8-29 人のための涙
突如として、転移門から現れた、自衛隊の戦車団。
獣人たちも、奴隷兵たちも、見たことのない軍隊が現れたことで、その場で呆気にとられてしまう。それは、奇襲をかけるつもりだった自衛隊にとって好都合だった。両陣営の攻撃の手が緩んだ隙を逃さず、次々と現れた戦車団が、避難者たちの前衛を守る盾のように展開し終えた。
戦車部隊の隊長号令で、自衛隊と奴隷兵たちの撃ち合いが始まる。鋼鉄の車両から、砲弾攻撃と、機銃掃射をされてはたまらない。奴隷兵たちは、物陰に身を隠しながら、迫り来る人狼血族の戦士たちと、自衛隊の攻撃を凌ぐことになった。それまで、数の有利を利かせて優位に立っていた奴隷兵たちの戦列は、徐々に押し戻されていく。
戦車団に遅れて、完全武装した自衛官たちが、転移門の向こうから現れた。戦車の後衛について、戦車にとって脅威となりうる、ロケット弾を撃ち込もうとする奴隷兵たちを、銃で片付けていく。衛生兵も現れ、人狼血族の避難民たちに、東京への一時避難を呼びかけ始めていた。
「転移門の向こうは、東京という街です! みなさん、まずはそこへ避難してください! ここに留まるのは危険です!」
そんな頼もしい援軍たちに混じって、転移門の向こうからは、メガネの少女も現れる。
金属杖を持っている、修道女のような出で立ちだ。
ジェシカの姿を見つけるなり、パッと顔を輝かせた。
「お姉ちゃん!」
嬉しそうにジェシカへ抱きつき、少女は思い切り頬ずりしてくる。
「わああん! お姉ちゃん! 生きてたんだね、心配したんだよ! ぷにぷにほっぺ!」
「ちょちょ、ちょっと、エマ! 今はこんなことしてる場合じゃないでしょ!」
「ああ、ごめんなさい……! 久しぶりにお姉ちゃん成分を摂取できたから、嬉しくてつい……!」
「なに言ってんのか、意味不明よ!」
ほっぺを押しつけてくる妹のエマを引き離し、ジェシカは改めて、微笑んでやった。
「状況は、さっき姉妹通信で説明した通りよ! 短時間で自衛隊を連れてくるなんて、アタシの妹ながら、やるじゃない!」
「うん! というか……お姉ちゃんたちがどこかの都市から転移門を接続してくれた時に備えて、念のために待機してたのが良かっただけなんだけど……! ドジなお姉ちゃんのことだから、きっと交渉失敗して、ゲートが繋がった途端に救援が来るどころか、攻め込まれるかもしれないって、レイヴンさんが言ってたんだよ……!」
「あのオッサン、次に会った時は覚えておきなさいよ!」
苛立った様子のジェシカ。
それは、いつも通りに勝ち気な姉の物言いである。
だが、そんな姉の顔色が悪いことに、エマはすぐに気が付いた。
苦しげに背をかがめて、脇腹を押さえているではないか。
「どうしたの、お姉ちゃん……? お腹、痛いの……?」
「脇腹を強く打たれたのよ。たぶん、肋骨が折れてる。魔導兵にとって重要な集中力を、痛みで攪乱されてるわ。不覚よ……!」
「お姉ちゃんが、打たれた……!」
エマはメガネの奥の眼差しを、暗く陰らせる。
ジェシカに背を向けると、自衛隊の戦列に向かって、ゆっくりと歩き出した。
「どこ行くのよ、エマ! 前に出すぎると危険よ!」
「……私のお姉ちゃんに酷いことする人は、許しません」
静かな怒りを湛え、エマは杖を構える。
そうして、自衛隊の防衛ラインへ合流した。
◇◇◇
何の役にも立てていない――――。
その苦悩が、アデルの背に重くのしかかっていた。
ザナとステラと共に、人狼血族の避難民たちに紛れて、匿われているだけだ。ケイやリーゼ、ジェシカたちが、命懸けで恐るべき強敵に立ち向かっているというのに、戦いに参加することさえできずに見守っているだけだ。
