8-42 サーティーンの後継
夜が訪れる。
雨雲と共に、獣殺競技大会の熱気は去り、城塞都市ベルディエは、静かな夜を迎えていた。今夜は異様なほどに、静かな夜だった。
その原因の1つは、帝国騎士団が完全撤退してしまったことにある。
治安維持を行う警察に等しい、騎士団。それが不在となっているのだ。都市内の各所を警備する兵士の姿が見られない状況だ。暗愁卿が撤退した直後、全隊に指示が下り、常駐していた全員が首都バロールへと招集をかけられたのだと噂されている。帝国騎士団の速やかな撤退の後、ベルディエの転移門は外部からの制御で強制封鎖されてしまい、誰1人として都市から出ることも、入ってくることもできなくされていた。都市放送も他都市への配信を妨害されており、ベルディエからインターネットへの情報発信すらも、できなくされてしまっている。
全て、首都バロールからの遠隔操作による妨害だ。
ベルディエは“情報封鎖”を受けている状況である。
そうされる理由は、穏やかではないはずだ。つまり、暗愁卿は本気でベルディエの都市に攻め入り、消し去る準備をしているのだろう。住んでいる人々ごと。1人残らず、容赦せず殺す。その殺戮が外部に洩れ伝わらぬように、工作を始めたのだ。
それを誰しもが予感しているからこそ、市民たちは怯えている。人々は家にこもり、今日は通りを出歩く人の姿を、ほとんど見なかった。騎士団不在の時に頼りになる専門家協会も、企業国との対立を恐れて、ベルディエを引き払っているところだと聞く。
嵐の前の静けさに包まれた、人の街――――。
今夜はそこに、ありえない者達の姿も見受けられた。大会を生き延び、戦場から来訪した奴隷兵と獣人たちの姿である。都市近辺が防衛ラインになることを見越して、戦える者たちが前線に集まってきているのだ。帝国騎士たちに代わって、都市周辺を巡回警備し始めている。
争い合うことをやめたとは言え、奴隷兵や獣人たちが市街地を歩き回っているのに、良い顔をする市民たちは多くない。やむなくベルディエの都市入口である、騎士団の検問所施設を拠点として使用することにした。銃を持って巡回している奴隷兵たちが、不満を口にしていた。
「ちきしょう、腹が減ったぞ! 食えるもんはねえのか!?」
「よせ、生き延びられただけでも感謝するべきだ」
「生き延びられたって言っても、どうせもうすぐ企業国王が帝国騎士団を送り込んでくるんだろ! 俺たちは皆殺しにされるに決まってる!」
「シッ! そういう悲観的なことを、でけえ声で言うなって! みんなやる気がなくなるだろ……!」
嘆いている巡回兵たちの横を通りすぎ、ジェイドは険しい顔をしていた。そう言いたくなる気持ちも、よくわかる。帝国騎士団と戦うことになれば、その戦力差は絶望的なのだから。
「ベルディエの都市内に留まってたら、ミサイル兵器の良い標的にされちまう……。リーゼって機人が言ってた通り、すぐにでも全員で、森に身を隠した方が良さそうだぜ」
そうするべきだとわかってはいても、実際には誰もが、いまだに危険なベルディエ都内に留まっているのが現実だ。状況を判断し、指示を出す指導者がいないからだ。この陣営には今、人々を統率する“リーダー”が不在なのである。
だからこそ、自分は人狼血族の問題をどうにかする必要があるだろう。そう考えた末にジェイドは、こうして夜の街を出歩いていた。
やがて辿り着いたのは、帝国騎士団が去った後の検問所だ。普段は都市への出入りを監視する、入管の役割を果たす場所だが、騎士団が引き上げ、今は無人と化している。
地下には拘留施設があった。違法物品を持ち込もうとしたり、不法入都などを果たそうとした者を一時的に留置しておく牢屋が並んでいる。そこに囚われている1人の人狼血族に、ジェイドは用があった。
留置場の入口を警備していた奴隷兵たちを人払いした後、ジェイドは薄暗い廊下へ歩み入る。最奥の牢屋に、問題の男が入っている。床に座り、壁に寄りかかって、暗がりへ潜むようにしている男。ジェイドはそれに、声をかけた。
「……よぉ」
