しい行いだと考えていたようだが、帝国はそう思わない。考えることが自由であるということは、不平不満を口にし、態度に出すことも許可するということです。自由を求める意思は、人々を分断し、対立を招く。自由の下では、安定した施政など行えるはずがない。特権階級以外の自由とは、推奨するものではなく、禁止するべきものなのですよ」
淫乱卿は警告する。
「このままでは、あなた方の国は――――“人々の自由によって滅ぶ”でしょうな」
アルトローゼ王国側は、その指摘を受けて沈黙してしまう。
資源の枯渇問題は、今まさに、王国が抱えている問題だった。それを、軽蔑さえしている淫乱卿に言い当てられ、指摘されているのだから、屈辱でしかなかった。
今度は、レイヴンが口を開いた。
「……なるほどねえ。こっちの内政問題について、事前に調べ上げた上で、その弱みにつけ込みに来たわけかい。そうして“何かの交渉”を成功させようって腹づもりなわけだ。さっすがですなあ、淫乱卿。四条院家のやり方は、よく知っているつもりでしたが、1本取られた気分ですよ」
「そう言えば、騎士団長殿は、元は我が家に仕える帝国騎士でしたか。お褒めに預かり光栄ですよ」
「よしてくださいよ。あなたに敬語を使われると、こっちは虫唾が走る思いですぜ」
ニヤけながら皮肉を言い合う両者。
その顔は笑っているようで、笑ってはいない。
互いに、密やかに憎しみをぶつけ合っているような態度である。
そこでようやく、アデルが唇を開いた。
「……なぜ、アルトローゼ王国を助けようとするのですか?」
憂いを秘めた眼差しは変わらず。
感情が見えない表情のまま、アデルは尋ねる。
「帝国にとって、この国の存在は異物。アークから取り除かれるべき病巣であるのだと、そう考えているはずです。こちらの内政事情を調べ上げ、しかも人々が得た自由によって、この国が滅びに向かっていると思うのなら……なぜそれを助けるようなことをするのですか? 普通なら、自滅を待つはずです。しかも、この国に助力したことが知られれば、四条院企業国とて他国から制裁されかねない。そのリスクを支払ってまで、この申し出をする理由は、いったい何でしょう」
「良い質問です、アデル王よ」
淫乱卿は、口髭をさすりながら答えた。
「無論のことながら、親切心などではない。貴国に助力することで、私にも、それ相応の利益があると考えた上での提案です。得られる利益が、他の企業国と対立することになるかもしれないリスクにも勝る。だからこそですよ」
「……アルトローゼ王国と、四条院企業国が貿易をする。その“条件”というのが、あなたの得られる利益というものですね?」
「その通り。条件は2つです」
淫乱卿は率直に認めた。
タキシードの襟を正しながら、胸を張って告げた。
「まず1つ目は――――四条院企業国との“同盟締結”ですよ」
得意気に言う淫乱卿へ、アデルは眉をひそめる。
「……同盟?」
「互いのことを信頼して、国交を正常化する。そのために“相互不可侵”という条件で、同盟関係になるのです。そのためにはまず、貴女が有する“解放”の力を行使しないことを宣言することです」
提案を聞いたアデルの表情は、揺らがない。
だが、側近であるリーゼとレイヴンの表情には、驚きの反応が見られた。
淫乱卿は、構わず雄弁に語る。
「国境封鎖協定とは、ようするに貴国が有する“解放”の力を恐れた、各国の企業国王たちがとった苦肉の措置。自国の市民たちが、貴国へ近づくことで、帝国支配から解放された状態で帰国し、反乱を起こされる可能性を憂慮してのこと。自国の国体を維持することが、できなくなる事態を恐れているのです。だからこそ、貴国が他国の民を解放することはしないのだと、誓ってみせるのです。そうすることで、貴国は他企業国との貿易を、再開していくことも可能でしょう。まずは私の企業国と同盟関係になり、それを足がかりに、ゆくゆくは他企業国とも同盟を結んでいくのですよ」
アデルはしばらく黙り込む。
思考を巡らせ、考えた結果を口にした。
「……私が他国の民を解放しない。そんなことを宣言しても、口約束だとしか思われないのではないでしょうか。私があなたを信用していないように、他企業国の企業国王たちも、私を信用していないはずでしょう。四条院企業国は、我が国との同盟を望んでいるようですが……私が相互不可侵を宣誓したところで、それを信じられるのですか?」
「信じられないですね」
「なら、同盟の締結など不可能ではないでしょうか」
「だからこその、2つ目の条件です。我が息子、四条院アキラと、アデル・アルトローゼ様の“婚姻”を行うのです」
「!?」
アデルとアキラは、同時に目を見開き、驚いた。
「貴国には2つの脅威がある。1つは、アデル様の有する“解放の力”です。そしてもう1つは、そこの黒騎士殿が腰に提げている、企業国王を殺せる剣。原死の赤剣です。今はこれらが何の制約もなく、野放しになっている。この状況は他企業国にとって恐怖以外の何ものでもありません。ですが我が企業国と貴国の王族が婚姻関係になるのなら、貴国が他国に対して敵意を持っていないのだということを、この上なく強烈にアピールすることができるでしょう。平和的な同盟関係の締結は、可能になると思いますね」
「婚姻と、同盟……」
「ええ。その2つの試みがうまくいけば、我が企業国を含めた帝国は、貴国という驚異をなくすことができる。これは多大なる利益ですよ」
「……」
アデルは再び、黙り込んだ。
淫乱卿の提案を真に受けている様子の王を見て、側近のリーゼは、不安そうな表情になる。このままアデルに即答させてはまずいと思い、リーゼは慌てて話に割り込んだ。
「そちらの提案内容は理解した。判断するために、少し時間をいただく。その間の滞在場所は、こちらで用意している。しばしお寛ぎいただこう」
「構いません。どうぞ、好きなだけお悩みください」
淫乱卿は、ニヤニヤと妖しい笑みを浮かべていた。