8-18 NBC兵器
はしゃいだ人狼血族の子供たちが、森の中を駆け回る。
「アマミヤー! こっちこっち!」
鬼役のケイとジェシカは、汗だくで、四方へ逃げ回る子供たちを追いかけていた。
額の汗を拭いながら、ケイは周囲を見渡してぼやく。
「早いな……! 魔術での肉体強化無しだと、追いかけるだけでも精一杯だぞ、こりゃ」
「子供とは言え、獣人は運動能力が高すぎるのよ!」
ゼーゼーと息を切らしながら、ジェシカも同意する。
半端でなく疲れている様子のジェシカを見て、ケイは心配してしまう。
「……大丈夫、ジェシカ? だいぶ息が上がってるけど」
息切れしているジェシカは、それ以上、ケイに応える余裕もない。
木の上に逃げ込んだ男の子が、ジェシカを指さして、はやし立ててきた。
「ジェシカ、遅いぞー。魔人はノロマだなー」
小馬鹿にされ、もはや呼び捨てにされてしまっている。
ジェシカは悔しげに木の上の少年を見上げ、喚いた。
「くうぅ! ジェシカお姉さんと呼べって言ってるのに、わからないガキんちょどもね!」
「ジェシカだってガキんちょだろー!」
「僕たちと同じ、がきんちょー!」
「どこがお姉ちゃんだよ。がきんちょジェシカー」
「アタシは、あんたたちよりもずーっと年上なのよ!」
子供に見下されているジェシカは、その場で地団駄を踏んで悔しがっている。噛みつきそうなくらいにご立腹の様子だった。
「なあ。ムキになるなよ、ジェシカ。所詮、相手は子供だぞ」
「関係ないわ! こうなったら、絶対に捕まえて懲らしめるんだから! いくわよ、ケイ! あんたは、あっちから回り込みなさい! 挟み討ちよ!」
「お、おう……」
猛烈にやる気を出しているジェシカは、再び全速力で駆け出していく。ケイは頭を掻きながら、その後を追いかけた。追いかけられている人狼血族の子供たちは、嬉しそうにキャーキャー騒ぎ、笑っていた。
◇◇◇
麗らかな昼下がり。今日は気温が暖かく、外で過ごすのにはちょうど良い。白衣を羽織ったステラは、木陰の岩に腰掛け、木漏れ日の下で本を読んでいた。
ステラは、読書することが好きである。
今読んでいるのは、誰とも知らぬ人間の著者が書いた、他愛のない恋愛小説である。専門書のような本を読むことも楽しいが、ステラが読書によって得たいのは、なにも知識だけでない。心震えるような物語を読めば、自分の中に眠る、まだ知らない感情についてを揺り動かされることがある。そうした新鮮な感動に出会いたくて、読書することはやめられないのだ。
同族の人狼血族たちからは、なかなか理解されない趣味だ。
けれど、たとえ理解されなくても構わない。
ステラが好きなものは、好きなのだ。
それは、自分以外には変えられないのだから。
本を読みふけるステラの近くへ、黒い体毛の男が歩み寄ってきた。幼馴染みであり、兄妹のように育った、家族同然の存在でもある。ジェイドは、ステラの背後の木に寄りかかると、自分の腕を組んで話しかけてきた。
「よお……」
「私は見ての通り、読書中だ。何か用か?」
長い付き合いなのだ。
ステラは尋ねながらも、ジェイドの用件がわかっている。
こうして話しかけてくる時は、何か聞いて欲しいことがある時だ。
ステラは読んでいたページに栞を挟み、本を閉じた。
ジェイドは、少し申し訳なさそうな口調で言った。
「その……。昨日の酒場での件は、悪かったよ。あの人間を治してくれって頼んだのは俺なのに、その俺自身の手で、アイツをぶっ殺そうとしちまった。お前とアイツが一緒にいたから……心配になって、ついカッとなっちまったんだ」
