8-49 優雅なる伏兵
転移門を抜けた先は、広大な庭園だった。
規則正しく整えられた樹木に、色とりどりの花。刈り込まれた芝生の景色がどこまでも続く、楽園のような景色だ。あちこちに洋館が建っているらしく、明かりが灯っている大きな建物が点在して見えた。頭上を見上げれば、透明な分厚い天井板越しに、夜空が見える。夜明け前の暗闇に覆われた黒の背景に、ちりばめられた星々の輝きと、砕けた月が見えている。
ケイたちがいる場所から、おそらく1キロメートルくらい先だろう。そこに、巨大な石柱のようなものが見えていた。ケイとリーゼは、顔を見合わせて頷く。
「おそらくあれが、イリアの言っていた“支柱”だな」
「うん。首都の構造を支えている、大支柱の1つ。階層間を行き来するのに使う、転移装置も、そこにある」
「なら、オレたちは無事に“首都バロール”へ転移できたってわけだな。周囲がゴルフリゾート地みたいになってるのを見ても、ここが貴族たちの別荘がある79階層で間違いなさそうだ。なら、この1つ上の層が、暗愁卿の玉座がある場所か」
支柱の上へ視線を向ければ、立方体状の構造物が、乗っているのが見える。ベルディエの天空競技場が軽々と収納できる大きさだ。80階層目は、他層に比べれば広くないようだが、その全てが暗愁卿の邸宅として使われていると言うのだから、個人の所有物としては未曾有のスケールである。
「支柱まではすぐに行けそうだけど、あの馬鹿デカい邸宅の中にいる暗愁卿を探し出すとなると……果たして簡単に見つけ出せるか?」
「どうだろう。とにかく、行ってみないとわからないよ」
想像以上に巨大だった私邸を見て、険しい顔をしてしまう、ケイとリーゼ。すると、立方体を見上げていた、アデルが呟いた。
「……感じます」
「感じるって……何をだ?」
奇妙なことを口にするアデルに、ケイは怪訝な顔をした。
いつものムッツリ顔で、アデルは断言する。
「うまく言えません……。ただ、暗愁卿が競技場で使った王冠。あれが発動した時と同じ、イヤな気配の場所が、わかる気がします」
「それって……暗愁卿の、王冠の位置がわかるってこと?」
「おそらく」
それはつまり、探している企業国王の居所を察知できるという意味だ。
ケイもリーゼも驚き、しばらく言葉を失ってしまう。
「……ケイ。アデルの力は本物だよ。なら、その感覚は正確なものかもしれない。ここはアデルを信じて、進んでみない?」
「……わかった。どうせ宛てもないんだ。アデルが気配を感じる場所へ行ってみよう」
早く走れないアデルを、リーゼが抱き抱える。そうしてケイと共に、凄まじい速度で支柱を目指して駆けた。
強化魔術を使わなくても、ケイはすでに、機人のリーゼと同等の速さで走ることができていた。獣人の血の力で、さらに人間離れしてしまったケイの運動能力に感心しながら、リーゼは感慨深く呟いてしまう。
「……もう、素手でも勝てないかもしれないね」
初めてケイと出会った時の決闘を思い出し、リーゼは苦笑してしまう。
あの時に比べて、人間の雨宮ケイは、あまりにも強く成長した。
実際、企業国王と戦うのは、自分ではなくケイなのだ。
反乱軍の中で最強の戦士。
それは間違いなく、自分ではなくケイだろう。
アデルと言い、ケイと言い、人間の底力には驚かされるばかりだ。
「狙い通り、首都を警護している帝国騎士の姿が、ほとんどないな」
ケイの呟き通りである。敵の姿が皆無とまではいかない。都市内を巡回警備する帝国騎士たちの姿を、遠目に見かけはするが、警備態勢としてはザルに等しい。ハッキリ言って穴だらけの状況だ。警備する面積に対して、必要な人員が足りていないのは明白である。おそらく今、ほとんどの騎士たちがデスラ大森林とベルディエの攻略に駆り出されているのだろう。
「少なくとも79層の警備は手薄みたい。80層も同じだと良いけど」
もしも上層もこれだけ警備が手薄なら、ほとんど接敵することなく、暗愁卿のところまで行けるだろう。今のところ、道のりは順調だった。
数分もしなうちに、支柱まで辿りつく。
