8-16 令嬢来訪
黒塊の首都バロール。
エヴァノフ企業国の中枢たる超巨大な積層都市だ。
その79層内であれば、イリアは自由に行動することを許されていた。
自由行動が許されているとは言っても……実際には軟禁状態も同然だ。層外へ出る手段は与えられておらず、イリアの居場所は、常に兄であるエルガーへ筒抜けなのだ。無駄に広大な牢屋に、閉じ込められているようなものなのだ。
それがわかった上での自由行動など、楽しめるはずもない。
「やれやれ。面倒なことになってしまったな……」
ぼやきながら、イリアは支給されたドレス姿で、外を散歩していた。
79層は、別荘地と呼べる場所だ。1層だけで東京都と同じくらいの敷地があり、その半分に、エヴァノフ企業国の有力者たちの、豪勢な屋敷がいくつも存在している。そこでは昼夜を問わず、貴族たちがパーティー三昧の様子だ。馬鹿げた笑い声と、やかまし音楽が、遠くから微かに聞こえてきていた。
もう半分には、外国の貴族たちの別荘や、国内大企業の有する保養施設が建っていた。ここは、成層圏の高度に位置する、広大な空中庭園。言うなれば、そんな風景の場所なのだ。
どこまでも続く緑の芝をヒールで踏みしめ、誰の屋敷の敷地ともわからない庭を、黙々と歩き続けた。やがて舗装路に出たため、そこをしばらく進む。すると、小型の飛空艇乗り場を発見した。79層内を、貴族たちが行き来するために使用している、自動車代わりの乗り物なのだろう。広い駐車場のような殺風景の場所なのに、高価な召し物で着飾った男女が大勢出入りしている。そこは誰でも利用できる公共設備のようだ。
敷地外から、離発着する飛空艇の様子を、金網のフェンス越しにボンヤリと眺め続けた。
「……ボクはここで、何をしているんだろう」
生き残った東京都民たちを助けるために始めた、外交の旅。その途中で、友たちとはぐれてしまった。そうして嫌っていた兄に捕まり、SFがかった超巨大構造物の上層で軟禁されている。しかも許嫁の男まであてがわれ、することもなく、呆然と景色を眺めているのだ。かつての生活の基準で考えれば、突飛な妄想の世界に迷い込んでしまったような気分になる。
ふと、着陸した小型飛空艇から“知った顔”の人物が降りるのを目撃した。
イリアは、思わず目を丸くしてしまう。
緑色の長い髪。エメラルド色の澄んだ眼差し。ブラウスにロングスカートと言った、清楚な格好だ。日傘を差しており、開いた飛空艇のハッチから優雅に降りてくる。
その背後から遅れて姿を見せたのは、従者の少女だ。
少女のものと、自分のものだろう。大きな旅行鞄を両手に提げている。
エリーゼ・シュバルツ。
ドイツ時代の、イリアの幼なじみだ。
幼少期よりも成長した姿だが、見間違えるはずがない。
昔は親友だったのだから――――。
離発着場から飛び去っていく小型飛空艇。
エリーと従者の少女は、それを見送っていた。
そんな2人の傍へ、イリアは歩み寄っていく。
「……エリーゼ、なのか?」
声をかけられたエリーは、少し意外そうな顔をして驚いていた。近づいてみて改めて、イリアは、その従者の少女にも見覚えがあることに気が付く。
黒髪。黒い和服姿。
東京を襲った、四条院キョウヤの配下。
「君は……宵闇のユエ……!」
「……」
ユエは不快そうな表情で、黙ってイリアを睨み付けてくる。敵意を向けられたイリアは、思わず身構えてしまう。
たしか、東京解放戦で、リーゼとレイヴンが戦った上級魔導兵である。自衛隊が撮影した動画で、確認した人相だ。リーゼの弓に射貫かれ、致命的な怪我を負ったのだと報告されていたが、その後、混乱する戦場で行方不明となっていた。死亡確認はされていなかったが、どうやら生き延びていたらしい。
クスクスと上品に笑い、エリーはイリアへ告げた。
「……そのように身構えなくても。大丈夫ですよ、イリア様。たしかに彼女は、貴女たちのことを恨んでいます。ですが今では私の私兵です。主の許可なく、襲いかかることはしません」
たしかにユエは、睨むだけでイリアへ危害を加えようとはしてこなかった。ただ不快そうに、エリーへ告げるだけだ。
「……私は、先にシュバルツ家の別荘へ向かいます。荷物は運んでおきますので」
「ありがとう、ユエ。転ばないようにね」
「……」
ユエはイリアを一瞥した後、荷物を持って去って行った。
そうしてその場には、イリアとエリーだけが残される。
話しかけてきたのは、エリーの方からだった。
