8-17 100人の奴隷兵
衣類を含め、持ち物は何もかも没収されてしまった。
ボロ布も同然の、シャツとズボンを与えられ、それに着替えさせられた。それから何日間、地下牢に閉じ込められていたのか、わからない。毎日、与えられる食事は、パンくずと水。粗末な一食だけ。空腹と脱力感で、四肢に力が入らなくなってきていて、次第に身体は弱っている。
ある日のことだった。アデルとリーゼ、それにザナの3人は、奴隷商の手下たちに牢から出された。手錠をかけられたまま、一列に並んで通路を歩かされる。長い階段を上がった先で、久しぶりに太陽の光を見上げた。数日だけ目にしなかっただけなのに、降りかかる光が強烈に思え、目が眩む。そして、そのありがたみを胸中で噛みしめた。
「ほら、あっちだ。歩け」
「……」
アデルたちは疲れ果てた様子で、言われるがままにノロノロと歩く。地下を出た先は森の中で、しばらく歩いてそこを抜けた先は、農場だった。
収穫は、終わった後なのだろう。
閑散とした小麦畑で、アデルたちと同じ格好の奴隷たちが、種蒔きをしている姿が見られた。どうやら遠く向こうには、牧場も見えている。家畜を飼っているようで、牛の世話をしている奴隷や、壊れた柵の修理をしている奴隷もいる様子だった。
いずれの奴隷たちの目には活力がなく、身体は痩せこけている。倒れたまま、その場で放置されている者もいて、ロクに食べ物を与えられていないのであろうことは、見て取れた。
手下の男たちに連れてこられたのは、農場の中に建つ、大きな洋館だった。
そのエントランスを抜けて、客間らしき場所へ通される。
アデルたちを放り込むように室内へ押し込むと、男たちは去って行った。
高価そうな調度品の飾り付けられた、立派な客間。
場違いな場所へ連れてこられたアデルたちは、しばし呆然としてしまう。
最初に口を開いたのは、ザナだった。
「……僕たち、奴隷にされたんですよね。なのに、どうしてこんな豪勢な部屋へ?」
「……どうしてでしょう。わかりません」
ザナと同じように、アデルとリーゼも怪訝な顔をしてしまう。
リーゼの切り取られた右耳には、分厚いガーゼが押し当てられて、テープ止めされていた。ガーゼは赤い血で汚れており、あまり頻繁に取り替えてもらった様子がない。痛々しいリーゼを、アデルは心配そうに見つめて尋ねた。
「リーゼ……その耳は、まだ痛みますか?」
聞かれたリーゼは、少し言い淀んでから微笑んで応えた。
「もう平気だよ。心配してくれてありがとうね、アデル」
「……」
平気だと言いながらも、顔色の優れないリーゼ。手当と食事を十分に受けていないせいかもしれないが、大丈夫そうには見えない。アデルは何となく、リーゼが強がりを言っているように思えた。心配させないように、ウソをついているのかもしれない。その優しさが、辛かった。
だが、それがウソなのだと暴いても、今のアデルには何もしてやれないのだ。
アデルは心苦しく思いながら、それ以上、リーゼに何か言うことを遠慮した。
くたびれた顔で、3人は黙り込んでしまう。
しばらくそうしていると、全員のお腹が鳴り始めた。
「お腹が空きました……」
「僕もですよ。毎日、パンくずが一切れと、水だけしかもらえませんでしたから……。人間の奴隷の人たちって、これが当たり前なんですかね。キツすぎますよ」
「結局、あのダイナーではご飯を食べられなかったし。それからずっと、私たちはロクな食べ物をもらえてないから……」
考えれば考えるほど、空腹が気になってくる。
グルグルとお腹を鳴らしていると、リーゼは隠し持っていたパンくずを、ザナへ差し出した。
「ザナ、私のパンくずをあげるよ。朝もらったのを、残しておいたの」
ザナは驚いた。
「え? 良いんですか!?」