ただ見ているだけで、この状況の何が変えられるというのだろう。
それだけで、友たちの命を救えるというのか。
そんなはずがない。
なら、こうして指をくわえているだけなのは、間違っているはずなのだ。
自衛隊の衛生兵に誘導されて、他の避難者たちは、転移門へ案内されているところだった。その様子を見送りつつ、まだ避難する様子がないアデルへ、ジェシカが声をかけた。
「アデル、あんたも早くこっちへ! そこにいるのは危険よ!」
「このまま逃げるのでは、いつもと変わらない。それはダメなんです……!」
「……アデル?」
思い詰めている様子のアデルに気付かず、ジェシカは怪訝な顔をする。自分を呼び止める声など届いていないのだろう。まるでアデルは言い聞かせるように、ずっと呟いていた。
「私は戦えません。けれど、みんなの力になりたいのです。私にはきっと……それができる」
「ちょ、アデル、どこ行くのよ!」
アデルはジェシカに背を向け、駆け出した。転移門へ向かう避難者たちの列を押しのけ、戦っているリーゼの元へ向かった。
◇◇◇
「ジェイド! 右!」
「ちっ!」
リーゼの警告で気付き、反対方向へ、ジェイドは跳躍した。すると、数瞬前に立っていた場所で、ミーナの回し蹴りが空を切る。その蹴りをいなしてやると、宙を浮いたままガラ空きになったミーナの背が、ジェイドの目の前に現れた。致命的な隙。右腕の血をたぎらせ、雄々しく生えそろったツメで、ジェイドはその背を引き裂こうとする。
だが、その背が“引っかけ”だった。
振り下ろされたジェイドの右腕。それが背後から迫ることを予期していたのだろう。ミーナはその腕に絡みつき、ジェイドの腕を支点に半身を反らした。とんでもない姿勢から、カウンターの蹴りを見舞ってくる。まともに脇腹に攻撃を受けて、ジェイドは怯んだ。
よろめいたジェイドに、トドメの連撃を叩き込もうと、肉薄するミーナだったが、後方から飛んできたリーゼの矢に気づいた。それをかわす。一瞬だけ矢に気を取られたミーナの横顔に、今度はジェイドが拳を叩き込んだ。横っ面を殴られたミーナは吹き飛ばされ、地面の上を転がった。
すぐに起き上がり、体勢を立て直すミーナ。
唇から流れる血を拭い、いつも通りにニヤニヤと微笑んでいた。
それを見ながら、ジェイドはウンザリしたように毒づく。
「いったい何者だ、この奴隷のガキ! 人間のくせに、獣人の俺と同じくらいに動きやがるだと?!」
「……リーゼの矢、だいぶ厄介」
戦況が芳しくない原因は、ジェイドを後方支援をしているリーゼにあるのだと、ミーナは分析する。周囲の奴隷兵たちに向かって、声をかけた。
「こっちに、指名手配のジェイドがいる! 倒せば特別点だよ!」
「なにっ! 特別点?!」
聞き逃さなかった奴隷兵たちが集まってくる。
そうして遠方から、ジェイドを銃で撃ってきた。
「くっ! 邪魔くせえ!」
ミーナの動向に気を取られながらも、銃弾が飛来してくるとなれば油断はできない。否応にも、外野の奴隷兵たちに意識を向け、先に退けなければ、戦いに集中できない状況に陥れられた。ジェイドは、ミーナが仕掛けた足止めを受けてしまう。
その隙に、ミーナはリーゼへ接近する。
リーゼは、ミーナが自分を狙ってきていることを察知する。正面から向かってくる少女をめがけ、大量の光の矢の雨を、正面から浴びせかけた。左右へ移動して的を揺らすだけでは、リーゼの追尾矢は振り切れない。そのことを理解しているのだろう。
ミーナは、敢えて矢をかわそうとしなかった。
