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8-43 恋する赤花



「目が覚めたのか、アデル」


 (まぶた)を開けた時、すぐ傍らには見知った顔の少年がいる。

 そのことに、思わず安堵してしまう。

 安らかな気持ちで、アデルはベッドの上で身を起こした。


「おはようございます、ケイ」


「おはようと言っても、今はもう、深夜だけどな」


 ケイは苦笑している。


 起きたのは、アデルが知らない部屋だ。おそらくはホテルの一室だろう。広い部屋であり、調度品の質の良さや、飾られた美術品を見るに、高級な部屋なのだろうと推察できた。パチクリと目を(しばたた)かせ、不思議そうに室内を見回しているアデルに、ケイは状況を説明した。


「お前が暗愁卿(あんしゅうきょう)を撤退させた後、そこで精根(せいこん)尽き果てたのか、今までずっと爆睡していたんだぞ? 観客席にいたホテルオーナーが、好意で部屋を貸してくれたんだ。ちなみに、その撃たれた腕の包帯は、人狼血族(ウルフブラッド)の医者、ステラが応急手当してくれた」


「手当……?」


「ステラが鎮痛剤を投与してくれてるから、しばらくの間は痛まないと思う。何の薬か知らないが、オレが左腕をなくした時にも、すごい効いたからな。今は安静にしていた方が良い」


 アデルは自身の身体を見下ろし、状態を観察する。

 知らない間に、着替えさせられていた。


 上はタンクトップで、ベッドのシーツに隠れた下半身は、どうやら下着1枚の姿のようだ。撃たれた左腕には包帯が巻かれている。動かそうとすると多少痛むが、ケイが言う通り、もがき苦しむような痛みは感じない。鎮痛剤のおかげなのだろう。それを投与されているせいか、まだ少し眠たくもある。


 ベッド脇の椅子に腰掛けているケイへ、アデルは尋ねた。


「……ずっと、私の傍にいてくれたのですか?」


「まあな。オレの時も、そうしてもらったし」


 東京解放戦の後、寝込んでいたケイの看病を、アデルがずっとしてくれていたのだと聞いている。その恩返しというわけではないが、ケイもアデルの看病をしていたのだ。それを知り、アデルは頬を温かくして、俯く。


 2人共、何も話さない。

 心地よい沈黙の時間が訪れる。


 思えば……。アデルがまだ、ケイのスマホの中にいた時には、こうした静かな時が、当たり前のように流れていた。黙っていても、お互いがいることが当たり前の関係。それが失われてから、もう、ずいぶん長い時が経ってしまったように思えた。今では毎日、生きるか死ぬかの、緊迫した日々である。


 少し悲しそうに、アデルは俯き加減のままに言った。


「……私たちは、なんとか、また生き延びられたのですね」


「今回は全部、お前のおかげだよ」


 ベッド脇の椅子に腰掛けていたケイが、感慨深そうに言った。


「イリアが開発させたワクチン無しでも、奴隷たちを支配権限から解放することができた。しかもベルディエの市民たちも、同じように解放して見せた。暗愁卿(あんしゅうきょう)王冠(ケテル)の力……あらゆるものを“衰弱”させるという、あのデタラメな能力まで無力化したんだ。いったいお前のあの力は、何だったんだ?」


「私にもわかりません」


 アデルはムッツリ顔で、ぶんぶんと首を左右に振って見せた。


「もしかしたらできるかもと思って、やってみました。そうしたら実際にできた。それだけなんです」


「やってみたらできたって……それは、ずいぶんとすごい話しだ。前々から何か妙な力を持っているとは思ってたけど、それがついに、開花したって考えれば良いのかな」


「これはつまり、私にも何かしらの魔術が使えたということなのでしょうか」


「いや……。魔術の専門家であるジェシカやエマに言わせれば、人間が生まれながらに持ってる、支配権限(しはいけんげん)を受け付ける身体機能。いわゆる“服従回路”というものは、魔術でどうこうできるような代物じゃないらしいんだ。人間の脳みその一部機能を、ピンポイントで破壊して見せたようなものらしい。たぶん、魔術とは似て非なる、別の力だろうって」


