8-31 絶望を打ち払いし獣
遠くからガイアの呼ぶ声が聞こえ、ステラは東京への避難を取りやめていた。
獣の泣き叫ぶ声が聞こえたかと思った途端、奴隷兵たちと人狼血族たちは争うことをやめ、その場で立ち尽くしてしまっている。ステラの目の前に、戦いが止まるという、予想すらしていなかった奇妙な光景が広がっていた。銃弾が飛ばなくなった安全な戦場を駆け抜け、今はただ、人々が見つめる先へと向かう。
そこで目撃したのは、銀髪の少女の懸命な訴えだ。
戦いをやめるべきだという言葉に、少なからずステラも心を打たれた。だが次の瞬間、剣聖の一言によって再開された理不尽な戦闘により、少女の思いは容易く打ち砕かれてしまう。再び飛び交う銃弾の雨の只中に投げ出され、ステラは逃げ場を失ってしまった。
「ステラ姉さん、そこは危ない! こっちです!」
ステラを心配して、背後からジェシカとザナが追いかけてきていた。銃弾飛び交う戦場で、ザナはステラの手を引いた。退路に立ち塞がる奴隷兵たちは、同行するジェシカが、魔術で蹴散らしていく。そうして近くにあった柱の陰に身を隠し、そこから再び周囲の様子を伺った。
3人は信じられない光景を目撃してしまった。銀髪の少女を守ろうと駆けつけた、雨宮ケイの、ありえない姿である。
「ウソ!? ケイはどうしたの! なんで、なくなったはずの左腕が生えて?!」
「あれじゃあまるで、僕たち人狼血族と同じ再生能力です!」
ケイの失われた左腕が生えて、元通りに戻ってしまっているのだ。切断された腕が生え出てくる人間など、聞いたこともない。まるで人狼血族を思わせる獣じみた睨み顔で、相対する剣聖へ敵意を向けている様子だ。その瞳の奥に、ほのかな青い光を湛えているようにも見える。
あまりにも常識を外れてる現象に、ジェシカとザナは唖然としてしまっている。奇跡と呼ぶには、異様すぎる現実だ。
「まさか……あの“輸血液”の影響なのか……!?」
だがステラにだけは、思い当たる節があった。その呟きを聞き逃さず、ジェシカが慌てて尋ねる。
「心当たりがあるの?! 輸血液の影響って、何の話しよ!」
「左腕を失ったアマミヤは、私の病院に運び込まれた時点で、すでに失血死している状態だった。ジェシカに輸血をしろと頼まれたが、そもそも私の病院に人間用の輸血液など常備していない。まさか死んでるヤツが蘇生するなんて思ってなかったから、言われるがまま、ダメもとで“人狼血族用の輸血液”を使用したんだ」
「ウソ! そんなの、人間に輸血して問題ないわけ?!」
ステラが行った非常識な医療行為に、ジェシカは耳を疑ってしまう。神妙な顔に冷や汗をかきながら、ステラは続けた。
「普通なら適合しないだろうな。拒否反応で、死亡しかねない荒療治だった。しかし、そもそもアマミヤは最初から死んでいる状態だったから、馴染むまでに拒否反応が起きて、途中で命を落とすようなことがなかった。しかも……アマミヤの肉体は特異だ。身体に獣人の血が馴染み、ああして人狼血族の特性である“肉体再生能力”を獲得できたのかもしれん。獣化するまではいかないところを見るに、人狼血族になったわけではない。言うなれば、今のアマミヤは人間であって“半獣人”だろう」
ステラの推察を聞き終え、ジェシカもザナも驚く以外になかった。
◇◇◇
強化魔術をかけた手足から、青白い放電現象が発生する。荒ぶる血の騒ぎを止められず、ケイは本能の趣くまま、真正面からサイラスに向かって突撃した。
疾駆――――。
蹴り出した地面から炸裂音が轟き、床がひび割れる。
ケイが通過した虚空には突風が生じ、降り注ぐ雨滴を吹き飛ばした。
弾丸のような速度で迫るケイ。一瞬のうちに詰め寄られたサイラスは、ケイが叩きつけるように振り下ろした一撃を、刀で受け止めた。途端、刃から衝撃が伝わり、サイラスの身体を通じて地面へ抜けていく。サイラスの踏ん張った足が、たまらず床にめり込んだ。
「……重いな」
先程まで受けてきた、ケイの片手剣での一撃とは雲泥の差である。両手で持って振るわれるケイの赤剣からは、並々ならぬ重撃が繰り出された。それを喜ばしく重い、サイラスは不敵に笑む。
立て続けに、ケイは赤剣を振り回すようにして打ち込みを繰り返す。
サイラスはそれらを刀で受け流し、ケイの攻撃を紙一重でかわし続ける。
「膂力は上々。だが少々、理性に欠く、勢いに任せた攻撃だ」
剣聖が評価する通り、ケイの攻撃の1つ1つは“雑”だった。
斬撃でもなければ、剣技でもない。
人狼血族たちが、ツメの腕を振り回しているのと同じ。
