8-39 憂鬱の王冠
重たい足取りで、雨宮ケイは競技場へ向かって歩いていた。
なにが起きたのか。その場にいなくても、だいたいのことは、場内放送で交わされていた始祖とダリウスの会話から察しがついている。始祖の最後の言葉の後に、爆発音が聞こえた。その音こそが、1人の英雄の死を意味するものだと、すぐに察しはついた。
選手入場口に辿り着く。
そこからなら観客席を通らず、競技場内へ出ることができる。
始祖やジェイドに遅れ、ケイもようやく現場へ辿り着いた。
場内の中心には、見知った巨体の人狼血族が倒れ伏していた。その腹部を中心に血肉が飛び散っており、伏せた身体の下で、何かが爆ぜて絶命したことは明白である。爆弾に覆い被さることで、爆弾の内容物の飛散を、最小限に抑え込んだ。
そうして、始祖ガイアは息絶えていた。
人間の身代わりになって死んだ獣人に、観客席の人々はさめざめと涙を流していた。テロの首謀者であるダリウスは、力なく肩を落として立ち尽くしている。息子であるジェイドは……義父の死体に寄り添って、ただ泣き崩れていた。
誰もが悲しみに暮れている会場。そこに辿り着いたケイは、まずジェイドに歩み寄り、その肩に手を置いてやった。血のつながりがなかったとは言え、ガイアは育ての親だったのだ。ケイにとってのアデルと似ている。ジェイドの悲しみの深さは、計り知れないだろう。
ジェイドは、父親を失ったばかりなのだ。
救いになる言葉など、見つかるはずがない。
今はただ黙って、傍にいてやることだけで精一杯だ。
そうするしかない。
「…………今すぐ獣殺競技大会をやめろ!」
観客席で、誰かが声を上げた。
それはジェイドやダリウスが、耳を疑うような言葉である。
「こんな大会、2度と開催するべきじゃないわ!」
「俺たちは間違っていた! 間違いを正さないと!」
「獣人を殺すな!」
「獣人を殺さないで!」
上空に待機している帝国騎士団の飛空艇に向かって、観客たちは次々に声を上げ始める。そこへ対して訴えれば、大会運営に思いが届くはずだと思ったのだろう。いつしか、それが大合唱のようになり、大会の中止を声高に叫ぶ市民たちでいっぱいになった。
獣人を殺すなと訴える人間たち。
奇跡のような光景を目の当たりに、ジェイドもダリウスも唖然とする。
「こんなことが……現実にあんのかよ……!」
「始祖……最期にあなたは成し遂げたのか……!」
都市放送局の無人機が、会場で起きた一部始終を、すでに生中継番組で放映してしまっている。ベルディエの全市民に向けて、情報は発信されてしまっているのだ。大会の主催者である企業国王や、協賛している貴族たちの面子は丸つぶれだろう。これでは帝国騎士団も、会場にいるジェイドやダリウスたちを迂闊に殺害することができない。これ以上、大衆の目の前で獣人を殺せば、市民たちの反感を買うことになるからだ。
もはや誰が見ても、大会の続行は不可能な状況だ。
「……?」
ケイは気が付いた。
上空に待機している飛空艇。
その1機の後部ハッチが、ゆっくりと開放される。
そこから男が1人、姿を見せた。
帽子をかぶった、長い白髪の窶れた青年である。赤い瞳をした、不健康そうな顔立ち。ズートスーツを羽織った、マフィアのような出で立ち。落ち着いた雰囲気だが、どこかに獣を思わせる、荒々しい気配を漂わせていた。
男は無線機の受話口を手に、一言を告げる。
『――――黙れ、民草ども』
飛空艇のスピーカーから、会場全体へ届く命令。言われた途端に、観客たちはウソのように口を噤んでしまった。つい数秒前まで、暴動になりそうな勢いだった人々は、男に一言を告げられただけで、呆気なく沈静化されてしまう。
静まり返ってしまった場内を見渡し、ジェイドは冷や汗をかきながら呟いた。
「どうなってんだ……! 観客たちが、言われた通りに黙り込んじまったぞ……!」