以前に、空中学術都市ザハルで使ったものと同様の転移装置が、複数設置されているのを見つけた。その傍にはホログラム表示のモノリスが設置されており、無数のボタン表示がされていた。どうやら、転移階層を選んで乗り込む、エレベータのような使い方なのだろう。移動できるのは、60階から上の裕福層の居住フロアだけで、下層に住んでいる下民や市民が利用できないようになっているようだ。
「ここから80層目への移動は、それほど厳しくセキュリティロックされてないみたい。79階にいる貴族たちを、いちいちチェックする必要がないからかな。これなら、簡単なハッキングでいけそうだよ」
「時間が惜しい。急いでできるか?」
リーゼのハッキングは一瞬で完了する。
転移先の階層をボタン選択し、ケイたちは転移装置の上に立った。すると間もなく転移が始まり、あっという間に、目の前の景色が変わった。転移先は、神殿内部のような造りになっていた。まるで王城の玄関広間だ。赤い絨毯が敷き詰められたフロアに、数え切れない美術品や剥製が飾られていた。吹き抜けとなった天井には、豪勢なシャンデリアがいくつも垂れ下がっている。
転移したケイたちの目の前に――――すでに銃を構えた帝国騎士の戦列が展開されていた。
「!?」
「撃て!」
ケイたちが転移してくるなり、帝国騎士たちは突撃自動小銃の一斉射撃を始める。
「くっ!」
咄嗟にケイは、右腕の異能装具を起動し、飛来してきた銃弾を虚空で受け止めた。その隙に、アデルの手を引いて、近くの柱の陰に滑り込む。リーゼも遅れてやってくる。
双銃を手にした指揮官の女が、柱に隠れたケイたちへ語りかけてくる。
「何者かが転移門を使った不正転移を行った反応がありました! 侵入者を迎撃するため、こうして待ち構えていれば! まさか雨宮ケイとアデルが来ているとは!」
予期せぬ刺客の登場に、女は驚愕したようだ。
同時に、かなり苛立った口調である。
飛来してくる銃弾の合間に、ケイは指揮官の女を覗く。
「あれは、前に戦ったヴィエラとか言う上級魔導兵……!」
「マズいよ。こんなところで足止めされてたら……こっちには時間がないのに!」
帝国騎士団による迎撃攻撃は予期していたが、相手に上級魔導兵が混じっているとなれば、容易に蹴散らすことはできない。勝機がないとは思わないが、反乱軍が持ちこたえられる残り時間を思えば、戦っている時間が惜しいのだ。ケイとリーゼの胸中に焦りが生まれる。
「――――虚薙ぎ!!」
どこからともなく現れた巨躯の黒夜叉が、手にした大太刀で真空波を放つ。それが帝国騎士団の戦列に直撃し、血しぶきと共に前衛をバラバラに吹き飛ばした。ケイたちも、ヴィエラも、それに驚く。その一撃に憶えがあるリーゼは、思わず声を上げた。
「ウソ! 今のって!」
真空波を放った黒夜叉の肩に、和服姿の、黒髪の少女が腰掛けている。淑やかそうな雰囲気。だが不健康そうな色白の肌をしており、全体的に痩せ気味で、頬が少し痩けている。
「……宵闇のユエ……! 死体が見つかっていなかったけど、やっぱり生きてたんだね……!」
「……フン」
名を呼ばれたユエは、眉間にシワを寄せている。リーゼとケイを、心底から忌々しいと思っているのだろう。本心に逆らい、イヤイヤに加勢したと言った態度だ。
ユエの登場よりも、その黒夜叉の手前に佇む、もう1人の少女の方にケイは驚いていた。
「エリー!? どうしてこんなところに!」
緑色の長い髪。エメラルド色の澄んだ眼差し。ブラウスにロングスカートと言った、清楚な格好をしていた。その両腕には、鋼線を束ねて収めた腕輪をしており、分厚い皮のグローブをしている。以前に出会った時にも持っていた日傘を手に、変わらぬ上品な笑顔で、ケイに微笑みかけている。
エリーは、ケイの背後にいるアデルに向かって語りかけた。
「……アデル様とは、初対面でしょうか。エリーゼと申します。お噂はかねがね。本当に、お美しい方ですね」
スカートの裾を軽く持ち上げ、上品にお辞儀をして見せる。
場違いなほどに礼儀正しい挨拶をされ、アデルは戸惑った。
「あなたが、ケイを助けて鍛えたという、帝国貴族ですか。その節は、ケイがお世話になりました」
