表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
172/478

8-55 アインセイバー



 初めて出会った時には、花の姿をしていた。


 何かに憑かれたような姉に襲われ、生きるか死ぬかを初めて経験した、瀬戸際の夜だった。父親の書斎に飾られていた、1輪の赤い花が語りかけてきた時の衝撃を憶えている。花は言った。「姉を殺せ」と。生き延びるためには、もうそうするしかないのだと、助言をしてきたのだ。


 激しい苦悩と、絶望の中。

 最悪な決断をしたことを憶えている。

 その結果、あの夜に大切な家族全員を失ったのだから。


 それから幾夜もの眠れぬ日を過ごした。

 帰る場所もなく。

 愛する者もいない。

 心許せる他人は、みんな去った。

 ただ独り、空虚な世界に残されていた。


 生きる意味を見失い、たまらない孤独の日々を送る中で、何度となく自決することを考えていた。そのたびに、赤花はすぐ傍で、「生きろ」と言い続けてくれたのだ。いつだって「生きろ」と言い続けてくれたのは、この世界で彼女だけである。そうして共に時を過ごすにつれて、いつしか彼女の存在は、自分の中でとても大きなものになっていた。


 人間よりも賢く。冷血なくらいに冷たい思考をしていて。

 けれど人間のことが大好きで。お喋りで。冗談を言うのが好きで。

 そんな彼女のことを、何よりも大切だと思うようになっていた。


「………………アデル?」


 彼女が目の前で、槍に貫かれていた。

 命に代えても守るべき者。

 必ず守ると誓った相手。

 それが呆気なく心臓を刺し抜かれ、床の上に崩れ落ちていく。


 ――――殺されてしまった。


 かけがえのない。

 家族が。

 大切な少女が。

 目の前で。


「ああ……ああああああああああああああああああ!!」


 胸の奥で、何かが壊れてしまった。

 もうダメだと想った。

 全てがどうでも良く思えてしまった。


 彼女が死んだのだ。

 自分に「生きろ」と言い続けてくれた、唯一の彼女が。

 ならもう良いではないか。


 殺されて楽になりたい。

 そう思ってしまった。


 ケイはその場で、項垂(うなだ)れた。頭を深く傾け、もはや敵の姿を見ることもしようとしない。今すぐにトドメを刺してくれという態度を、無言のままでさらけ出した。大切な少女の死に顔を、見ていられなかったこともある。胸中には、もはや虚無と絶望しか存在しないのだ。完全に戦意を喪失したケイは、戦いを投げ出してしまう。


 このまま何も抵抗しなければ、暗愁卿(あんしゅうきょう)は皮肉の1つも言って、ケイを殺してくれるはずだ。その時が訪れるのを、床を見下ろしたまま待ち続けた。殺されるまでの猶予時間。それは、異様なほどに長く感じた。


 1分経っただろうか。

 10分経っただろうか。

 時間の感覚が正常ではなくなっているのかもしれない。

 どれだけ待っても、ケイにトドメの一撃はやってこない。


「……?」


 さすがに奇妙に思った。

 早く殺して欲しいという苛立ちで、ケイは再び頭を持ち上げる。


「…………なんだ、これ……」


 景色がおかしかった。


 視界にセピア色のフィルターがかかったように、何もかもが色あせて見える。魔槍でアデルを刺し殺した暗愁卿(あんしゅうきょう)が、その死体を見下ろしてニヤけている。そしてそのまま、その場で“静止”して動こうとしない。


「…………世界が、止まってる……?」


『――――見るに()えない状況でしたので、少しだけ口を挟みにきました』


 思わずぼやいてしまったケイの傍らから、いきなり少女の声が応えた。

 驚いたケイは、隣に佇むその姿を見上げようとする。

 だがどういうわけか、それ以上は身体が動かなくなっていた。

 どうやら暗愁卿(あんしゅうきょう)と同じように、ケイ自身も、その場で止まってしまったらしい。


 ……時間が止まっている?

 まるで動画の一時停止状態だ。

 この場にいる全ての人物どころか、周囲の景色も止まっている。


 身動きが取れないケイの前に移動して、姿を見せたのは、白いワンピースを着た、白銀の髪の少女である。その頭上には、赤い光で形成された、天使の輪のようなものが浮かんでいる。こちらをジッと見つめる表情は、モザイク処理されているかのように、歪んでいて認識できない。


 何度として会ったことがある。

 名前も知らない、死の入口で待つ少女だ。

 だが彼女とは、ケイの夢の中の存在だったはずだ。

 実在しているはずがない人物。

 なら、気付かぬうちにケイは死んでしまっているのだろうか。


 ――――君がいるということは……オレは、また死んでしまったのか?


