2-5 無死の赤花
日暮れの時間が近づくにつれて、街中に蔓延っている発光植物は、その明度を落としていく。昼間の明るさが失われ、まるで夜が訪れたように、周囲の景色は暗がりの中に沈んでいった。
家々に明かりが灯る頃。
怪物の追跡を逃れたケイたちは、郊外の田舎町まで、電車を乗り継いでやって来ていた。駅から出ると、目の前に広がるのは農村の風景で、スズムシの大合唱がケイたちを出迎える。
昨晩に訪れた、佐渡の診療所までの道のりなら把握していた。
タクシーに乗り込み、記憶を辿って、行きたい場所を運転手へ説明した。すると運転手は、地元の住人だったらしく、診療所と言うだけで、すぐにピンときた様子だった。目的地までは、難なく送ってもらうことができた。
診療所の診察時間は過ぎており、入り口には「診察終了」の札がかかっていた。
構わず呼び鈴を鳴らすと、しばらくして見覚えのあるメガネの男が顔を覗かせた。白衣姿の佐渡だ。ケイたちの顔を見るなり、嬉しそうに顔を輝かせ、出迎えてくれる。
「こんばんは! どうやら皆さん、今日という日を無事に乗り越えられたようですね!」
診療所の中へ案内され、さほど広くない待合室で、ケイたちはそれぞれ椅子に腰を下ろした。佐渡は、イリアの顔を訝しげに見ていた。
「……知らない顔ぶれも混じっているようです」
見知らぬ金髪の外国人が、いきなり現れたのだ。気になるのは当然だろう。
自分のことだと察したイリアは、妖美な笑みを浮かべて応えた。
「君が、雨宮くんたちの言う佐渡先生とやらだね。ここに来るまでに、だいたいの事情は聞かせてもらったよ。なかなかに面白い人物らしいじゃないか」
上から目線な態度のイリアを尻目にし、ケイは面倒そうに、佐渡へ説明した。
「こいつは星成学園の1年生、イリアクラウス。元々、浦谷の調査を手伝ってもらってたんです。だから昨日、起きたことの大体の事情については知られてます。蚊帳の外に置いておくよりは、味方に引き入れておいた方が、何かと都合が良くて」
「なるほど、そうでしたか。まあ、今後のことを考えれば、仲間は多い方が良いですから。しかし、女性と男性の名前がくっついた、変わったお名前ですね」
「そうだろうね。とりあえず呼び方は、イリアで構わないよ」
「承知しました。よろしく頼みますよ、イリアくん?」
佐渡は納得した様子で、イリアに向かって微笑んだ。
そうして気を取り直し、改めて全員を見渡して語り出した。
「さて、皆さんが神妙な顔で、この場へ戻ってきたということはつまり――――もう見えているのですよね?」
ケイたちは黙り込む。
その沈黙を、佐渡は肯定の態度であると見なした。
なぜか、とても嬉しそうである。
口を開いたのは、トウゴだった。
「……昨日もらった、あの薬。ありゃあ、いったい何だったんだ?」
続いてサキも、自分たちが抱えている問題点を説明した。
「私たち、あれを飲んで眠ってから、今日になって変なものが見えるようになったの。地図に載ってない、見たこともない巨大都市とか、大きな森とか……。あと、街中のあちこちで発光してる、妙な植物のツタもあるわね。全部、薬を飲んだことが原因じゃないかと思ってるんだけど、あれはどういう成分の代物だったの?」
「ああ。あの薬ですか」
佐渡はボリボリと、自身の頭を掻いた。
事もなげに答えた。
「あれは――致死性の“毒薬”です」
「?」
「いえ。だから毒薬ですよ? 僕が特別に、毒性を調整して配合したものです」
全員が言葉を失う。
しばらく間を置いてから、困惑の表情でサキが尋ねた。
「何を言ってるの? 致死性の毒薬って……別に私たち死んでないし」
「そうだ。それに、昨日は自分だって飲んでた薬じゃねえかよ」
「ええ。そうですね。僕も皆さんも、致死性の毒薬を飲んでも死なないんです。でも、実際のところは“ほとんど死んだ”わけですよ。だから今朝は、ものすごく気分が悪かったんじゃないですか?」
佐渡の言っていることは意味不明すぎて、その場の誰もついていけない。
ケイも尋ねた。
「たしかに、今朝の体調は最悪でした。でも、その理由が“ほとんど死んだ”からって……?」
「何を言ってんのか、サッパリわからねえ……。からかってんのか?」
「からかってなんていません。僕は大真面目にお答えしていますよ? 奇妙なものが見えるようになった理由は、皆さんが“死んだことになったから”なんです。えーっと、そうは言っても……どこから説明したものか。まず昨日、僕は、赤い花をお裾分けしましたよね?」
佐渡はメガネの奥を陰らせ、ニタリと不気味に笑んで言った。
「――――“無死の赤花”。僕はそう呼んでいます」
「……無死?」
「ええ。以前、山の生き物で何度か実験してみたことがあります。実験の細かい内容をお話しすると、グロすぎるので、あえてここでは割愛しておきますね。まあ、その結果わかったんですよ。あの花の周囲、およそ1メートル以内に存在する生物は“死ぬことができない”状態に陥ります」
