8-25 剣聖
ジェイドに案内され、ジャングルの中にあった滝壺へ飛び込んだ。
水底へ向かって潜ると、崖方向の壁面に、横穴が見つかった。
コンクリートらしき白色の壁で形成された、四角い穴だ。
それは人工的に造られた“水路”に見えた。
横穴の中を、しばらく真っ直ぐに泳いで進む。
水路は傾斜していたようで、行き先にはやがて、水面が現れた。
そこから顔を出した先にも、まだ水路は続いている様子だ。
泳いできた水路は、途中から坂道の通路へと変わり、ケイたちはそこを歩き出す。
外の光が届かない場所だが、周囲は夜光草によって照らし出されている。
「ここが……」
「地下神殿だ」
先導して歩くジェイドの隣で、ステラが応えた。
だがステラのその表現では、ケイは腑に落ちなかった。
「神殿って言うけど……近代的な何かの施設って感じがする。神々しい感じじゃなくて、無機質な……水質処理施設の水路みたいに見えるんだけど」
「察しの通り、実際には神殿じゃない。詳しいことはわからん。だがまあ……おそらく、1万年以上も前に、この辺を統治していたニグレド国が有していた、何らかの研究施設じゃないのか? いつの時代か知らんが、人間たちが造った、何らかの施設なのは間違いない」
「研究施設? ここが?」
「推測だがな。内部の構造は、地下へ向かって、かなり広く造られている。昨年、ここを発見したばかりで、まだ全てのフロアを調査しきれているわけじゃないが、私たちが見て回れた限りでは、研究設備、あるいは医療設備のようなものが放置されてる部屋が、数多く見つかっている。動力は残っているようだが、どうやら魔術を使った制御が必要なようでな。私たち獣人には魔術が使えないから、動かすこともできん。つまり何に使用されていた機材なのか、サッパリわからなかった」
「おい、こっちだ」
ジェイドが指さす先。水路の壁にボルトで固定されたハシゴが現れた。そのハシゴが続く先の天井は、煙突状にくり抜かれていて、上層へ続いている様子である。
ハシゴを登り、突き当たりの鉄蓋を押し開けた先は、広い格納庫のような場所へ出た。数機の飛行機を保管しておけるくらいの、天井の高い広大な広間だ。
そこには、すでに多くの人狼血族たちが集まっていた。見たところ、傷病者や、女や子供。戦えそうにない者たちばかりである。薄暗い広場の中央で、獣脂のランプ灯を設置しており、その明かりで照らせているのは、限られた空間だけだ。心許ない明かりに集い、不安そうな表情で、身を寄せ合うようにしている。
悲痛な顔をしている人狼血族たちを見て、ジェシカは、胸を痛めながら言った
「ここが、避難所ってわけね……」
「なるほどな。入り口からして、たしかにここなら、簡単には見つからなさそうだ」
「いいか、ステラ。お前はここで皆と一緒にいろ。わかったな?」
「……」
ジェイドに釘を刺されたステラは、悲しそうに視線を地へ伏せた。
ステラを連れて、避難者たちのグループに歩み寄っていく。
その途中、ステラがケイを呼び止めた。
「アマミヤ、あれを見ろ」
ステラは、格納庫の奥の暗がりを指さす。
避難者たちが集まっている中央よりも、さらに奥の方向。そこにも獣脂のランプ灯がいくつか設置されており、人狼血族たちが集まっている様子だ。別のグループだろうか。よく見れば、そこにいる集団は奇妙だ。
「なによ、アレ。祭壇?」
ジェシカが眉をひそめている。
言う通り、白い布をかぶせた大きな祭壇があり、偶像らしきものが置かれている。その周囲に集まっている人狼血族たちは、像にひれ伏すようにして、祈りを捧げていた。
「この施設が、地下神殿と呼ばれるようになった由縁だ。信心深い人狼血族の連中が、ああして祭壇を持ち込んでな。今では教会代わりに、ここを使用している」
「信心深いとか、教会って……獣人たちに宗教があるなんて話し、アタシは聞いたことないわよ。じゃあこれも、数多くある密教の一種ってわけ?」