「!?」
容赦なく、ミーナの腕や脚を、光の矢が貫く。案の定、出血して激しい痛みが生じた。だが我慢し、そうして矢の雨に怯まず前進したことで、直撃した矢は4本だけで済む。他の矢は、ミーナの横を通りすぎて、背後の地面へ突き立った。
接近し終える。
ミーナが繰り出した渾身の右ストレートを、リーゼは大弓を盾にして受け止める。だがその一撃は重く、リーゼは後方へ弾き出されるように身を浮かせた。ミーナは間髪入れず、地面の上を転がるリーゼを追いかける。仰向けに倒れた姿勢で止まったリーゼの頭を殴り潰そうと、ミーナは拳を振り上げて飛びかかろうとする。
「――――やめなさい」
リーゼとミーナの間に、いきなりアデルが飛び出してきた。
「!?」
アデルに驚異はなく、無害であることを知っている。だからだろうか。そんなアデルを殴ることが躊躇われ、ミーナは思わず、攻撃の手を止めてしまう。
動きが止まったミーナを、アデルは正面から、優しく抱きしめた。
「ミーナ……。どうしてあなたは、苦しくても笑うのですか?」
「!」
急に現れたかと思えば、そんな問いを投げかけてくる。
身体をこわばらせ、硬直させているミーナを抱きしめたまま、アデルは言った。
「あなたのその笑顔は“演出”です。人間の感情表現に疎い私が、形作っている表情と、根は同じ。だからわかるんです。けれど、それは私のように、他人に見せるために作っている笑顔ではありませんね。自分のめに、そうしているように見えます」
アデルの雰囲気は不思議だった。
敵だらけの戦場にありながら、包み込むように温かく、優しい匂いがした。
得体の知れない温もりが怖くて、思わずミーナはアデルを突き飛ばし、後退した。
そうしている間に、リーゼが立ち上がり、体勢を立て直してしまう。リーゼはアデルを守ろうと、自分の背後へ隠れるように頼んでいた。だがアデルは、リーゼの言うことを聞かない。
アデルのせいで、必殺のチャンスが失われてしまった。
「……退いて、アデル。ミーナ、リーゼたちと戦う」
「戦う理由があるのですか?」
「獣人たち、みんな敵。それに味方する人、全員が奴隷たちの敵」
「でも、ミーナの敵ではないのでしょう?」
「……」
アデルは、諭すように語りかける。
投げかけられた質問に答えることは、ミーナにとって難しかった。
正しくも、間違ってもいないと思えたからだ。
黙り込んだミーナに、アデルは再び尋ねてくる。
「もう1度、聞きます。どうしてミーナは、自分の本心に反して笑うのですか?」
「…………笑っていると。辛くなくなるから」
ミーナは、正直に答えてしまった。
誰にも言うつもりはなかったのに。
アデルに聞かれたら、誤魔化せないように思えた。
「笑っている時は、悲しくなくなるから。だからミーナ、いつだって笑う。オジさんが、教えてくれたこと。ミーナの生き方」
「……ならつまり、ミーナがいつも笑っているのは、いつも悲しくなるのを、誤魔化しているということですか」
「……」
ミーナは、否定しなかった。
2人の奇妙なやり取りを聞いていたリーゼは、構えていた弓を下ろした。
そうして、苦しげな表情でミーナへ訴えかける。
「もうやめて、ミーナ。私は、あなたと戦いたくない。あなたと憎み合って、殺し合いたくないの」
「……」
「たしかにあなたは、簡単に人を殺したりする。善人とは言えないかもしれない。けど、面白おかしく、そうしたいからやっていたんだとは思ってない。だって、人を殺すのは楽しいことじゃないって、そう言ってたじゃない。いつだって、生き延びるために戦っているなら……それは私だって同じ。あなたが酷い人間だって言うなら、私だって酷い機人ってことだよ。もしもアデルが言うとおり、あなたが悲しいと思いながら戦ってるなら……私はもう戦いたくない」
