8-57 夜明け
夜明け前。
遠くに見える山地の尾根が、薄明るくなってきているのが見えた。
デスラ大森林の上空には、数え切れない帝国騎士団の小型飛空艇が飛行している。空中では、戦闘艇と鳥人血族たちの、激しい攻防が繰り広げられ、あちこちで爆発や炎上が生じていた。
戦火の空に、機械仕掛けの重槍にまたがった男の姿も、混じっていた。
男の得物である突撃加速槍は、搭乗すれば飛行も可能なのだ。全身に刀傷を受けた、痛々しい血まみれの姿で、男は懸命に――――回避運動を繰り返している。
「逃げ回ってんじゃあねえよ、レイヴン!」
空間転移を繰り返しながら、飛行中のレイヴンにつきまとうよう、追いかけてくる男が嘲笑った。虚空に現れては消え、現れては消えを繰り返しながら、不規則にレイヴンの死角へ回り込む。等身大ほどの燃料タンクを背中に背負っており、手にしているのは、大型火炎放射器のノズルである。そこから発射される長い火柱が、幾度となくレイヴンに襲いかかってきた。
ただの炎ではない。
燃えさかる油液が発射されているのだ。かすりでもしたら、油が身体に付着し、その部分がずっと燃焼し続けることになる。白石塔の世界であれば、特定通常兵器使用禁止制限条約によって使用が禁止されている非人道武器である。ゼイン騎士団長は、それを容赦なく、この戦場で使用許可している。
ゼインは火炎放射器を使って、油液を、燃えさかる炎の雨として降らせてくる。それに何度となく行く手を遮られ、そのたびにレイヴンは迂回飛行を余儀なくされた。燃える雨を慎重に回避しつつ、レイヴンは毒づく。
「ったく! 腹に大穴が開いても死なないんだから、つくづく人間じゃねえヤツは面倒だな!」
「俺の身体は人間よりも優れてんだ! なら、ただの人間にやられるわけがねえ!」
ゼインの機械の身体は、深手を負っても、痛みを無効化できる。一方、満身創痍のレイヴンは、誰が見ても消耗していた。血を失いすぎたせいだろう。すでに霞んでいる目を必死に凝らしながら、槍にしがみつくようにして、空を飛んでいた。
『――――騎士団長! 今すぐ応答してください! ゼイン騎士団長!』
ゼインの機械化されたアンテナ耳に、情報士官からの通信が入る。それは、高高度から戦場を俯瞰している、広域情報統制艇からの連絡だ。立場上、無視することはできず、ゼインは苛立った口調で捲し立てた。
「なんだあ?! 今はお楽しみ中なんだ! 見てわかんねえかなあ?!」
『申し訳ありません! 緊急事態でして!』
「ああっ? 緊急事態だと? どこにそんな事態がありやがる! 全体の戦況は不利になっちゃいねえだろ! それどころか、最初から今まで、ずっとこっち軍の優勢じゃあねえか!」
『それが…………なんと言って良いのか……』
「さっさと報告しろ! くだらん話だったら殺すぞ!」
脅された情報士官は、恐る恐る状況を報告する。
『首都バロールの作戦本部との連絡が、少し前から途絶えています……! 通信が途絶える前に、侵入者が現れたという情報もありました。たった今、別の情報ルートからは、暗愁卿が、人の王によって暗殺されたとの報までもが……!』
「なんだと!?」
思わず耳を疑い、聞き返してしまう。
「どういうことだ!? 人の王は、この戦場のどこかに隠れてるって話だったろうが! それがどうやって、何百キロも離れた首都にいきなり現れて、俺たちの王を暗殺できるってんだあ?!」
「わかりません……。誤情報かとも思いましたが、情報筋の信用は確かです……!」
「企業国王が、殺された……? そんなこと起こるわけねえだろ!」
聞いたこともない話だ。
帝国史1万年の歴史の中で、ただの1度として脅かされたことがない玉座。そこに座する支配者が殺される事態など、誤情報以外のなんだと言うのだ。相手は、あの企業国王なのだ。たとえこの場の全軍で戦いを挑んだとしても、返り討ちにされてしまうほどに強大な力を有した怪物だ。それを、人の王が殺してみせたなどと……信じられない。