「お前はいつも、カッとなったら、後先を考えずに行動するよな。まあ、長い付き合いだ。私は、お前がバカだとわかっているから、別に怒ってなどいない。ただし、そのケンカっ早いクセは直した方が良いぞ」
「……悪かったって」
ふと、近くの木陰の向こうを、はしゃいだ子供たちが走り去っていくのを見かけた。
その後ろを、目覚めたジェシカと、左腕を失ったケイが追いかけていく。
子供たちと走り回っているケイの姿を遠目に見て、ステラは感心してしまった。
「フム。さすがはドミニク先生の実験体だ。アマミヤは、人間とは思えん回復能力の高さだな。左腕の術後の経過は問題ないし、後遺症も無さそうだ。あれなら予定通りに退院だろう」
「……クソが。あの魔人のチビガキを助けるために、左腕をなくしたってのに。落ち込んだ暗い顔1つしてねえ。あの人間、ちょっとばかし頭がおかしいんじゃないのか」
「ムカつくはずの人間が、良いヤツすぎて気に食わないのか?」
「そ、そんなんじゃねえよ」
「そんなにイライラしなくても、明日の今頃には、アマミヤはここを出て行ってるぞ。何でも、早く合流しなければならない、仲間たちがいるのだそうだ。残り時間が少ないとも言っていたし。なにか急ぎの用事でもあるらしい。ザナに再会できたら、帰ってくるように伝えてくれるようだし、助かるじゃないか」
ステラとジェイドの会話が途切れる。
爽やかな風が吹き抜け、木々の葉擦れの音が聞こえた。
「今のうちに、挨拶くらいしておいたらどうだ。もう会うこともないと思うぞ」
「ケッ、するかよ。始祖に目をかけてもらえて、命拾いしたな。でなきゃ、あのアマミヤとか言う人間、とっくにぶっ殺してやってるところだぜ」
「私には、あの人間を殺しておかなければならない理由が思いつかんが。お前には理由があるのか?」
「……」
穏やかな時間の中。
ステラとジェイドは、子供たちと遊んでやっている、ケイたちの様子を眺めていた。
「獣人の集落で、鬼ごっこかよ。呑気なもんだ。ガキどもも、気楽で良いもんだぜ。人間相手に、仲良くしやがってよ」
「なんだ。羨ましいのか?」
「あ?! なんでだよ!」
「いつもなら、ガキどもの遊び相手役はお前だろ。優しい近所のお兄さん役を、すっかり奪われてしまっているからな」
「……う、羨ましくなんてねえよ!」
図星をつかれたことが、わかりやすい反応である。
微笑みを浮かべているステラへ、ジェイドは悔しそうに言った。
「ステラ。お前、もう忘れたのかよ。人間の貴族が、8年前の大会で俺たちの母さんを騙した。傷ついた母さんを助けるフリをして、結局、帝国に殺させたんだ。しかも、親父の脚をあんなふうにしたのも人間の王様じゃねえか……! こんなの、許せるのかよ……!」
「忘れちゃいない。私はお前よりも賢いのだぞ」
寂しげに、ステラは目を細めて応えた。
「北方から流れてきた身寄りのない私たちを、実の子のように育ててくれたのは、始祖と母さんだ。その恩を忘れたことはない。それを理不尽に奪われ、傷つけられたんだ。……私にだって、少なからず人間を憎む気持ちはある」
そこまで語って、ステラは真顔になり、ジェイドへ忠告した。
「だがな。私たちが人間と争うことを、両親が望んでいないのだ。私たちにとって、実の弟も同然のザナだって、お前が人間嫌いなことに心を痛めていただろう?」
「……」
「私たち獣人の中にいろんなヤツがいるように、人間にだって、いろんなヤツがいるようだ。よく見ろ。アマミヤが、8年前に私たちの母さんを殺した奴等と、同じように見えるのか?」
ジェイドは黙ったまま、答えなかった。