「そうなのですか……」


「お前の力に、2人はかなり興味を持ってたよ。EDEN(ネットワーク)へ干渉するという意味では、原理は魔術に近しいんだろうけど、何か根本的に発動の方法が違うんだそうだ。ぜひ、その理屈を解明したいって、目を輝かせてたな。2人とも、魔術の学園に通っていたみたいだし、そういう探究心は、人よりも旺盛(おうせい)なんだろう」


「……リーゼや他の人たちが言っていたように、この肉体が“人の王”のものだから、こうした特殊能力を持っているのでしょうか」


「たぶんな」


 機人(エルフ)族や獣人(ラース)族に伝わる、伝説の存在。アデルが、人の王と呼ばれる者なのか、ケイにはわからない。ただ確かなことは、支配権限に縛られた人々を帝国から解放できる力を、アデルが持っているということだ。帝国にとっては、完全に“天敵”と呼べる存在だろう。


 かつて、アトラスが死ぬ前に、人類のために命懸けでアデルを守れと言っていた。その言葉は、完全に正しかったのだと感じている。今ではケイも、アデルが救世主なのかもしれないと思い始めていた。アデルが人類最後の希望というのは、おそらく確かなことだ。


「なあ、アデル」


 ケイは、少し気まずそうに呼びかけた。

 アデルは不思議そうな顔で、ケイを見つめ返してきた。


「オレが助けてもらった時にさ……お前、言ってただろ?」


「言っていたとは、何をですか?」


「その………………大好きって」


 口にしながら、思わずケイは赤くなってしまう。

 聞くのも恥ずかしいが、どうしても聞いておきたかった。


「あれってどういう意味で……」


「私が、ケイのことを大好きだという意味ですが?」


 対してアデルは、いつものムッツリ顔で、「当然です」と言わんばかりの態度で語る。


「ケイも。イリアも。リーゼや、ジェシカも。私にとってかけがえのない存在です。みんなのことが、大好きですよ?」


「……」


 アデルの答えを聞いて、ケイは唖然としてしまう。

 だがすぐに、自分の気持ちを、恥ずかしく感じてしまう。


 何を期待してしまっていたのだろう。アデルは仲間のことを大切に思っていただけだ。ケイのことだって、イリアやリーゼたちと同じ。仲間として大切なだけで、特別視しているわけではない。それなのに、無駄にドキドキしてしまっていた。


 バカな考えである。


「そっか。そういう意味だよな」


「他にどういった解釈が可能なのでしょうか?」


 頭を掻いて苦笑しているケイを見て、アデルは怪訝な顔をした。だが、少し考えてみて、アデルも思い当たってしまう。


「…………あ」


 息を呑む。


 自分の発言を、ケイがどう捉えたのか。察しが付いた。すると一気に頬が熱くなるのを感じた。耳の端まで桜色に染まっていく。手のひらに、じっとりと汗が滲んでしまった。


 ケイは席を立った。


「ごめん。何でもないんだ。気にせずに休んでてくれ。オレもそろそろ自分の部屋で休むよ」


「あ、あの! ケイ、待ってください!」


 このまま、行かせてはいけない気がした。立ち去ろうとするケイを引き留めるべく、アデルは慌ててベッドから降りようとする。だが怪我をした左腕に力が入らず、うまく起き上がれなかった。転びそうになってしまう。


「ひゃんっ!」


「アデル!」


 転びそうになったアデルを、ケイは受け止める。だが姿勢を崩してしまい、そのまま2人でベッドの上に倒れ込んでしまった。


 気が付くと、ケイがアデルを、ベッドの上に押し倒すような格好になってしまった。そのまま2人で、じっと見つめ合う。アデルは真っ赤になって、恥ずかしそうに身を縮めた。


 ――――眼下のアデルを、可愛いと思った。


 アデルが人の姿になってから、実のところケイは、何度として劣情を抱いたことがある。アデルは家族同然の存在であり、そうした目で見るべき対象ではないのだと、言い聞かせてきた。なによりアデルが、ケイとそうした関係になってしまうことを望まないだろうと、考えてきた。人間ではないアデルが、人間のケイと同様の気持ちになるとは思えなかったからだ。


