9-2 心霊狩りの男
高校の期末テストも終わり、明日からは、待ちに待った冬休みである。
打ち上げと称して、仲の良い友達同士で集まり、鍋パーティーをした。
集まったのは男3人。女2人。
互いに意識していたり、そうでもなかったりする間柄だ。
コッソリと酒を持ち込んだヤツもいた。ヤンチャな性格の仲間うちであったため、当たり前のように、すでに全員がそれを飲んで酔っている。少し酔いを冷まそうと、近所のコンビニまで出かけることにした。冷たい冬の夜風に当たりながら、散歩をするのは心地よかった。
「そう言えば、知ってるか? この辺に、関西最強の“心霊団地”があるって」
5人でだべりながら歩いていると、1人が思い出したように言い出した。
◇◇◇
星空の輝く深夜。
ネオン輝くビル街から少し外れた裏通りは、驚くほどに明かりが少ない。車1台が通れるような細い生活道路には、街灯がまばらに立っているだけだ。時刻が遅いこともあり、家々から明かりが消えていることも、周囲の暗さに拍車をかけているだろう。
空のテナントが並ぶ、寂れた元商店街。そこを抜けた先に、急に6棟並びのアパート群が現れる。いずれも、築20年は過ぎているであろう、古めかしいボロの建物だ。4階建てらしく、専用駐輪場や駐車場の跡地も残されているため、当時はなかなかに立派な住まいだったのだと見られた。
だが、今は誰も住んでいない――――。
駐車場のアスファルトはひび割れ、草花が生い茂っている。そこに建つ無人の建物の塗装は、日焼けであちこち禿げており、雨樋なども剥がれ落ちて荒れ放題になっていた。この周囲だけ、妙に空気が冷たくて淀んでいるようにも感じた。
スマートフォンの照明で浮かび上がる、噂の無人団地。
異様な雰囲気を湛えた姿を目の当たりにして、5人は固い唾を飲んでしまう。
「ここが噂の……西鈴団地か」
「かなり雰囲気あんね」
「ねえ、やっぱり帰ろうよ。建物に勝手に入ったら、通報とかされちゃうんじゃないの……? 周囲を通る人や車はないみたいだけど、この辺にも、一応は民家あるじゃん。音とか出してたら気付かれない?」
「バレないように入って帰れば大丈夫だって! それに、ここまでのタクシー代が無駄になるじゃん。元取らないとさ!」
言い出しっぺの少年が、率先して金網のフェンスをよじ登っていってしまう。そうなってしまっては、もう誰も引っ込みがつかない。全員がその後に続いて、渋々と廃アパートの探索に付き合うことにした。
団地の敷地内は広く、あちこちで草が生い茂っているため、ちょっとした森のようになっている。それでも建物内は綺麗に残っている方で、5人は鍵が開いている部屋の内部を探索してみる。
「なんか気のせいか、家財道具とか残りすぎじゃね……?」
「こんなに色々と置き去りにして、家を出てくもんか? まるで夜逃げした後じゃん……住んでたヤツ、どこ行ったんだよ」
「そこに落ちてた新聞の日付、2015年だってさ。だいぶ前だな」
「おい、お前、動画撮ってんの?」
「へへ。面白いもんが撮れたら、つべにアップできんじゃん」
「よくこんな気味の悪い廃墟で、そんなふうに楽しそうにしていられるよね……」
得体の知れない異様さを感じながら、探索は続く。やがて辿り着いたのは3階の通路である。ふとスマホで照らした廊下の先に、人影が見えたような気がして、少女が悲鳴を漏らす。
「きゃあっ!」
「ぎゃははは! ビビりすぎー!」
「だって今、人の影が見えたと思ったんだもん……!」
「おい! 大声出すなって! ご近所にバレるだろ……!」
「なあ、ここじゃね? 噂の302号室って……」
先頭を歩いていた少年が、イヤそうな顔で指さすドアがある。そこには、かすれた文字で302という数字が銘打たれている。
「4号棟の302号室……たしか誘拐された女子高生が、犯人に殺されたって言う事件の部屋だっけ? 首を折られた若い女の霊が目撃されるって噂だったよな」
「たしかニュースになってた事件なんでしょ? 1週間くらい、死体が放置されてたらしいって」
「へえ。面白そう。開けてみようぜ」
「あ、おいってば……!」