人間は殺すべき。その考え方を、変えたわけではないだろう。
だが少なくとも、ケイが悪い人間でないことだけは、認めているようだ。
複雑な表情で俯いているジェイドへ、ステラは嘆息を漏らして言ってやった。
「たしかに、始祖の考え方が完璧に正しいとは思えない。だが私はな、全てが間違ってるわけではないと考えているんだ。お前が“戦争派”の極端な考えに賛同して、ダリウスと連れ立っているのを、始祖は悲しく思っていたぞ。親不孝は大概にしておくんだな」
「…………うるせえ。親父は親父。俺は俺だ」
不貞腐れて、ジェイドはステラへ背を向けて去って行った。
遠ざかって行く大きな背中を見つめながら、ステラはもう一度だけ嘆息する。
読み途中だった本を開く。
そうして、少しだけ頬を紅潮させて呟いた。
「馬鹿者。あんまり素直じゃないと…………嫌いになっちゃうんだぞ」
その言葉は、風の音に消されて霧散した。
◇◇◇
ステラと別れ、ジェイドは森の奥を1人で歩いていた。
集落から離れた場所まで来ると、やがて沼地へ行き当たる。木々の生い茂る密林は途切れ、周囲は、雑草が茂った湿地帯の景色へ変わった。タールのように粘性が高い、黒色の液体を湛えた沼。その深淵から、ボコボコと気泡が立ち上っているのが見える。草に隠れ、それは沼地のあちこちに、落とし穴のように点在していた。ジェイドは、うっかり足を取られないように注意して、その奥を目指していく。
しばらく進むと、洞窟に行き着いた。
入ってすぐの場所には、人相の悪い人狼血族の男が佇んでいる。それは見張りの男だ。ジェイドの顔を見るなり、皮肉っぽく言った。
「遅かったな。みんなもう集まってるぞ。お前が最後だ」
「……少し寄り道してきた」
「そうかよ。俺はてっきり、義理の親父さんの思想にかぶれて、“共存派”に寝返っちまったのかと思ってたぜ。クク」
「……」
ジェイドは、見張りの男を無言で睨んだ。
「おいおい、切れるなよ。冗談だ。まあ、ただ。他の奴等も同じように疑ってるかもしれねえがな」
ジェイドは舌打ちして応えた。
「……前の大会で人間にやられてから、親父はすっかり腑抜けちまった。共存なんて言ってる親父のやり方じゃ、この群れを守れねえよ。このままじゃ、家族だって犠牲になる。だから俺は、戦争派を選んだんだ。親父の考えと、俺の考えは関係ねえ」
「わかったわかった。さっさと通れ。ダリウスが待ってるぞ」
ポケットに両手を突っ込み、ジェイドは見張りの男に肩をぶつけて横を通る。見張りの男は苛立ちながらも、気にせず見張りを続けることにした。
洞窟の奥には、広場がある。そこには、火の灯ったカンテラを手にした、人狼血族の屈強な男たちが待っていた。数は20以上いる。その中央に佇むのは、戦争派のリーダーたる男。ダリウスだった。
「遅かったな、ジェイド。お前が来るのを待ち侘びたぞ」
「……すまなかった、ダリウス。来る前に、ステラと話をしていたんだ。それで遅れた」
「そうか。まあ、大した遅れではない。今回は許そう」
ダリウスに対して、ジェイドは素直に謝る。
機嫌を損ねては、厄介な相手だ。
なるべく下手に出るのが無難である。
「さて。これでようやく、戦争派の主要メンバー全員が揃ったわけだ。今日、この秘密会議を緊急で招集し、同志諸君をこの場へ呼び出したのには、理由がある」
ダリウスは、男たちの合間を、ゆっくりと歩き始めた。
1人1人。同志の顔色を確認しながら、不敵に笑んで語り始めた。
