8-54 最期の言葉
夜空を埋め尽くす戦闘無人機の軍勢は、いくら撃ち落としたところで、その数が減っている様子がない。次から次へと、空の彼方より増援が現れ、絶え間ないミサイル攻撃を繰り返してくる。ひたすらそれを続けられては、ベルディエの防衛網はひとたまりもない。
城塞都市の外殻となっている、結晶壁。それを、反乱軍の魔導兵たちは、懸命に魔術で強化し続けていた。その外殻こそが、内部に隠れている市民たちや、自分たちを守護する防御壁であったからだ。
だがもはや、それも限界のようである――――。
魔術は壁の強度を向上させているだけで、絶対に壊れないよう、組成を変えているわけではないのだ。絶え間ない空爆により、少しずつ、着実にダメージが蓄積した都市の外殻は、ひび割れ、少しずつ崩落を始めていた。敵の火力の物量によって、圧倒されてしまった構図である。
大火力の魔術を、ひたすら連射していたジェシカは、息も絶え絶えになって頭上を見上げる。パラパラと落下してくる外殻の欠片が、徐々に大きな破片になって降り注いできているではないか。
近くで無人機撃墜に勤しんでいた、市民レジスタンスの兵士が、ジェシカへ声をかけてきた。
「ダメだ! もう外殻が、これ以上はもたない! 壊れて下敷きになる前に逃げるんだ!」
ジェシカは汗だくになっており、苦しげな顔で兵士を向き直った。
「逃げるって……! まだ敵はワンサカきてんのよ! 今持ち場を離れて、ここを突破されたら、あとは連鎖式に下層まで破壊されて――――」
「お姉ちゃん、危ない!」
「!」
飛びついてきた小さな少女。いきなり現れた、妹のエマに突き飛ばされるようにして、ジェシカはその場で転げる。すると、ジェシカがついさっきまで立っていた場所に、巨大な結晶塊が落ちてきた。間一髪、それを避けることができたようだ。妹に救われた。
「助かったわ、ありがとう……って、エマ!? 城門前の防衛に行ってたはずでしょ!?」
素っ頓狂な声を上げて驚く姉に、エマは申し訳なさそうに涙目で答えた。
「ごめんなさい、お姉ちゃん……ついさっき城門は敵に突破されて、避難してきたの……!」
「ウソ……じゃあ、もう下層は……!」
「雪崩れ込んできた異常存在たちが犇めいてる。もう下には逃げられないよ……!」
「そんな……!」
青ざめるジェシカとエマの頭上で、城塞都市の外殻が、次々と崩落を始めていく。ミサイル攻撃の爆音と衝撃。そして紅蓮の業火が、空を埋め尽くしていた。その光景は、もはや絶望の夜空だ。
次々と落下してくる結晶塊から逃れるように、ジェシカとエマは手を繋いで、炎上する都市の路上を駆けた。逃げ惑う人々。落下物の下敷きになって絶命する兵士たち。都市の下層からは、怪物たちの呻き声が、地鳴りのように響いて聞こえてくる。もはやどこにも逃げ場はなく、この場は敵に、蹂躙される以外にない状況に陥ってしまった。
「お姉ちゃん、ベルディエはもうダメだよ……!」
ジェシカに手を引かれて走るエマが、泣きながらそれを呟く。
妹の前で弱い姿を見せられず、ジェシカはただ、歯を食いしばって応えた。
「ケイたちを……信じてるから……!」
崩壊していく景色の中を、姉妹は懸命に走り続けた。
◇◇◇
「ぐあっ……!」
吹き飛ばされたケイは、壁に埋もれて身動きがとれなくなった。もはや何度目かわからない、背中から全身に響き渡る、激しい痛みと衝撃である。
暗愁卿に、手も足も出ずにいた――――。
斬りかかってもあしらわれ。虚を突けてもシールドに阻害され。赤剣の力を封じられたケイの攻撃では、企業国王に対して無力であり、まるで届いていなかった。
死ぬほど痛めつけられ。
そのたびに癒やされ。
ひたすら、その繰り返し。
これでは、嬲られ続けているのと変わらない。
「このままじゃ……ダメだ……!」
今この場で、ケイが暗愁卿を倒せなければ……遠い戦場で戦っている仲間たちや、ここにいるアデルやリーゼも、皆が命を落としてしまうことになる。東京にいる祖父や、生き残った人々も、また行き場を失って路頭に迷ってしまう。全ての希望が消え去って、愛する人々の、何もかもが終わってしまうのだ。数え切れない人々の命が今、ケイの双肩にかかっている。
絶対に負けられない――――。
その思いだけで、諦めずにいられた。アデルが苦しげにしているのを横目に見ながら、ケイは悔しくて歯噛みしてしまう。そうして何度目かわからないくらいに、自らの胸に、赤剣の刃を深く突き立てる。何とかして心臓を止め、死亡状態に陥ろうとしているのだ。全ては、赤剣の力を発揮しするための自傷である。
暗愁卿に痛めつけられながら、自らの手でも自身を殺そうとする自殺行為は、徐々にケイの理性を狂わせてきているように思えた。生きている状態と、死んでいる状態の境が曖昧になり、自分が何をしているのか、わからなくなっていく。
