8-33 条件提示
剣聖サイラスが、地下神殿に隠れていた人狼血族たちを発見した。そこへ一緒に潜伏していた指名手配の敵、雨宮ケイとジェイドの姿も確認されている。獣たちのリーダーである“始祖”と呼ばれる個体も戦闘に加わり、大会は決戦の様相を見せ、大いに盛り上がりつつあった。
だが、そこで奇妙なことが起きた。始祖と剣聖が戦い、その巻き添えで1人、奴隷の少女が死んだのである。直後、どういうわけか人狼血族も、奴隷兵たちも、戦いを中断してしまったのだ。奴隷兵たちの中には、その場で武器を捨てて、戦闘を放棄しようとする者まで現れる始末である。
中継映像は、そこから途絶えている。
偵察無人機の映像がなくなり、すでに1時間近くが経つ。機材トラブルの影響であるというのが、大会運営委員会からの説明だった。だが、ここ1番の見どころを見られずにいる観客たちからすれば、理由などどうでも良い。不平不満を口にするしかない。
「おい、いつまで機材トラブル中なんだね!」
「中継は、いつになったら再開するんですの?」
中央フロアの賭けのテーブルは、混乱していた。戦場の映像も音声もなく、ただ、奴隷兵たちの死亡報告だけが行われ続けていた。首の爆弾チョーカーは、奴隷兵たちのバイタル情報を取得しており、脈拍や脳波が停止すると、死亡と判定して情報がアップデートする仕組みになっている。だが実際に死亡したところを確認できなければ、もしかしたら機械の誤動作かもしれないと、疑いを持ちたくもなる。自分の奴隷チームを大会へ参加させているオーナー貴族たちは、大金がかかっているのである。なにが起きているのかも確認できないまま、自チームが崩壊していく様を見守るのは忍びなかった。
「大会の優勝チームはどうなってる! 俺の賭けたチームは?!」
「うちの奴隷どもはどうなった?! 死亡したことになってるが、本当にそうなのか?」
「つまらん! 殺し合いを見せぬか! 数字の増減だけ見るくらいなら、自宅で観戦してた方がマシだわい!」
腹を立てている貴族たちが、大会運営の係員たちに詰め寄って苦情を入れている。つかみ合いのケンカに発展しそうな有様を、遠目にしながら、イリアは優雅にカクテルグラスを傾けていた。
「君は肝が据わってるな、イリア」
向かいのソファに腰掛けているクリスが、心底から感心して言った。
イリアは不思議そうに尋ねる。
「何のことだい?」
「賭けのことだよ。獣人の勝利に全額を賭けてるだろ、7500億ルグ」
言いながら、改めて状況のメチャクチャさを思い知る。
クリスは苦笑してしまった。
「さっき、中継映像が映ってた頃に見たじゃないか。やはり剣聖は強すぎる。予想通り、ケイは手も足も出ていなかった。あの人は、たった1人でも人狼血族を壊滅させられる実力者だぞ。俺たちは、勝ち目のない賭けに参加してて、大損しそうだって言うのにさ。不利になってる今も、どうしてそんなに平然としていられるんだい?」
「さっきも言っただろう? あの戦場には、雨宮ケイがいるんだ。なら、賭ける価値がある」
「俺もさっき言っただろ。ケイがいるからと言って、いったい何が覆るって言うんだ」
イリアは妖しく笑んだ。
「君は知らないのさ。雨宮くんはこれまでに、幾度となく不利な状況をひっくり返してきた男だ。非常識な手段だったり、時には卑怯な手を使って、だけどね。絶望の戦場に、光をもたらす底力を持っている。それは彼の才能さ。それに、さっき中継を見た限り、あそこにはアデルも、リーゼも、ジェシカもいた。ボクの仲間たちが揃っているんだ。ならきっと大丈夫。そんなふうに思えるんだ」
「信じてるってやつかい? 羨ましいね、そんなふうに思える仲間がいて」
「……言われてみると少々、青臭い理由だね。まあ、良いじゃないか。他の貴族たちはどうか知らないが、たかだか7500億ルグくらいだ。ボクや君にとっては、はした金だろ」
「言うね。うちはエレンディア家じゃないんだ。決して、はした金ってわけじゃないんだけど?」
「おや。意外と守銭奴だったのかな? いちいち何かを失うことを恐れる性格じゃ、ボクの配偶者になったら、きっと苦労することになるよ?」
「君は、金づかいが荒い妻ってわけか」
「妻になるつもりなんてないけれどね」
辛辣な許嫁の言動に、やはりクリスは苦笑してしまう。
だが、少し嬉しそうに、頬を綻ばせた。
「……正直なところ、驚いているよ。俺自身、だいぶ破天荒な生き方をしてきた。自他共に認める、ろくでなしだと自負してたけど、上には上がいるものだ。君と一緒に行動していると、俺はハラハラさせられてばかりだ。異常存在たちと戦っている時よりも、心臓に悪いよ」