「時間がないのでな。単刀直入に行こう。帝国社会に潜り込んで、人間たちの動向を探っている仲間がいる。そんな我々の密偵から、火急の情報として発信されたものだ。今から2日後のことだ。間もなく――――“獣殺競技大会”が行われるらしい」
「なっ!」
「しかも今回大会でも、残念なことに、戦場はこの森。人狼血族がターゲットに選ばれたらしい」
「冗談じゃねえぞ……!」
ジェイドは声を漏らして驚愕してしまう。
それは他の同志たちも同じ様子だ。
あまりに衝撃的な情報であったため、思わずジェイドは、ダリウスへ確認した。
「大会は10年周期! 前の大会は8年前だ! なら2年後のはずだろ! しかも2回連続で、俺たち人狼血族がターゲットにされるなんて! そんなこと今までなかった!」
「10年ごとだと、決まっているわけではない。今回は少し早いというだけだ」
「じゃあ、まずい……! 人間が攻めてくるまで、あと2日しかねえってことじゃないか!」
ジェイドの声に呼応するように、他の人狼血族たちも動揺の声を上げ始めた。
「情報は誤報じゃないのか?! 大会が開かれるにしては、何の予兆もないぞ!」
「まだ臨戦態勢が整ってない、早すぎる! どうするんだ、ダリウス!」
人狼血族たちは、口々に不安の声を漏らし始める。
集会は、一気にざわついた。
だが、そんな混乱の渦中に、冷静なダリウスの言葉がよく通った。
「――――臨戦態勢なら整っている」
「!?」
そう断言するダリウスへ、全員の注目が集まった。
余裕の笑みを浮かべた、その態度は、ウソやハッタリではない。
恐る恐る、ジェイドは尋ねる。
「……どういうことだ、ダリウス」
「皆、喜ぶと良い。今日、この場で伝えたかったことは悲報ではない。朗報なんだよ」
「朗報……?」
「8年前の虐殺。あの屈辱的な敗北を経て以来、俺はあるモノを手に入れるために、帝国社会へ多くの仲間を潜り込ませていた。そうしてついに、念願のそれを手に入れることに成功した。すでにそれは、この沼地に運ばれ、隠してある。俺たちが人間どもを根絶やしにするための切り札だ」
ダリウスはカンテラを足下に置くと、憎しみと狂喜に歪んだ笑みを浮かべる。
唇の両端を吊り上げて作られた表情は、悪魔のようにおぞましい。
「――――連れてこい」
指示された部下の1人が頷き、広場の向こう、洞窟のさらに奥へと姿を消す。しばらくして戻ってきた男は、首輪で鎖に繋がれた“人間の死体”を引きずってきた。広場の中央まで死体を運んでから転がすと、それを人狼血族たちの前に晒す。
全裸の男。青年だろう。ダリウスは、死体を満足そうに見下ろしていた。一方で、初めてそれを見せられた人狼血族たちは、困惑した表情になる。
「……この人間に……いったい何があったんだ……?」
ただの人間の死体ではなかった。全身の皮膚がドロドロに溶解しており、剥き出しの筋肉の上に、赤黒いヘドロの皮膚をかぶったような、惨い姿である。今は絶命していて動かない様子だが、死ぬまでの間に酷く苦しみもがいた形跡がある。骨だけになった指先で、体中を掻きむしった傷跡が残されていた。
生きたまま溶け出した。
そんな状態にしか見えない。
「帝国が廃棄した古い白石塔。その跡地である白の森で、発掘家が“兵器”を見つけた。どうやら白石塔の中で生きていた人間たちが製造したものらしい。帝国騎士団が使う品のように、起動するために認証なんていらない兵器だ。俺たちでも使えそうなものを、ようやく使えるようにできたんだよ。色々と実験してみたが、どうやら俺たち獣人には弱毒だが、人間どもにとっては強毒らしい」
「兵器……?」
「汚い爆弾。放射性汚染物質爆弾だ」
ダリウスの眼差しには、すでにただならぬ殺意が潜んでいた。