叩きつけるだけの、剣を使った痛打である。
全身に沸き立つ血の興奮が、ケイから冷静な思考力を奪っていたのだ。
ケイの一撃が、サイラスの頬を掠める。
触れる程度であったのに、裂傷が生じ、そこから血が吹き出た。
流れ出る血を舌なめずりしながら、サイラスは微笑んで呟く。
「……しかし、油断ならない威力であるのは間違いなさそうだ」
雑な攻撃はかわしやすい。サイラスは持ち前の剣捌きで、ケイの攻撃を受け流し続ける。刃がぶつかり合うたびに、破裂音のような音を立て、突風を巻き起こす非常識な近接戦を繰り広げる。遅れて駆けつけたジェイドとリーゼが、その異様な光景を目の当たりに驚いてしまう。
「ケイ、どうして左腕が……?!」
「あのクソ人間、どうなってやがる……! さっきとはまるで別人の動きじゃねえか!」
高速で繰り広げられる剣士たちの戦いに、ジェイドとリーゼは迂闊に参加できない。
一方、ケイの猛攻を刀で受け流しながら、サイラスは呟いた。
「……君は私のことをデタラメだと言ったな。だがどうだ。それは君の方だろう」
微笑むことをやめ、サイラスは真顔で言う。
「理屈はわからないが……獣人に匹敵する高い身体能力を得たようだ。強化魔術で、それをさらに引き上げているようだね。先程よりも、肉体の限界値が格段に高くなり、引き出せる運動能力も向上したと見える。魔術という、鍛錬量の誤魔化しの手品を使っているにしては、なかなかどうして。上々だ」
剣聖に攻撃が届かないことを悟り、ケイは戦術を変えることにした。右腕の異能装具を起動し、機人に与えられた力を用いる。赤剣は音もなくケイの手を離れ、虚空を漂い始める。
「!?」
ケイの手から離れた赤剣が、ケイの手先の軌道をなぞるようにして、宙を飛んでくる。空を飛んでくる赤剣を、サイラスは刀で受け止めながら驚いた顔をした。
「空間把持の魔術か……?」
見えない手で剣の柄を握り、それを空中で、自在に振り回しているように見えた。それはつまり、ケイの攻撃の間合いが変わり、遠方からでもサイラスに斬りかかれるようになったことを意味する。
虚空を舞う赤剣はヨーヨーのように、ケイの手に戻ったり、離れたりを繰り返す。時にはフェイントで、ケイの動きの軌道より遅れて飛び、サイラスの予期せぬ軌道で斬りかかってきたりもする。もはや使い手であるケイの居場所に関わらず、剣撃は繰り出され、間合いもタイミングも読めなくなる。
それは四条院キョウヤ戦で編み出した“投剣技”である。
飛来する剣の軌道は、たしかに読みづらく。避けづらい。
だがサイラスは、余裕の笑みを浮かべていた。
「空を舞う剣か。たしかに厄介な剣技だ。だが所詮は手品。手から離れた剣の一撃など軽い」
一際に強く、サイラスは刀で、赤剣をはじき返した。ケイの手に戻ろうとした途中で、その軌道がブレてしまい、キャッチするのに手こずってしまう。
「――――致命的な隙だぞ?」
数瞬にも満たないケイのその隙を突き、サイラスは瞬間移動のごとき速さで回り込む。ケイの背後を取り、後頭部から唐竹割りにしようと刀を振り下ろしてくる。
「くっ!」
背後に凄まじい怖気を感じ、ケイは慌てて赤剣を頭上に掲げた。それでサイラスの背面斬りは受け流せたが、直後に繰り出された刀柄の当て身を、背に受けてしまう。前方方向へ投げ出されるようにして吹き飛ばされたケイ。次の瞬間には目の前に壁があり、そこへ頬を押しつけるようにしながら、全身でめり込んでしまう。
重々しい衝突音。
めり込んだケイを中心に、壁にはクレーターが生じて、激しく粉塵を巻き上げた。
「がはっ!」
ケイは吐血しながら、よろめくようにして壁から脱する。
赤剣を杖代わりに床へ突き立て、苦しげな顔で、何とかその場に立った。
それを見ていたサイラスは、ケイへ歩み寄りながら、呆れた顔をする。
「今のは……強化魔術を使っているだけでは耐えられない威力で見舞ったはずなのだが? それでも無事でいるとは、そもそも魔術で強化する前の、素の肉体強度が人間を超えていたとしか考えられない。機人の金属骨格でできているわけでもあるまいに。いいや。まさかそうなのか?」
サイラスは不可解そうにしている。
一方で、ケイは自身のダメージを確認する。
信じられないことに、身体に生じた細かい裂傷は、見る見る間に再生して修復されていった。痛みが引いていくのだ。肉体再生能力によって、傷はある程度までなら、自然に治るようになっているらしい。先程、腕を再生させた時には、思わず膝を突きそうなほどに体力を消耗したが……軽傷を治すくらいなら、それほどには消耗しないようだ。いずれにせよ、血が滾っている今なら、肉体再生による疲労蓄積も、しばらく誤魔化せそうだった。
