8-22 誰がための殺戮
ジャングルの茂みの奥から、武装した人間たちが姿を現した。
その数は、1人や2人ではない。100を遙かに超える大軍勢である。
横一列に並んで進軍する、奴隷の兵士たち。いずれの男も筋肉質な体格で、耐刃仕様のボディアーマに身を包んでいる。手には帝国騎士団の使う、ミスリル製の突撃自動小銃を構えており、暗がりに敵が待ち伏せしていないか、警戒した忍び足で、気配を殺している。
上空には、大会の進行を中継している、偵察無人機が無数に飛んでいた。普段であれば、光学迷彩によって姿を消している無人機たちだが、降りしきる雨の中では雨滴を弾き、その透明な姿と位置を浮かび上がらせていた。
程なくして誰かが叫んだ。
「――――獣人だ!」
どこかから聞こえる、獣の咆吼と、人の悲鳴。
直後に森の中で銃火が光、発砲音が連続する。
その最初の接敵が合図であったように、周囲は一気に戦闘状態へ陥った。
奴隷たちの行く手の森。その木の陰から、数え切れない人狼血族たちが飛び出し、襲いかかってきたのだ。殺されてなるものかと、奴隷たちは決死の思いで銃を撃ち始めた。
人狼血族は普段、人に近い姿をしている。だが興奮すると体毛が逆立ち、巨体の狼男の姿へと変貌するのだ。口蓋が迫り出し、狼の形相と化して、鋭い牙が生えそろう。筋肉は増大して強固となり、二回りほど身体が大きくなる。威嚇するように尻尾が生え出て、両手足には、禍々しいツメが生えそろっていた。
1人1人が、人の姿をした大型の野獣へと変身している。
その個体戦闘能力は、人間のそれを遙かに凌駕していた。
肉質が固く、再生能力もあるため、多少の銃弾を受けたところで怯みもしない。強靱なツメは、周囲に生える木の幹ごと、奴隷たちの耐刃防具をたやすく引き裂く。頑丈な顎で、奴隷たちの腕ごと銃を噛み砕いた。
「うぎゃああああ!」
「腕が! 俺の腕がああ!」
裂けて飛び散る人肉。
撫でられただけで、細切れになる人の四肢。
血しぶきと共に、人間たちの悲鳴が湧き上がる。
曇天の暗い森の中、無数の星のように、応戦の銃火が煌めいた。
集団で行動する人狼血族たちの突破力は、簡単には止まらない。
「くそお! 化け物どもめ!」
「うああああ!」
恐怖のあまり、でたらめに発砲する奴隷たち。その銃弾の1発が、人狼血族の1人の頭部を撃ち抜いた。さすがの獣人であっても、頭部を破壊されては即死する。殺された仲間に駆け寄った人狼血族が、涙を流しながら怒り狂う。そうして唸り声を上げながら、人間たちを引き裂き、噛み殺した。その繰り返しである。
阿鼻叫喚は、瞬く間に森全体へ広がっていく。
銃声と爆煙。悲痛な獣たちの咆吼が、四方で生じた。
まるで戦場に流れる涙のように、雨足は強くなるばかりである。
◇◇◇
武器を手にした人間たちが、集落へ雪崩れ込んできた。
人狼血族の男たちは変身し、すぐさま迎撃に向かう。
人間たちが使用する銃や爆薬は強力で、いかに銃弾に怯まない人狼血族と言えど、大量にそれらを浴びせられれば、命を落とす。四方八方から撃たれて血まみれになった獣たちの死体を踏みしめ、やがて火炎放射器を振り回す者まで現れた。引火性の油物と同時に炎をバラ撒く銃器は、瞬く間に周囲の草木に火を点けていった。あっという間に、集落は炎に包まれていく。
銃弾が飛び交う戦場の渦中を、ジェイドは必死に駆けていた。
「クソ! ステラのヤツ! 避難もしないで、どこにいやがる!」
幼馴染みの少女の姿が、避難場所に現れなかった。
待っていられず、ジェイドはステラの病院までの道のりを駆け抜ける。
草木を掻き分け。途中に立ち塞がった人間たちを引き裂き、殺し。その生暖かい返り血を浴びながら、森の中を走った。ふと、草藪の陰に、白衣を着たステラの姿を見かけ、足を止める。急いで駆け寄ると、その肩を掴んで呼びかけた。
「ステラ! 何してんだ!」
「見ればわかるだろう! 怪我人の手当だ!」
「!」
振り向いたステラは、泣いていた。その目の前には、爆薬で下腹部を吹き飛ばされた様子の、少年の人狼血族が倒れていた。臓器が周囲に散らばっており、瞳からは、すでに光が失われている。
