8-60 星空の逢瀬
ホテルの寝室。アデルは鏡の前に立っていた。
その背後には、目を輝かせながら呻く、気持ち悪い2人組みがいた。
「くぅ~~! 完璧だよ、アデル……!」
「最高です、アデルさん……!」
めかし込んだアデルの後ろ姿を見ながら、リーゼとエマは鼻息を荒くしている。思わず両手拳を握り込み、ワナワナと肩を震わせて感激していた。
アデルはムッツリ顔で、姿見に映った自分を見つめている。
カラーシャツと、レーススカート。清涼感のあるコーディネートに、可愛げのあるデザインのハンドバッグを手に提げていた。ミディアムショートの銀髪は整えられていて、覗くうなじには、イヤリングが輝いている。
「私は、完璧で最高なのですか?」
「完璧すぎ! どの角度からどう見ても、超完璧な美少女でしかないよ! これだけ可愛い女の子の前で平然としていられる男なんているの?! いたら、その人はホモだよ! そうじゃなきゃサルだよ! 絶対に、ケイは可愛いって言ってくれるって!」
「そ、そうでしょうか……」
リーゼとエマにおだてられ、アデルは戸惑った。
ケイの反応を想像すると、頬が熱くなってしまう。
胸がドキドキした。
「そうに決まってるよ! あ、そうだ! あとは香水なんかつけてみる? アデルはどちらかと言うと、引っ込み思案な方だから、時には、もっと大胆にアピールするのも手だと思うんだよね」
「でもリーゼさん。そういうのは、アデルさんのキャラには、ちょっと合わない気もしますよ。男性の中には、女性の香水の匂いがキツいと嫌がる方もいると、本で読んだことがあります……!」
「そうなの!? エマは色々知ってるんだねえ。じゃあ、それはやめておいた方が無難かな……」
「お化粧は、少しくらいした方が良いと思います!」
「それ、賛成!」
着飾っているアデル本人ではなく、アデルのコーディネートを楽しんでいる2人の方が、楽しそうにワイワイと盛り上がっている。何やら意気投合した後に、揃って部屋を出て行こうとした。
「私は、ちょっとエマと一緒に色々と持ってくるから、ここで待っててね、アデル!」
「くれぐれも、勝手に外へ出てはダメですよ。アデルさんは今、超有名人なんです。本当なら1人で外出なんて許されませんけど、雨宮さんと2人きりで会うために、今日だけ特別なんですから……!」
「そう言うこと! すごく言い訳に苦労して、みんなを説得したんだから! 私たちの言うことは、ちゃんと聞いてね!」
バタンと扉を閉めて、退室する。
2人が、廊下でもキャーキャー騒いでいる声が聞こえてきた。
それを耳にしながら、1人残されたアデルは唖然としていた。
「……行ってしまいました。まるで嵐のような2人です」
静かになった部屋は、落ち着いた。
アデルはベッドの上に腰掛けて、なんとなく窓の向こうの景色を見やる。
黒塊の首都バロール。
成層圏に達するほどの、超巨大階層都市だ。
窓から見える景色は、その36層の街並み。
下民以上、貴族以下の、中産階級の人々が住まうフロアなのだと聞く。
かつて住んでいた東京のような都市風景に似ているが、その頭上は、上層の街の土台となっている、巨大な金属プレートによって覆われている。昼間に太陽が見えることはない階層だが、都市外殻が取り込んだ陽光が、各層に供給されて、天井照明として街を照らし出しているらしい。
昼のように明るいが、太陽がない、機械仕掛けの空。
それを不思議な気分で見上げ、アデルはボンヤリとしていた。
ふと、部屋の戸がノックされる。
そうして入室しようとするからには、リーゼやエマではないだろう。
「はい。どなたでしょうか」
アデルは返事をする。
すると、現れたのはアデルよりも小柄な少女だ。
修道女のような格好をした赤髪の魔人。
ジェシカである。
外行きの装いになっているアデルの格好を見て、ジェシカは少し慌てた顔をする。
「あ……。ごめん、出かけるところだったの?」
「はい。今から、ケイと待ち合わせです」
「そ、そうなんだ……」
「まだ、すぐに出かけるわけではありませんが、何か御用ですか?」
「……」
アデルが尋ねても、ジェシカは返事をしなかった。
ただ、妙に神妙な顔で、アデルの姿をジロジロと眺めてきている。
なぜそうされるのかわからず、アデルは不思議そうに首を傾げた。