たちどころに傷が治っていくケイを見やり、サイラスは、ますます呆れてしまう。
「初めて見た時から、君の気配は、奇妙だとしか言い様がない。人のように見えて、機人のようでも、魔人のようでもある。さらには獣人の気配まで混じり始めた。いったい君は……何なんのだ?」
尋ねた直後、眼前まで接近し終えているケイが、サイラスへ向かって赤剣を繰り出してきていた。人間を超越した、非常識な速度の打ち込みを、だが剣聖は当然のように受け止めている。ケイは間近から、サイラスに答えてやった。
「オレは、あんたたち帝国人が見下す、ただの卑しい下民だよ」
「ならば、ずいぶんと重い剣を振るう下民もいたことだ」
サイラスの頬が、強者に出会えた喜びに綻ぶ。
投剣技がサイラスには通用しないことを理解し、ケイは戦術を切り替える。そうして手にした剣で、サイラスと正面から斬り結んだ。ケイは、先程までの振り回すような剣撃をやめ、徐々に冷静な剣捌きに立ち戻っていく。そうすると、動きの無駄が少なくなり、一挙手一投足の鋭さが増していく。戦っている間にも、ケイはサイラスの剣筋を、目で追えるようになってきたようだ。ケイの目が自分の動きに追従してきていることを、サイラスは気付いていた。
「天才だな」
感心し、呻いてしまう。
今この瞬間にも、ケイは進化し続けているではないか。
そうであるとしか、言い様がない。
すでにサイラスの攻撃にも順応し、対応し始めている。この僅かな時の戦いによって、ケイは自身の戦闘能力を、何倍にも向上させて見せているのだ。しかも人間の正常な成長過程を無視し、獣人に似た特異な力まで取り込んでのことだ。
サイラスが戦っている相手は、果たして人間なのだろうか。
わからなくなる。
「人ではない人。獣ではない獣。“天狼”か……」
過去に聞いたことがある、くだらないお伽噺だ。
そんな子供のような発想をしてしまう自分を、サイラスは自嘲した。
いかにケイが天才であっても、剣聖に勝てるほどに強くはない。サイラスとの力量差は歴然で、今すぐに埋められる差でないことはわかっていた。勝算がないことを知りながら、ケイは打開策を求め、がむしゃらに戦い続けていた。そうする以外に作戦などないのだ。剣聖にはおそらく、どんな小細工も通用しないのだから。
光の矢が飛来した。
「リーゼか!」
仲間の援護射撃に、ケイは歓喜する。
遠方からリーゼが放った矢だ。それが雨のように、サイラスの頭上から降り注いでくる。すぐさま、サイラスは後方に飛んで避けようとする。常人の目では追いかけられない速さで動くサイラス。それは機人の目であっても、追跡困難なスピードだ。だが遠方にいるリーゼから見れば、サイラスがいかに早く動こうとも“視界の範囲内”である。視線誘導によって、光の矢の軌道を制御する。
「逃がさない!」
地面に突き立つ直前、光の矢は一斉に飛行方法を変える。矢先はサイラスの方向に向いて、軌道を変える。追いかけてくる矢を、サイラスは難なく斬り払って見せた。
「――――ようやく近づけたな!」
サイラスが回避運動で向かった先に、ジェイドが待ち構えていた。力を込めた右腕で、サイラスの横っ面を殴りつけようとする。だがサイラスは、その拳すら軽々とかわし、カウンター攻撃でジェイドの右肩に刀を突き刺した。
「ぐああっ!」
「狙いは良かったが、私を奇襲するにしては技能が足りないな」
刀で肩口を刺されたまま、ジェイドは苦し紛れの笑みを浮かべた。
「バーカ、これで狙いバッチリだっつの……!」
「!」
ジェイドは刺された傷口に力を込めて、筋肉を固める。そうしてサイラスの刀を固定し、自分から引き抜けないようにしてみせる。
「まさか、私の動きを止めるための捨て身か……!」
激痛に歯を食いしばり、ジェイドは目を血走らせながら、人間の名を呼んだ。
「アマミヤ!」
いつもの「クソ人間」呼びではなく、初めてケイの名を呼んだジェイド。その期待を裏切ることなく、刀を封じられたサイラスの背後に、ケイは接近を終えている。
「おおおおおおおおお!」
咆吼と共に、剣を横薙ぎに繰り出してくるケイ。
サイラスはジェイドの身体を蹴って、急いで刀を引き抜く。守るのが遅れたが、ケイの一撃を、かろうじて刀の腹で受け止めることができた。だが力の受け流しは間に合わず、ケイの剣によって打たれた日本刀は、木っ端微塵に砕け散ってしまう。
「……見事だ」
武器を破壊されたサイラスは、嬉しそうにそれを認めた。