「私とアデルは、光合成で頑張れるから。ほら、あれ見て」
リーゼが指さす先には、窓際に立って、気持ちよさそうに日光を浴びているアデルの姿があった。頭から生えた赤花は、花弁の向きを太陽に向けて、一生懸命に光合成を行っている様子である。
「そう言えば……アデルさんは人間じゃないみたいなこと言ってましたけど、何者なんですか?」
「おおむね、人間だよ。とにかく私たちは大丈夫だから。はい」
「……」
ザナはパンくずを受け取ると、それを頬張った。
涙混じりに、幸せそうに食べるザナを、リーゼは優しく見守っていた。
再び、奴隷商の手下たちが部屋へ戻ってきた。
「おい。準備ができた。お前たちも早くこい」
「……準備? お前たちも?」
「さっさと来い!」
質問しようとしたアデルは、頬をぶたれる。
涙目になって痛がっているアデルへ、リーゼとザナが駆け寄った。
そうして、アデルを叩いた男を睨み付ける。
だが反抗的な態度を取ろうとすると、銃をちらつかせられ、黙らされた。
客間から引きずり出される。
次に3人が連れて行かれたのは、大広間であった。
舞踏会でも開けそうなくらいに広いフロアには、アデルたち以外の、大勢の奴隷たちが集まっていた。いずれも屈強そうな身体付きの男たちで、100人近くはいるのではないだろうか。背中を突き飛ばされ、アデルたちはその集団の中に放り出される。
小柄なアデルとザナからすれば、周囲は、見上げる必要がある大男ばかりだ。全員、妙に殺気立っている雰囲気で、新参者のアデルたちをギロリと睨み付けてくる。
「いったい……この集まりは何なのでしょうか」
「アデル、ザナ。私の傍を離れないで。同じ奴隷の立場でも、味方なのかわからないから」
リーゼの背に匿われるようにしながら、ひとまずアデルたちは、その男たちの集団の中で、息を潜めるように立ち尽くしていた。そんな3人の近くへ、小気味よく駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「――――お前、強いヤツ!」
「?」
どこかで聞いた覚えのある、女の声だった。
振り向けば、男たちの脇をくぐり抜け、1人の少女が現れる。
ツーサイドの赤髪。ボロ布を羽織ったような格好をした、素足の少女だ。
漆黒の瞳をキラキラと輝かせて、リーゼを見つめてきている。
「あなた……!」
その顔に見覚えがあり、すぐにリーゼは苛立ち、表情を険しくする。
グルシラの街の路地裏で、リーゼのことを打ち倒した拳闘奴隷だ。
憎悪の眼差しを向けるリーゼの態度に構わず、少女は親しげに話しかけてきた。
「お前たち、身売りされなかったのか。良かったな、ここへ来られて」
ニコニコと微笑んでいる少女に、アデルたちは唖然としてしまう。
ザナが頭を抱えてから、否定した。
「良かったって……。全然良くないですよ! あなたのせいで、僕たちは、とんでもない目に遭ってるんですよ?!」
「ん? ミーナのせい? なにが?」
少女の名前は、ミーナであるらしい。ザナが何に怒っているのか。まるで検討もついていない様子である。不思議そうに、目を瞬かせている。
どうやら、知性はそれほど高くない相手のようだ。
それを察したリーゼは、疲れた溜息を漏らして言った。
「あなたに私がやられたせいで、私たちは捕まって、奴隷扱いにされてるの。そして、わけもわからないまま、ここへ連れてこられてしまった」
ザナとリーゼの話しが腑に落ちていないようで、ミーナは首を傾げた。
「……お前たち奴隷扱い、イヤなのか?」
「奴隷なんて、イヤに決まってるよ。乱暴されて。酷い扱いをされて。ミーナだってイヤでしょ?」
リーゼに問われたミーナは、やはり不思議そうな顔をしている。
言われたことを整理するように、ミーナは呟いた。