『今回は違います。驚くべきことに、あなたはまだ死んでいません」


 口を動かせないケイの言葉が届いているのだろうか。

 少女はスラスラと応えた。


『私は、あなたが手にする、その赤き剣に宿る者。そこに残る、かつて存在した者の残照。今は、あなたの脳を過剰速度(オーバークロック)で動かしているので、まるで時間が止まったように世界が静止して見えることでしょう。実際には、超スローモーションでしかないのですが。この窮地において、あなたと話をするには、これしか方法がなさそうでしたので』


 ――――話だと……? 今さら君と話しをして何になる。


 ――――オレの戦う理由は、たった今、消えたんだ。生きる理由と共にな。


 ――――もう放っておいてくれ。オレはここで死にたいんだ。


 ――――アデルと一緒に、オレは終わったんだよ……。


『なら、まだ何も終わってなどいませんが?』


 ――――?


『自分が手にしている剣を、何だと思っているのですか』


 少女は淡々と告げた。


『思い出してください。以前にも指摘した通りです。その剣を持ってして、敗北を重ねることはありえません。あなたは剣の“本当の使い方”に気が付いていないだけ』


 たしかに、以前にも夢の中で、同じことを言われた。

 今頃になって、それを思い出す。


 たしか、この少女は言っていた。

 剣は死を操るだけで、力の源泉たる死は、どこにでもありふれているのだと。


『死は万物に訪れる(ことわり)。決して、()()()()()()()()()()宿()()ではありません』


 ――――!?


 恐るべき推測が、ケイの中に生まれる。

 一瞬だけ、頭の中をよぎった考え。

 それが間違っていないのだとすれば……。


『気付いたようですね』


 ケイの考えを読める少女は、ケイの推測を肯定してくる。

 そのまま少女は語った。


『あなたが今まで使ってきた剣の力は、言うなれば“死亡保険”です。使い手が死に瀕した時に、剣が主人を失わないようにするため、使い手を“無死状態”にする。それは保護機能が働いていただけのことで、あなたの死が、剣を起動させる原動力として一時的に利用されていただけ。つまり、あなたは実のところ、これまでに1度も剣の“戦闘機能”を使っていません』


 信じられない思いで、ケイは恐る恐る尋ねた。


 ――――どうやったら“戦闘機能”を使えるんだ。


『簡単なことです。真名(まな)を使って命じれば良いのです』


 ――――真名?


『万物は、生じた時に名前を持ちます。EDEN(ネットワーク)の大海において、その存在を意味し、定義する唯一の言葉(ロゴス)。絶対不変の個体(ホスト)識別名。それこそが真名と呼ばれるもの』


 少女は、ケイの手にする剣に触れた。


『あなたの真名が、雨宮ケイであるのと同じように。この剣にも真名があります。それは、あなたたちが呼ぶような、赤剣などではありません。剣に真なる力を求めるなら、真なる名で呼び、命じなさい。真名に語りかければ、真名は応える。この世界にあるEDEN(ネットワーク)において、それは(ことわり)の原則です』


 少女は、動けないケイの耳元に囁いた。

 それこそが、赤剣の真名だ。


 次の瞬間、世界は再び動き出していた。

 少女の姿は、消えている。


 アデルを殺したばかりの暗愁卿(あんしゅうきょう)が、嬉々とした笑みを浮かべてケイを振り返ってきた。嘲笑うようにケイを見て、その目に映る絶望の感情を楽しもうとしているのが一目瞭然(いちもくりょうぜん)だ。


「クク。貴様たちの王は滅びたぞ。次は貴様の番だな、雨宮ケイよ」


 暗愁卿(あんしゅうきょう)の“衰弱”の権能の力は健在だ。ケイの胸中に、すさまじいまでの恐怖心をもたらし、その身体から活力を奪い、戦う意思を根こそぎ破壊しようとしてくる。だが以前にも、ケイはその恐怖の中で、剣を構えて立ち向かうことができたではないか。


 震える手で剣を握ろうとも。

 ほんの僅かな抵抗にすぎなくても。

 たった少しでも、叛逆心を企業国王(ドミネーター)へ抱くことができたはずだ。


 ならば今一度、その勇気を振り絞る。


 ケイは震える足で立ち上がった。

 震える腕で、剣を構えた。

 その切っ先を、悪魔のような強敵へと向ける。


 そうして叫ぶのだ。

 たった1つだけ。

 手にしている、ちっぽけな希望の名を。


「――――原死の剣(アインセイバー)!!」


 赤剣の剣身が強烈な輝きを放ち始めた。

 ケイが死亡状態でなくても、その力は解き放たれる。

 真名を呼ばれた剣は“攻撃機能”を有効化された。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よければ「ブックマーク登録」「評価ポイント」をお願いします。
作者の励みになります。

また、ランキングタグも置いてみました。
この連載を応援いただけるのであれば、クリックしていただけると嬉しいです。
小説家になろう 勝手にランキング

©うづき, 2021. All rights reserved.
― 新着の感想 ―
[良い点] 今回に限らず、兎月先生の過去作品に登場した名前が出てきて嬉しいです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