リーゼは、手にしていた弓をその場に捨てる。
武器を放棄した相手を目の前にして、ミーナは困惑していた。
「……でもリーゼ、敵に寝返った。ミーナが生きるためには、敵は殺さなきゃいけない」
「周りをよく見て! この戦場に、心底から殺し合いたがってる人たちなんている?! みんな、企業国王や帝国貴族たちが怖くて、それを楽しませるために、殺し合いを強制されてるだけじゃない!」
リーゼに言われ、ミーナは周囲を見渡した。
奴隷たちのほとんどは、このゲームに強制敵に参加させられている。
理不尽な日々の労働から逃れるため。差別から逃れるため。
奴隷という命の保証さえない身分から脱し、幸せに生きられる未来のため。
つまりは誰もが、今の現実から「逃れるため」に、ここで殺し合いをしている。
楽しそうな顔をしている者はいない。
辛くて。苦しくて。泣き出しそうで。怒りに満ちていて。
本当は望んでいない戦いを、無理矢理やらされているだけだ。
ミーナと同じである。
「私はミーナのこと、嫌いじゃないよ! ミーナだって、私のこと嫌いじゃないでしょ?! なら敵って、いったい誰のことよ! 私たち今、どうして戦ってるの?!」
「……」
リーゼに言われて、ミーナはわからなくなる。
「……ミーナも、リーゼのこと好き。どこか、お母さんに似てるから」
「……!」
ミーナは、微笑みを浮かべる。
いつも通り、思うままに生き方を選べない悲しみを、誤魔化すために。
「でも。首に爆弾が着けられてる。みんな外せないし、ミーナもそう。生きようとする限り、みんな戦い続けるしかないよ。ミーナたちが生きること、自分の代わりに、別の誰かを傷つけること。ミーナが笑うと、代わりの人は泣く。だからミーナ、笑えなくなった人たちの分も、笑ってあげたい。そんなことしか、できないから」
微笑みながらミーナは、涼やかに涙を流した。
「でもね。ミーナ……本当は、みんなにも笑っていて欲しかったんだよ?」
初めて見た、少女の涙。
初めて語るであろう、本音の告白。
悲嘆する思いとは矛盾した笑顔に流れる滴を見て、アデルとリーゼは胸が痛んだ。
泣いているミーナを助けたくて。抱きしめたくて。
アデルは両手を差し出して言った。
「ミーナ、こっちへ来てください。首の爆弾なら、私が――――」
――――地響きがする。
地面が揺れ、アデルの言葉は遮られてしまう。
否応にも、周囲の人々の視線が、震源方向へ向けられる。
場所は、ここから少し遠い。
迫り来る奴隷兵たちの戦列の、さらに向こう側である。
日本刀を手にした騎士と、年老いた人狼血族が戦っている。
時折、その戦いに紛れ込むように、赤剣を手にした少年が加勢している様子だ。
どうやら今の地響きは、騎士が獣を、床へ叩きつけた際に生じたもののようだ。
近接戦で起きるとは思えない、周囲への余波。
常識を超えた、凄まじい攻防を繰り広げている。
「…………オジさん!」
年老いた人狼血族の横顔に、ミーナは見覚えがあった。
その姿を発見し、思わず目を丸くしてしまう。
留まってはいられない。
言うなりミーナは、駆け出していた。
「ミーナ、待って! 戻ってきて!」
アデルは皆まで話すことができず、遠ざかるミーナを呼び止め続けた。
◇◇◇
剣聖サイラスの繰り出した一撃によって、ガイアは床へ叩きつけられた。巨体がぶつかったからというだけでは説明できない衝撃波が生じ、地下神殿の全体が揺らぐ。
