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9-1 深海からの目覚め



 海は、地球の面積の約70パーセントを占めている。


 科学が発展した近代であっても、人類が到達できない場所は、いまだに数多く存在している。そのうちの1つが“海の底”だ。太陽に照らし出された、太平洋の大海原。波の揺らめく水面よりも遙かに下。そこには、昼間であっても光さえ届かない、人類がいまだ見ぬ、暗黒の未開地が潜んでいる。


 超深海層(ヘイダルゾーン)――――。


 海面から6000メートル以上の深度。そこから海の底までの海域は、そう呼ばれている。地の底、死者の国を支配すると言われるギリシャ神話の神。ハデスの名を由来にしたそこは、人間が生存するには、あまりに過酷な環境である。水温は約2℃。水圧は約1000気圧である。地上の1000倍もの圧力を一身に受けなければならないそこでは、通常の生命体は、圧壊して死亡してしまうだろう。そうした環境でも壊れない探査機を製造することも容易ではなく、そのため、いまだ調査が十分に行われていないのが実態だ。


 地球にある月。


 人を送り込むことはできても、満足に探索できていない謎多き場所。

 ゆえに人々は、深海のことをそう(たと)えて言う。


 人類にとっての未開地。

 一切の光ない海底に――――“人工施設”があった。


 存在しえない、その建物はドーム状の半球体だ。

 まるで水底に貼り付いた泡のような、透明なシルエットである。


 そのドームに守られるようにして設置されているのは、シリンダー状の、大がかりな機械装置だ。動作しはしておらず、装置は深海の闇の一部であるように、静寂の海中に置き捨てられているようだった。


 だが、突如としてコンソールに明かりが灯る。


 そうなるのは、いつ以来のことだろうか。永年の時の間、動くこともなく沈黙を保っていきた制御盤に表示されたのは、どこの国にも存在しない文字だ。太古に失われた、複雑な言葉の羅列だった。


『言語出力を、現代基準へ調整――――』


 女性の機械音声で、アナウンスが流れ始める。

 それを聞く他者は、深海には存在しない。

 まるで独り言だ。

 だが機械は、それを(むな)しいとは感じない。


企業国王(ドミネーター)の生命活動の停止を検知。“審判査定プログラム”の自動起動シーケンス、スタンバイ。開始まで、およそ30秒』


 シリンダーの中に、何かの液体が注入される音がした。装置が騒々しい音を立て始め、モニタには、慌ただしく情報が表示されていく。機械音声は淡々と状況を説明し続けた。


『人体構造ライブラリを参照。データベースへアクセス成功。材質、組成を決定。選択コアプログラム名、マティア。マナ濃度、人工子宮温度、授精速度、良好。推奨年齢まで、成長段階を加速。(アバター)形成(プリント)中』


 しばらく、装置は激しく稼働を続けた。

 そのまま数時間が経過する。

 やがて稼働音が消え、海中には静寂が訪れた。


(アバター)形成(プリント)が完了。検査プロセスへ移行。体温、心音、脳波、脈拍、良好。瞳孔反応、正常。先天性病疾患は無し。精神、個人情報(イデア)定着状況、良好。ステータス、オールグリーン。ロールアウト許可』


 アナウンスの後に、シリンダーから激しく蒸気が吹き上がる。筒状の筐体には亀裂が入り、そこで綺麗に分割された。亀裂部位がスライドし、シリンダーのフタが開く。そうして、筐体の内部が露わになった。


 収まっていたのは、一糸まとわぬ少女である。モカ色の肌。白い長髪。雪の結晶を思わせる、白い花を、頭部から生やしていた。ゆっくりと開いた瞼の下からは、深い青色の瞳が覗く。


「……」


 目覚めた少女は、シリンダーの中から這い出る。

 装置の傍らに立つと、海底から暗黒の空を見上げた。


 一切の光がない。塗り込められたような漆黒。

 深い闇の向こう遠くには、光溢れる世界が広がっているのだろう。

 静寂の深海の中で、しばらく無言のまま過ごした。


「…………」


 やがて、思い至る。


 少女は頭上へ手を伸ばした。

 すると、自身と装置を守っていたドームが弾け飛ぶ。


 途端に水が流れ込み、凄まじい水圧に押し潰されて、装置は一瞬で圧壊する。普通に考えれば、少女の身体とて、ひとたまりもないはずだ。だがどういうわけか、少女が潰されて絶命することはない。起こり得るはずのない、奇跡のような現実だが。それを見て感動する者は、周囲にいなかった。


 地上の1000倍の圧力がかかる死の世界。超深海層(ヘイダルゾーン)にいるというのに、少女は意に介した様子もなく、まるでただの水の中にいるかのように、平然と手で水を掻き、泳ぎ始める。ゆっくりと、着実に、少女は海上を目指して浮上していく。地上からの光が届き始め、周囲の世界が、徐々に明るくなっていった。


 身体へかかる水圧が、急激に高圧から常圧状態に戻れば、減圧症を起こしてしまう。体内に溶解した窒素が気泡となり、血管塞栓(そくせん)や体組織の破壊が生じるためだ。だが信じられないことに、少女は涼しい顔で海上へと浮上を続けていく。すでに数分以上もそうしていて、息が苦しそうな様子すら見られない。まるで、この世の法則から解き放たれた存在であるかのような振る舞いである。


 感情のない表情で。

 淡々と水を掻き。

 そうしてやがて、少女は海上へ至った。


 波打つ海面。そこへ顔を出し、肺に酸素を送り込む。心地よさそうにそうしてから、少女は海原で仰向けに浮かび、漂い始める。頭上を流れていく雲。眩く輝く太陽。その光を見上げた。


「…………プログラム、起動成功」


 無表情に。

 無感慨に。

 呟いた。






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