 だがイリアが忠告していた通りである。アデルは美しすぎるのだ。出会う全ての男が、理性を失いかねない。そんな魔性の魅力を秘めている。ケイも男である以上、例外なくその魔性に魅入られているのだろう。今は、アデルから目が離せなくなった。


「……もう、私はずっと変なんです」


 見つめてくるケイの目を直視していられず、アデルは伏せた瞳を(うるま)ませる。そうして、正直な気持ちを告白する。


「今になって思えば、ケイのスマホの中で過ごしていた時には、本当の感情なんてものは、持ち合わせていませんでした。なのに人間の身体に入ってから、私はずっと翻弄(ほんろう)されています。ケイが痛かったり、悲しかったりすると、そのたびに胸の奥がザワザワして、苦しくなって。そのうち、イリアやリーゼたちに対しても、同じように感じるようになってきて。今は毎日、不安で、怖くて、仕方ありません」


 泣き出しそうになりながら、アデルは訴えた。


「それと同じくらいに、ケイが傍にいると嬉しいと感じるんです。安心するんです。胸の奥が、温かくなります。だから、離れたくありません。私のことを、置いていかないで欲しいのです。ケイと一緒にいられない時、すごく怖い。私は人間なんかじゃないのに……まるで、本当に人間になってしまったみたいで、こんなの変です」


「アデル……」


「ケイは、ジェシカを助けるために巨大魚を追いかけていきました。ケイのおかげで、ジェシカは助かりました。でもあの時、本当は行って欲しくなかった。私を置いていかないで欲しいと、思ってしまったんです。東京で隠れていた時のように、ケイと離ればなれになりたくないと思ってました。私は、自分勝手なんです」


 軽装のアデルの姿は、刺激的すぎた。ブラジャーをしていないのであろう。タンクトップの生地ごしに、尖った胸の突起が浮き立っているのが見える。小さな身体に似つかわしくない、大きな胸。下着1枚のアデルの鼠径部(そけいぶ)は美しく、その肌は、絹のようにきめ細かい。


 先程からアデルは、ケイの目が、自分の身体を見てきていることに気が付いていた。

 だからこそ、アデルは決意して告げる。


「……私の肉体年齢はとても若いですが、初潮を迎えています」


「急に、何の話しをしてるんだよ……」


「早熟ですが、性交は可能だということです」


「はあ!?」


「ケイに言われてから、どのようにすれば人間の女性が妊娠するのか、学びました。だから今は、人間の性交プロセスについても、おおよそは理解しています」


 真っ赤になりながら、アデルは羞恥(しゅうち)を噛み殺した顔で求める。


「男性は、大切に想う女性と、性交をするものだと聞きました。なら私は、ケイに大切に想って欲しい。知識でしか知らないので、実践ではうまくできるかわかりませんが……」


 何をして欲しいのか、わかった。

 アデルの魅力に、抗えない。

 それだけの破壊力がある態度と言葉だった。


 アデルのことが、あまりにも可愛い異性にしか思えなくなってくる。ケイは戸惑った。 


「お、オレだって……やったことないんだ。どうしたら良いのかなんて、わからないんだぞ」


「何から始めれば良いのでしょう……では、まず触ってみますか……?」


 アデルはケイの手を取り、それを自身の胸に押し当てさせた。柔らかく。温かく。弾力のある感触が、ケイの手のひらの中で潰れて広がる。なのに中心には、興奮して固くなった部分の感触がある。


「……ん」


 形の良いアデルの眉が揺れ、甘い声が漏れた。

 こうまでされてしまうと、もはや止められない。

 ケイの理性が破壊されていく。


「クソ……お前、かわいすぎる……!」


「!」


 可愛いと言われたアデルは、びっくりした顔をする。気恥ずかしさと喜びが、胸に満ちた。ケイに撫でられる胸先が、急激に敏感になっていく。得体の知れない感覚に、思考が飲まれそうだ。怖くなる。