「お前たち、奴隷になるのイヤ。ここへ来たくなかった。なのにミーナに負けたから、ここへ来た……」
情報を咀嚼し、ようやく理解できた様子であった。
ミーナはニッコリと微笑んで言った。
「ごめんな!」
「……ぜんぜん、申し訳なさそうに見えないんだけど?」
「ミーナ、本当に悪いと思って反省してる。だから、ごめん」
そう言いながら、ニコニコと微笑んでいるミーナ。
言っていることと、態度がチグハグだった。
本当に謝っているのか疑わしい。
だがそもそも、別にミーナの謝罪が欲しかったわけではない。
ザナも嘆息して言った。
「まあ……。ミーナさんは奴隷。あの、モラーという貴族には、逆らえない立場ですしね」
「命令されてやったことでしょ? なら、あなたのせいって言うのは言い過ぎたかも。大人げなかったわ。ごめんなさい、ミーナ」
「お前たち、なんか良いヤツ。ミーナ、気に入った」
ミーナは尻尾を振る子犬のように、嬉しそうに微笑んでいた。
唐突に――――甲高いハウリングノイズが聞こえた。
フロア全体に聞こえるスピーカーからの音に、奴隷たちは苦悶の表情を漏らす。
するとアデルたちの頭上に、巨大なホログラム映像が投影された。
そこに映し出されているのは、この屋敷の主である、モラー・フェルティエ男爵の尊顔だ。
『よく集まったな。私の精鋭たる、100人の奴隷たちよ』
ホログラムのモラーは、唇の端を吊り上げて話し始めた。
『諸君等は、古今東西で捕らえられた下民。この企業国に奴隷として売られてきた者たちだ。そして、私が集めてきた、選りすぐりの強者たちでもある。ある者は元傭兵。ある者は元帝国騎士。その経歴は様々だが、いずれも共通しているのは、私財を失い、市民権を失い。そうして身を堕とし、もはや“強さ”以外には何の価値もなくなったクズ共に過ぎないことだ。人権すら持たない君たちに残されているのは、もはや、死ぬまで貴族たちに酷使され続けるだけの、終わりきった未来だ』
いきなり散々な言い様であった。
だが、その場の誰も、モラーの見解を否定することができない。
それが現実であることを、毎日の酷い生活で痛感しているためだ。
神妙な面持ちで、ただ黙って話しに聞き入っていた。
『だが安心したまえ。――――誰にでも、やり直しの“チャンス”はある』
モラーは邪な笑みを浮かべて告げた。
『急ではあるが、今から2日後に“獣殺競技大会”の開催が決定した』
「!」
奴隷たちは驚いた顔をし、間もなく満面の笑みで、歓声を上げ始めた。
両腕を上げて、高らかに喜びの声を上げる、屈強な男たち。
異様な光景だった。
周囲が何をそんなに喜んでいるのか理解できず、アデルとリーゼは怪訝な顔をしていた。だがその横で、ザナが真っ青な顔で放心している。
「獣殺競技大会……!」
「……ザナ?」
様子がおかしかった。
ザナは今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。
恐怖に身を震わせているようだ。両肩を掴んで、俯いてしまう。
「そんな……どうしよう……! たしか大会は10年ごとのはず。前回の大会から、まだ8年。なのにどうして……! これじゃあ、まだ集落の仲間たちは備えられていない……!」
「ザナ、大会についてなにか知ってるのですか?」
「……大変だ……みんなに知らせなきゃ……!」
「ザナ……?」
アデルとリーゼが話しかけても、ザナは聞いている様子がない。
完全に、心ここにあらずな状況になっていた。
『今回のルール詳細についても、大会の開会式での発表になっている。だが基本的なルールは変わっていない。例年通り、大会に参加する貴族は“奴隷100人によるチーム編成”を準備するように通達を受けている。戦力の公平を期すため、編成メンバーは“奴隷のみ”という点も変わっていない。諸君等も知っての通り、大会で優勝したチームの奴隷は、全員が“永久市民”としての権利を与えられ、目も眩むような大金を授与される。つまり――――自由になれるということだ』