片膝を抱えて俯いていたダリウスは、静かに顔を持ち上げた。ジェイドの顔を見るなり、冷めた顔で尋ねてくる。
「……今さら、俺に何の用だ」
「……」
「わざわざ、テロに失敗した俺を、笑いにでもきたのか?」
「そんなに暇じゃねえよ」
「フン」
ジェイドとダリウスの会話が途切れる。
重たい沈黙が訪れてしまった。
元々、2人は仲が良い間柄というわけではない。人間と戦わなければならないという使命感に突き動かされ、理念を共有していただけの関係だ。だが今はもう、その考えが正しかったのか、2人共に自信を持てずにいる。人間への恨みを忘れられぬまま、人間との共存の道を進み始めているのだから。
始祖ガイアが残した遺言だけが、脳裏を反芻する。
ダリウスは自嘲の笑みを浮かべ、悔しげにジェイドへ言った。
「人の街に攻め入り、失敗して、無様にここで捕らえられている。戦争派を名乗って威勢良く人間に戦いを挑みながら、実際には、とっくに帝国騎士団に見透かされて、利用されていただけだった。そのせいで、協力してくれた仲間も大勢殺されていた。俺が成し遂げられたことなんて……始祖に比べれば、お遊戯も良いところだ」
ダリウスは溜息を吐いた。
そうして続けた。
「こんな俺とは違って、お前の父親は、見事に“共存”の理念を実現するべく、1歩を踏みしめたようだな。これから人間と共闘して、企業国の軍に挑もうだなんて……いまだに信じられない状況になっている。もはや俺の出番などない。俺は負け犬。なら、里の懲罰房に、さっさとぶち込め。そこでせいぜい、腐って死んでやるさ」
ジェイドも溜息を吐く。
そうして、持ってきた鍵を使い、牢屋の戸を開けた。
予期せぬその行動に、ダリウスは目を丸くして驚く。
「おい、何をしている……!」
「見りゃわかんだろうが。テメエを解放するんだよ」
ジェイドは腕を組んで、開け放った戸の前に立つ。
さっさと出ろと言わんばかりの態度だ。
「ふざけているのか! 俺は血族の掟を破り、人間の都市に攻撃を仕掛けようとしたんだぞ! しかも“始祖殺し”だ! この掟破りは、餓死をもって罰する! ガキどもでも知ってるルールだろう!」
「うるせえ。テメエの力が必要だから、解放するだけだ。仲良しこよしをしようってわけじゃねえ」
苛立った様子で、ジェイドは頭を掻いて言った。
「今は、人間も獣人も関係ねえ。デスラ大森林と、ベルディエに住んでる全員が、企業国王に狙われてるんだ。そう遅くないうちに、帝国騎士団が大挙して攻めてきやがる。助かるためには、共に力を合わせて戦うしかねえ。掟破りだろうが何だろうが、ダリウス、テメエは始祖に次いで強えだろ。なら、そんな貴重な戦力を、この非常事態に牢獄で腐らせておく余裕なんてねえんだよ」
「……」
「それに……始祖は最期に言ってたろ。アークの未来を頼むって。あれは、俺だけに言った言葉じゃねえ。テメエに対してもだったろ」
「俺に対しても……だと……」
「テメエはたしかに、間違いを犯した。掟破りだ。けど、その間違いを責めて、いつまでも仲違いなんかしてんじゃねえって。一緒に協力しろって。俺には、そう言っているように聞こえた」
ジェイドは「フン」と鼻を鳴らして、牢の格子に背を預けた。
そうして肩をすくめて語る。
「良いか? 俺たちが生き残るためには、ベルディエの人間たちと協力するしかねえんだ。だがリーダーがいねえ。だから今、まとまれてねえ。人間たちはともかく、せめて人狼血族だけでも統率が取れなきゃ話しにならねえだろ。テメエなら、それくらいわかってるはずだ」
「……」
「始祖がいねえ。統率する頭がいなけりゃ、血族はまとまらねえよ。帝国騎士団とこれから一戦交えようって時に、そんなんじゃ戦えねえ。だからだ……ダリウス、テメエがサーティーンの名を継げ」
「なっ!」
「テメエが“次の始祖”をやれって言ってんだよ。掟破りをやらかしてたって話しは、ベルディエに乗り込んだ一部の族長や、俺たちしか知らねえことだ。テメエの強さと賢さは、みんなから一目置かれてるだろ。俺だってそうだ。群れの中で、戦争派っていう大きな派閥を仕切ってたテメエになら、きっと従うヤツは多いはずだ。なら、テメエは始祖をやれる器だ。個人的にはクソ気にくわねえが、たとえ始祖を殺したヤツだとしても、頼むしかねえ……!」