「変です……! ケイに触られてると思うと……!」


 自分へ触れているケイの手を、思わずアデルは、両手できつく握りしめる。固く(まぶた)を閉ざし、真っ赤になった顔で(くちびる)を震わせた。


「なにかきちゃっ……ふぁぁだめぇ! ふっ、くぅぅ……!」


 普段は発しない、聞いたことのない甘い声での叫び。歯を食いしばり、アデルは衝撃に耐えるよう、全身へ力を込めた。カタカタと、腰が震えている。しばらくそれが続いた後、ようやく脱力した。そうして、ベッドの上でぐったりしてしまった。


 恍惚(こうこつ)の顔。唾液を唇から垂らしながら、アデルは目を白黒させていた。何が起きたのか。ケイは察して、同時に驚いてしまう。


「アデル、もしかして今のは……?」


「すいません……今なにか……すごすぎて頭が真っ白に……いったいなにが……」


 (とろ)けた眼差しで、息切れしながらケイを見上げてくるアデル。

 湿気を帯びた熱と、アデルの良い匂いが漂う。

 もはや自制できず。ケイはアデルの華奢な身体を抱きしめた。


 ――――その途端、アデルが苦悶の声を漏らすのが聞こえた。


(つう)っ……」


「!」


 ケイが掴んだアデルの左腕。ケイを守るために、アデルが負った傷。銃で撃たれたそこを、ケイは思わず握ってしまっていた。傷口に押し当てられたガーゼに、赤い血が滲んでいるのが見えた。


 大切な存在を傷つけている。

 それを見て、ケイは……冷静さを取り戻した。


「……」


「……どうしたのですか、ケイ。まだ、これからのはずです」


 やめられることが辛そうで、「早く」と続きをねだる、蕩けきったアデルの眼差し。そこから、ケイは視線を逸らす。


「………………ダメだ、こんなのは」


 ケイはアデルの上から身を起こし、離れた。そうして衣服の乱れを正し、下着姿のアデルにシーツをかぶせてやった。急に行為をやめとうとするケイの気持ちが理解できず、アデルは悲しそうに尋ねた。


「……なぜ、ですか?」


「誰かに大切に想われたいから。だから身体を許すなんて、もう2度とそんなことはするな」


 ケイの口調は苛立っていた。

 アデルは、ますます悲しそうな顔をする。


「……怒っているのですか、ケイ? 私は、何か手順を間違ったのでしょうか」


「間違っているよ、アデル。こういうことは、何かを得る手段としてすることじゃない。この続きは、お前自身がそうしたいと想う“愛する男”とするんだ」


「愛する男……?」


「その人以外とは、したくないと思う、1番大切な相手のことだよ」


 ケイが口にする、まだ知らない概念を、アデルは不思議そうに反芻(はんすう)して呟く。ケイは自嘲を浮かべて、アデルへ言い聞かせた。


「……ごめんな、アデル。オレが怒っているのは、お前に対してじゃない。お前が人間について何も知らないことを良いことに、自分勝手なことをしようとした、オレ自身に対してだ。だから、あまり気にするな」


「どこへ行くのですか?」


 部屋を去って行こうとするケイの背に、アデルは不安そうに尋ねた。

 ケイは頭を掻きながら、少し言いづらそうに答えた。


「頭を冷やしてくる。こういう時、男はその……色々と(しず)めないといけないんだよ」


 アデルにはよくわからなかったが、ケイはそそくさと退室していった。部屋に残されたアデルは、ベッドの上で、寂しげに膝を抱える。


「愛する男とするべきこと。だからするべきではない……。愛とは、何なのでしょうか。ケイがやめたのは、私がケイを愛していないから……? けれど私は、こんなことをケイ以外としたいだなんて……」


 そこまで口にして、気づいてしまう。


「なら私は、ケイのことを…………?」


 背筋がゾワゾワとする。

 心臓がドキドキしてくる。

 急に落ち着かない。


 重大で、大切なこと。

 自覚していなかった事実。

 それに、気づいてしまった。






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