地面をクレーター状にくぼませて、その中心に倒れたガイア。
サイラスが、追撃の刃を繰り出そうとする接近してくる。
「させるかよ……!」
それを阻止しようと、ケイは剣聖の前に立ち塞がった。ケイが繰り出した赤剣を、日本刀で受け止めながら、その一撃の弱さを鼻で笑う。
「邪魔だな」
ケイは脇腹を蹴り上げられ、呆気なく吹き飛ばされる。近くの壁へ叩きつけられた。血反吐を出しながら、そのまま、床を転げて悶絶する。
サイラスは軽々しくケイを退けると、いまだに倒れたまま立ち上がっていないガイアへ歩み寄って行く。そうして、敬意を込めて微笑みかけた。
「多少は楽しめたぞ、獣の長よ。雨宮ケイは期待外れだったが、おかげで、この国まで足を運んだ甲斐はあったと言える。残念なことがあるとすれば、君は強いが、それは“平凡な強さ”でしかなかった点だ。そのツメでは、私の命に届かんな」
すでに過去形でガイアのことを語っているサイラス。近づいてくるのは、あまりにも強すぎる男だ。勝てる見込みすらないのに、それでも立ち向かうべく、ガイアはフラつく足取りで、懸命に立ち上がった。
もうすでに、右脚の感覚がなくなってきている。
再生したばかりで、健康だったはずの脚は、こんなにも早く、企業国王の呪いによって枯れてしまっている。これでは、もはや逃げることすらかなわないだろう。生き延びるための秘策は、何も残っていない。
強敵にツメが届かなかったことを悟り、ガイアは悔しげに呟いた。
「…………ここまでか」
「もう眠れ」
獣の悔恨を聞くこともなく、サイラスは刀を振り上げた。
ガイアの頭上に振り下ろされた、絶命の死刀を見上げ、胸中は絶望に満たされた。
「――――――――オジさん!!」
懐かしい声が、ガイアを呼んだ気がした。
そう思った次の瞬間。聖の繰り出した刃の切っ先は、ガイアに届くより先に、目の前へ割り込んできた少女の身体を斬り裂いていた。
「……!?」
左肩から袈裟斬りにされ、鮮血を吹き出す小さな身体。
ガイアの身代わりになって、ガイアの眼前で斬られた少女。
見る限り、致命傷である。助けようがない傷を負っている。
予想外の存在の登場に、ガイアはただ、言葉を失ってしまっていた。
予期せぬ出来事に驚いていたのは、ガイアだけではない。
周囲で戦闘を繰り広げていた、人狼血族や奴隷兵たちも同じである。
成り行きをみていた族長が、信じられない思いで呟く。
「まさか! 人間が、獣人を庇ったのか……!?」
理解しがたい現実を目の当たりに、誰しも戦う手が止まってしまう。
すると戦場には、奇妙な静寂が訪れた。
沈黙しているのは、剣聖も同じである。
子供を殺してしまったサイラスは、複雑な思いでいた。
少女の動きが素早かったことと、少女から殺意が放たれていなかったせいだろう。
間合いに近づく気配に、気が付くのが遅れた。
その結果、手に生じた予期せぬ手応えに、驚いた顔をしている。
「……少々、気を抜きすぎていたな。誤って子供を斬ってしまうとは……私も修行が足りない」
サイラスは刃を振って、返り血を振り払う。
「命を振り絞ったその子が死ぬまで、待ってやろう。せめてもの敬意だ」
意図せず子供を殺してしまったことで、自省している様子だった。そのせいだろう。刀を鞘に収め、黙ってその場に佇んだ。そうして、命を張って獣を救った少女の、今際の言葉を聞こうとしていた。それがサイラスから少女に贈る、せめてもの哀悼の意である。
斬られた少女は――――微笑んでいた。
「オジ……さん……」