「……」
「今は個人的な恨みより、血族の趨勢が重要だ。それに始祖を名乗れるのは、血族の中で最も強い者。強さこそが正義。それも俺たち人狼血族の掟だったろ」
ジェイドの発案に、ダリウスは耳を疑い、唖然としてしまう。
群れの中で、禁忌とされてきた人間の街への攻撃を独断で行い、仲間を死なせ、それを成し遂げることさえできなかった。不甲斐ないとしか言い様がないダリウスに向かって、人狼血族のリーダーをやれと言っているのだ。
果たして、その資格があるのだろうか。
ダリウスの中に、疑念がつきまとう。
「……お前は本気で、俺に始祖が務まると思ってるのか、ジェイド?」
「できるかどうかじゃねえ。やってもらうしかねえ。とにかく俺たちにはリーダーが必要なんだ。明日の朝まで生きていられるかもわからねえのに、お前の過去なんて気にしてる余裕なんかない」
「……」
「わかったならいくぞ。族長たちには、この検問所に集まるよう、すでに話しを伝えている。そろそろ、上のエントランスに集まっているはずだ。そこで新たな始祖として名乗りを上げろ。誰も反対しなけりゃ、お前が新しい始祖で決まりだ」
ダリウスはそれ以上、何も言ってこなかった。ジェイドの後に続いて、黙ってついてくる。その表情には、何か決意めいたものが窺えていた。
本当にダリウスが新たなリーダーとして適任なのか。問い詰められれば、正直なところ、ジェイドには断定できなかった。それはダリウス自身も同じなのだろう。複雑な心境でいることなど、ジェイドにはお見通しだった。その胸中に抱える不安は、ジェイドも同じなのだから。
何が正しいことで、何が間違っているのか。
簡単にわかると思っていたことが、今ではわからない。
自信を持って決断できることなど、1つもない。
ジェイドは、悲しげに目を伏して言った。
「なあ、ダリウス。親父は、いつもこんな苦しい選択を迫られていたのかな」
「……」
「自分の決断1つで、多くの仲間たちの命運が決まっちまう、重責を背負い続けてきたんだよな。だとしたら、俺はリーダーの苦しみを、何も理解できていなかった。親父のこと、何もわかってやれてなかった。親父が掲げていた“人間との共存”という理念に楯突き、気に食わないってだけで、間違っているのだと責めていたんだ。どうしてなんだろうな。なんで親父が死んで、全部手遅れになってから、それがガキみたいなことだったって、わかったんだろう」
泣き出しそうになってしまうのを、ジェイドは歯噛みして耐えた。
「お遊戯同然のことをしていたのは、テメエだけじゃねえよ。俺だって同じだった。自分ではなんにも背負わないでよ。ただ言いたいことを言って、やりたいことだけをやってきた。始祖という、群れを導く立場で、親父がどんだけの苦悩を抱えながら、皆に反対されながらもそれを訴えていたのか。どれだけ勇気ある主張だったのか。今なら理解できる」
「……そうだな」
ダリウスは、言葉少なく同意した。
今さらながら、幼稚で身勝手だった自分たちを情けなく思っていた。
地下の拘留施設を後にし、1階のエントランスへ向かった。
するとジェイドが言っていた通り、人狼血族の族長たちが集まっている。
ジェイドからは「緊急の族長会議をやる」とだけ聞かされていた彼等は、いずれも神妙な面持ちである。これが、始祖の後継者を選ぶ会であることを、おおよそ予想はしていたのだろう。ダリウスがその場に顔を見せたことに、誰も驚いた様子がなかった。その意味も概ね理解している様子だ。
「よく集まってくれたな、族長たち」
始祖ガイアの亡き後、暫定的にジェイドが議長を務めていた。年上の屈強な戦士たちの前に立つのは、身が引き締まる思いである。緊迫感と共に、ジェイドは話し始めた。
「もう、みんなわかっていることだと思うが……始祖ガイアが亡き今、群れを率いる新たなリーダーが必要になっている。今にも企業国王の騎士団が攻め入ってこようとしている中、俺たちは群れとしてまとまれていない。指揮系統が乱れている状況だ」