「……アデルはケイのこと、どう思ってるの?」
唐突に、ジェシカはそれを尋ねてきた。
「どう、というのは……?」
「ケイのこと…………お、男の子として好きなのかって質問よ!」
「……!?」
突拍子もない話を始めるジェシカ。それに驚いたこともあるが、アデルは答えるのが恥ずかしくて、つい口を噤んでしまう。その態度を見て、ジェシカは残念そうに「やっぱりね……」と呟いた。
しばらく間を置いてから、ジェシカは真剣な表情になる。
アデルに向かって、力強く宣言した。
「アタシは…………ケイのことが好きだから!」
「!」
「アデルだって、そうなんでしょ! 最近のアンタを見てれば、アタシにだってわかるわよ……!」
いきなりの告白に、アデルは面食らってしまう。
あまりにも真っ直ぐな、ジェシカの想い。
それを、真正面からぶつけられてしまった。
狼狽したあまり、アデルはグルグルと目を回し、思考を口から垂れ流してしまう。
「ええっと……ジェシカが、ケイのことを好きなのですか……? ジェシカはたしか、ケイよりも年上。では……まさか“ショタコン”というヤツなのですか……!」
「ショ、ショタ!?」
指摘されたジェシカは後退り、顔を真っ赤にしてしまう。
涙目になりながらも、駄々をこねるようにブンブンと手を振った。
「うぅ~~! と、とにかく良いでしょ! アタシはただ、アンタには本音を伝えておきたかっただけよ! と、友達だけど、ライバルとしてね!」
ジェシカは自分の胸元を手で押さえながら、耳まで赤くなって告げる。
泣き出しそうな顔で、懸命に気持ちを訴えてきた。
「自分で言うの、本当に恥ずかしいし、バカみたいなんだけど……! アタシ、ケイのことが本当に好きみたいだから! アイツが他の誰かと、そういう関係になるなんてイヤで、最近は毎日そればっかり考えちゃうの! アンタたちのせいで、私、変になっちゃったんだからね!」
「ジェシカ……」
「ケイのこと、誰にも渡したくないって想ってるし、絶対にアンタに取られたくない! だってアイツは、初めて会った時からずっとアタシに優しくて……アタシなんかのために、躊躇いもなく腕までなくして……! こんなに好きになったヤツ、他にいないわよ……! だから……負けないんだから!」
言うなり、ジェシカは逃げるように部屋を飛び出して行ってしまう。
アデルの反応を皆まで見ていられなかったのだろう。
言うだけ言って、すぐに撤退してしまった。
アデルは、呆気にとられていた。
唇を開けて、呆けてしまっている。
だがしばらくして思い直し、自分のスカートの裾を、固く握った。
「……私だって、絶対に取られたくありません」
決意するように、鏡の前で呟いた。
◇◇◇
首都バロールの79層。1週間前には更地同然だったそこには、すでに無数の仮設住宅が建てられている。転移門を使って移住してきた、東京都民170万人は、たった数日で、全員が仮住まいを得ることに成功している。それらは全て、帝国の建築技術の恩恵によるものだった。
仮設住宅の1つ。
そのバスルームで、ケイは鏡と向き合っていた。
これほどまでに長く、自分の顔を凝視し続けた経験はない。普段は無頓着な身だしなみに気を遣い、髪型を整えては、歯を磨き続けている。険しい顔でそうして、どれくらいの時間が過ぎただろう。だんだん、バカなことをしている気がしてきた。
「……何やってるんだ、オレ?」
思わず自分でも、その疑問を口にしてしまった。
AIVのチャット通信で、主治医のステラから連絡を受けたのが3日前。今日はついに、アデルが退院する日である。その事実はまだ、マスメディアには伏せられており、大衆はいまだ、アデルの快癒を知らないのだ。アデルが目覚めたことが知られれば、それこそ大騒ぎになるだろう。連日、メディアや信奉者たちに取り囲まれ、ケイたちがアデルに近づくことさえ難しくなるかもしれない。それほどまでに、今やアデルは“時の人”なのである。
そうなる前に1度、ゆっくり会うための時間を、リーゼが作ってくれた。これからアデルの退院祝いを兼ねて、一緒に夕飯を食べに行く予定なのである。久しぶりに出会うムッツリ顔を思い浮かべると、いても立ってもいられない気持ちになった。そうなるのには、理由がある。
「あの時の、あの言葉って……やっぱり、そういう意味……なんだよな?」
