8-52 令嬢と血の雨
首都バロールの第80層。
企業国王邸宅のエントランスフロアは、激戦になっていた。
巨躯の黒夜叉が、大太刀から飛ばす真空波によって、警備の兵たちを薙ぎ払っていく。散開した騎士たちは、物陰に隠れながら怪物へ銃弾を浴びせ続けるが、黒夜叉はびくともしない。悠々とした態度で、敵を両断して殺害していった。
それを傍目にしながら、エリーとヴィエラは距離を置いて対峙している。
構えもせず、ただ愛想良く上品な笑みを浮かべているエリーに対して、ヴィエラは冷や汗を浮かべていた。油断なく双銃を構え、エリーの動きに警戒を続けた。ふとエリーは、手にしていた日傘を開く。太陽が照りつけているわけでもないのに、エリーはそれをさしてクルクルと回し始めた。銃声と悲鳴が轟く鉄火場で、ピクニック気分でいるような、不気味な穏やかさである。
「ヴィエラ様!」
警備の騎士たちに遅れ、2人の上級魔導兵が、ヴィエラの背後から駆け寄ってくる。1人は坊主頭をした、僧侶のような格好の男。もう1人は、マントを羽織った戦士のような格好の女である。いずれもヴィエラの部下だ。
振り向くことはしない、ヴィエラ。
上司が睨み付けている相手に気づき、2人は驚いた顔をする。
「まさか、あれはシュバルツ家の……エリーゼ様?! どういうことなの!?」
「なぜヴィエラ様が、エリーゼ様に銃を?!」
「……ラウラ。バリー。2人とも良いタイミングで来てくれましたね」
ヴィエラは、自分の両隣に並び立つ部下たちへ語りかけた。
「エリーゼ・シュバルツは、今しがた帝国へ反旗を翻しました。エヴァノフ様の暗殺を成すべく潜入してきた、雨宮ケイたち、反乱軍の勢力に加勢しています。今や彼女は、我々の敵。逆賊です」
「そんなバカな! 帝国に忠実だった、あのシュバルツ家が、まさか乱心を!?」
唖然と口を開けるバリーの隣で、ラウラが苦虫を噛んだ顔をして応じる。
「侵入者の報を聞いて駆けつけてみれば……! 多くの騎士や魔導兵が戦場へ趣いている隙を狙って、雨宮ケイたちが潜入してきるなんて、まったく、最近はとんでもないニュースばかりになってきてるわね……!」
「では、これは反乱軍の仕掛けてきたクーデター! そしてエリーゼ様は、我々の敵側に回ったということですありますか……!」
「ヴィエラ様! 近衛の上級魔導兵である私たちも、加勢しますよ!」
状況を理解し、身構える3人。
殺意を向けてくる敵たちを見やり、エリーは困ったように首を傾げて見せた。
「1対3ですか。少々、不利ですね」
「かのご高名なエリーゼ・シュバルツ様には、ハンデとしてちょうど良いのでは?」
ヴィエラは皮肉として言う。
「グレイン企業国の武門の名家、シュバルツ家。その門弟は皆、個々の実力の高さに応じて、階梯と呼ばれる段位で格付けされています。最強たる当主、剣聖サイラス・シュバルツが第一階梯。その次の次に格付けされる第三階梯に、貴女は属していますね。直接的に戦場へ出て活躍したという情報はありませんが、訓練講師として、各地で名だたる戦士たちと試合をし、勝利していると聞きます。年端もいかない少女が、かの“凶獣”を打ち負かした話は、あまりにも有名。無敗の“鋼線令嬢”の名は、世間では名が知れています」
「過大な評価です。運良く勝利を重ねただけで、楽勝な試合など、ございませんでしたよ?」
「ですが負けてはいないのも事実。第三階梯。その実力は上級魔導兵を超えると聞いています。貴女の力量を示す、実際の映像データなどは存在しませんが……噂通りなら、相当な手練れ。油断はしません」
ヴィエラの発砲が、戦闘開始の合図となった。
エリーが使える魔術は2種類。「軽量物を飛ばす」ことと「固定する」ことだ。目にも止まらぬ早業で、虚空に鋼線を張って固定してみせる。そうやって、飛来してきた銃弾を、線の上を滑らせて軌道を逸らすことができるはずだった。
しかし、鋼線に触れた途端、ヴィエラの銃弾は激しい爆発を生じさせる。
「!」
ヴィエラが放ったのは、弾頭に現象理論が封入された魔術弾。物体に接触することで起爆する炸裂弾だった。虚空に張った鋼線は千切れ、エリーの前には、爆発の炎と煙が立ちこめる。それによって、エリーは視界を奪われた。
「……噂通り、ヴィエラさんは魔術弾の使い手なのですね」