そうやって、死に至るほどの激痛を、何度となく味わい続けているケイを、暗愁卿は傍から見て嘲笑うしかなかった。
「吾輩に痛めつけられながら、自身の手によっても死に至ろうとしているとは。必死に自害し続けている姿は、もはや狂人のそれだとも。雨宮ケイ。慌てずとも、人の王の力が失われ次第、吾輩が直々にこの手で殺してやろうと言うのに。もはや、無様で滑稽な見世物も同然の行いをしているな」
言われてケイは、その通りだと感じた。
だからだろうか。
自分の行為がおかしく思えてきて、クツクツと笑えてしまう。
それを見た暗愁卿は、溜息を漏らし、肩をすくめた。
「フン。ついに狂いでもしたか? まったく弱き者の心とは、すぐに壊れてしまうな。吾輩の前にひれ伏す者は、皆すべからく絶望し、希望を失ってしまう。誰も彼も、憐れなものだとも」
「憐れなのは、お前も一緒だろ」
「……なに?」
侮辱の言葉は聞き捨てならないとばかりに、暗愁卿は表情を険しくする。相対する敵の、その反応すらおかしく思えて、ケイは笑って言ってやった。
「3000年以上も生きてきて、ずっとその玉座の上に、座り続けてきたんだろう? そうやって人の何倍も生きてきて、お前は今まで、いったい何を成し遂げてきた?」
「……何が言いたい」
「得体の知れない、真王という支配者に任命されて、企業国王なんて大層な肩書きと、強大な権能を授かって。そうしてお前がやってきたことは何だ? 逆らうこともできない人たちを傷つけ、一方的に押さえつけ、弄んできただけだ。誰1人だって、幸せにしていない。この企業国にはただ、身勝手で傲慢な男が1人、玉座に座っているだけだ。誰にも否定されないよう、権力で他人の口を塞ぎ、批判に怯えているだけの憐れな男がな」
「……たかだか10と数年しか生きていない小童が。まるで吾輩の人生を、見てきたような口を利くじゃないか。貴様のような年端もいかない子供に、吾輩の何がわかると言うのだ」
「見ればわかるさ。お前の周りには今、誰1人として“仲間”が立っていないじゃないか。お前が孤独に生きてきて、信用できる他人なんていない証拠だろ。これまで誰ともわかり合おうとしてこなかった。その結果が、この瞬間だ」
「……っ!」
企業国王に対して、これまでに誰も言わなかったであろう言葉。それを耳にした暗愁卿は、露骨に怒りの態度を見せる。険しい顔で、額に青筋を浮かべてケイを睨んできた。だが臆せず、ケイはそれ睨み返して続けた。
「お前みたいなヤツの生き様なんて、知ったことじゃない。ただ許せないんだよ。オレと仲間たちは見てきたんだ。お前という悪王に統治された、この国の不幸な現実を」
「不幸な現実だと?」
「そうさ。金がないというだけで、理不尽な命令を強制されたり、命を弄ばれる、奴隷扱いの大勢の人々。貴族たちの賭け事のために、面白半分で殺されて、故郷を焼かれる獣人たち。その蛮行に異を唱えようとした人たちは、家族全員が処刑され、口を封じられてしまったそうじゃないか。しかも市民たちは、この統治体制に疑問を抱くことすら許されず、絶えず思想や記憶をいじくりまわされている。自由や幸福なんてものからは、程遠い光景だ」
「その何が問題だと言うのだ」
暗愁卿は、当然の疑問を口にする。
「弱者は地を這い、大衆は管理される。それこそが帝国統治のあるべき姿ではないか。自由意志や幸福というものは、選ばれた、優れた者たちにのみ与えられるべきもの。間違いを犯す弱い存在たる大衆には不要なものだ。大勢に自由意志を与えぬことで、帝国史は1万年にわたる、人間同士の戦争がない平和な時代を過ごしてきた。この統治方法の正しさは、歴史が証明していることであろう」
「まだ、そんな詭弁を振りかざすのかよ……!」
ケイは怒りで眉を寄せる。
「お前や貴族たちが、選ばれし優れた者たち? ただ人よりたくさんの金を持ってるだけの連中だろ。そんなお前たちの意思に従うことが、帝国社会の正しい在り方だと? お前たちの側に正義があるなら、どうして支配権限から解放された奴隷たちは、お前たちの命令に従わなくなったんだ!」
「……!」
「なぜアデルの存在を知って、あちこちから人々が集まってきた? なぜ今、アデルのために命懸けで、勝ち目のない戦いに参加している人たちがいると思ってる? お前たちの意向に従って生きることが、自分のあるべき姿だなんて、思ってなかったヤツが大勢いたってことだろ! これまでは逆らう方法がなかっただけ! 帝国の統治なんてくだらないものを守りたいのは、それによって自分たちが守護されている、一部の上流階級の連中だけだ! 帝国というシステムの部品になりたくて生きてるヤツなんて、反乱軍の中にはいないんだよ!」
「くっ……!」
