8-53 魔槍アディシス
企業国王の親衛隊は、やはり普通の帝国騎士たちよりも強い。
ただの雑魚であれば、リーゼの光の矢の雨で一網打尽にできていただろう。だが、1人1人が魔導兵のようだ。全員が防御障壁の魔術を使えるようで、自分の身を守ることに長けている。リーゼの矢は、敵の発砲を中断させる牽制攻撃にしかならず、致命傷を負わせられずにいる。矢に怯んだところを、ケイが斬り伏せるという戦い方を繰り返して、敵の数を減らすしかなかった。
ケイは高速で敵陣を駆け回り、親衛隊を着実に1人ずつ葬っていく。それを続けるためには、リーゼの援護射撃が不可欠だった。弾丸を止められるケイであっても、敵の集中砲火を四方から浴びせられれば、1度で全方位には対処できない。
ケイとリーゼの戦い方と、その欠点が、よく分析されているようだ。
「数が多い上に、多勢だ! 大丈夫か、リーゼ!」
「まだ何とか!」
「くっ、これじゃあ親玉と戦ってる暇もないぞ……!」
自身は手を下さず、親衛隊とケイたちの攻防を見物している暗愁卿。
ガラス壁越しの、余裕の態度の男を、ケイは横目に睨んだ。
「大丈夫か、アデル!」
「……!」
声をかけるが、返事がない。アデルは額に脂汗を流し、苦しげな表情をしていた。歯を食いしばっているその顔色は、具合が悪そうである。リーゼの防弾ローブに匿われながら、必死に暗愁卿の強大な力と戦っている様子である。
ケイたちが戦っている今この時も、アデルは暗愁卿の権能の力を押さえ込んでいる。それがどれほど大変なことなのか、当人にしかわからないことだ。だが、アデルが消耗しているのは、誰が見ても一目瞭然である。
「もう返事をしてる余裕もないってことか……!」
ケイは一旦、敵陣から退いた。
そうして、リーゼが隠れている柱の陰に、自身も身を寄せる。
「まずいな……。アデルの集中力を切らせるまでの“時間稼ぎ”で、親衛隊をぶつけてきてるんだ。あのガラス壁も、自分を守るためのものじゃなくて、たぶんオレたちが簡単に近づけないようにするためのものだぞ。この状況は全て、アデル対策で間違いない」
「どうしよう。もしもアデルの力が途切れたら、私たちはまた戦えない、恐怖状態にされちゃうんでしょ。そうなったらもう、勝ち目なんてなくなるよ……!」
「ああ。アデルが頑張れているうちに、何とかして暗愁卿を倒すしかない」
ケイは苦渋の決断をする。
「……リーゼ」
「わかってるよ」
リーゼは、苦し紛れの表情で微笑み返した。
「私が、親衛隊を全部引き受けるよ。ケイのおかげで、少しは敵の数が減ったし。それに元々、アデルとケイの露払いのために、私は護衛としてついてきたんだから。幸い、私の弓に弾切れはないから、敵を倒せなくても、アデルを守りながら持ちこたえることはできると思う」
「すまない……。速攻で暗愁卿を倒す。だから、その間に死ぬなよ」
「そっちこそ」
ケイは柱の陰から飛び出す。
同時に、リーゼが援護の矢を放った。
手近な親衛隊の騎士を斬り伏せ、その死体が腰に帯びていた手榴弾を、ケイは拾い上げる。それをガラス壁に投げつけ、爆破を試みた。だが爆煙が生じた後にも壁は健在であり、ヒビの1つとして入っていない。ケイは苛立って毒づいた。
「やっぱり防爆かよ……! ならもう、仕方ない」
ケイは赤剣の柄を両手で握ると、その剣身を自分の胸に突き立てた。
「!?」
自らの手で、自らの心臓を貫き、自害して見せるケイ。
予期せぬ自殺行為には、さすがの暗愁卿も目を丸くして驚いた。
「なんだ、どういうことだ……! 自らの胸を刺しただと……?!」
直後、変化が生じる。
赤剣の柄から、触手のようなものが生え出てくる。ケイの手の平に突き刺さって、それは根を張った。剣身は赤い光を放ち始め、明らかにこれまでとは違う様相を見せていた。
心臓が止まったまま、無死状態と化したケイは不敵に笑んで宣告した。
「いくぞ!」
ガラス壁を突破しようとするケイに気付き、それを妨害しようとする親衛隊の兵たちが集まり、立ち塞がってくる。だがそんなものは、障害にすらならない。全身から青白い放電を発しながら、ケイは人間離れした速度で疾駆する。親衛隊が展開した魔術の防御壁や、ボディアーマごと、敵を飴細工のように撫で斬りにして見せる。