『も、申し訳ありません……情報が錯綜していて……! ただおそらく、首都で何かが起きているのは間違いないかと思われます! 作戦本部も、ヴィエラ様とも連絡が取れない状況が続いています! 何かがおかしい!』
「思うだとか、思わねえとかじぇねえだろ!? テメエも戦略情報士官なんだったら、確定した情報だけを報告しやがれ! だいたい、実際に戦ってんのは本部のヒョロガリ共じゃなくて俺たちだ! こちとら本部と連絡が取れなくても、戦線は維持できんだ! 連絡が取れねえくらいで狼狽えてんな、気合い入れろ!」
『は、はい!』
通信が途切れる。
「お喋りしてる余裕があるとは驚きだな、ゼイン!」
「!?」
「騎士団長様は忙しいってか!」
部下との会話に、意識が逸れていた隙を突いて、レイヴンが間合いを詰めてきていた。高速で飛来してきた重槍の先端が、ゼインの左肩を穿ち、粉砕する。そこは、空間転移機能を有した、小型転送装置が埋め込まれている場所である。
「テメエ! 狙って――!」
「これでもう空間移動はできねえな、おい!」
ゼインは左腕を失い、自由落下を始める。地面に衝突して、地響きと粉塵を巻き上げた。そこをめがけて上空から追撃しようとしたレイヴンだが、ゼインが牽制で放った火炎放射器の火柱に、左脚を絡め取られる。
「ぐあああ! クッソ! しぶとすぎるだろ、ブリキ野郎!」
「テメエに言われたかねえってもんだなあ、死に損ない野郎!」
レイヴンは重槍にまたがったまま、眼下に見えていた湖に飛び込んだ。そうして脚に巻き付く炎を振りほどき、再び湖上へ浮上する。ちょうど湖畔となる場所に、土中に下半身を埋めて、足を取られているゼインの姿が見えた。
刺し貫くなら、今が好機だった。
「特攻しかねえな!」
ゼインは、真正面から自分へ向かって突撃してくるレイヴンを見て、差し違える覚悟を気取る。こめかみに青筋を浮かべ、怒号のように喚いた。
「テメエは煩わしくて仕方ねえよ! もうとっとと死に腐れやああああああ!!」
ゼインは、火炎放射器をレイヴンに向けて放つ。
真正面から迫る業火の塊。それをまともに浴びれば、全身が火だるま。大火傷どころか、下手をすれば炎に巻かれて死ぬだろう。だがこの戦争は、そもそも勝つ見込みのない戦い。なら、生き延びることばかりを考えても意味はない。やるしかない。
「――――加勢するぜ、オッサン!」
「!」
森から飛び出してきた人狼血族たちが、レイヴンとゼインの間に割り込んでくる。レイヴンの盾になるようにして、人狼血族たちは火炎放射器の炎を、背で受け止めた。その中には、ジェイドの姿もあった。
「今だ、騎士団長をやれ!」
信じられない出来事を目の当たりにして、ゼインは驚愕してしまう。
「ありえねえ! 獣人が、人間を庇ってやがるだと!?」
直後、炎を受け止めた人狼血族たちの隙間を縫って、飛来してきたレイヴンの槍が、ゼインの眉間に突き刺さった。たしかな手応えを感じながら、レイヴンは苦笑した。
「――――本当に、妙な時代になっちまったよなあ、兄弟」
「げえ……え……!!」
レイヴンの槍は、ゼインの頭部を完全粉砕する。
脳を破壊されては、機械の身体であっても即死である。
ゼインの死亡と共に、レイヴンの手から大槍が消失する。体力の限界だったのだ。突撃の勢いのままに、湖畔の砂の上を転げて呻いた。同時に、炎に背を焼かれた人狼血族たちは、湖の中に飛び込んで、身体に付着した燃える油液を振りほどく。そうして傷口を再生させながら、ヨロヨロと湖畔を歩いた。
帝国騎士団の無線通信は、混乱の極みに達する。
『そんな……ゼイン騎士団長までもが、やられたのか!?』
『首都からも、クーデターの報が! 本当だとすれば、我々はこれ以上、どうすれば!』