「私を……私を庇ってこの子は……!」
「怪我人って……!」
死んでいる。
治療などできるはずがない。
だがステラは冷静さを欠いてしまっているようで、少年の死体に縋って離れようとしない。ジェイドは歯噛みした。ステラの手を乱暴に掴み上げて、その場に立たせる。そうして、軽く頬を叩いた。
「しっかりしろ、ステラ! その子はもう死んでる!」
「……!」
「お前も逃げないと、殺されるんだぞ!」
我に返ったのか、ステラは愕然と少年の死体を見下ろしていた。ショックを受けて青ざめている様子だが、悠長に気持ちを落ち着かせてやる時間はない。立ち尽くしているステラの手を引いて、ジェイドは、元来た道を戻ろうとした。
「地下神殿へ行くぞ、ステラ! そこまでは、俺が護衛する!」
「手を離せ! 私はここへ残るんだ!」
ステラは涙しながら、ジェイドの手を振り払って怒った。
「残って……皆を助けるんだ! そのために私は、医術を学んだのだぞ……! 医者になったんだ! もう誰も、母さんのように死なせなくて済むように……!」
「バカ野郎……!」
ジェイドは、睨んでくるステラの頭を抱き寄せた。
そうして落ち着かせるように、耳元に囁いた。
「1人で何でも抱え込んでんじゃねえ。お前は俺より賢いから、何でもかんでも難しく考えすぎやがる。お前がここで死んだら、誰が生き残った奴等の怪我を治すんだ。それこそ、お前にしかできねえことだろうが……!」
「……」
「今日死ぬのは、俺たちみたいに、戦えるオスだけで十分なんだよ!」
「……イヤだ」
ステラは駄々をこねる。
いつもクールな表情に、心底からの切なさを発露させていた。
そうして一生懸命に、ジェイドへ懇願する。
「死ぬな、ジェイド。お前が死ぬのはイヤだ。お前が死んでしまったら、私は……!」
「……チッ!」
決死の覚悟が、幼馴染みの涙で揺らぎそうになる。
ジェイドは舌打ちをして、ステラの手を引いてジャングルを駆け始めた。
幼馴染みの手を繋ぎ、見慣れた故郷の森を走る。
見知った近所の住人たちが殺され、死体が転がっていた。
ロケット弾が頭上を通過し、近くの岩盤が破裂した。
逃げ遅れた女の人狼血族が、命乞いをしながら撃ち殺された。
目を覆いたくなる、絶望の景色。それで視界がいっぱいだ。
「…………なんなんだよ……!」
泣き出したい思いで、ジェイドは喚いた。
「なんでいつも人間は、こんなひでえことができるんだよ! どうして! なんのために!」
死んでいる子供たちの死体を飛び越える。
引き裂かれてバラバラになった人間たちの死体で、小川が赤く染まっている。
死と恐怖。悲鳴と怒号に満ちた森を、ジェイドは一心不乱に駆けた。
死なせたくない、幼馴染みの手を引いて。
「――――おい、いたぞ! 指名手配されてる、ジェイドってヤツだ!」
「!?」
知らない男に名を呼ばれた。
その呼びかける声と共に、茂みの向こうから、銃を構えた奴隷の男たちが現れた。
複数人だ。6人はいる。ジェイドとステラを包囲する陣形になっていた。
ニヤニヤと笑んでジェイドの顔を確認している様子である。
「間違いねえ、ジェイドだな」
「コイツを殺せば特別点だぜ、兄貴!」
「……んだあ? テメエら」
ジェイドは敵意を剥き出しにして、リーダー格の男を睨み付けた。
だが凄まれたところで、男は涼しい顔である。
「きゃあっ!」
「ステラ!?」
背後から忍び寄ってきた男たちの仲間が、ステラの手を引っ張り、ジェイドから引き離した。
「へへ! 兄貴、女を奪ったぜ!」
「でかした」
「テメエ、ステラに気安く触ってんじゃねえぞおっ!」
瞬く間に、ジェイドの身体が巨体化する。他の人狼血族たちとは異なる黒い体毛が逆立ち、口蓋が迫り出た。鋭いツメと牙を尖らせ、すぐさまステラを奪った男へ飛びかかろうとする。
――――ステラのこめかみに、銃口を押し当てられてしまう。
「っ!」
「へへ。女を盾にされても、俺たちと戦えんのかよ?」
ジェイドは唸り声を上げて威嚇しながらも、その場で動きを止めてしまう。
銃を向けられたステラは、恐怖で青ざめている。
怖くて言葉も出ないようだ。
そんな姿を見せられては、迂闊に攻撃の間合いへ飛び込めない。