悪乗りした少年が、躊躇なく扉を開けてしまう。途端に、室内に閉じ込められていた異臭が解き放たれた。全員、眉間にシワを寄せて不快な表情をする。匂いを我慢しながら、少年3人が先行して、室内へ土足で踏み入った。
「クッサ! なんだよ、この部屋! カビだらけじゃんか!」
間取りは4DKだろうか。2部屋が和室になっていて、腐った畳が敷かれ、天井が真っ黒にかびていた。そこから異臭が漂っている。
「和室の方がクサすぎ。ちょっと窓開けて換気しようよ……」
少女がベランダの引き戸を開ける。そこから冷たい夜風が流れ込んできて、室内の異臭は多少だけ中和された。
「ここ、ヤクザが管理してる廃墟だって噂もあるぜ?」
「ヤクザ? なんでこんなオンボロアパートの廃墟なんか管理してるんだよ」
「そりゃあ、こういう人気のない場所だからこそ、できることもあるんじゃねえの? いけないお薬の販売とかさあ」
「銃声を聞いたって人もいるみたいだよ。ネットの書き込みだけど」
「ガチで……? そんなのに鉢合わせたら、俺ソッコーで逃げるわ」
「それよか、この部屋のどこが女子高生の殺害現場なんよ」
ドンッ
どこかから、壁を叩くような鈍い音がする。
予期せぬ大きな音の発生に驚き、全員がビクっと背を震わす。
それまでふざけ半分だった全員が、一斉に真顔になって、話すことをやめた。
「…………え?」
「……今の音、なに?」
隣の隣の部屋。
それくらいの距離だろうか。
音は、近くの別の部屋から、聞こえたように思えた。
「……人なんかいるわけないよな。ここ、住めるような状態じゃないぞ……?」
「浮浪者が住んでるとか……?」
「なんで、あんな大音を出す必要あるんだよ……!」
「知るかよ! 寝返りうって壁にぶつかったとかじゃないの?!」
ドンッ! ドンッ!
今度は2回。連続で同様の音がした。
人がいないはずの廃墟。そこにある、確かな人の気配。
聞き間違えではない。
誰かの寝返りで、偶然に生じた音でもない。
何か意図をもって発せられている音。
だが、だとしたら何なのか。
「ヤバい……なんかヤバい、ここ!」
「に、逃げよう……!」
全員が急ぎ足で、部屋を後にする。足がもつれ、転びそうになるほどに動揺していた。玄関戸を開けて通路に出た5人は、ふと足を止めてしまった。
「え……?」
玄関前に、頭の千切れかけたクマのぬいぐるみが置かれていた。
「この人形、さっきここにあったか……?」
「いや、なかったと思うけど……」
「そんなのいいよ! もう行こうよ!」
1番最後に部屋を出てきた少女が、何気なく、そのぬいぐるみを拾い上げてしまう。そうしてその場に立ち尽くし、動かなくなった。
「何してんの、ナギ! ボーッとしてないで、いこうよ!」
「……」
「ナギ……?」
「おいおい! これ、なんか様子が変じゃないか?!」
ナギと呼ばれた少女は、クマのぬいぐるみを凝視しながら、目を血走らせている。やがて、その唇は亀裂が入ったような切れ長につり上がり、ニタニタとヨダレを垂らして笑い始める。不気味すぎるその態度に、仲間たちは焦ってしまった。何度も名前を呼びかけるが、まるで反応がない。その場で人形を掴んだまま動かない少女。その肩を掴んで揺らすが、少女は狂ってしまったように笑んでいるだけだ。全員、逃げたいのに、少女を置いて逃げ出せない。泣き出したい思いだ。
「ナギ! ナギ! しっかりして!」
「どうするよ、これ……救急車呼んだ方が良いのか……?!」
「何て説明すんだよ! わかんねえよ!」
動揺し、混乱をきたす5人。
その目の前を、何かが空を切って通りすぎる。
「……え?」
――――“手斧”である。
ナギが持っていたぬいぐるみの腹に、その刃が突き刺さる。飛来してきた手斧は、少女の手からクマをひったくるようにして、5人の前を掠めて飛び去った。遅れて、バチンッという金属音がした。手斧は、通路の突き当たりにあった、消火栓のパネルの上に突き刺さっている。ぬいぐるみを、壁へ縫い止めていた。
「…………は?」
思わず、間抜けな声が漏れてしまう。