「どういたしまして」
奇妙な会話の後に、エリーはケイへ歩み寄ってくる。
そうしてまずは称賛した。
「先日の競技大会での立ち会い。お見事でしたわ、ケイ様」
エリーは不敵に微笑む。
「お父様の刀を折れる人間など、このアークに数えるほどしか存在しません。本当に、お強くなられたものですね」
「あれは……オレ以外の、仲間たちの協力があってこそだ。1人じゃとても無理だった」
「それでも、でございます」
部下たちを皆殺しにされたヴィエラは、怒り心頭である。
呑気にケイと挨拶をしているエリーに対し、とても穏やかではない。
ヴィエラは目を血走らせ、声を荒げる。
「エリーゼ様がどうして、反乱軍の雨宮ケイたちに味方を!? シュバルツ家は、エヴァノフ様を裏切るおつもりなのですか!」
「無尽の射手、ヴィエラ・ナーレコフさんでしたね。裏切るだなんて、止してくださいませ。人聞きが悪く聞こえてしまいます」
エリーは悪気なく、穏やかにヴィエラにも微笑む。
「当家はグレイン企業国の所属。元より、当家が忠誠を誓いし王は、アルテミア・グレイン様ただ1人。暗愁卿は、我等が王ではございません」
「……お戯れにしては、あまりにも度が過ぎている。ならばこのご乱心は、グレイン家の意思によるものだと考えても……!?」
「いいえ。先日、アデル様の手によって、帝国の呪縛から解き放たれた当主。サイラス・シュバルツ個人の自由意志によるものですわ」
増援の帝国騎士たちが、通路の向こうから押し寄せてくる。首都全体の警備が手薄になっているとは言え、企業国王の邸宅ともなれば、常駐している騎士たちは多い様子だ。自身も戦闘に加わるつもりになったヴィエラも、双銃を構えている。
「ケイ様。私とユエは、貴方に“加勢”します」
呆気なくそれを口にするエリーに、ケイは神妙な顔で尋ねた。
「……オレたちに手を貸すって、それがどういう意味か、わかってるのか?」
「ええ。もちろん。帝国への叛逆行為。このことが公になれば、私はただで済みません」
「……」
「ですが、ケイ様が計画通り、暗愁卿を亡き者にしてくだされば――――この事実は隠蔽可能です」
たまらず、ケイは舌を巻いてしまう。
エリーは、ケイたちの作戦を完璧に見通している口ぶりだった。全てを知った上で加勢するということは、勝算も、目論見もあるのだろう。相変わらず、思考の底が見えない令嬢である。
「こっちのことはお見通しなんだな……」
「ええ。おおよそは」
「承知の上での加勢なら、これ以上なく頼もしい援軍だ。ここを頼めるか?」
「お任せください」
言われるまでもなく、エリーはすでに、臨戦態勢へ入っている。睨み付けてきているヴィエラを、穏やかな笑みで、正面から見つめ返していた。その不気味な穏やかさは、父親の剣聖にそっくりである。
――――鋼線が虚空を薙ぐ。
目にも止まらぬ速度で迫る鋭利な糸を、間一髪で、ヴィエラは避ける。それと同時にケイと、アデルを抱き抱えたリーゼが、ヴィエラの横を駆け抜けた。
「しまった!」
エリーの攻撃に注意を惹きつけられた一瞬で、突破を許してしまった。
直後に再び、エリーの鋼線の追撃が迫る。
ヴィエラにはもはや、ケイたちを攻撃する余裕がない。
「くっ……! 早い!」
迫る帝国騎士たちを、軽々と蹴散らしてくケイたち。その突破力に敵わず、阻害することを諦めた騎士たちが、ヴィエラの援護に回ってくる。ヴィエラの後衛を固めるように、駆けつけた騎士たちは銃を構えた。
多勢と対峙しながら、エリーは傍らの従者へ指示を下した。
「ユエ。下々の相手は、お任せしますよ」
「……かしこまりました。エリーゼ様」
黒夜叉と共に、ユエも動き出す。
エリーはその場で伸びをして、クスリと妖美に笑む。
「この一戦は間違いなく、アークの歴史の潮目。ターニングポイントです。ならば当家も参じざるを得ないでしょう。グレイン企業国親善大使。第三階梯、エリーゼ・シュバルツ。お相手いたします」
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