そう言いながら、ガイアの胸の中に倒れ込んできた。
ガイアはそれを抱き止め、理解してしまう。
「ああ…………あああ……まさか、ミーナなのか……!」
少女の素性に思い当たり、同時に、止めどない涙がこみ上げてくる。
弱々しく言葉を口にする少女の姿を、確かめるように何度も見た。
「ああ、ミーナ! あんなに小さかった子が、こんなに大きくなって……! どうして! どうしてお前がこんなところに……まさか、ワシと別れた後、奴隷にされていたのか……!」
最悪な現実が、ガイアの脳内で組み立てられていく。
雪の夜に別れた少女。
その少女は、幸せになるどころか奴隷にされて、こんな最低な戦場に送り込まれていたのだ。これまでミーナが、どのような仕打ちを受けてきたのか。想像することもできない。
全てはあの時、ガイアが置き去りにしたせいだ。
「すまなかった……! すまなかった、ミーナ……! お前は人。人の世に戻してやるのが、1番良いのだと思っていたのだ。だが、ああ……ワシはお前に、何という酷いことを……!」
「泣かないで、オジさん……ミーナ、オジさんにまた会えて……嬉しいよ……」
息も絶え絶えのミーナ。
痛いはずだ。苦しいはずだ。
それなのに、それを誤魔化しながら、懸命にガイアへ微笑みかけてくる。
「ミーナ…………あれからずっと、笑ってたよ……ずっとずっと……約束……守ったんだよ……」
「死ぬな、ミーナ! オジさんが、今すぐに助けてやるからな!」
ガイアは救いを求めて、周囲を見渡した。
周りにいるのは、殺しの道具を持った者ばかりだ。
少女を助けられる者は見当たらない。
だから、思いついた名を口にする。
「ステラ! この子を! どうか、この人間の子を救ってくれ! 頼む!」
声は届かない。ステラがいるのは、離れた場所。
自衛隊の戦列が成す、防衛ラインの向こうだ。
ミーナの怪我は酷すぎて、そこまで運んでやることはできない。
下手に動かせば、今にも息絶えてしまいそうな傷なのだ。
自分に残り時間が少ないことを、誰よりもミーナ自身がわかっていたのだろう。
ガイアの腕に抱かれながら、ミーナは感謝の言葉を口にした。
「笑い方……教えてもらえて……良かった……ミーナ……それで何度も助けられたんだよ……オジさんのおかげで……ミーナ……今まで頑張って生きてこられた……」
「もう無理に喋るな、ミーナ! 傷に障る!」
「オジさんにまた会えて……良かった……ミーナ、やっと言える……」
血の混じった咳をして、それでもミーナは微笑んで見せた。
精一杯の感謝と、愛情を込めて。
「……あの時、ミーナを助けてくれて……ありがとう……」
その一言が、ずっと言いたかった。
それが言えたことで、満足したのだろう。
ミーナの瞳から、急速に光が失われていった。
遠ざかって行くミーナの命を覗き込みながら、ガイアは身体を震わせた。
「ああああ! ああああああああああああ!」
雨が降りしきる空に向かって、ガイアは声を上げる。
意味を成さない悲鳴。形にならない感情の叫び。
張り裂けるような胸の痛みを抱え、止めどなく涙を流した。
大気を震わすほどの絶叫と共に、獣は失われた命を悔やんだ。
「…………なんだよ、あの獣人」
「……人間のために、泣いてるのか……?」
戦う手を止めた奴隷たち。雨に濡れていると、身体の熱が冷めていく。自分たちが手にした銃が、実は、酷く冷たいものであったことに気付かされる。戦意が消えていくのは、人狼血族たちも同じだった。怒りが少しずつ霧散して、溶けていくようだ。
人々は戦いをやめ、ただしばらく、獣が人のために流す涙を見守り続けた。