9-5 新国謁見
四条院企業国と、アルトローゼ王国の国境。ガルデラ大瀑布の上空を、1機の飛空艇が飛んでいた。夜明け直前の薄明るい空を、三角形状の機体が、緩やかな速度で突き抜けていく。
艇内放送で、パイロットのアナウンス音声が流れた。
『アルトローゼ王国、管制塔より。入国許可が出ました。事前に交わした約束通り、こちらを出迎えてくれているようです。迎撃されることはなさそうです』
艇内のラウンジで、男はソファに腰掛けたまま、放送を聞いていた。そんなことは当たり前だと言わんばかりに、鼻で笑う。アナウンスに対して、独り言を返した。
「今の王は、騙し討ちをするような人柄じゃない。むやみに攻撃なんて仕掛けてくるものか」
かつて出会った少女の面影を思い出しながら、元より男は、そう確信していたのだ。
金髪。青い目。顔立ちが整っている、若い美青年だ。スーツにネクタイと言った、フォーマルな格好をしているが、その腰には、古風な片手剣を帯剣している。
四条院アキラ。
四条院企業国の王たる、四条院コウスケの息子にして、次期企業国王と目される男だ。アキラはワイングラスを片手に、窓ガラスの向こうに見える空からの眺めを楽しんでいた。自分が搭乗している飛空艇の背後に、アルトローゼ王国籍の戦闘無人機が、追尾してきていることにも気が付いている。国境を越えてから、ずっとそうされていた。
追尾されてはいても、攻撃される様子はない。
ただ、いつでも撃墜できるのだと、威嚇してきているように見えた。
「……脅されていますね」
アキラの背後に、付き人の男が控えていた。仮面を付けた、赤髪の男。フォーマルなスーツ姿である。背後で腕を組み、アキラと同じように、自機の後方を飛ぶ戦闘無人機を見やっていた。
「入国は許可しても、妙な真似を見せれば、すぐに撃墜する意思があるという態度の表れでしょう。それくらいは警戒されていて当然。予測の範囲内です。下船した後も、お気を付けください、アキラ様」
警告されたアキラは、寂しげに目を細めて応える。
「歓迎されていないことなら知っているよ、リアム。僕と彼女たちとは、良い出会い方をしていない。それに今や、お互いの立場は相容れないものだ。友好的に、とはいかないだろうさ」
しばらく飛行の時間が続いた。
ついには東の空から陽が昇った。
それからさらに、数時間ほど、飛空艇は王国領土の上空を飛行し続ける。
やがて見えてきたのは、巨大な黒い構造物である。
黒塊の首都バロール――――。
およそ50キロメートル四方の敷地に立つ、漆黒の立方体だ。“キューブ”と呼ばれるその内部は、成層圏に至るまで積み上げられた、80階層にも及ぶ積層都市を形成している。内部構造は広大であり、かつてそこを管理していたエヴァノフ騎士団ですら、広すぎて全貌を正確に把握できていないほどの、巨大建造物だ。
「相変わらず、隣国の首都は、いつ見ても黒い壁にしか見えないな」
「ええ。エヴァノフ企業国は、重工業が成熟していた国でした。造船や自動車産業を生業にした国であり、首都の内部は工業施設が40パーセントを占めているとか。それ故の圧巻の大きさなのでしょう。我が企業国の首都よりも大きい」
「どこの首都よりも大きい、と言った方が正しいだろう。ただ、首都バロールの半分近くは、人の住居ではない、だったか? こんなウンチク、思い出すのはスクール時代の授業以来だ」
首都の40層にある離発着陸港へ、飛空艇は接舷された。下船ハッチが開いた先で、アキラたちを最初に出迎えたのは“帝国騎士団ではない騎士たち”である。
「……これが噂の“アルトローゼ王国騎士団”ですか」
興味深そうに、リアムが呟いた。
かつてのエヴァノフ騎士団は、今では“アルトローゼ王国騎士団”と改名され、再編されている。アルトローゼ王国の首都の防衛以外に、国境や領土内の各都市に展開されていて、各地で防衛戦力として活躍している点については、これまでと運用が変わってない。だが以前の帝国統治時代になかった機能も備えており、平時においては“警察機構”として、市民生活の治安を維持する組織として生まれ変わっているのである。市民や下民などの階級に囚われることなく、国内に住まう全ての人々の争いやトラブルに対応している。しかも、専門家協会が国内から引き上げてしまっている現在、異常存在の討伐なども、無料で引き受けているという情報があった。