「他教の存在を、ロゴス聖団の連中は認めていないからな。表立って新興宗教をやっている連中は、皆、聖団の“異端狩り”に遭う。このアークで、言語以外に何かを信仰しようと思えば、必然的にコッソリやるしかない。私自身に信仰はないが、ああいう熱心な連中もいるわけだ。ジェシカは、その格好からして聖団の一員だろう? なら事情に察しは付くはずだ」
「まあ……ね」
ジェシカは、少し歯切れ悪く応えた。
その態度の理由は、ケイにはよくわからない。
祭壇の背後には、巨大なリング状のオブジェクトが設置されていた。構造や大きさからして、外から簡単に持ち込めるものではない。おそらくあれは、人狼血族たちが持ち込んだものではないだろう。そのリングの中央付近に、偶像がくるような位置取りで、祭壇は設置されていた。祈っている人々から見れば、まるで信仰対象が、背後に巨大な後光を背負っているような姿に見えているだろう。
「ステラ、あの像は何?」
「信仰対象だ。アークの全種を救うと言われる伝説の存在。人の王だ」
「!」
ケイとジェシカは、驚いた。
「ここでも、また人の王……。あの天然機人から聞いた伝承以外に、獣人たちのお伽噺にも登場して、しかもここでは、信仰の対象にもなってるわけ?」
「帝国の人間社会には存在しない伝承みたいだけど、他種族の中では知られた伝説って言うのが、なんだか奇妙だよな……。あれが、始祖が言ってた救世主なのか」
「アタシとエマは、今まで同種と暮らしてこなかったから知らないけど、もしかして魔人族の間にも存在する話しだったりするのかしら」
「始祖から人の王について聞いてるのか。なら私の説明はいらないな。ああして救いを求めて祈り続けているようだが……。それで、この酷い現実が良くなるとは、私には思えんよ」
ステラの手厳しい意見を聞いて、ケイは複雑な気持ちになってしまう。
ここに集まった人々は、みんな救われたいのだ。自分の力が脆弱であることを知っていて、仲間が殺されている現実を変えることができないから。それができる何者かに縋りたいのだ。自分の力だけでは変更できない大局を、誰かに動かして欲しい。
そうした弱者たちの願いなら、ケイだって胸の内に持っている。
ステラの言う通り、意味のない願いかもしれないが、否定はしたくなかった。
「あ、ジェシカ!」
「アマミヤと、ジェシカだよ!」
避難者たちの中から、知った顔の人狼血族の子供が駆け寄ってくる。子供たちはジェシカやケイに抱きついてきて、嬉しそうな顔をしていた。
「ガキんちょたち、無事だったのね!」
「良かった」
「わ、ちょっと! 引っ張るんじゃないわよ!」
子供たちに懐かれているジェシカは、まとわりつかれてしまっている。
そのまま手を引かれて、どこかへ連れて行かれてしまった。大人気である。
ジェイドは周囲の人狼血族たちを見渡して、悔しそうに歯噛みした。
「くそ……避難人数が少なすぎる! これしか来てねえのかよ……!」
ケイも同じことを考えていた。見た限り、ケイが滞在していた集落の人数くらいしか、集まっていない。森には他にも多くの集落があると聞いていたが、そこからも女子供が集まっていたとしたら、これでは少なすぎるだろう。
苦い思いで、ケイは同意した。
「ここに来るまで、女や子供の死体もたくさん見てきた。……避難が間に合わなくて、辿り着けなかった人狼血族も多かったんだろう。残念だ……」
「……」
ジェイドは頭に血が上っている様子で、ギリギリと歯を食いしばっていた。
なにも言わず、その場に背を向け、元来た道を戻ろうとする。
その背を、ケイが鋭い口調で呼び飛べた。
「待てよ。どこへ行くつもりだ」
「決まってる! 外に行って、1人でも多くの人間をぶっ殺してきてやらあ!」
「……無駄死にだ」
ケイに否定されたことで、腹を立てたのだろう。
ジェイドはケイの胸ぐらを掴み上げて、間近から睨み付けてくる。