その疑問の答えに、ケイは察しがついてしまった。
だからこそ、青ざめた顔をする。
「……支配命令の力だ。企業国王が下位の人間に下せる、絶対の強制命令だ。人間は誰も逆らえない」
「あの剣聖野郎が使っていた、指輪の力と同じか!」
「それよりもさらに上位の権限だ」
「ってことは……アイツが、まさか!」
「暗愁卿、ロスコロ・エヴァノフだ……!」
険しい顔で、ケイは断言した。
ケイとジェイドは、飛空艇から姿を見せた男を見上げた。
暗愁卿は、飛空艇から飛び降りてくる。落ちればひとたまりもない高所からの落下だと言うのに、何事もなかったように着地して見せた。その時点で、すでに人間離れした肉体の頑強さが見て取れる。ケイたちのいる競技場に自身も立つと、悠然とした態度で、歩み寄ってきた。
「雨宮ケイか……。まだしぶとく生き延びて、こんなところにまで現れるとは。剣聖に任せておけば、吾輩が手を下さずとも楽に殺せるとばかり考えていたが、実際にはどうだ。実力を有しながらも遊びすぎて、仕事は中途半端に終わっている。役立たずな男だ。結局のところ、吾輩がこうして直接、手を下すしかなくなったではないか」
まずい状況である。
ケイは体力を消耗しすぎていて、まともに走ることさえ苦しい。万全でない状態で、果たして企業国王と戦えるのか。相手の力は、まるで未知数だ。以前に戦った淫乱卿と同格か、それ以上だとすれば、おそらく勝機はない。
それでもケイは、苦し紛れに皮肉した。
「残念だったな。頼みの綱だった剣聖でも、オレを殺せなかったんだぞ。ならオレは、アンタの手に負える相手かな?」
「あのような魔術さえ使えぬ男を退けたからと言って、図に乗るな。所詮は、吾輩の力の足下にも及ばぬ、一介の剣士よ。貴様は企業国王の力を甘く見ているようだ」
剣聖より自身の方が強いのだと主張する暗愁卿。事実なのだとしたら、やはりケイたちの勝機など僅かにもない。笑いたくなるくらい、最悪な状況である。
暗愁卿は、嘆息を漏らして面倒そうに言った。
「まったく。大会を開催し、余興混じりで貴様を楽に殺せるものだとばかり思っていた。だが……思いのほか、ややこしいことになってしまったようだな。やはり、確実な仕事とは、自身の手で行うに限る。四条院を半殺しにした実力だと聞いて、最初は警戒していたが、大会での剣聖との戦いぶりを見るに、恐れるには足りない存在だとわかったよ。もはや貴様に脅威など感じていない。それよりも。問題は貴様ではなく、あの“銀髪の少女”の方だった。たしか名を、アデルとか言ったか?」
「!」
アデルの名を出され、ケイは驚く。
「支配権限から、奴隷たちを解放して見せていたな。人の王とも呼ばれ、人狼血族どもから崇められていた。あの力は、いったい何だ……? いずれにせよ帝国の支配と秩序を破壊し、真王様の統治を脅かすに十分な存在だ。森ごと全て焼き払ってでも、もはや生かしておくことはできない」
ダリウスが、固い唾を飲みながら尋ねた。
「俺たちの森を全て、焼き払うだと……!」
「奴隷どももまとめて、塵一つ残さず消滅させる。支配権限から解放されてしまった下民など、危険な反乱分子以外の何者でもない。見過ごしてはおけぬ。安心しろ。その前にまず、貴様たちをここで殺しておいてやる。仲間が死ぬ様を見なくても済むようにな」
平然と虐殺を宣告する暗愁卿。広大なデスラ大森林を全て焼き払うというのは、あまりにも穏やかではない。そんなことになれば、犠牲は競技大会で行われる殺戮よりも遙かに多くなるだろう。人狼血族は全滅し、森の生き物たちも死に絶える。せっかく新天地を見つけた東京都民たちも、行き場を失って、やはり死ぬことになる。
暗愁卿を止めなければならない。
だが今ここで、ケイたちにそれが可能なのだろうか。