血風を纏いながら瞬時に壁へ肉迫し、ケイはそれを切り刻んで、風穴を開ける。自身とケイの間に遮蔽物がなくなったことで、玉座に腰掛けていた暗愁卿は、素直に驚いた。
「バカな! オリハルコンを練り込んだ特注のガラス壁だぞ! それを、こうも容易く……!」
「これがオレの切り札だよ!」
「まさか……それが四条院を半殺しにしたという力か。なるほど。剣聖との戦いの時にもまだ、貴様は、手の内の全てを明かしていなかったわけだ」
「見ての通り、自分が死なないと真価を発揮できない力らしいんでね。乱発できるものじゃないんだよ」
「フン。四条院の情報にも、正しいことはあったわけだ。たしか“死”の理を操る剣だったか?」
所持者の死を喰らい、その死を他者へ与える“死継”の力。
刃が触れた、あらゆるものに“死”を与える異能の赤剣だ。
生命体だけではない。物質にも。魔術にも。あらゆるものに始まりと終わりがあり、つまりは死が存在している。それらに強制的な死を付加する刃に、両断できないものなどない。アデルの加護によって、この世に生じたその剣こそが、暗愁卿を殺すための切り札なのだ。
この剣で企業国王を殺せる。
それは淫乱卿との戦いで実証済みである。
「もうお前を守る部下も壁もないな! 終わらせてもらうぞ!」
玉座まで、一気に距離を詰めるケイ。
いまだ余裕の態度で腰掛けている男の頭部へ、剣の刃を叩き込もうと振り下ろす。
だが対して暗愁卿は、慌てた様子もない。
頭上に手を伸ばすと、一言を口にした。
「――――魔槍アディシス」
名を呼ばれ、槍が虚空に生じる。
暗愁卿の手の内に握られた大槍の柄で、死継の赤剣は受け止められた。
「!」
予期せず、攻撃を正面から受け止められたケイは、慌ててその場から後退した。いまだに玉座へ座ったままの暗愁卿から離れ、警戒しながら対峙する。
暗愁卿が手にした槍は、ケイの赤剣のように、赤い光を宿した大槍だった。物質と呼べるのかわからない、光の粒子をかき集めて形成された、ホログラムにさえ見える。その槍の矛先を見上げながら、暗愁卿は、ようやく立ち上がった。
冷ややかな視線を、ケイへ送りつけてくる。
「手の内を明かしていなかったのは、吾輩も同じだ」
「……その槍のことか!」
「この矛を手にするのは、実に3000年ぶりくらいだろうか。吾輩が、主から譲られた物。どうやら、貴様の死の一撃すらも受け止められるらしい」
槍を手に提げ、暗愁卿は悠然とケイの方へ歩み寄ってきた。
「権能は、企業国王に与えられる、このアークを統治するための力だ。それとは別。王冠は戴冠者に、“最強の矛”と“最強の盾”をも与える。恐れ多くも、王に挑もうとする貴様のような愚か者へ、身の程をわからせるためにこしらえられた、選ばれし者の兵装だ。真王様からの賜り物よ」
暗愁卿は、矛先をケイの方へ向ける。
「この魔槍は、我が権能の力を蓄え、収束して行使できる補助具。刃に触れる、あらゆる者を衰弱させられる反面、力の流れる向きを変えれば、こうした使い方もできる」
矛先から眩い光が放たれる。
次の瞬間――――ケイの身体から痛みや疲労が掻き消えた。
「なんだコレは……!」
自身で破壊し、活動を停止していた心臓が動き出す。
全身に再び血流が巡り、身体が急速に癒えていった。
「感謝しろ。貴様の身体の治癒力を“活性化”させてやったのだ」
すると、当然の異変が起きる。
剣の柄から生え出ていた触手。それが引っ込み、ケイの手に根ざすことをやめた。剣身に宿っていた赤い光も、失われてしまう。無死状態が解除され、赤剣が発動していた“死継”の力は消えた。塞がった自身の胸の傷跡を見下ろし、ケイは愕然とした。
「まさか、肉体の再生能力のせいで、死亡状態を維持できなくなったのか……!」
「どういう理屈かは知らぬが、先日の競技大会での、剣聖との戦いぶりを見るに、貴様は人狼血族どもと同等の肉体再生能力を持った身体らしいではないか。そして貴様の力は、死亡状態の時にしか発動しないのだったな。なら、吾輩の力で癒してやれば、赤剣の企業国王を殺せる力は振るえんのだろう?」
暗愁卿の慎重な性格は、やはり伊達ではなかった。