だがケイは冷静な態度で、ジェイドへ言い聞かせた。
「言っただろ。あとは大会が打ち切られるまで、ひたすら逃げ回り続ける。それが1番、犠牲が少なくて済む方法のはずだ。伝令たちには、すでにその情報を拡散するように頼んだ。ならオレたちは、ここに留まって、帝国人たちに発見されてしまった場合に備えるべきだ。子供たちを守る役に徹するんだよ」
「それはテメエがやれば良いだろうが……! 俺は、逃げ遅れた奴等を助けに行く! まだ助けられるかもしれねえ、生き残りたちがいるはずだ! そいつらが逃げられるように、人間どもを蹴散らして、戦線をぶっ壊してきてやる……!」
「よせ! すでに周りは敵だらけなんだぞ! これ以上、この避難所を出入りする姿を見られるだけでリスクだ! 敵に潜伏場所を教えることになりかねないだろ!」
「見つからなきゃ良い! もしも見つかったら、発見者は全員殺しちまえば良いだろ!」
「どうやってだ! 透明人間にでもなるつもりかよ! わからないヤツだな!」
意見が合わず。ケイとジェイドはいがみ合う。
互いの顔を睨み付けて腹を立てていると、ジェシカの驚く声が聞こえてきた。
「ちょっと、これって!?」
「……?」
子供たちに連れて行かれたジェシカは、いつの間にか祭壇の付近にいた。
祭壇の背後に設置されている、巨大なリング。
それを指さして、ジェシカはケイを呼びつける。
「ケイ、こっち来て! もしかしたら――――」
何かを言おうとしたジェシカだったが、すぐに言葉を呑み込んだ。
またもや驚いた顔をして、ケイたちの背後を指さし始める。
「………………ケイ?」
振り返ると、そこには知った顔の3人組が立っていた。
ケイたちと同じく、水路を通ってきたのだろう。全身ずぶ濡れの様子である。
長い銀髪。頭部から赤い花を咲かせた少女。
大弓を背負った、フードマントの機人。
そして、獣耳を生やした少年だ。
赤花の少女は、ケイの顔を見るなり駆けより、飛びついてくる。
「ケイ!」
少女の華奢な身体を受け止めながら、ケイは驚愕する。
「アデル……! それにリーゼ、ザナ?!」
「どうしてこんなところに、ケイが! ああ、また会えて良かった!」
固くケイを抱きしめて離さないアデル。
その背後から、リーゼとザナが歩み寄ってきた。
「やっぱり。ケイとジェシカは、無事だったんだね。信じていたよ」
「リーゼたちも無事みたいだな」
遅れてアデルは、ケイの着ている服の左腕が、空っぽになっていることに気が付いた。腕がなくなていることを知ったアデルは、青ざめてケイを問いただした。
「ケイ、その左腕はどうしたのですか!」
「ジェシカを助ける時に、色々あってな……」
慌てて駆け寄り、合流してきたジェシカも、息を切らせながらリーゼを指さして言う。
「リーゼだって! その右耳は、いったいどうしたって言うのよ!」
「こっちも、2人とはぐれた後に色々あったんだよ。お互い、募る話しがありそうだね」
再会を喜ぶケイたちの横で、ザナも喜んでいた。
「ジェイド兄さん! ステラ姉さん!」
「ザナ!」
ジェイドはザナを抱きしめ、これまで見せたこともない、嬉しそうな顔をしていた。
「無事だったんだな、この野郎! 死ぬほど心配させやがってよ!」
「おい。アマミヤから聞いたぞ。たった1人で、始祖のために薬を買いに行くなんて。無謀がすぎる……!」
「ごめんなさい……。僕、足を辛そうにしている父さんを、見ていられなくて……」
「子供の人狼血族が、人間の街に単独で忍び込むなんざ自殺行為だ! 2度とこんな危険な真似するんじゃねえぞ!」
いつまでも、再会を喜び合っている状況でもない。外では、いまだ人間と獣人の戦闘が繰り広げられていて、この避難所も、いつ見つかって襲われるかもわからないのだ。気を抜いてはいられない。
リーゼは周囲の様子を観察した後に、ケイへ尋ねた。