「お久しぶりですね、イリア様。ベレル城の晩餐会で、お会いして以来でしたか? その後、お元気でしたでしょうか」
日傘をクルクルと回し、穏やかに微笑みかけてくる。
「お聞きしていますわ。レインバラード家のご長男であらせれられる、クリス様とご婚約なさる予定だそうですね。勇者の妻とは、アーク全土のファンの女性方から、羨望の目で見られそうでございますね」
すでにイリアの婚約のことを、エリーは知っている口ぶりだった。
その情報の速さには、舌を巻いてしまう。
「……耳が早いことだ。貴族たちの間で話題になっているのか。それとも君の“情報網”が優秀なのかな」
「後者、ですかね。最近の私は、シュバルツ家の諜報活動も取り仕切る立場にいるものですから」
「出世したと言うことかい? 諜報活動をする令嬢になったとは、恐れ入ることだよ」
「諜報活動とは、広報活動と同義です。私はシュバルツ家の広告塔なんです。このお仕事も、なかなか楽しいものなのですよ?」
エリーは悪気なく微笑んでいる。
イリアは嘆息を漏らし、話しを戻した。
「別に隠す理由もないが、誤解はしないでくれ。結婚すると決まったわけじゃない。兄さんがそうしろと言っているだけさ」
エリーは意外そうな顔をして、僅かに首を傾げて見せる。
「イリア様は、ご結婚するつもりはないのですか?」
「当たり前だろ。よく知らない、あんな軽薄な男。いきなり抱かれてこいなんて、無理な話しだ。従ってやる義理もない」
「お兄様のご指示には反抗的。相変わらずでございますね、イリア様は」
「……」
優しく微笑むエリー。懐かしい旧友の笑顔だ。
その見た目は、か弱い貴族の令嬢にしか見えない。
だが、ケイから聞かされている話は、違っている。
信じられないことに、エリーの戦闘能力は、ケイやジェシカよりも高いと言うのだ。
こうして実際に会ってみても、まるで実感が湧かない話しである。
「……雨宮くんから聞いている。エリーが彼を鍛え、戦えるようにしたそうだね」
「とんでもございません。私は鍛錬の方向性を示して差し上げただけ。キョウヤ様を下せるほどの力を発揮できるようになったのは、ひとえにケイ様ご自身の素養があってのことでしょう」
エリーは、呆気なくケイたちを訓練したことを認めた。
その実力を、隠すつもりはないということだろう。
複雑な思いで、イリアはエリーの話しに耳を傾けた。
「たしか聞いた話では、ケイ様は幼少の頃より、東京で異常存在を殺すことををライフワークにしておられたとか。道理で、戦闘においてズバ抜けた才覚があるわけです。しかもイリア様に劣らず、とても知能が高く、賢いご様子。咄嗟の機転も人並み外れた、なかなか得がたい“殺しの天才”ですよ」
「べた褒めだな……。雨宮くんは、よほど優秀な生徒だったらしい」
「ええ。ですから、その成長ぶりをぜひ見ておきたいと思いまして」
「……雨宮くんが、この企業国にやって来ていることも知っているわけか」
「先ほど言いました通り、私は諜報活動も手がけていますから」
エリーの笑みの端に、わずかな冷たさが滲むのを感じた。それに寒気のようなものを感じながらも、イリアは情報を引き出すべく尋ねた。
「なら……雨宮くんと会うために、こうしてエヴァノフ企業国まで、わざわざ足を運んだのかい?」
「それもありますが。エヴァノフ様が、8年ぶりに“獣殺競技大会”を開催なさると言うので。各国の貴族には、観戦の招待状が届いているのでございます。せっかくこうして、祭事にお呼ばれしましたものですから。招待に応じたまでですわ」
「競技大会……? もしかしてそれが、今朝から貴族たちが騒がしい理由か?」
「ええ。私以外にも、呼ばれている貴族は大勢いますから。皆さん、開催が楽しみで仕方ないのだと思いますよ? 私も、知り合いの家から、前夜祭パーティーのお誘いをいくつか受けておりますので」
今朝から、パーティーを開いている屋敷が多い理由がわかった気がした。ここへ連れてこられた日に比べ、79層の貴族たちが騒がしい印象だったが、エヴァノフ企業国が開催する、何かしらの祭事のために集合しているところなのだろう。エリーも、その客の1人なのだ。
だがエリーの目的が、単純に、祭事へ参加するためだけとは思えない。イリアは疑いの目で、旧友を見つめた。
「……いったい、君は何を企んでいる」
「企んでいるだなんて、人聞きが悪い」
「ボクの知っているエリーは、泣き虫で、いつもボクの背中をついてきた、病弱な少女だった。あの時の君が、もう遠い昔の存在に感じるよ。……変わったんだな、エリー」