『企業国王からの命令もなく、騎士団長がやられた! 代理指揮官はどなたですか!』
ゼインの頭部についていた無線機から、その通信のやり取りが聞こえてきた。それを清々しい思いで聞きながら、レイヴンとジェイドは、砂上で仰向けに倒れた。
「…………へへへ」
「…………ククク」
どちらからともなく、笑いが漏れてしまう。
ゲラゲラと笑い出す。
遠い山の尾根から、朝陽が顔を出していた。
陽光を受けた湖面が、キラキラと輝き出した。
ジェイドは、目の前に広がる光景を見上げ、呟いてしまう。
「本気でやりやがったのかよ、アマミヤ……?」
空に展開していた飛空艇の大軍が、元来た方角へ飛んでいく。
撤退していく帝国騎士団。
それを見た仲間たちが、森のあちこちから勝利の歓声を上げ始めていた。
あまりにも奇跡的で、信じられないような景色。
それを見ていて、愉快に思わないはずなどない。
笑いは、止まらなかった。
◇◇◇
永遠とも思える、長い夜が明けた。
首都の外殻に調整された陽光が、バロールの各層を照らし始めている。
――――強い力のぶつかり合いの後、首都の79層は、荒野と化していた。
どこまでも続く楽園のような庭園は消失し、貴族たちの豪勢な館も、全て消え去っている。残されたのは、円状に広がる砂地。そして、首都の天井を支える支柱だけだった。
爆心地。大量破壊の跡地のようになった荒野の中心に、膝を突いて向かい合う2人がいた。1人は、ほのかに輝く赤い剣を手にした少年。もう1人は、その剣によって肩口から斬られ、心臓に刃を叩き込まれている男だ。
「…………ごふっ!」
暗愁卿は吐血し、自身の胸に刺さったままの赤剣を掴む。その剣身をゆっくりと引き抜くと、傷口からは、おびただしい鮮血が溢れ出てきた。
「…………なんと……言うことだ……!」
いつしか、手にしていた魔槍を取り落としてしまっている。
雨宮ケイの一撃は、ついに魔槍にまで死をもたらし、切断して見せたのだ。
2つに分かたれた赤光の槍は、砂状崩壊して風に巻かれて消えていく。
それを虚しい思いで見下ろし、暗愁卿は呟いてしまう。
「こんなこと……帝国史が始まって以来の前代未聞だ……企業国王が……殺されるなどとは……!」
生まれてから今まで、味わったことすらない、致死の激痛。初めて感じる痛みが、この事態が本来なら起こり得ない、異常事態であることを証明しているように思えた。もはや身体を思うように動かせず、暗愁卿は目を血走らせながら、ただケイを睨み付けた。
「雨宮ケイ……貴様……自分が何をしたか……わかっているのであろうな……!」
肩を揺らし、苦しげに息をするケイ。もはや意識を保つだけで精一杯だったが、負けじと、気迫で睨み返す。すると暗愁卿は、唇から血を垂らした、鬼気迫る形相で警告してくる。
「絶対たる企業国王の権威が失われたのだ……この世界は狂う……! 長らく吾輩たちは、真王様の命によって、人のおぞましい本性をねじ伏せ、封じ込めてきた……! その秩序の調停者たる吾輩が、脅かされたのだぞ……! それを好機と思う、人間同士の計略が蠢き出し、再びアークには、血濡れた時代が訪れるのだ……かつての星壊戦争の時のように……!」
ケイに応える余裕はない。
暗愁卿は、頭上に手を伸ばした。そうして、大いなる存在を仰ぎ見て、許しを請うように告げる。
「ああ……アークの秩序を守る任……務めきれず、申し訳ありません……真王様……!」
涙ながらに呟くと、暗愁卿の指先も、魔槍と同様に砂状崩壊を始める。原死の剣の力で両断された者は、例外なくその身に死を与えられるのだ。すでに暗愁卿の肉体は、原子レベルで完全に殺されている。あとは風に抱かれ、静かに崩壊していく運命である。
やがて暗愁卿は、ケイの目の前から消え失せた。その頭上に戴いていた王冠だけが残され、光を失ったそれが、地面の上に転げた。
