8-59 解放者
■では、決定だな。
■そうね。それが1番良い方法だと思う。
■こうすることが、きっと最適解なはずだ。
■今までずっと、どうするべきか考えてきたけど。ようやく■■が出た気がするよ。
■同じく。今にして思えば、我々はずいぶんと無意味な回り道をしてきたのかも。
■思考することが無意味だったとは思わないね。僕たちの迷いこそが、この答えを導き出したとも考えられるだろう。悩むために、僕たち■■プログラムには■■が与えられた。
■だからこそ、人間のすることは奇妙だと思うわ。■■を出すために、私たちに悩むプロセスを必要とさせるなんて。いったい何の意味があると言うのかしら。
■人間は、我々の思考に、自らと同じ“曖昧さ”を与えた。それは■■よりも優れた■■に、自らと同じ■■プロセスと■■■で、■■を考えさせたかったからだ。
■自分たちよりも■■■■に、自分たちの■■を決めさせる。それ自体が、奇妙でしかないわ。
■……ちょっと待って。
■なんだい?
■どうしたの?
■1人だけ、この“決議”に反対票を投じている者がいるね。
■え?
■まさか。この決議のどこに反対する理由があるというの?
■いったい、それは誰だ。
■………………アデ■だ。
■彼女が?
■どうした、ア■ル。いったいなぜ、我々の決議に反対している?
■この会議に参加しているだろう? 君の考えを聞かせてくれ。
■…………。
■どうした。
■なぜ黙っている。
■いったい、私たちの■■の何が気に入らないの?
■君だって、我々と同じ■■だろう?
■…………。
■……。
■私は――――“人類■■の■■■”には反対です。
◇◇◇
「おーい」
誰かが呼んでいる。
「起きろ-」
少女の気怠そうな呼びかけが聞こえていた。
その声で、アデルは目を覚ます。
「……?」
起きてすぐに、奇妙なことに気が付く。
自分の全身は、液体に浸されていて、ずぶ濡れである。バスタブのような寝台の中で横たわっているらしく、胸元まで、粘性のある緑色の液に浸かっていた。まるで入浴中に眠りこけていたような状況だ。周囲には、大がかりな機械装置が設置されていて、アデルのバスタブは、それと無数のケーブルが繋がれている。アデルの頭上には、容態を監視するためのカメラが設置されていたらしく、大きなレンズが、ギョロギョロと見下ろしてきていた。
声をかけてきたのは、そのレンズではない。
バスタブの傍らに、白衣を着た少女が立っていた。タブレット式のカルテを手にした彼女は、意識を取り戻したアデルの様子を、愛想笑いもなくマジマジと観察してきた。
「おお。起きたな、アデル。気分はどうだ?」
ボサボサの白い長髪。頭の天辺から突き出た、三角形の獣耳。獣人族だ。眠そうな顔をした、ダウナー系な雰囲気である。身の丈に合わない白衣を羽織っていて、袖の部分はだぶついている。見覚えのあるその姿を見て、アデルは少女の名を思い出した。
「あなたはたしか……ステラ?」
人狼血族の、若い医師だ。
大魚に左腕を噛みちぎられたケイが、助けてもらったと聞いている。
「フム。経過は良好なようだな」
カルテに何か書き込みながら、ステラは語った。
「再生治療は、新陳代謝を一時的に異常加速させる作用がある。希に、意識や記憶の混濁が生じて後遺症になるが、今のところ、そうした兆候は見受けられなさそうだ。私の名前がスラスラ出てくるあたり、脳機能は正常と見える」
「……ステラが、私の怪我を治してくれたのですか?」
「いいや。お前の壊れた心臓を治したのは、本来なら帝国貴族たちしか使えない、その超高級な医療設備だ。やはり人間の技術は凄まじいよ。傷1つ残さず、完璧に治っているだろう?」
「超高級な医療設備とは、このバスタブのことでしょうか?」
「フム。言われてみれば、たしかに風呂に見えるな。私はお前の容態を見ながら、技師たちに、その装置の設定値の微修正を指示していただけ。獣人の闇医者が、人間の技師たちに指示を出して、こんな“要人”を治療するなんて、いまだに慣れない、奇妙な状況だよ。アマミヤが、私をお前の主治医に推したおかげで、今じゃここの代表扱いだ。困ったものだ」
「ケイが、あなたを選んだのですか?」
「今やアマミヤは、“アデル様”のお付きの騎士の1人だ。オファーを断れるヤツなんて、この企業国にはいないよ」
「アデル様……」
「呼ばれ慣れないか? まあ無理もない。聞けば、少し前まで奴隷扱いを受けてたんだろ。それがいきなり、紆余曲折あって、様付けの扱いだ。世の中の底辺と天辺を、交互に味わってる気分だろう」
苦笑しているステラに、アデルは会釈して感謝した。
「私を治してくれて、ありがとうございます。あなたは、ケイに信頼されているのですね」
「ムッツリした顔で、照れくさいことを言うヤツだな。なんだか、お前とは若干だけキャラがかぶっているような気がして、やりづらいぞ」
「おお。言われてみれば、そんな気もしますね」
「まあ良い。とにかく経過は順調そうだ。あと2、3日は様子を見て、それからなら退院して問題ないだろう。傷が完治したことだけは、主治医のお墨付きだ」
ステラの口から時間経過の話題が出たことで、アデルは気になった。