こんなに落ち着かない気持ちになってしまっているのは、暗愁卿との戦いの最中、アデルが口にした一言のせいだ。
「……愛してるって……」
緊張し、固い唾を飲み込む。
企業国王との戦い以来、ケイはずっと、東京都民の大移動に付き合っていた。総理たちに状況を説明したり、移転先の首都代表者たちとの交渉をしたり。反乱軍に対して好意的でない騎士団残党との小競り合いもあった。その対処で毎日が忙しすぎて、ロクに見舞いへ行く暇すらなかったのだ。ようするに、アデルにはずっと会えていない。
あの時の言葉の真偽を、確かめられたこともない。
この1週間、頭から離れなかったそのことについて、今日は聞けるかもしれないのだ。
「アイツがあんなこと口にするなんて、今まで考えたこともなかったけど……。じゃあ、だとしたらもしかして、この前の続きをしても……!?」
男の性のせいか、無意識に、鼻の下が緩んでしまっていた。
ブンブンと頭を振って、ケイは邪念を取り払おうとする。
「さっきから何やっとるんじゃ、ケイ」
「ぬおおっ?!」
いきなり呼び止められて、ケイは奇声を漏らしてしまった。
鏡の前に貼り付いている孫を、祖父の雨宮ゲンゾウが、呆れた顔で見ていた。
「今日は、退院したアデルに会いに行くんだったろうに。いつまでそこで、鏡なんて見ておるんじゃ」
「そ、そうだよな……」
ケイは着ていたコートの襟を正し、バスルームを後にする。
そうして誤魔化すように咳払いをしながら、ゲンゾウへ尋ねた。
「それで……本当に来なくて良いのか、じいちゃん? 東京解放戦の後も、何だかんだ、人間になったアデルとは会えてないんだろ? せっかくだから、一緒に会いに来て、久しぶりに家族水入らずで夕飯にしても良いんだけど?」
「たしかに直接は会えてはおらんが、毎日、ここの都市放送とやらで、アデルのご尊顔は報道されておるだろ。ケイの電話にくっついていた、あのヘンテコな花が、まさかあんなに綺麗な女の子になっているだなんて、思ってみなかったわい。長生きはしてみるもんじゃ」
「今日を逃したら、たぶん簡単にはアデルと会えなくなると思うよ。それでも良いの?」
「だからこそ、だわい。ワシのことは気にしなくて良い。その方が、孫の私生活に水を差さなくても良いじゃろ?」
「……」
ゲンゾウはニヤニヤと笑んでいる。
どうやら、何かしら気取られてしまっている様子である。
ケイは苦々しい顔をした。
「本当に、立派になったもんだな、ケイよ」
改めてゲンゾウは、それを口にする。
苦笑しながら、ケイの肩に手を置いた。
「雨宮家から、まさか“英雄”などと呼ばれる男が出てくるとは。年甲斐もなく、はしゃぎたくなるような気分だよ。お前がどれだけのことを成し遂げたのか、正直なところ、ワシにはよくわからん。だが少なくとも、お前の尽力のおかげで、ワシを含めた東京の人々は、野垂れ死にしなくて済んだ。他人様のために汗を流しているお前のことを、誇りに思っておるよ」
「……じいちゃん」
「行ってこい、ケイ。土産話は、帰ってから聞かせてくれ」
ゲンゾウはケイの横を通りすぎ、居間の方へ歩いて行く。
その背を見ながら、ケイは微笑んだ。
「ああ。行ってくるよ」
そう言って、仮設住宅を後にした。
◇◇◇
外へ出ると、すでに日が暮れていた。
79層の天井外殻を見上げれば、その向こうには星空が見えている。
砕けた月の浮かぶ、奇妙な空だ。
最初の頃は、見るたびに驚いたその景色も、もはやだいぶ見慣れたものだ。
周囲の家々には明かりが灯り始め、すっかり夜の景観が出来上がりつつある。
玄関を出てすぐのところに、黒いセダン車が駐まっていた。帝国製のマナ動力車であるため、ケイはその車種に詳しくはない。だが一目見ただけで、高級車であることがわかる風貌をしている。
「お待ちしていましたわ、ケイ様」
その車両の傍らに立って待ち構えていたのは、エリーである。先日、出会った時とは異なり、フォーマルなスカートスーツ姿だった。これまでは行楽中のような姿しか見たことがなかったが、そうした服装も、よく似合っている。
「どうしたんだよ、エリー。急にこんなところまで足を運んでくれてるなんて」
「そろそろ、私も自分の所属企業国に帰らなくてはいけなくなりました。東京都民の移住事業も軌道に乗ってきたことですし、私の役目はなくなってきましたから。ご挨拶のために来たのですよ」