「今までだって、戦争にならなかっただけで、対立はあった。争いにならかっただけで、憎しみはあった。帝国の統治ってのは、そういう反感の芽を上から踏み潰して、なかったことにしているだけの誤魔化しだ。つまり、強大な権力で大衆をねじ伏せる“暴力統治”のことだろ!」
「許しがたい侮辱だ!」
頭に血が上った暗愁卿は、壁の中に埋もれていたケイの首を掴み、引きずり出す。ギリギリと強く首を締め上げながら、ケイを睨み上げた。だがそれに負けず、ケイは不敵に笑んで、暗愁卿を見下しながら言った。
「……帝国統治の必然というお題目を掲げながら、お前はただ、自分が好き勝手をやっても“誰からも否定されない”という、自分のためだけの、卑屈な理想郷を造り上げてきただけだ。3000年以上、楽な生き方しかしてこなかった、ヤワで臆病なだけの老人じゃないか」
そうしてケイは、尊大なる男に明言してやる。
「淫乱卿もそうだったな。お前もそうだ。七企業国王って連中は、どいつもこいつも、権力を笠に着た“臆病者”だよ!」
暗愁卿は、手にしていた魔槍で、ケイの腹を貫いた。勢いに任せて、槍に突き刺したままケイの身体を放り投げる。手で押さえた腹部から地を撒き散らし、ケイは床の上を転げた。赤剣の力を発動させないため、致命傷にならないように急所は外されているようだが、それでも耐えがたい痛みである。
「かはっ!」
吐血するケイ。
それを見下しながら、暗愁卿は毒づいた。
「つくづく、無礼で忌々しい小童めが……! 貴様さえ現れなければ、四条院に陥れられることもなく。こんな面倒事にも巻き込まれることがなかったというのに。そろそろ貴様を痛めつけることにも飽きたわ。終わりにしてくれる」
「やらせないよ……!」
暗愁卿の背後から、光の矢の雨が飛来してくる。
リーゼの援護射撃である。
だがいずれの矢も、暗愁卿の身体を貫くことはない。全て、体表のシールドによって受け止められ、そのまま砂のように崩壊して宙に解けてしまう。
死角からの奇襲に動じた様子はなく、暗愁卿は面倒そうに、矢を放ってきたリーゼを見やった。その周囲には、もはや敵兵の姿はない。どうやら全員を倒しきった様子である。楽勝ではなかったらしく、リーゼの姿は血まみれでボロボロだ。
「フン。吾輩の親衛隊は全滅か。使えんクズ共だったな」
苦しげな顔の機人を、暗愁卿は鼻で笑った。
◇◇◇
目の前の空間が歪んでいた。
暗愁卿の頭上に輝く王冠。それを中心に、周囲の景色全体が、盛大に歪んでしまっているのだ。目に映る全てに、絵の具の塊がぶちまけられたような、ひどいモザイクがかかっている。リーゼが戦っている敵兵の姿どころか、自分の周囲にある壁や柱さえ、アデルには認識ができない有様である。
これはまるで、世界を狂わせるほどの歪みだ。
その発生源である企業国王とは、アデルには怪物にしか思えない。
ケイやリーゼには見えていない、おぞましい光景を前に、アデルは怯みそうになってしまう。正直に言えば、怖くて仕方がなかった。だが、それでもケイやリーゼが一緒に戦ってくれているのだ。勇気を振り絞って、懸命に、その歪みを鮮明に戻そうと、アデルは必死になっていた。
どれだけそうして、王冠の力に反抗した頃だろうか。
以前の競技場の時よりも、遙かに強大な力を前に、アデルはそれを、ねじ伏せることができずにいた。王冠とアデルの力は、完全に拮抗している。それなのに、王冠は生物ではないため、疲れというものが見受けられない。逆に集中力を切らしつつアデルは、肩を揺らして息をしながら、汗にまみれ、その場に立っている状況だ。権能を無効化するためには、一瞬たりとも気の抜けない力の放出が必要だったためである。
「……うぅ……!」
たまらず、片膝を折る。
暗愁卿の狙い通り、アデルは消耗していた。力の放出を維持しようにも、体力がすり減ってしまっていて、これ以上は立っていることもままならないほどに弱ってしまっている。膝が笑ってしまっているのだ。集中力が途切れかけている。熱湯に浸かった後のように、意識が呆然とし始めていた。
「……リーゼ?」
霞み始めた視界の中に、リーゼの背中を見つけた。
すぐ近くに、彼女がいたことにすら、今まで気が付いていなかった。
それほどまでに、アデルは王冠の無力化に集中していた。
リーゼは誰かと戦っている。
敵と何か言葉を交わし、懸命に矢を放っているようだ。
何を喋っているのかまでは、ハッキリ聞きとれない。
頭がボンヤリしているのだ。リーゼの背が遠くに感じる。
だが次の瞬間、男の鮮明な声を聞き取れた。
「――――貴様のような有象無象は引っ込んでいろ」
「!」
赤い光の線が飛来してくるのが見えた。
アデルの方に向かって飛んでくるそれを、リーゼが身を盾にして受け止める。
攻撃されている!