佐渡は人差し指で、メガネの中央を持ち上げて位置を正す。
そうして、真顔で語り出した。
「死なないとは言っても、不老不死とか、そういう格好良いものじゃないんですよ。致命傷を負えば、激痛でのたうちまわることになりますし。脳が破壊されれば、脳が壊れたまま生き続けた状態になります。ようするに、身体が死亡状態に陥っても、“死に至る”という最終的なプロセスだけがやってこない。無敵になれるわけではなく、ただ永遠に死ねない状態になるんですね。首を切り落とされようが、心臓を抜き取られようが。苦しいけど死なないんです」
山の動物でどのような実験をしたのか、佐渡の口ぶりから何となく察することができてしまった。サキとトウゴは、嫌そうな表情で固い唾を飲み込む。
「まあただし、それは花が傍にある時だけ、に限った話しなんですけどね」
あまりにもオカルトじみている佐渡の説明を聞いて、トウゴは疑念の目を向けていた。
「……それ、ガチで言ってんのか?」
「ええ。ガチですよ。皆さんは昨晩、私が配った錠剤で“服毒自殺”をしたんです。肉体は死亡状態に陥ったのですけど、花のおかげで、死に至ることがなかった。僕の作った毒は、時間経過と共に効力を失うものでして。朝になった時には毒性がなくなったんです。それによって皆さんは、死の淵から生還したわけです」
ケイたちは昨晩、薬を飲んで自殺した。
だが花の効力のせいで、死ねない状態に陥っていた。
佐渡はつまり、そう言っている。
説明を聞いて、唖然としているケイたち。
その心境などつゆ知らず、イリアは愉快そうに上品な笑みをこぼす。
「フフフ。面白いね、佐渡先生。つまり君は、初対面の高校生3人に毒薬を手渡して、言葉巧みに服毒自殺させたわけか」
「えへへ。言い方にトゲがありますけど、まあ、そうとも言えますかね」
「えへへじゃねえ! 人殺しじゃねえか! ってあれ、でも生きてるんだよな、俺。なら人殺しってわけじゃない……?!」
照れている様子の佐渡に、トウゴが思わずツッコミを入れていた。
一方、サキは驚きと興奮に満ちた顔で、若干だけ嬉しそうに呟いてしまう。
「無死の赤花……そんな超常的なものが実在したって言うの……すごい発見じゃない!」
「信じられませんよね。過去、富士の樹海で発見した花ですけど、このような不思議な特性があることに気付いて以来、僕はずっと研究を続けてきているんです。まさに世紀の大発見ですよ」
すでに超常的な存在や、超常的な景色を目撃してきているのだ。
佐渡の説明を聞いたケイたちは、それほど疑念は持たなかった。
何もかもが、これまで信じてきた常識から逸脱した話しではあるのだが……今のところは、事実であると考えるに十分である。
「……」
ケイは1人、悲しげな表情で黙り込んでいた。
無死の赤花。
周囲にいる生物を“無死状態”にする、樹海で見つかった不思議な花。
佐渡の毒薬を飲んでも、ケイが死ななかったということはつまり、自身の胸ポケットに入っている存在も、その花と同一の存在であることを証明している。
限りなく近しい存在であるのに、何も知らなかった。
知ろうともしていなかった。
家族同然の、大切な者のことであるのに。
佐渡が、ケイたちに告げる。
「これから、君たちが疑問に思っていることについて、僕が知る限りのことをお教えします。さあ、奥の部屋へ場所を変えましょう。ついてきてください」
佐渡について行こうとする仲間たち。ケイは、その背を呼び止める。
「……待ってください。その前に、佐渡先生や先輩方に、紹介したいヤツがいます」
佐渡に、話しておくべきだと思った。
だから、ケイはその名を呼んだ。
「アデル」
『……何をおっしゃりたいのか、わかっていますよ、ケイ』
ケイの胸ポケットのスマートフォンが、機械合成された女性の声で返事をした。
トウゴが不思議そうに、首をかしげて尋ねてきた。
「ん? 雨宮、スマホのAIに話しかけてるのか? 急にどうしたよ」
「こいつは、スマホに標準インストールされたAIアプリなんかじゃないんです」
ケイの言葉の後に、アデルは語り始めた。
『佐渡はともかく。サキ、トウゴ。私は、お2人のことを以前から知っています』
「……?」
人が話しかけたわけでもないのに、勝手に自ら発言を始めたケイのスマートフォンに、佐渡は疑念を抱く。いきなり名前を呼ばれたサキとトウゴにいたっては、素直に驚いている様子だった。
自身に集まる疑念の目に構わず、アデルは続けた。
『こうして直接、お話することを許可されたのは初めてです。だから改めて言いましょう――――初めまして』
ケイの赤花は、礼儀正しく初対面の挨拶をした。
『私の名前は、アデル。あなたたちが呼ぶ、無死の赤花に宿った知性体です』