「自分の企業国へ帰るって……エヴァノフ企業国の国境は、他国から封鎖されてるはずだったろ? どうやって帰るんだよ」
ケイの疑問に、エリーは笑顔で答えた。
「たしかに。暗愁卿の死が公になって以来、他企業国はエヴァノフ企業国との国交を断絶しています。国交がある限り、自国の騎士団や民たちが、アデル様に解放されてしまう可能性がある。皆、自国でクーデターが起きることを恐れての対応でしょう。攻め込みたくなく、攻め込まれたくもない。おそらく、この企業国は今後、帝国の“隔離区”という扱いになるのではないでしょうか。良い具合に、軍事均衡が保たれていると思いますわ」
「ようするに今、この企業国は孤立してるってことだろ。なら帰るなんて無理じゃないのか?」
「ご心配なく。当家はただの貴族ではありません。蛇の道は蛇。帰国手段なら、いくらでもございますわ」
エリーの背後で、駐まっていた車の後部ドアが開いた。
乗車するよう、エリーはケイを促してきた。
「これから、アデル様とのお約束があるのでしょう。途中まで、お送りしますわ」
「……助かるよ。ありがとう」
エリーは、ケイにとって恩人である。
少し態度を奇妙に思いながらも、ケイは信用して車に乗り込んだ。
その後に遅れて、エリーも乗車してくる。
2人が後部座席に並んで座ると、運転手は無言で車を走らせた。
「正直な意見ですが、ケイ様がここまでのことを成し遂げるとは、思っていませんでした」
エリーは苦笑する。
「ある種、賭け事に興じるような気持ちでしたが、今にして思えば正しい判断でした。お父様も、実際にケイ様と刃を交え、確かな手応えを感じたのでしょう。本気になっています。これからアークの乱世が始まりますわ。その荒波の中で、当家は長年の“理想”を成就するチャンスを得たと思います」
「シュバルツ家の理想……?」
エリーは微笑み、懐から小型の注射アンプルを取り出した。
「……え?」
一瞬のことだった。
油断しきっていたケイは、その針を首筋に差し込まれてしまう。
直後、凄まじい眠気に襲われた。
「エリー……いったい何を……!」
「アデル様との逢瀬を邪魔するタイミングになってしまい、心が痛みますわ。けれど、お父様の命令。仕方がありません。淫乱卿の晩餐会で、傷ついたあなたをお救いした時に、私はハッキリと申し上げていたはずです。その赤剣は、あなたに“預ける”だけなのだと。当家はあなたに、多大な投資を行ってきました。そろそろ“回収”をさせていただきますね」
「エリー……!」
瞼を開けていられず、ケイは深い眠りに落ちてしまう。
エリーの膝の上に倒れ込み、そのまま意識を失ってしまった。
「……こうなってしまい、私個人としては、本当に残念に思っているのですよ?」
自分の膝の上で眠るケイの頭を撫でて、エリーは懺悔のように呟いた。
そうして車は、どこか知らない暗闇の中へと消えて行った。
◇◇◇
第36層の縁に位置する、公園があった。
都市外殻の透明な壁越しに、そこからは広大なエヴァノフ企業国の領土が、遠く彼方まで見渡せる。各層に設けられた展望公園として、ちょっとした観光スポットにもなっている場所である。
満点の星空と、砕けた月。
それが浮かぶ空を見上げ、アデルは1人、ブランコに腰掛けていた。
ケイとの待ち合わせは、その公園だったのだ。
約束の時間は、すでに過ぎている。いつまで経ってもケイは姿を現さず、アデルは寒空の下で、一人きりで待ちぼうけをくっていた。灯った電灯の明かりに照らされた公園には、アデルしかいない。静寂に包まれた空間にいると、世界に独りぼっちで取り残されたような気がしてくる。否応にも、孤独を感じてしまった。
「…………私を独りにしないでください、ケイ」
寂しくて、その名を呟く。
アデルの美しい唇から、白い吐息がこぼれた。
今夜の気温は、遅れながらに、ようやく冬らしい冷え込みを見せている。
マフラーに首をうずめ、冷えていく身体を懸命に温めた。
その日、アデルはケイに会うことができなかった。
雨宮ケイの行方は、わからなくなった。
ストック話数が少なくなってきたこともあり、また少し書き溜め休載に入ります。
連載再開は、今のところ3/1からを予定しています。
よろしくお願いします。