目眩ましを仕掛けてきたヴィエラに、エリーは感心する。
その隙を逃さず、3人の上級魔導兵は一斉に散開していた。
息の合った連携で、全員でエリーを取り囲むような陣形をとる。
爆煙が晴れかけた頃に、再びヴィエラが、エリーめがけて炸裂弾を撃ち込んできた。今度はそれを弾こうとはせず、エリーは、その場から跳躍して銃弾を避けようとした。だが、身を投げ出した先で、鈍い感触に突き当たる。
「!?」
エリーが逃れた先。いつの間にかそこには“水の壁”が生じて、立ちはだかっていた。予期せず水中に飛び込んだような状況となり、エリーは着地することがかなわず、水塊の中をゆっくりと漂ってしまう。いきなり無重力空間に投げ出され、身動きが取れない状態にされたも同然である。
「かかりましたね、我が“水泡魔術”に!」
バリーと呼ばれた僧侶風の男が、得意気に声を上げている。エリーを閉じ込めた水塊に手を伸ばし、操っている様子だった。その様子を見て、エリーは考察する。おそらく防御用途、あるいは敵の動きを絡め取る、デバフ系の魔術の使い手なのだろう。そう思った。
水塊の中を漂う隙だらけのエリー。それに向かって駆け寄る女戦士、ラウラの姿があった。ラウラは走りながら、大理石の床を指先でなぞっている。するとそこが隆起して、巨大な岩石がせり上がってくる。岩石は剣の形状を成していった。
岩を形成する魔術だろう。攻撃用途だ。鍛え上げられた腕力で、ラウラはその巨大剣を拾い上げる。そうして水中で無防備なエリーめがけ、振り下ろした。
「いただきよ!」
身動きが取れない状況で、頭上から迫り来る岩石剣。
絶体絶命な状況である。
――――エリーは微笑んだ。
鋼線を無数に束ね、網目状にした盾を、眼前の空間に展開する。迫り来る岩石剣の刃を、その上を滑らせることで逸らしてみせた。岩石剣はエリーを両断することかなわず、水塊を叩き切るようにして、地面へぶつかり動きを止めた。ついでに、その岩石剣に巻き付けていた鋼線によって、エリーは自身の身体を水塊の中から引っ張り出してもらう。
水中から脱したエリーを逃すまいと、ヴィエラが追撃の銃弾を撃ち込んできていた。エリーは、鋼線の結界を周囲に展開し、その銃弾を受け止める。だがヴィエラが放ったのは氷結弾だ。鋼線の結界ごと、エリーは氷の塊の中に閉じ込められる状況となった。
氷塊に閉じ込められたまま出てこないエリーを見やり、ヴィエラは疑念を抱く。
「かの有名な鋼線令嬢が……この程度ですか?」
「こちらが3人がかりとは言え、大したことないですな!」
高笑うバリーにつられ、ラウラも苦笑してしまった。
「剣聖サイラスは確かに驚異。ですがエリーゼ・シュバルツは、大した使い手だとは思えませんね」
「第三階梯と言えど、評判が過大だっただけかもしれません。弱くはありませんが、驚異ではない」
エリーの総評を3人で話していると、氷塊がはじけ飛ぶのが見えた。
どうやら内部から鋼線で、氷を細かく切り裂き、周囲へ吹き飛ばした様子である。中から再び姿を現したエリーは、無傷である。凍傷を負った様子はない。手にした日傘と衣服が濡れているだけで、ダメージらしきものは見受けられなかった。
全身から水を滴らせながら、エリーはヴィエラたちへ向かって歩き出した。
「……私は非力で、力が弱いので。戦いが、あまり得意ではないのですよ。ですので、どんな方とお手合わせする時も、相手をよく見て、慎重に攻撃を組み立てなければ、すぐに窮地に陥ってしまいます。昔はそれが上手くできなくて、お父様からよく叱られていたものですわ」
そう語った後に、殺意を秘めた眼差しで微笑む。
「――――皆さんの戦い方はわかりました。では、殺しますね?」
「!?」
上品な令嬢の姿から放たれる、獰猛な獣のごとき気配。
ヴィエラたちの背筋に、冷水が流し込まれたような寒気が走る。
「なんですか、この魔獣のような気配は……!」
エリーはゆっくりと歩み寄ってくる。
近づかれては危ない。
その予感から、ヴィエラは再び、目眩ましのための炸裂弾を放った。
鋼線によって受け止められた銃弾は、先程と同じように、着弾と同時に爆発する。黒煙と炎が目の前に広がり、エリーの視界を奪う。――――はずだった。だが生じた爆煙は、無数の鋼線によって切り裂かれ、呆気なく霧散してしまった。