奴隷たちの歓声が、さらに高まる。
「自由か! 死か!」
「自由か! 死か!」
穏やかではないキャッチフレーズである。それを声高に喚き、奴隷たちはリズミカルに胸板を叩き始めていた。その様子を満足そうに見渡して、映像のモラーは言った。
『大会では、クラス4以下の武器や防具の使用が自由だ。各自、希望する装備を、世話係たちへ申告するが良い。今日と明日は体力を付けるため、好きなだけ飯を食わせてやろう。この屋敷で鋭気を養わせてやる。当日になったら、好きな方法で獣人たちを殺しまくるが良い』
モラーの演説が終わり、映像が途切れる。
その後もしばらく、興奮した奴隷たちは喜びの声を上げていた。
やがてザワザワと、フロア内が騒がしくなっていく。
武器や防具を、モラーの手下の男たちへ申し出る者。当日の戦術について、周囲の者たちと話し合いを始める者。早速、大会の準備に余念がない様子だった。来た時に見られた、疲れたような雰囲気は、いずこかへ消え去っている。今は誰もの目に、活力が満ちているようだ。
「――――おいおい、お前等! ふざけんなよ!」
「……!」
いきなり、アデルとミーナへ詰め寄って、因縁をつけてくる奴隷の男がいた。男は、アデルたちの姿を見て、何やら怒り心頭の様子である。
「大会のルールがわかってんのか?! 各チーム、持ち点は100点。1人に付き1点で、死ぬヤツが出るたびに減点されてくんだぞ! なのに、お前等みたいな女や子供が、俺のチームに混じってやがるだとぉ?! すぐに獣人にぶっ殺されて、4点も減点だろうが! 点数が高くなきゃ優勝できねえのに、どう考えても不利な条件だろ!」
男は、手近に立っていたミーナの襟首を掴み上げた。
そうして顔を近づけてすごんでくる。
「女のガキは、変態貴族どもの相手をしてりゃ良いんだよ。場違いな戦場に顔出ししてくんじゃねえ」
「……」
「ここで今すぐぶっ殺して、もっと強そうなヤツとメンバー交代させてもらうぜ! 悪く思うなよ!」
男はいきなり、ミーナを殴りつけようとする。
だがミーナは――――その手首を掴んだ。
「……! なにぃっ!?」
太い腕で繰り出してきた男の拳は、細腕のミーナに掴まれただけで、易々と止められてしまう。よく見れば、ミーナは男の手首の一部に、指を食い込ませて押し込んでいる。指だけで、関節をキメている様子だ。
「……すごい!」
思わず感心してしまい、リーゼが呟いてしまう。
そのままミーナは、男の腕を捻り上げて、仰向けに転がしてしまう。
そうして男の胸に跨がり、マウントを取って、男の顔を殴り始める。
細腕から発せられているのだとは思えない、重々しく鈍い音。肉を叩くその音に気付いた、周囲の奴隷たちは、背筋を寒くしながら息を呑んでしまう。信じれない光景が展開されているのだ。か弱そうな少女が、大人の男をボコボコにしているではないか。血にまみれた拳を振り上げ、楽しそうに微笑んだまま、ミーナは容赦なく男の顔を殴り続けていた。
原型を留めないほどに歪んだ顔の男は、虫の鳴くようなか細い声で「助けて」と呟いている。だが一切の手加減なく、ミーナは男が絶命するまで殴り続けた。男の頭蓋が陥没し、砕けた音がしたところで、ミーナはようやく殴るのをやめた。
「ミーナは生きる。それをやめさせようとするヤツ、全員殺す」
一縷の悪意も滲まぬ笑顔で、ミーナは周囲の奴隷たちに向け、宣告するように告げた。まるで笑顔の表情しか知らないように、ミーナは楽しげに人を殺して見せた。
次話の更新は月曜日を予定しています。