それに気付いた途端、アデルの意識は鮮明になり、視界に映る光景も鮮やかになる。目の前には、暗愁卿の投げつけてきた魔槍に腹部を貫かれた、リーゼの背中が見えた。傷口から血が撒き散らされ、暖かいそれが、アデルの顔にかかった。
「リーゼ!」
ケイが遠くから、叫ぶ声が聞こえた。
槍の投擲で、アデルが射貫かれそうになったのを、リーゼが庇ったのだ。
「アデル…………生きて……!」
唇から血を流しながら、リーゼは微笑み、アデルの足下に倒れ伏した。
なにが起きたのか、すぐに理解が追いつかず。
だがすぐに血の気が失せて、アデルは悲鳴を上げた。
「リーゼ……リーゼ! いやあああああああ!」
全身から力が抜けていく。
背にのしかかる絶望に、押し潰されそうになる。
アデルの集中力は完全に途切れ、暗愁卿の王冠の力は野放しとなった。強烈な恐怖心が、その場にいたケイの胸中を押し潰してくる。
「ぐあっ……! あああっ……!」
すさまじい恐怖心は、身体に痛みでも与えているのだろうか。ケイは胸を掻きなじり、青ざめながら呻き声を漏らし始めた。その様子を見た暗愁卿は、ことさらに愉快な気分で笑みを浮かべる。
「クク。人の王も、ようやく限界がきたと見える。どうやら幕引きの時間だな」
暗愁卿は、ゆっくりとアデルに歩み寄っていく。
以前に競技場で味わった恐怖心よりも、さらにおぞましい恐怖に煽られ、ケイは四肢に力が入らない。完全に腰を抜かしてしまっているケイは、その場から動くこともできずにいた。
「やめろ……やめてくれ……!」
ケイはアデルの方に手を伸ばし、暗愁卿に懇願するように囁いていた。それを無視し、暗愁卿はリーゼの腹に刺さったままだった魔槍を引き抜く。そうしてアデルの前に立ちはだかった。
眼下で蹲っている華奢な少女。
その首を掴み上げ、暗愁卿は片手でアデルの身体を宙に掲げる。
「貴様たちの小賢しい奇襲作戦も、人の王の命運も、これで尽きた。全て、終わりだ」
「やめろ……! アデルに触れるな……!」
ケイが訴えている。青ざめた顔で身体を震わせながら、それでも懸命に、恐怖に抗おうとしているのが、表情を見てわかった。アデルのために心を痛め、アデルを守りたいと思ってくれている。アデルのために、必死で内なる絶望に立ち向かおうとしてくれている。
その優しさに気付き、アデルは悲しくなった。
自分が、ここで終わってしまうのだとわかったからだ。
元は富士の樹海に咲いていた、名もない赤花。
得体の知れない存在であるアデルを、家族と呼んで、大切にしてくれた少年。
今では、家族以上に大切な存在なのだと、気付いている。
その少年が、自分のことで胸を痛めている姿を見ているのが、とても悲しかった。
「ケイ」
もっと長い時間を、共に過ごしたかった。
もっと多くの言葉を、交わしたかった。
今度は人間の異性として、まだ知らないことをたくさん教えて欲しかった。
だがもう、その願いは叶わない。
この瞬間が、一緒にいられる最期の時間なのだろう。
ならせめて、この想いだけは伝えてから消えたいと願った。
「――――――愛しています」
暗愁卿の魔槍は、アデルの胸部を貫いた。
8章のクライマックス間近なので、土日も更新予定です!