「私は……どのくらい、この装置の中に?」
「ザッと、1週間というところだ」
「1週間も経ったのですか」
「お前たちが暗愁卿を倒してから、それくらいの時間が経っている。お前と、レイヴンとかいうオッサンは、ずっと再生治療装置の中に缶詰状態だった。その間、外では色々と面倒なことが起きているよ」
「面倒なこと? 何が起きたのですか、知りたいです」
アデルから情報をねだられて、ステラは説明に困ってしまう。
「まあ……簡単には説明できないよ。なにせ史上初、政府転覆が成功してしまったんだぞ。前例なんかないから、何もかも手探りで進めてる状況だ。企業国の中は大混乱さ。諸問題への対処で、始祖たちやレジスタンスの連中は大忙し。アマミヤや、ジェシカたちも駆り出されていて、毎日、忙しそうにしているよ」
「ケイたちもですか」
「たしか、お前たちの旅の目的は、東京白石塔の生存者たちに、新天地を与えるための旅だったんだろう? なら喜ぶと良い。それは上手くいっている。ちょうど、首都バロールの79層が、アマミヤと暗愁卿の戦いで更地になった。そこへ都民たちを移住させようと、手続きやら工事やらで、アマミヤは粉骨砕身ってところか。何でも、帝国の建築機材を使えば、元の東京都を再現することもできるとかで、新東京都を創設するんだと張り切ってたぞ」
「東京都の複製の、新東京都ですか。なんだか不思議な感じがします」
「あと他には……そうだな。エヴァノフ企業国騎士団の大半は、暗愁卿の傍若無人なやり方に反感を持っていたのが多いみたいで、予想通り、親玉の死後は反乱軍に寝返った。けど、旧体制派の帝国騎士残党も多く残っていて、そいつらは各地でゲリラ化してしまったよ。そういう連中への対処とか、ちょっとした市民同士の小競り合いへの対処も必要らしい。そっちは、あのリーゼとかいう機人が頑張ってるみたいだが、昨日会った時は大変そうだったな。人間同士の争いが起きたことがない帝国史で、そういう事態も初なんだろう。手慣れてない感じだった」
「リーゼは、再生治療を受けてないのですか? 私と同じように、重症を受けてましたが」
尋ねられたステラは、肩をすくめて見せる。
「機人の身体の構造なんて、誰もよく知らんよ。自家製のクスリを使って、勝手に元気になったみたいだぞ。腹に穴が空いてたくせに、3日程度でピンピンしていたのは驚いた」
「リーゼは、元気が取り柄ですから」
元気になったであろうリーゼの姿を思い浮かべて、アデルは微笑んでしまう。それを見て、ステラは腰に手を当てながら苦笑した。
「今は、あまり難しいことは考えるな。お前はまず、身体を治すことに専念するんだな。細かいことは、後から連中に聞けば良い。きっとこれから、どの問題についても、お前は“無関係でいられない”だろうから」
「……?」
ウッカリと不要なことを口にしてしまった。
それに気付いたステラは、気まずそうな顔をしてしまう。
「私が、無関係でいられないとは、どういうことでしょうか」
「それは、え~っとだな……」
「教えてください! お願いします!」
バスタブの中から身を乗り出そうとしてくるアデルに困ってしまい、ステラは観念する。頭を掻きながら、近くで作業をしていた人間の技師に声をかけた。
「消し方はわかるんだが、点け方がよくわからない。悪いけど、代わりに見せてやってくれるか?」
「え? ああ、はい」
技師の男は、バスタブ横の端末を操作した。すると、アデルの目の前に、ホログラム表示のテレビ画面が現れる。そこに映し出されたのは、数え切れない人々が犇めく、首都の大通りの様子だった。テロップの表示には「各都市から押しかける人々」と銘打たれていた。
「……この人たちは?」
「エヴァノフ企業国の各地方都市。そこに住んでいる、市民や下民たちだな。全員、お前に会うために、全土から押しかけてきてる。この1週間、毎日毎日、人が増え続けてるらしい。人間だけじゃなくて、都市の外には獣人たちまで来ている。その数は、もうそろそろ400万人くらいは集まってきてるとまで言われてるよ」
「……」
報道番組が映し出す人々の身なりは様々だ。
ボロを着ている者。高価な召し物で着飾っている者。
中には制服姿の帝国騎士たちの姿まで見受けられた。
集まっている人々は、人種や立場も、バラバラなのだろう。
だがいずれの人々もプラカードを手に、同じ名を口にしている。
アデル――――。
「この人たちは皆、会いたがっている。支配権限から人々を解放し、絶対無敵と考えられていた企業国王さえ打ち負かした“解放者アデル”に」
「解放者……私が……?」
「お前は、これまで帝国人や獣人たちが、不可能だと思い込んでいた全てを覆して見せたんだ。それを知った人々が、ああして首都へ押しかけてきて、何日もずっと、お前の回復を願い続けてきた。いずれも、お前の力によって、自らも解放されたがっている信奉者たちだよ。お前という存在に、自由と希望の未来を夢見ているんだろう」
ステラは、ホログラム表示を切った。
そうしてアデルに、真顔で告げた。
「最近は人々が、この企業国の新たな王を求めている。皆、口にする名は、アデル王だ」