「それにしても……民草どもに、厄介な考えを植え付けてくれたものだな」
観客席で黙り込んでいる市民たちを見渡し、暗愁卿は言った。涙を流しながら、悔しそうに暗愁卿を睨み付けている人々。自身に向けられる多くの怒りには、企業国王と言えど少し困惑している様子だった。
「……大衆とは傷つきやすく、感化されやすい。ゆえに過去にも、下々の者たちの中で、帝国社会への反感が高まったことは何度もあった。だが、これほどの規模になるのは……吾輩が経験する中では初めてだ。都市中継映像を止めるのが間に合わなかったせいでもあるが、この会場の市民たちを見るに、おそらくは番組を見たベルディエ市民の全員が、今や帝国への反逆心を抱いているやもしれぬな」
「ケッ! ならさぞかし、これから市民の反乱でも起きるんじゃねえかと怯えるこったな!」
「帝国で反乱など起こり得ない。そのために、支配権限の仕組みは存在しているのだ。命令1つで、こうして暴動など鎮圧できるのだ」
言いながらも、暗愁卿こめかみを押さえた。
生じている問題に対して、少し頭痛がしている様子だ。
「だがしかし……命じて押さえつけるだけでは不満は消えぬ。この様子では、また大規模な“思想調整”が必要になりそうだ」
その単語を、ケイは聞いたことがある。
かつて佐渡が言っていた話しだ。
「白石塔の人たちが眠っている時にやられていた、記憶改竄の類いのことか……! アークの市民に対しても、できるものだったのか……?!」
「当然だ。白石塔の人間だろうと、アークの市民だろうと、人間は皆、脳をEDENに接続されている生物なのだ。鎖に繋がれている限り、その手綱を握る主人の言うことを聞かせることは簡単だ。すでに撮影されて配信されてしまった映像をなかったことにするのは面倒だが、下々の“気持ちを変える”ことは、それよりも容易にできる。今日感じた怒りも、悲しみも、全て消してしまえば良い。何事もなかったようにな」
「それは……みんなの気持ちを、消してしまうと言っているのか……!」
「そんなことをされたら、命を張った親父の犠牲が、なかったことにされちまうじゃねえか!」
そうやって、帝国は1万年間の秩序というものを保ってきたのだろう。人々の記憶を改竄し、心情や考えを好き放題にいじり。ロボットのように群衆を制御して、従わせ、働かせ、富を巻き上げて繁栄してきた。疑問さえ抱くことを許さずに。
特に、貴族たちや企業国王は、それによって莫大な財産を得て、放蕩三昧である。大衆を操ることができる権利を持った、社会の上澄みにいる僅かな上流層だけが、この世の春を享受し続けているのだ。それが永遠に続くのが、帝国社会なのである。
「……くだらんお喋りが過ぎたな。四条院に貶められた、我が名誉の回復のため。そろそろ、貴様を殺して仕事を終えるとしよう、雨宮ケイ」
暗愁卿は宣告する。
「見るが良い。吾輩が真王様より授かりし、この企業国の王たる証を」
突如として、周囲の空気の質が変わったように感じた。
一気に肌寒さを感じたのは、気温が下がったからなどではない。途方もなくおぞましい何かが、この場へ降臨しようとしている前触れのようだ。ケイの本能が危機を感じているのだろう。全身に鳥肌が立ち、吐き気と悪寒がこみ上げてくる。
たまらずジェイドが喚いた。
「何だぁ!? この吐き気、それに寒さ!」
「この感じ……淫乱卿の時と同じだ……!」
暗愁卿の頭上で、赤い、無数の小さな発光現象が生じる。光の1つ1つが、見る見る間に大小様々な三角形状へ成形されていき、その三角が連なって、輪の形を成していく。
「――――“憂鬱の王冠”」
その名を口にした暗愁卿は、頭部に輝く赤い王冠を戴いている。ただひたすらにおぞましい気配を放ち、両手を空へ掲げて告げた。
「さて。吾輩の王冠が有する“権能”を見せてやる」
次話の更新は月曜日を予定しています。