ぬいぐるみを手から失った途端に、ナギはその場に、膝から崩れ落ちるようにして倒れ込む。少年の1人が、その身体を受け止めた。そうして全員で、手斧が飛んできた、通路の向こうの暗がりへ目を向けた。
男が1人、立っていた。
見るからにガラの悪いピアスの男だ。年齢は20歳くらいだろうか。社会人か、大学生か。わからないくらいの若年に見える。ミリタリージャケットを羽織っていて、腰にはアンティークめいた懐中時計をぶら下げている。特徴的なのは、その左目に帯びている眼帯である。仏頂面で、冷ややかな眼差しを5人に向けてきていた。
「助けて……くれたのか?」
「誰だよ、アンタ!」
尋ねる少年たち。
だが対して少女は、小声で必死に警告する。
「あの人、懐中電灯を持ってないよ……! こんな真っ暗な廃墟なのに……!」
「……!」
「しかも、凶器持ってる……! さっきの音の正体、あの人じゃないの……?!」
男の手には、まだもう1本の手斧が携えられている。2本の手斧を両手持ちしていたのだろうか。無人の廃墟に、明かりを持たず、凶器を持った眼帯の男が現れたのだ。冷静に考えれば、穏やかではない。じっとりと、冷や汗が背に滲む。
「うわあああ! おい、あのぬいぐるみ!」
息つく間もなく、少年の1人が、恐怖に満ちた悲鳴を上げ始めた。指さす先には、手斧によって、壁に縫い止められたクマのぬいぐるみがある。
……ただのぬいぐるみにしか見えない。
だが、喚き始めた少年は、真っ青になりながらそれを指さして慌てふためいている。
「おいおい、どうしたんだよ! 何に驚いてるんだ」
「はあ!? お前等、あれが見えないのか!?」
クマのぬいぐるみを見て、何かが見えているのだと訴える少年。だが仲間たちには何も見えず、怪訝な顔をしている。そのやり取りを見ていた男が、苦笑を漏らして感心した。
「……へえ。いわゆる“霊感”がつえーってか?」
言いながらタバコの箱を取り出し、1本を取り出して火を点ける。そうして、高校生たちの傍へ歩み寄ってきた。
「どうやら本当に、知覚制限されてても、コイツの姿を感じ取れるヤツもいるんだな。だとしても、あんまりハッキリと目を凝らさない方が良い。余計なことを知ったと、他の異常存在に察知されたら、お前等、きっと長生きできねえぜ」
意味不明なことを言いながら、男は少年たちの間を通り抜けた。そうして、クマのぬいぐるみと対峙する。
背中越しに、高校生たちへ忠告した。
「さっさと家に帰っておくんだな。ここで見たことは忘れろ」
「ひっ! ひいいい!」
慌てふためきながら、気絶した少女を連れて逃げ去る高校生たち。
何でもなかったように、男――――峰御トウゴはタバコを吹かした。
「東京がなくなって2年か……。首都大阪に? ほとんど関西弁を喋らなくなった関西人たちってんだ。ギャグマンガみたいな国になったよな、日本は。まったく」
そうして、ぬいぐるみの方へ語り続けた。
「昔は、1人で暗闇の中にいるのが怖かった。けど今は、この静かな闇の中にいる方が落ち着く。まったく、価値観ってのは変わるもんだぜ。……サキの撮影で鍛えられたおかげかもな」
トウゴの見やる先。そこには、壁に手斧で縫い止められたクマがいる。だが、ただのクマではない。知覚制限の解かれたトウゴには、そのぬいぐるみから、黒い蜘蛛の脚のようなものが生えて蠢いているのが見える。まるで壁にピン止めされた、生きた虫の怪物だ。
「ワラワラと湧きやがって、めんどくせえ。たしか、EDENに還った死者の個人情報、その残留物がマナ伝送路から漏れ出て、形を成してしまった汚物だったか? クラス2の異常存在。せいぜい、触れた人の精神を狂わせる程度の悪霊って感じか。この程度の連中を相手にするのは、もう大したことねえよ」
気色の悪いそれに向かって、トウゴはもう1本の手斧を投げつけた。刃はぬいぐるみの頭部に突き立ち、そこにあった急所を破壊する。絶命した怪物は、死んだ虫のように脚を丸めて動かなくなってしまう。
「……他の部屋も、あらかた片付いたろ。これで除霊依頼は終了ってことで」
呆気なく怪物を殺したトウゴは、吸っていたタバコを携帯灰皿へ押し込んだ。