「爆煙を掻き散らした!?」
ヴィエラが驚くのと同時に、目の前で、細い何かの残像が見えた気がした。次の瞬間、ヴィエラの隣に立っていたラウラの首が、宙を舞っている。爆煙を無力化されて驚いていた、その一瞬の隙を突かれたのだ。
「……え?」
切断面から噴水のように鮮血を吹き出し、頭を斬り飛ばされたラウラの身体は、膝を突いて倒れ伏す。頭部は遅れて、床に落ちて転がった。
一瞬にして殺された部下の死体を見下ろし、ヴィエラは唖然としてしまっていた。
血濡れた鋼線を腕輪に引っ込めながら、エリーは淡々と告げる。
「破壊力を重視した岩石魔術。威力はすさまじいですが、それを振るう術者の方は、力任せで動きに無駄が多いですね。肉体の鍛錬には余念がないのだと、体つきを見て察しましたが、集中力はなかったご様子。まずは、そちらのチームの攻撃力を削がせていただきました」
ラウラを瞬殺しながら、それを解説するエリー。
異様な雰囲気を感じ、バリーが青ざめて悲鳴を上げた。
「ひっ! ひいいぃ! こっちへ来るな!」
バリーは自分とヴィエラの前に、水の防御壁を展開する。エリーが飛び込めないようにするためのバリケードだ。それを見て、エリーは思わず苦笑してしまう。
「水塊で、敵の身体を絡め取る水泡魔術でしたか? 私のいる場所へ直接に展開するのが有効ですが、そうしないということは“何もない空間にしか展開できない”という制限があると見えますね」
エリーの推察は図星である。
たった2回、魔術の発動を見ただけで、その弱点を看破されてしまった。
あまりの思考の鋭さに、バリーは言葉を失う。
「罠として仕掛ける魔術なのに、相手の虚を突いて展開しなければ、意味がありませんよ?」
エリーは跳躍する。虚空に張り巡らせた鋼線の上を駆け、容易く水の壁を飛び越えて見せた。目にもとまらぬ速さで、ヴィエラとバリーに詰め寄ってくる。
「くっ! させません!」
ヴィエラは上空から駆け迫ってくる令嬢をめがけ、凍結弾を乱射する。銃弾の1つ1つが鋼線によって受け止められ、虚空に無数の氷輪の華を咲かせていく。
凍てついた花々の中を優雅に駆け抜け、エリーはバリーの背後に降り立った。
着地と同時。いつの間にか鋼線で切り刻まれていたバリーの身体は、四肢がバラバラの肉塊になって、その場で崩れ落ちた。悲鳴を上げる暇もなく、とっくに殺されているではないか。死体から飛び散る鮮血や肉塊を、エリーは開いた日傘によって受け止めていた。そうして、自分の衣服が汚れないようにしている様子である。
「強い……これが第三階梯……!」
血濡れた傘をクルクルと楽しそうに回して、エリーはヴィエラへ歩み寄ってきた。
ヴィエラは後退る。
「ひっ……!」
どんな攻撃も通用しない。
抵抗しても切り刻まれる。
絶対的な、その確信が胸中に生まれていた。
「なんて異常な“戦力分析能力”……格が違いすぎる……!」
笑顔の令嬢に対して、ヴィエラは完全に恐れをなしている。
そんなヴィエラを憐れむように、エリーは語りかけた。
「銃弾を“召喚”する魔術で、各種の属性弾を繰り出す戦闘スタイル。様々な状況に対処できるよう、なかなか考えられています。ですが、銃弾が武器というのは致命的。ある程度の領域に達した相手には、遅すぎて当たりませんよ。少なくとも、私は殺せません」
ヴィエラは手にしていた銃を、その場に放り捨てる。
震える両腕を上げて、ホールドアップして見せた。
「こ、降参します……! どうか、ご慈悲を……!」
戦意を喪失して、戦うことをやめようとしているヴィエラ。
それを見たエリーは、残念そうに首を傾げて告げる。
「殺してしまった“後”に命乞いをされましても、お力になれることはありませんわ」
「…………え?」
「どちらにせよ、忠誠を誓った主君を見捨て、自分だけ落ち延びようだなんて。騎士道の欠片もございません。そうした輩を生かしておいても、何の利益にもなりませんよ」
いつの間にか、すでにヴィエラの周囲には、鋼線の結界が張り巡らされている。
「ごきげんよう」
ヴィエラの首は、切断面の上を滑り落ちる。
吹き出る鮮血を、エリーは日傘をさして受け止めていた。
まるで降りしきる雨を見上げるように、エリーは穏やかに微笑んでいた。