族長たちは、言葉を挟まなかった。
ただジェイドの話しを、黙って聞いている。
「つまり、新たなる始祖。サーティーンの名を継ぐ者を選び、俺たちは再び団結しなければならない。本来であれば“選別の儀”を執り行い、名乗りを上げた候補者たちが戦って、勝敗を決めた後に始祖が選ばれるのが通例だ。だが今は、とにかく時間がない。俺たちは、明日の朝を迎えられるのかすら、わからない状況だ。異例だが、今この場で、多数決によって始祖を決定するしかないだろう。まず、そのことに異論ある者は、この場で名乗り出てくれ」
ジェイドの呼びかけに対して、族長たちは険しい顔で黙り込んだままである。
状況が逼迫していることを、共通認識できているのだろう。
異論はないものだと判断し、ジェイドは話しを続けた。
「……良いだろう。では、誰が新たなる始祖となり、サーティーンの名を継ぐかだ。年長者の歴々である族長たちを差し置いて、こう言うのは忍びないが……知っての通り、群れで1番強い者が始祖となるのが掟だ。力ある者でなければ、群れを統率し、守ることができないからだ。現時点で、群れで最も強き者。先代始祖ガイアに次いでの実力者となれば、それは限られる。選別の儀に参加していたのなら、まず間違いなく優勝したであろう男は、すでにこの場に来ている」
ジェイドは、隣に立っていたダリウスへ視線を向けた。その眼差しは「ここから先は、お前が話せ」と、語りかけてきている。ジェイドの視線に促され、族長たちも黙ってダリウスの方を見た。ジェイドが誰を始祖として推そうとしているのか、その場の誰もが、とっくに予測済みなのだ。そしておそらく、それに反対する者もいないのだろう。
その茶番劇に、苦笑してしまう。
不敵に笑んで、ダリウスは宣言する。
「新たなる始祖は――――ここにいる“ジェイド・サーティーン”だ」
「!」
断言するダリウスの言葉に、ジェイドは目を丸くして驚愕する。
だが一方で、それを聞いた族長たちには、驚いた様子もない。
反論の声が生じないことにも驚き、ジェイドはダリウスを見やる。
「ダリウス……テメエ……!」
「俺は自分の憎しみにかられ、多くの仲間を死なせてしまった、愚かなリーダーだった。次に始祖をやるヤツは、仲間を殺すヤツよりも、生かすリーダーが良いだろう。先代始祖、ガイア殿がそうだったように」
ダリウスに続いて、族長たちも口を開いた。
「剣聖との戦いぶりを見させてもらっていたぞ、ジェイドよ。お前は自分で考えている以上に、すでに強い。アマミヤ殿との共闘の様子は、さながら鬼神のごとき荒々しさだった」
「年長者でありながら、我々はその戦いに加わることができなかった。剣聖のあまりの強さに恐れをなし、若いお前たちに、戦いを委ねてしまっていたのだ。あの時、剣聖に立ち向かえた人狼血族は、ガイア殿とお前だけだった。我々は、まことに恥ずべきコトよ……」
「強さとは力だけではない。いくら腕っ節があっても、その胸に宿る勇気がなければ、強敵には立ち向かっていけない。ジェイドよ、お前には先代始祖ガイアが持っていた勇気と、その鋼の意思が受け継がれている。始祖たるべきは、お前だ」
驚くべきことに、その場の意見は満場一致していた。
予期していなかった展開に、ジェイドは戸惑ってしまう。
そんなジェイドの前に、ダリウスは片膝を突いて跪いた。
「始祖を名乗れるのは、血族の中で最も強い者。強さこそが正義。それこそが、俺たち人狼血族の掟だ。たしかに俺は今、この血族の中で最強の人狼血族だろう。ならその俺が、今からあなたの剣となろう。新たなる始祖へ“忠誠”を誓う」
恭しく、ダリウスはジェイドへ頭を下げて見せる。
「今この時より、俺はあなたのツメ。あなたの牙。あなたに仇なす全ての者を引き裂いてみせましょう」
族長たちも跪き、ジェイドを称えた。
「ジェイド・サーティーン!」
「ジェイド・サーティーン!」
静かな夜。
新たなる始祖は、人の街で誕生した。
かつてなかった出来事である。