企業国王へ奉仕する軍隊。
それが今は“人々へ奉仕する軍隊”となっているのだ。
帝国騎士団同様に、王国騎士団の兵士たちの格好は、甲冑に似たボディーアーマ姿だ。だがそのデザインは、帝国騎士団時代とは異なり、新たに刷新されている。白色を基調とした清廉潔白な印象の姿であり、そんな騎士たちが銃を携え、整列して出迎えてくれていた。
アキラは油断のない態度で、隣のリアムへ警告した。
「おそらく、この出迎え兵たちは、魔導兵クラスの連中を揃えてきているだろう。襲われれば不利な人数差だ。気をつけろよ」
「承知しております」
今回の“謁見”が行われるにあたって、事前に取り交わされた約束通り、アキラが連れてきたのは最低限の数の護衛だけだ。リアムをはじめとした、5名ほどの上級魔導兵。あとは通常兵科の騎士が数十ほどだ。だが少ないとは言え、少数精鋭のメンバーである。そう簡単には全滅しない自負はあった。
だが今日は、戦いに来たわけではないのだ。
過剰に警戒しすぎる必要はないのだろうが。それでもこうして、敵対国の王国騎士団に包囲されるような形で出迎えられているのは、落ち着かないものだ。万が一の場合は、自分たちが不利な形勢であるという事実を甘く見ることはせず、アキラたちは周囲を警戒した。
護衛のアキラたちに遅れて、飛空艇から降り立つ男がいた。
「フーム。敵国の空気というのも、なかなかに美味いものだ」
オールバックにした黒髪。整えられた口髭。高価そうなタキシードを着ており、黄金のタイピンや指輪など、数々の宝石を身につけている。優雅な態度の、洒落た美形の中年だった。
「出迎えご苦労、取るに足りない雑兵諸君」
四条院企業国の王は、下々へ微笑みかける。
その口ぶりだけは丁寧だが、感謝の心など微塵もこもっていない。
淫乱卿、四条院コウスケは敵国の地へ降り立った。
◇◇◇
王国は、迎えの車を用意してくれていた。だが、それに乗り込むことは不用心だ。アキラたちは、飛空艇の中に搭載して持ち込んだ、自国のセダン車に乗り込む。そうして王国騎士団の車に先導されて、首都内の移動を開始した。
目指すは79階層。
新東京都と呼ばれる、白石塔出身の下民たちが新造した街があるフロアだ。元々、四条院企業国が管理していた、東京の街を忠実に再現し、さらにはアークの技術で近代化を果たした都市になっているのだという情報を得ている。上層への転移門トンネルを通過し、アキラたちの車は、瞬く間に79層へと辿り着いた。
「ここが、アルトローゼ王国の中枢ですか……!」
アキラの隣席で、リアムが感嘆の声を漏らしていた。
車窓に流れる、一見して信じられない光景を目の当たりにして、驚いていしまっていた。
晴れ空を背負った都市。貴族の街というわけでもないのに、路上は綺麗に清掃が行き届いていて、浮浪者や、転がる身元不明人の死体などは見受けられない。歩道を行き交う人々の表情は明るくて、治安も良い様子だ。しかも街頭には、人間だけでなく、獣人たちの姿まで見受けられた。いずれもいがみ合うことなく、殺し合うこともなく、共存できているように見える。
アキラはそれを見て、少し嬉しそうに微笑んで言った。
「人間と獣人たちが、共に暮らす社会か……。これはもう、アークの景色とは思えない。前代未聞のことを成し遂げて建国された、彼女の王国らしい非常識さだ」
「これは……聞いていた話よりも、その……」
感想を口にすることを躊躇っていたリアムへ、アキラは皮肉っぽく尋ねた。
「ここはクーデターによって滅ぼされた企業国。今では、ならず者たちばかりが住まう、化学兵器と疫病に汚染された土地。そう吹聴されていたはずなのに、まるで“理想郷”のように見える。そんなところか?」
「い、いえ! 決してそう言うわけでは!」