言われたエリーは、苦笑して見せた。
イリアと同じように、昔のことを思い出しながら言い返す。
「私の知る昔のイリア様は、もっと狡猾で、他人を信用しないお方でした。こうしてまた、ご実家に囚われるようなミスは犯さなかったことでしょう。それがずいぶんと柔らかい物腰になられたものです。変わったのは、お互い様ですわ」
「言ってくれるようになったものだね。あの泣き虫エリーが」
「懐かしい、あだ名でございますね。イリアちゃん?」
エリーは優雅に、思い出話を続ける。
「昔のイリア様は、私にしか心を開いてくださらなかった。それは、自分よりも弱い者にしか心を許せず。その他の人たちに対しては、傷つけられぬよう、常に気を張っていなければならなかったせいでしょう。貴女様の周りには、子供だからと容赦してくれることもない、そんな恐ろしい政敵ばかりが犇めいていました。お心の守りが堅くなってしまうのも、無理はありません」
「……」
「そんなイリア様が、ケイ様たちと一緒におられる時には、とても自然体でいられたご様子ですね。イリア様にも、信頼できるご友人方ができたのであろうことを、私も“親友”として、嬉しく思っております」
「……やはり、どこかからボクたちのことを監視していたんだな」
「もちろんです」
「フン。ただ雨宮くんを鍛えて、それだけで終わりのはずがない。淫乱卿の目を忍んで、帝国にとって反乱分子であるボクたちへ助力したんだ。親切ではなく、企みのための打算があったはず。聞いている限りでは、たしか君の実家のシュバルツ家の、さらなる繁栄のためだとか? それほど家を大事にしていたとは思えない君のことだ。にわかには信用できない話しだな。なら……雨宮くんを、いったい何に利用しようとしているんだ」
エリーは、イリアへ近寄ろうと足を踏み出す。
「シュバルツ家のために働くことは、私の目的のために必要な“過程”。それ以上の意味はありません」
「……ん? どういうことだ」
「私は、家のために動いているわけではないということです」
エリーは、イリアの目の前で立ち止まる。そうして、微かに頬を赤らめながら、はにかんだ笑みを浮かべて言った。
「イリア様。私、好きな殿方ができました」
「……」
唐突な告白に、イリアは言葉を失ってしまう。
反応に困っている様子のイリアに構わず、エリーは続ける。それを語る目は、恋する乙女のものだった。
「生涯において、たった1人だけ。私にとって、かけがえのない方を見つけました。たとえ今、あの方のお気持ちが、私の方を向いていなくても……。私に生きる意味をくださった、あの方を想う気持ちに変わりはありません。愛する者のために、私は強くなろうとしてきました。そして、その結果が今の私であり、この立場です」
「……つまり。男なんかに、たらし込まれたと言ってるわけか」
「フフ。そうかもしれませんね」
辛辣なイリアの評価に、エリーは苦笑を漏らす。イリアの男嫌いをわかっているからこそ、言わずにはいられない言葉があった。エリーは、ただ優しく微笑んで告げるだけだ。
「イリア様、愛は人を無敵にします。ですから私は、イリア様のご婚約に賛成ですわ。どうか、ただ1人だけを愛してみてくださいまし。それは貴女様にとって救いとなり、強い力になるはずです」
「……」
――――エリーはすでに、自分よりもずっと大人なのだ。
不覚にも、イリアは旧友の笑顔を見て、そう思ってしまった。自分の背に隠れて後ろを歩いていた友が、知らぬ間に大きく成長し、自分の遙か前を歩いている。それは、ほのかな喜びと敬意、それに言い様のない焦りを、イリアの胸中に生じさせる。
エリーの忠告を聞いて、イリアは肩を落として立ち尽くしてしまった。芝の上を吹く爽やかな風が、イリアとエリーのスカートの裾を揺らした。
エリーはイリアの横を通りすぎて、去って行こうとする。
だがすれ違い様に、重要なことを呟いてみせた。
「――――暗愁卿が、唐突に獣殺競技大会の開催を決めた理由は、その“大会のルール”によって、雨宮ケイの暗殺を行うためです」
「……!?」
唖然とした顔で、イリアはエリーの顔を凝視してしまう。
エリーはクスクスと、上品に笑んで続けた。
「大会の開会式まで残り2日。ケイ様なら、きっと私たちの予想もしない、面白い事態を引き起こしてくれるはずです。それを楽しみにしていますよ」
言うだけ言って、エリーはイリアに背を向けて去って行く。楽しそうに、日傘をクルクルと回し、エリーは鼻歌を歌っていた。