2-7 制限された認知能力
「まだ、僕たちと同じ景色が見えていないイリアさんには、ピンとこない話しだと思いますけど、あえて話しをさせていただきますね?」
佐渡は、まずイリアへ一言を入れてから話し始めた。
「雨宮くんたちにはすでに、空に闇の靄がかかったような、異様な世界が見えていますよね?」
佐渡は尋ねながら、ケイたちの顔を見渡した。
それぞれ無言だったが、肯定の表情を読み取り、感慨深く1人頷く。
「僕はこの世界を、死後の世界――――“ゲヘナ”と呼んでいます」
トウゴが、眉尻を上げ、真顔で驚いた。
「死後の世界……じゃあ俺たちには今、あの世が見えてるってことなのかよ」
「これはあくまで、僕が考えた便宜的な呼び方ですよ。死を引き金として、見えるようになった景色。なら、それを死後の世界という呼ぶのは、それなりに妥当性があるのじゃないでしょうか」
佐渡はポリポリと頭を掻いて、愛想笑いを浮かべた。
「僕たちの肉体は一時的にですが、限りなく死んだ状態になりました。しかし、無死の赤花の効力によって、最終的な死に至ることがありませんでした。その経験をしたことが切っ掛けで、これまで見えなかったものが見えるようになった。つまり、今の僕たちは、何らかの“枷”が外れた状態になっているのだと考えています」
「……枷、ですか?」
「ええ。また僕が考えた言い回しで恐縮なんですが――“知覚制限”とでも言わせてもらいます。普通の人間は生まれてからずっと、死後の世界を認識できないよう、脳の認知機能に制限が設けられた状態になっているのだと思われます。ようするに普段、ずっと偽の世界の幻を見ている状態なのだと考えてください。普通の人は、死後の世界についての情報一切を知覚することができない。そういう制限があるのだとしか思えません」
その推察には、説得力があった。
実際に、学校の友人たちは、ケイたちに見えているものが見えていなかった。
見えているものを口で詳しく説明しても、信じてもらえなかった。
目の前にあるものを、正しく認識できない――。
あれは、そうであったのだとしか、思えない様子だった。
「この診療所に来るまでの間、君たちは、不思議な景色や、地図に載っていない謎の地域を目撃してきたのではないですか? それらは全て、知覚制限がかかっている一般人には発見できない、言わば“知覚不可領域”です。しばらく街の様子を観察していてわかったことなんですが……不思議なことに一般人は、そこへ近づいたり、侵入しようともしないんですよね。無意識に、そこへ近づくのを避けている。そんな様子でした」
「じゃあ、見えない場所に、うっかり迷い込むとかしねえってことなのか……」
「ですね。けどそれっておかしいことなんです。考えてみてください。“見えないものを避ける”なんてこと、できるはずがないですよね? だから誰もが、本当は目の前に、知覚不可領域があることを“理解はしている”のだと思います。ただ、あえてそれを見えないものだと、強く思い込んでいる。そう推察してるんですね。彼等は無自覚で、でも意図的なんです」
「なんだか、複雑ですね。でも、佐渡先生の推理には一理あります」
「そう言っていただけると嬉しいですよ」
そこまで言った後、佐渡は胸を張って見せた。
「そこで考えました! 私は一般人と違って、知覚不可領域を認識することができるわけです。ならその場所に潜入し、そこに何があるのかを、調査できるのではないかと考えたわけですよ! 実際に、潜入を試みたことがあります!」
「ほお。それは実に興味深いチャレンジだね」
『結果は、どうだったのですか? 教えてください、佐渡』
佐渡は途端に、空気の抜けた風船のごとく、威勢をしぼませて俯いてしまう。
「すいません……。侵入してすぐに、身の危険を感じて引き返したんです。なぜなら知覚不可領域には、得体の知れない怪物がたくさん潜んでいて、怖かったものでして……!」
「ヘタレかよ……!」
ビビりな性格ついては、人のことを言えないトウゴが突っ込んだ。
佐渡の発言を耳にしたサキは、驚いて尋ねた。
「待って! 怪物って!? もしかしてそれって、浦谷みたいなヤツのこと?!」
「いえ。そういうわけじゃないようでした。浦谷とは、また異なる見た目でして……。まあ、見た目だけの判断ですが、怪物にも、いろんな種類がいるようでしたよ。連中の詳細は不明です。ただ共通していることは、侵入者を発見すれば襲ってくるようでしたので、僕単独での調査は、とてもじゃないですが無理と思ったんです」
『佐渡が、ヘタレだったことが残念です』
アデルは散々な言い草である。
だがめげずに、また佐渡は胸を張って、得意気に告げた。
「ええ。でも諦めませんでした! 今の時代にはインターネットや、衛星画像を使った地図アプリもあるわけですから。直接行かなくても、それらを使えば、知覚不可領域の空撮写真などにありつけるのかな、と思ったんです!」
『おお。それで。今度こそ、結果はどうだったのですか?』