「ジェイド! 私に構うな! 戦え!」
「ぐっ……!」
戸惑っているジェイドの隙を逃さない。
リーダーの男が、ジェイドの後頭部に銃口を押し当ててきた。
「終わりだな、獣野郎。安心しろや。すぐに女の方も殺して得点にしてやるぜ!」
銃の引き金に、リーダーの男が指をかけた。
銃弾がジェイドの頭蓋を撃ち抜き、即死させるまでに、残り数秒もないだろう。
死の感触を背後に感じ、ジェイドは「ここまでなのか」と固く目を閉ざしてしまう。
だが、その瞬間はなかなか訪れなかった。
「うぎゃああああああああ!」
予期せず、背後から聞こえたのは銃声ではなく、リーダーの男の絶叫だった。
振り向けば、銃把を握っていた男の腕が、斬り落とされていた。
男の腕を切断したのは、赤い剣。
それを振るうのは――――黒いアウターのフードをかぶった、人間の少年である。
「テメエは、クソ人間?!」
窮地を救ってくれた意外な人物に、ジェイドは驚愕した。
リーダーの男をやられた手下たちも、いきなり現れた謎の少年に気を取られる。
その隙に間髪入れず、赤髪の少女の声が割り込んできた。
「――――誘電衝撃!」
少女、ジェシカが手にした木の杖の先から、電撃が迸る。蛇のように周囲を這う雷が、ジェイドを包囲する者たちの身体を穿って気絶させた。傷口から煙りを発して倒れている男たちへ、「峰打ちよ」と言い捨てる。
「チビガキまで!?」
「誰がチビガキよ! いつもは、でかい口を叩いてるくせに、今のはずいぶんと危ないところだったじゃない。アタシたちが駆けつけて、ラッキーだったでしょ?」
「何でここにいる! もうとっくに逃げた後だったんじゃなかったのかよ!」
「アンタねえ……。助けてもらっておいて、それが礼の言葉?」
得意気にしているジェシカの隣で、ケイが真顔で告げる。
「オレたちも手を貸すことにした」
「はあ?!」
理解不能なケイの提案に、ジェイドは素っ頓狂な声で返す。
その隣で、ステラも唖然としていた。
「イカレてんのか!? この戦いに、テメエ等は関係ねえだろ! しかも始祖から聞いてんだろが! これは負ける以外に、終わらせる方法がねえ戦いなんだって……! 死ににきたのかよ……?」
「そんなわけないだろ」
「……?」
ケイは嘆息を漏らす。
「まったく。ステラが言うとおり、お前等の種族は“脳筋”だな。戦う以外に選択肢がないとでも思ってるのかよ」
「ああ?! ……何が言いてえ!」
「作戦を考えてきた。戦っても勝てない。戦いに勝っても、さらなる増援を送り込まれて結局、殺される。そうだったな? なら“逃げ回れば良い”んだ」
「……?」
「誤解するなよ。女子供をこの森に残したまま、どこか遠くへ逃げろと言ってるんじゃない。オレたちは、この戦場内に留まり、人間たちの注意を逸らしながら、ひたすら逃げ回るんだ。戦いを避けて、2日間くらい、ひたすら人間たちを攪乱してみろ。そうすれば、きっとこの大会は終わるはずだ」
「…………そうか! わかったぞ、アマミヤ!」
ステラは、ケイが言わんとしていることに気が付いた様子だった。
だがジェイドはいまだに理解できず、怪訝な顔をしたままである。
ケイは説明した。
「考えてみろ。大会は誰のために開催されてる? この殺し合いを見物したい、帝国人たちのためだろう。この大会が継続する原因は、間引く予定数の獣人たちが、死んでいないからじゃない。観客たちの“興味が続いている”からだ。延々と決着が付かない、そんな退屈な試合を見せられてみろ。みんな飽きて、家に帰る。誰も見ていない大会なら、続ける理由なんてなくなるだろう。主催者は、どこかで見切りを付けて、観客たちがいなくならないうちに大会を終わらせるしかなくなる」
ジェイドは素直に驚いた。
大会を観て楽しんでいる者。その存在がいることは、人狼血族たちの視点から抜け落ちていた。人間側の発想で考えなければ、気付きにくいことだっただろう。それらを“飽きさせる”行動を取ることで、死者数を減らせる。ケイが、そう提案していることがわかったのだ。
「テメエ……!」
ケイに因縁を付けようとして、だが考え直す。
そうしてジェイドは、不敵に笑んだ。