殺すべきターゲットであった雨宮ケイ。その戦力を詳細に分析し、あらゆる局面に対応できるように情報を集めてきたのだろう。その調査の蓄積が、今この時になって、効果を発揮している。信じられないようなことだが、暗愁卿はケイを癒やすという奇策で、赤剣が真価を発揮できないように封じてきたのだ。
「どうした? 切り札の力を封じられて、手も足も出なくなったか、雨宮ケイよ? あとは頼みの綱である、人の王の力が途切れれば、もはや貴様に勝算などないのではないか?」
暗愁卿は小馬鹿にしたように、ケイを見下して微笑む。
「ならば今度は、吾輩の手番だ。弄んでやろう」
大きな槍を手にしているとは思えない、非常識な俊足だ。暗愁卿は、矛先を振り上げながらケイへ接近してくる。素早さは、剣聖と同格だろう。今のケイであれば、ギリギリではあるが、目で追えない速度ではなかった。
鋭い矛の打ち込みを、ケイは赤剣で受け止める。暗愁卿の力任せの一撃は重く、攻撃を正面から受けたケイの両脚は、衝撃で床にめり込んでしまう。
「貧相なナリで、なんて膂力だよ……!」
「雨宮ケイ。それに人の王。貴様等には我慢の限界だ。もはや吾輩が、直々に、この手で殺してやらねば気が済まん。ベルディエや獣人どもの始末は、その後だ」
打ち下ろしから流れるような動作で、暗愁卿は連続の突きを繰り出してくる。長い槍の先端が、銃弾のような速度でケイの眼前から迫ってきた。それらをかろうじて避けながら、ケイは暗愁卿の懐へ入る隙を窺う。だがリーチの長さで、剣は負けてしまっていた。斬りかかろうにも、敵の体が、剣の間合いよりも遠くにあるため、なかなか反撃に転じられない。
「それなら!」
ケイは右腕に移植されている異能装具を起動する。銃弾のように直線的に飛んでくる矛先を、見えない手で掴み、虚空に静止させた。
「ほう」
手が止まった敵の隙を見逃さず、ケイは胴薙ぎで、暗愁卿の横腹を斬り払う。だが、手応えがない。たしかに必殺の間合いで放った一撃だった。それなのに手には、空振りした時のような違和感が残る。
「……?!」
驚いた。
ケイが繰り出した赤剣。その刃は、暗愁卿の腹部に触れるか触れないかの、紙一重で止まっているのだ。それ以上には刃を押し込めず、まるで強制的に、寸止めさせられているような状況だ。
これは、支配命令の力……!?
一瞬、そう思ってしまったが、すぐに否定する。それはもはや、ケイには通用しない力だ。淫乱卿に頭部を破壊されて殺された時に、ケイの服従回路は、完全に破壊されているのだと、主治医のドミニクから聞かされている。しかも暗愁卿は一言たりとも、ケイへ何かを命じた様子もない。
そこまで思考を巡らせ、思い至る。
「淫乱卿の時と同じ……!?」
四条院コウスケを襲撃した時にも、同じような現象を見た。
ケイが放った銃弾は、企業国王の身体を貫けなかった。
人体の中でも脆い、眼球を狙った1発でさえもだ。
自身の腹部の前で静止している剣を押しのけ、暗愁卿は笑んだ。
「企業国王が纏う“遅効装甲”は、その身に襲いかかる、あらゆる衝撃を遅延させる。時間の流れを遅くしているのだ。貴様の放った攻撃が、吾輩の身に到達するまでに、およそ100億年はかかるだろう。減衰されたダメージは無に等しい」
「遅効装甲……?!」
周囲の時間の流れを遅くして、攻撃のエネルギーを減衰させる。
非常識にも程がある、まさに最強の盾である。
「残念だったな。貴様の赤剣は、四条院の身体をシールドごと切り裂いたのだろう? 剣が真価を発揮できていたのなら、今ので貴様の勝ちもあったかもしれぬ。だが――――」
言いながら暗愁卿は、ケイへ蹴りを見舞う。生やさしい威力ではなく、後方へ遙か遠く吹き飛ばされる威力だ。蹴られたケイの視界から、一瞬で、暗愁卿が遠ざかる。次の瞬間には、背後の壁へ全身をめり込ませていた。
「所詮はかなわぬ、儚き夢。王を殺せるなどと慢心した、死にゆく者の夢想よ」
吐血するケイを愉快そうに見やりながら、暗愁卿は、その身を再び癒やしてやる。傷つけては癒やし、傷つけては癒やす。そうしてケイを弄び、何度でも痛めつける腹づもりなのだろう。権能を無効化し続けている、アデルの限界が訪れる、その時まで。
暗愁卿は、すでに勝ち誇った笑みを浮かべていた。