「誤魔化すことはない。この景色を見ていると、僕だって同じように思ってしまう。父上や僕は、諜報部から事前に、王国に関する情報を聞いてはいた。けれどそれは全て、信じられないような話ばかりだったんだがな。実際に、こうして目の前に現実として存在していると……言葉にならない、感動みたいなものが芽生えるよ」
「アキラ様……」
「それでも、ここはすでに、帝国にとっての敵地。支配権限の拘束力から解き放たれた、不穏分子たちの巣窟だ。下々の者であっても、我々の正体に気が付けば襲撃してくる可能性がある。いくら強大な力を有する企業国王と言えど、この国には、それを討ち滅ぼす力とて潜んでいるんだ。何としても、その脅威から父上をお守りするぞ」
「ハッ」
東京を再現した街というだけあって、新東京都内は、かつての地理を踏襲している。アキラたちの車が、新東京都内を走り抜けると、辿り着いたのは、かつて国会議事堂が存在していた場所だ。そこには、議事堂の姿は見受けられなかった。
アルトローゼ大聖堂――――。
代わりに、美しい庭園に囲まれた“大聖堂”が建っている。神々しく、輝きさえ放っているように見えるそこは、人工物でありながらも、神聖な雰囲気を纏っている建物に見えた。
通用門のセキュリティチェックを受けた後、車列は庭園内に入る。そうして大聖堂の入口前で、一斉に駐まった。降車したアキラたちは、すぐさま後続の車へ駆け寄った。周囲の安全を確認した後に、淫乱卿たる四条院コウスケが、その車から降り立った。
「父上。ここから先は、敵国の中心。お気を付けください」
「わかっている。そう気張るな、アキラよ。リラックスしろ。企業国王が、下々の者に殺されたりするものか」
「ハッ、父上」
淫乱卿はタキシードの襟を正し、王国騎士団の案内に従って、建物内へ歩み入った。それに続こうとするアキラたちだったが、護衛全員が建物内へ侵入することは許可できないのだと、警告されてしまう。やむなく、アキラとリアムだけが、付き添いで入場することとなった。連れ立っていた他の護衛たちは、大聖堂の入口フロアで待機となった。
通されたのは、天井にステンドグラスが敷き詰められた、荘厳な造りの大広間だ。柱の1つ1つや、壁面でさえも、全てが芸術作品のように思える豪勢な造りだ。だがその中央には、花の植えられた場違いな花壇が存在している。さらに、その花壇の中に、安っぽい造りのウッドチェアが1つだけ、ぽつりと置かれていた。まるで庭先に置かれた休憩用の椅子だ。
それを見たリアムは目を疑い、疑念を口にする。
「まさか……あの粗末な椅子が、この国の玉座なのですか?」
「見栄えなんて気にしていないんだろう。彼女らしいよ」
アキラは苦笑する。
今のところ周囲に、その椅子の主の姿は、見受けられないようだ。
案内役の騎士が、この場でしばし待つように言ってくる。そうしてから、広間の隅に移動し、他の護衛兵たちに混じって、遠くから淫乱卿の様子を監視し始める。四条院企業国側の護衛がほとんどいない状況で、敵国の騎士たちに、遠巻きで囲まれている。そういう状況だ。
「父上……」
不穏な静寂が漂う渦中で、アキラは思い切って、父親へ尋ねた。
「他企業国との国境封鎖協定を破り、我々はこうして、密やかにアルトローゼ王国へ直接に乗り込んできています。もしも、このことが他国に察知されれば、四条院企業国は他国から制裁を受けかねません。……ここまでのリスクを冒している理由を、そろそろ、私にもお教えいただけないでしょうか」
疑問を投げかけられた淫乱卿は、嬉しそうに微笑んだ。
「おお、アキラよ。お前もすでに成年だったな」
言いながら、アキラの肩に手を置いてくる。
「お前はいずれ、私の跡取りとなる男だ。そろそろ企業国の統治や、他国との外交についても興味が湧く年頃だろう。その意気は良い。後継者として、お前のことを頼もしく思うよ。なにより、出来損ないで腹黒だった兄のキョウヤよりも“信頼”がおける」
そこまで言ってから、淫乱卿は、急に不快そうな目をした。
「――――だが、まだ早いな」
「……」
「お前は言われた通りに、私に付き従っていれば良いのだ。私の所有物が、私のやるこに対して、余計な詮索を巡らすな」