「それは褒めてるのか、けなしてるのか。ようするに、許嫁に幻滅でもしたのかい?」
「それどころか、楽しいよ」
「楽しい……?」
「ああ。こんなに楽しいのは久しぶりだ。1番不利なところに、全額で振り込んで勝負するギャンブルだぞ。しかも、とんでもない大金をだ。これまで付き合ってきた女の子たちには、絶対できないよ。君くらいに頭がおかしくなければ、一緒にやれないことだ。こんなにムチャクチャで、ドキドキさせられる相手は初めてだ。幻滅するどころか、むしろ……」
「?」
「いいや。……俺もどうかしてるかもな。今のは忘れてくれ」
珍しく、クリスは照れくさそうにしている。
視線を逸らして、何かを誤魔化そうとしていた。
気にせずイリアは、カクテルグラスに口を付けて飲む。
そうしていると、どこからともなく大声が聞こえてきた。
「――――なんだとおお!?」
「……?」
会場に響き渡った声は、賭けテーブルのホログラムを見上げて落胆する、貴族の男のものだった。その男に続いて、他の貴族たちも嘆きの声を上げて落胆し始めている。青ざめた顔で凝視しているのは、奴隷兵たちの生存数を表示している、スコアボードだ。
――――生存者がゼロになっている。
「なぜだ! ついさっきまで、1万以上の兵力が残っていたはずだぞ! どうしてそれが一瞬で!」
「きゃああああ! 何が起きたざます! どうして奴隷の生存数がゼロになったざますか!」
「バカな……! 奴隷全員が死亡し、あの剣聖が敗れただと…………!?」
速報テロップは、剣聖の敗走を報じている。
獣人たちに圧倒され、戦場から撤退したのだという情報が流れた。
その字面を、貴族たちは目を疑う心境で凝視していた。
「ありえん! こんなのありえんぞ! 会場の様子を見せろ! 中継映像を戻せ!」
「大損だ! 大損だぞ! うああああ!」
賭けていた者たちは、頭を抱えて絶叫している。奴隷兵の生存者がゼロになったことで、機械は自動的に獣人側の勝利を判定した様子だった。ホログラム画面には結果画面が表示される。
イリアの勝利と、賭けに負けた者達が背負う負債額が表示されていた。
戦場とは違う意味で、阿鼻叫喚と化すメインフロア。人々は激しくざわめき、賭けに負けた貴族たちは、自暴自棄になって暴れ始めている。その無様な混乱を見やりながら、イリアは不敵に微笑んだ。
「クク。やはり、またしでかしてくれたわけか、雨宮くん」
映像がないため、戦場の様子はわからない。
だが、普通には起きえないことが、現実に起きているのだ。
そこには必ず原因がある。
雨宮ケイたち以外に、考えられないだろう。
あまりにも想定外な出来事に、クリスは目を丸くしている。
まさか本当に、大穴に賭けて勝利するなどとは思っていなかったのだ。
「信じられない……! 大儲けだぞ、イリア!」
「そのようだね」
「もっと喜べよ! 大穴に賭けていたのは俺たちだけだ! 完全勝利だぞ、これ!」
賭けに勝利した興奮で、クリスはガッツポーズをとって歓喜している。
だがイリアは冷淡に、会場の様子を見渡している様子だった。
金のことなど、どうでも良い態度だ。
そんなイリアを奇妙に思い、クリスは改めて尋ねた。
「……どうやら、これがケイの仕業だと思ってるようだな」
「雨宮くんか。仲間たちの力か。わからないが、彼等の仕業以外には考えられないだろう」
「なら、いったいケイたちは何をしたんだ、イリア……! 剣聖が敗走するなんて、情報通りならただ事じゃない。悪いが、ケイの実力で撃退できる相手だったとは思えないぞ」
「さあね。だがこれで、予定通りにコトが運べそうだ」
「予定通りって……」
「ボクたちは、この賭けを降りる」
「…………ええっ?!」
思わず素っ頓狂な声を上げ、クリスはその場で立ち上がってしまう。
同伴者のクリスが立ったのを見て、それに遅れてイリアも席を立つ。
ドレスのスカートを整えると、優雅にホールを歩き出した。
「おい、イリア! 賭けを降りるって、どういうことなんだ?!」
「文字通りさ。ボクたちは賭けに大勝ちした。だからこそ、勝者の権利を放棄する」
あまりにも意味不明なことを言うイリア。
本気で言っているのか。錯乱しているのではないか。
クリスがそう思ってしまうほど、イリアという人間は非常識だ。
「……正気なのか?! いったい今、いくらの勝ち金になってると思ってるんだ?! それを全部手放すって、そんなことして何になるんだ!」
「ボクは金になどこだわらない。価値あるものは、金では買えないものばかりだからね」
イリアはほくそ笑み、改めてクリスへ告げた。
「何度も言わせるなよ。ボクはイカレている」