「予期せず、こんな死地で再会するなんて。これはいったいどういう巡り合わせなのかしら」
「オレたちは、しばらく人狼血族の集落で世話になってたんだ。そのうちに、この戦いが始まった。戦いを止めることはできないけど、この避難所に逃げてきてる人たちを守ろうと思って、ここに来たんだ」
「そうだったんだ。なら、私たちと同じだね。ザナにこの場所まで案内されて、避難所を守るためにやって来たんだよ。ここでケイたちと再会することができたのは、完全に予想外だったけど」
「幸運だったわけか……」
始祖と話した後、この集落を離れて逃げていたら、ケイはアデルたちと、合流できていたかわからない。今になって考えれば、偶然にも正しい選択ができたのかもしれない。戻ってきて正解だった。
――――アデルが声を荒げた。
「ケイ、危ない!」
最初、何が起きたのか理解できなかった。
お互い、すぐ近くにいたケイとジェイド。
その中間に――――知らない男が立っていた。
「!?」
至近距離に忽然と現れた1人の男。
ケイもジェイドも、慌てて跳躍し、距離を取る。
リーゼとジェシカも、いきなり現れた男に驚き、後退した。
「アデル! 下がってろ!」
「ステラ! ザナ! 他の人狼血族たちと一緒に離れていろ!」
余裕のない口調で、ケイとジェイドは警告した。
咄嗟にできた対応は、そこまでである。
珍しく、神妙な顔をしているジェイドが、ケイを見向きもせずに話しかけてきた。
「……おい、クソ人間」
「わかってる」
現れた謎の男を、ケイは凝視するように観察した。
長い黒髪を結い上げている、緑眼の壮年男。細面の表情には、穏やかな笑みを湛えている。黒いネクタイに、黒い喪服の礼装。その上から、雨よけのフードマントを羽織っていた。腰には、日本刀を収めた鞘を提げている。佇まいは、穏やかで静かな印象である。
その存在は、目の錯覚などではなかった。
たしかに実体を持った男が、その場に生じている。
だがいったい、いつ現れたと言うのだろう。
かなりの至近距離まで近づかれていた。
それなのに、音も、息づかいも、気配も。何も感じなかった。
無から生じた有であるように。周囲を漂う空気の一部であるように。
ただ瞬く間に、姿を見せたのだ。
「普通じゃない……!」
ケイは、腰の鞘から赤剣を引き抜く。
ジェイドも獣化し、ツメを生やして唸り声を漏らす。
リーゼとジェシカも、2人の後方で臨戦態勢に入っていた。
「君が、雨宮ケイ。それと、その一味だね?」
落ち着いた明瞭な声色。
男は微笑みを絶やさず、涼やかにケイへ尋ねた。
不気味である。
男からは、敵意も殺意も放たれていない。
それどころか、友好的ですらある態度だ。
ただひたすらに静かであり、穏やか。
それなのに――――ケイの全身には鳥肌が立っている。
「これは珍しい。人間、機人、魔人、獣人。いがみ合う者たち同士の組み合わせパーティーか。しかもそれが、獣人を守るために、人間と敵対している。こんな奇妙な構図を見たのは、初めてだ」
「……アンタは誰なんだ」
「帝国側。君たちから見れば敵さ」
男は鞘から、ゆっくりと日本刀を抜き放った。
「雨宮ケイ。君の噂は、淫乱卿から聞いた。年甲斐もなく疼いてしまったよ。強者と聞けば、挑まずにはいられない。我ながら、こらえ性がない性分でね。暗愁卿に誘われて、すぐに快諾したよ。君さえ死ねば、この大会の目的はおおよそ達成らしい。そんなこと、私にはどうでも良いがね」
ケイの背後で、ジェシカとリーゼが震え上がっていた。
真っ青な顔をしながら、2人は泣き出しそうになりながら呟く。
「この人の顔、知ってる……! シュバルツ家当主……!」
「冗談じゃないわ……あの“剣聖”が、こんな地方の競技大会に参加してるなんて……!」
男は微笑みながら宣告する。
「端的に言って私は、君を殺しに来た」
帝国最強の騎士。
相対する者全てに、穏やかな戦慄をもたらす。