「……承知しました、父上」
納得したわけではない。
だが、そう返事をする以外に、いつも選択肢はない。
それが悔しくて、密かに歯噛みしてしまう。
息子と言えど、逆らって機嫌を損ねれば、いとも容易く殺されてしまうのである。そうして死んでいった四条院の兄弟たちは、およそ100人近くにも及ぶ。淫乱卿に、子供への愛情などないのだ。ただ、自分と血のつながりのある者に、自分が亡き後の玉座を任せたいだけ。その後継者が誰であるのかなど、重要視していないのだろう。大事なのは自分のことと、自分の権威だけだ。
昔からずっと、アキラは父親の言いなりである。
大広間の奥の扉が開いた。
その向こうから4人の人物が現れ、姿を見せる。
なにも言わず、黙って玉座に向かって歩いてきているようだ。
「アキラ様、あれは……!」
1人は機人族の女だ。青髪に、金色の機械眼。尖ったアンテナ耳が生えているのが、特徴だ。金の縁取りの、白絹のようなローブを纏っていて、背中には大きな弓を背負っていた。
油断ない眼差しのリアムが、隣のアキラへ囁く。
「狙撃弓の異名で恐れられる、機人の射手。リーゼですね」
「らしいな。それに、どうやら王国騎士団長とやらに出世したらしい、懐かしい顔もいるようだ」
装飾された格式高いデザインのボディーアーマに身を包んだ、黒髪、無精髭の男がいた。アルトローゼ王国の紋章が描かれたマントを羽織ってはいるが、ヘラヘラと軽薄に微笑んでいる。
「重槍騎士レイヴン……四条院企業国の裏切り者め……!」
その男は以前、アキラの下に仕えていた帝国騎士である。リアムも顔見知りであるため、この場で再会することになった運命を、皮肉に思ってしまう。
強力な2人の戦士を、引き連れるように歩く先頭の男がいた。
アキラも、リアムも、その男を1番に警戒していた。
漆黒の甲冑で全身を覆い、顔まで隠している男。無骨な鎧そのものが、動いているようにさえ見える格好だ。だが、ただ者ではない気配を帯びており、腰には名高い赤い剣を提げていた。思わず、リアムは固い唾を飲み込み、緊迫を高めてしまう。
「赤い剣……! では、あの甲冑姿の護衛こそが……!」
「企業国王を討ち滅ぼした、赤剣の使い手。死の騎士、雨宮ケイだろう。顔は見えないが……以前に見た時と、だいぶ雰囲気が変わっているようだ」
この国の前王、暗愁卿を斬り伏せた剣士。剣聖さえも撤退させると言われる実力を有し、今や伝説に近い、数々の活躍が語られている強者である。雨宮ケイの存在を、七企業国王たちは驚異であると考えている。アルトローゼ王国を守護している、その男の存在こそが、他国がこの国へ攻め込むのを躊躇させている抑止力になっているのだ。つまり、企業国王を恐怖させる者と言えるだろう。
伝説の戦士。
実物を目の当たりにしたリアムは、冷や汗を浮かべている。
だがその隣でアキラは――――見とれてしまっていた。
3人の強者が守っているのは、たった1人の小柄な少女だ。ミディアムショートの銀髪。その頭部には、色とりどりの花を編み込んで作った、花の冠が乗せられていた。ウエディングドレスのような純白の衣装の上に、赤いマントを羽織っている。まるで式場の、高貴なる花嫁のような出で立ちだ。
「なんて、美しいんだ……」
以前に出会った時から、さらに綺麗になっていると感じた。思わず溜息が出るほど、美しく整いすぎている顔立ちだ。憂いを秘めた青の眼差しは、それを向けられた者の、目も心も奪うだろう。色白い肌。ガラス細工のように繊細で華奢。人間の域を超えていると思わされる、魔性の可憐さだ。
3人の近衛に守護されながら現れた少女は、花壇の玉座へ腰掛ける。
そうして、謁見者である淫乱卿や、アキラたちへ視線を向けてきた。
淫乱卿はまず、礼儀正しくお辞儀をして見せる。
「これはこれは。皆様お揃いで。アルトローゼ国王においては、以前に晩餐会でお会いした時よりも、格段に美しくなられたご様子」
妖しい笑みを浮かべながら、淫乱卿は言った。
「こちらの申し出通り、お会いいただき光栄ですよ、アデル・アルトローゼ様」