「………………勝てた……のか……?」
「ケイ!」
アデルとリーゼが、遠くから歩み寄ってくる姿が見えた。
その背後には、エリーの姿も窺えた。
どうやら、2人をこの場まで連れてきたのは、彼女である。
「アデル……リーゼ……」
声を発すことさえ、苦しかった。それほどまでに、暗愁卿への一撃に心血を込めた。今すぐにでも意識を失い、気絶してしまいたいところだったが……それによって、アデルたちの無死状態を解除するわけにはいかない。
アデルたちは、致命傷の傷口を痛そうに庇いながらも、懸命に歩いている様子だ。ケイの赤剣の力が途切れれば、今すぐにでも無死状態が解け、2人は死亡状態に逆戻りするだろう。そうならないように、自分の意識を保っているだけで、今のケイは精一杯である。
返事をしたり、立ち上がる気力さえない。
アデルとリーゼが、倒れ伏そうとするケイの身体を受け止めた。
そこへエリーが、微笑みかけてくる。
「偉業を成し遂げましたね、ケイ様」
「……偉業だって……?」
「ええ。帝国史の1万年間。誰しもが望み、願いながらも、実現不可能だったこと。圧政者たる企業国王の暗殺です。それに加えて、80階層をまるごと崩壊させたことで、敵の作戦司令室も、ついでに壊滅させることができたようでございます。今頃、敵陣営の情報は氾濫し、ベルディエに攻め入った帝国騎士団も、混乱をきたして撤退を始めている頃でしょう」
エリーは注射器を取り出し、意識が朦朧としているケイの首筋へ打ち込んでくる。
「!?」
「意識の覚醒を促すクスリですわ。せっかく助けたアデル様たちを死なせないよう、もう少しだけ我慢して起きていてくださいね。今、部下に、アデル様たちの再生治療を準備させています。治療魔術が得意な者も、こちらへ呼んでいますので、応急処置くらいはできますよ」
エリーのおかげで、多少は目が覚めた。
ケイは目を瞬かせる。
「エリー……君はいったい……どうしてオレたちに……」
「テロリストたちめ、そこまでだ!」
唐突に、男の声が割り込んでくる。
転移装置を使って転移してきたのだろう。
3人組が、虚空から現れた。
「まあ……」
「あなたたちは……!」
驚いた顔をしているエリーとリーゼの視線に促され、ケイは振り向く。
長い金髪の、白いローブ姿の女性。それに、甲冑姿の黒人。その2人の仲間を引き連れているリーダー格は、見覚えのある男である。ブラウンのセミロング。翡翠色の瞳。ピアスをした、整った美形の青年だ。軽装鎧姿で、赤い十字の描かれた白いマントを羽織っている。
「クリス・レインバラード……!」
ケイの呟きの後に、エリーが鋭い眼差しになる。
「……それに、治癒の聖女、ローラ・スカイコール様。さらには雷斧のエリオット・ブレイク様ですか。かの有名な専門家協会の新星、“勇者”の御一行でございますね」
「ハン。そっちこそ有名人じゃないかよ、鋼線令嬢さんよ」
「エリーゼ・シュバルツ様ですね……!」
「私のことをご存じいただけているとは、光栄です。当家の第二階梯クラスが、こうもお揃いとは、恐れ入りますね」
クリスは、鞘から剣を抜き放つ。
その切っ先を、ケイへ向けて言った。
「……暗愁卿が直々に相手をするつもりだったんだ。俺なんかが出しゃばるなと“命令”されたていたが……。どうやら暗愁卿の認識は甘かったようだ。この事態は痛恨の不覚だよ、ケイ。企業国王の暗殺だなんて……! 君が、こんなことをしでかすような輩だったとはな!」
クリスの背後で、ローラとエリオットも、戦闘態勢に入っている。
「雨宮ケイ。それにアデル。君たちは帝国に対する大罪を犯した。相当に消耗しているところを襲うのは、卑怯で不本意だが、君たちの力は危険すぎる。この場で、確実に処刑させてもらうとしよう」
以前に対峙した時とは比較にならない殺気を放つ。
勇者は、テロリストたちを殲滅しようとしていた。