「……面白えこと考えたじゃねえかよ」
ケイたちの立っていた場所に、銃弾が飛んでくる。
新手の奴隷たちが現れ、ケイやジェイドへ攻撃を仕掛けてきたのだ。
「くっ!」
ケイは右腕で虚空を撫でる。その動きだけで異能装具の力が発揮され、飛来してきた銃弾の全てが、虚空で静止した。
「なにぃ!」
「お返しだ!」
驚いている奴隷たちへ、ケイは銃弾を投げ返した。
自分たちが放った銃弾の雨に貫かれ、奴隷たちはその場に倒れ伏した。
人間でありながら、人間を殺して見せたケイ。ジェイドは呆れて喚いてしまう。
「クソッタレ、テメエはつく側を間違ってる! 人間なんだから、普通は敵の人間側だろうが!」
「さっきコイツ等が、オレと握手してくれそうなくらい、友好的な連中に見えたか!? やりたくないが、こんな戦場じゃ、殺される前に殺すしかない! 遠慮してたら殺されるだけだ!」
「フン、同族殺しの異常者め!」
「ああ、オレは正義の味方なんかじゃない! とっくの昔からイカレてる、最低の人殺しだよ!」
「自覚はあるみてえだな! テメエみたいな野郎の力なんて借りるか!」
茂みの向こうから、さらに現れた奴隷の増援。
ジェイドはそれらに襲いかかり、両腕のツメを振り回し、八つ裂きにして見せた。
バラバラに飛び散った肉塊と返り血を浴びながら、ケイへ忠告した。
「見ろ! サイコ野郎の力なんざ借りなくても、俺はつええんだよ!」
なぜか睨み合っているケイとジェイドに呆れ、ジェシカが仲裁に入った。
「いがみ合ってんじゃないわよ、バカケイ! 黒ワンコ!」
「く、黒ワンコ……!?」
「こんなところで口喧嘩してないで、ケイの作戦を、さっさと他の連中にも伝えなきゃでしょ!? いつまでも油売ってんじゃないわよ!」
「くっ……!」
「ウム。チビっ子の言う通りだぞ」
「アンタだって獣人の中じゃチビでしょう!?」
ケイたちは、伝令役の人狼血族を戦場で探す。そうしながら森の中を駆け回り、敵と遭遇しては、即座に撃破した。ケイとジェイドのタッグ攻撃は強力である。敵を瞬殺できるほどのコンビネーションを、いがみ合いながらも繰り出していく。そこに、ジェシカの魔術による支援が加わっているのだ。突破できない場所は思い当たらない。
「おい、コイツ! 特別点の雨宮ケイだ!」
「指名手配のヤツか! よし、殺せ!」
奇妙なことを言いながら、ケイへ襲いかかる奴隷兵たち。
それを退けながら、ケイは怪訝な顔をした。
「特別点……?」
ジェイドは皮肉っぽく微笑んで応えた。
「良かったな、クソ人間。どうやらテメエを殺せば、奴隷たちは良い得点が取れるらしいぜ」
「得点って……ゲームみたいに、これだけたくさんの獣人を殺してるってのかよ……!」
怒りがこみ上げてくる。
人目を忍んで、懸命に生きてきた獣人たちを、なぜゲーム感覚で殺せるのか。
許せなかった。
「……」
獣人たちの死に、本気で腹を立てている様子のケイ。
そんなケイを、ジェイドは不貞腐れながらも横目に見ていた。
「……チッ。調子が狂うぜ」
奴隷たちの戦列を崩し、敵部隊の最後の生き残りにトドメを刺そうとするケイ。
だがその奴隷は、泣き散らしながら命乞いをしてきた。
「ひぃぃ! 助けてくれ! 戦うしかなかったんだ!」
「……くっ!」
もはや何度目かわからない命乞いだ。
ケイの追撃は、そのたびに止まってしまう。
――――敵対する奴隷たちのほとんどに“戦意”がない。
戦いながら、それを感じていた。
ケイたちを見つければ、殺そうとはしてくるものの、殺意が弱い相手ばかりだ。そのせいで、殺気や気配が読みづらい。消極的な態度で、この殺し合いに参加している者が多すぎる。
「何なんだよ、この戦場は……!」
ジャングルの雨に打たれながら、ケイは殺した敵の死体を見渡した。
得体の知れない雰囲気。その違和感を、思わず口にしてしまう。
「人間も。獣人も。戦いたがってるヤツなんて、いないじゃないか……!」
まるで、互いに望まぬ殺し合いを繰り広げている。
ならなぜ、互いにこんなことをしているのか。
理不尽すぎる戦いの中に、ケイは虚しさを感じた。
次話の更新は月曜日を予定しています。