「やっぱダメでした……。地図アプリで出てくるのは、知覚制限がかかっている人間に見えるのと同じ、偽の世界像だけでした。死後の世界を上空から撮影した画像なんて、インターネット上には、これっぽっちもありませんでしたよ」
「そもそも、世界中の人間が知覚制限されてるなら、そんなのアップできるヤツが他にいねえだけなんじゃねえのか……? 」
「かもしれません。そうだとすると、僕たち以外に、この世界の状況を正しく把握できている味方はいないのかもですね。どうやら僕たちは、この世界の“本当の全体像”を知らずに生きているようです。これまで常識だと思い込んできた世界地図については一旦、忘れ去った方が良いでしょう。学校で習った地理の授業の内容は、おそらく今後の人生で、あまり役に立ちません」
その話しを聞いていたアデルは、疑問を感じていた。
アデルは、ケイに声をかけた。
『ケイ。今の佐渡の話しは、変じゃないですか?』
「ああ」
アデルの抱いている違和感は、ケイも同様に感じていた。
「アデルには知覚制限がかかってません。だから、オレのスマホのカメラを通して、最初から今までずっと、死後の世界の風景が見えていたんだそうです。つまり、世界の本当の姿が見えていないのは人間だけで、機械には関係ないってことだと思います。普通のカメラでも、死後の世界の様子は“撮影可能”だってことになります。なのに……衛星が撮った画像データが、偽の世界の風景だというのは変じゃないですか?」
「ほお……それに気付いていましたか」
佐渡は感心した様子だった。
あえて言わずにおいた核心の部分について、白状することにした。
「そうです。つまり我々以外の、死後の世界のことを知る“何者か”によって、画像データが改竄されていることになるわけですよ」
「俺たち以外の何者かって、今さっき他に味方はいねえかもって、言ったばかりじゃねえか!?」
「――味方ではない存在ということです。僕は“管理者”と呼んでいます」
佐渡は、メガネの奥の眼差しを陰らせた。
そうして真面目な口調で、持論を展開する。
「全人類から世界の真実を隠し“管理”しようとしている存在……。これはあくまで想像の話しなんですが、おそらく僕たち人類に、生まれながらの知覚制限を設けた存在は、その管理者だと考えられます」
「なんで……そんなことする必要があるのかしら」
「管理者の目的はわかりません。ですが、秘密を隠している側からすれば、真相に近づく者は、都合の悪い存在ということになりますよね? なら、それを抹殺しようとする意図も、管理者のものであると考えれば納得がいきます」
妙に遠回しな佐渡の発言だったが、ケイはその意味をすぐに理解できた。
「……つまり管理者が、浦谷のような怪物を殺し屋として人間社会に潜ませ、必要に応じて、知りすぎた人間を消させているってことですか」
「さすが察しが良いですね、雨宮くん。その通り。僕は、管理者こそが怪物たちの元締めであり、この死後の世界、ひいては全人類を実効支配している、黒幕だと考えているんですよ。その正体へ迫るために、配下と思われる浦谷を見つけ、観察していたんです。それによって、君たちと出会うことができました」
イリアが妖美な笑みを浮かべ、自身の考察を口にした。
「フーン。ということは、管理者にとって、一般人に知られてはまずい真実の1つというのが、CICADA3301暗号の“発信者の正体”だということになるのかな? その真相に近づいたせいで、佐渡先生たち暗号解読チームは、消されてしまったと考えられるね」
「たぶん……。そういうことになるのだと思います」
「なら、もしかして雨宮の親父さんが命を奪われた理由も……」
「……」
トウゴと同じ推測を、ケイも考えているところだった。
佐渡の話によれば、人類は得体の知れない何者かによって支配管理されていて、その事実を知った者たちが、口封じのために殺されているのだと言っている。つまり、事実を知った自分たちは、もはや他人事ではないのだ。正体もわからない相手に、命を狙われるなどという事態は、あまりにも異常で、現実感がない。ただ戸惑う以外にないではないか。
「……管理者。いったい何者なのかしら」
「わかりません。たしかなことは、全人類は管理者が用意した偽世界の中を生きているということだけです。本当の世界の姿がわからないようにされて……。まるで、知らない間に宇宙人に支配されていた世界で目覚めた気分ですよ。悪夢です」
「いつから、どうして、俺たちは管理者に支配されてんだ……!」
「それもわかりませんね。ここ数年だけのことなのか。数十年。数百年。あるいは数万年間。有史以来、僕たちは、ずっと支配されているのかもしれません。生まれた時から知覚制限がかけられていることを考えれば、人類は遺伝子レベルで操作され、管理されている可能性があります」
そこまで話しが広がると、もはや人類の誕生にまつわるような、壮大なスケールの陰謀である。ただの高校生にすぎないケイたちや、村医者にすぎない佐渡からすれば、手に余る大事件だ。