8-15 共存派
もしもガイアが現れなかったら、あの場の全ての獣人たちと、丸腰のまま戦うことになっていたかもしれない。それを思えば、ある意味でガイアは、ケイにとって命の恩人である。獣人たちの長たるガイアに連れられ、なんとかケイは、無事に酒場から生還することができた。
遅れて酒場を出てきていたステラが、ケイとガイアの間に割り込んできた。
「始祖! 安静にしていてほしいと、いつもお願いしているだろう! なのに……こんな酒場にまで出張ってきて。その身体で無茶をすると、寿命が縮まると、何度も警告したはずだ」
「ハッハッハ。わかっておるとも、小さな主治医殿」
「わかっているなら、巣穴にいるべきだ。まったく、困った患者だよ」
白衣のポケットへ両手を突っ込んで、ステラは困ったような顔をしていた。
2人の話を聞いている限りでは……どうやらガイアの体調が悪いようだ。たしかに、足の具合が悪そうで杖をついているし、顔の血色も良好ではなさそうだ。だが筋肉質な体つきを見るに、決して病弱という印象は受けなかった。どういった容態なのだろう。
殺伐とした酒場から脱して、呆然としていたケイ。
それに気付いて、ガイアは微笑みかけて言った。
「さて、人間さん。名前をお聞きしても良いかな?」
言われて、まだ自分が名乗っていないことに気が付いた。
それはガイアに対してだけではなく、ステラに対してもだ。
「オレは、雨宮ケイと言います」
「ほお。アマミヤ殿か。アークの人間にしては、少し変わった名前だ」
「オレは、白石塔の出身なんです」
ガイアの態度が誠実であったため、つい素直に、自分の秘密を口にしてしまった。
それを聞いたガイアとステラは、少し驚いた顔をする。
「……なるほど。道理で、アマミヤ殿は他の帝国人のように、我々の一族を毛嫌いする様子がないわけだ。少なくともワシは、白石塔から出てこられた下民に、これまで出会ったことがない。それがこうして目の前に現れるとは、長生きはしてみるものだ」
「フム。白石塔か。本当に内部に人が住んでいるのかどうか、一般の帝国人ですら疑う者がいる、謎の建造物だったな。まさか、そこから出てきた人間というものが現れるとは。しかもアマミヤは、ドミニク先生の実験体と言うし。なかなか面白い肩書きじゃないか」
「えーっと。褒められてるのかな……?」
珍獣を見るように、ジロジロとケイを観察してくる2人。
ケイは表情を引き攣らせる。
「そんなアマミヤ殿が、魔人族の少女と旅をしているとは。どうやらジェイドは、かなり訳有りの旅人を連れてきたのかもしれん」
ガイアは顎をさすりながら、何やら考え込んでしまっている。
それはともかく、ケイは疑問を口にして尋ねた。
「……どうして、オレを助けてくれたんですか?」
「ん?」
「獣人は、人間のことを憎んでいるんですよね。酒場にいた連中を見て、それはよくわかりました……。けど、そのリーダーであるあなたは、オレを助けてくれた」
ガイアは、人間を忌み嫌っている種族のリーダーなのだ。
それがわざわざ、人間のケイを、リンチされそうな窮地から救ってくれたのだ。
下っ端たちの態度と、リーダーの態度が違いすぎている。
「……ワシは“共存派”なのだ」
「?」
奇妙なことを口にしたガイアに、ケイは不思議そうな顔を返す。
ステラは、気まずそうな表情になって俯いた。
「獣人と呼ばれる種族の中にも色々な種類があるのだ。空を飛ぶ翼を持った、鳥人血族。全身を固い鱗に覆われている、鎧鱗血族。そして、ワシたちのような人狼血族。ようするに、獣人と言っても1種類ではなく、単純ではないということだ」
「そうなんですか」
「ああ。さらに言えば、違うのは血族の種類だけではない。思想や信条。考え方も、個体によって千差万別なのだ。このエヴァノフ企業国に住まう多くの人狼血族は、帝国人を憎み呪い続けて、毎日、殺してやりたいと願い続けている。だが、そうして人間たちと対立し続ける道に未来を見いだせず、人間たちとの共存を願う者たちもいるということだ」
「……それが、あなたのような“共存派”ということですか」
「つまりは、そう言うことになる。我々、人狼血族とて一枚岩ではないのだ。始祖であるワシがそうだからと言って、群れの全てが、同じ考えではない。と言うよりも、群れのほとんどが逆の考えだな。おかげでワシの求心力は、日々、落ちていくばかりだ」
「……」
人狼血族のリーダーは、人間と共存していく未来を願っている。いったいなぜ、人間を嫌う者達の長が、そのような考えに至ったのか。何か理由があるのだろうが……帝国に虐げられてきた、被害者である獣人たちの考えとしては、妙な感じがした。
「おっと。余計なワシの愚痴のようになってしまったようだ。本題に戻ろう」
ガイアは咳払いをして言った。
「ジェイドから聞いている。君は、ワシの倅――――ザナの居所を知っているのかね?」
真顔になってガイアは、それを尋ねてくる。
その表情には、父親として、息子の身を案じている不安が垣間見えている。
命を助けてもらったこともあるが、ガイアは信用できそうな相手だった。ひとまず、ケイはザナと出会った経緯や、一緒に国境越えに挑戦していた話しをした。それを黙って聞いていたガイアは、少し悲しそうな表情になっていった。
「……そうだったか。ザナは、ワシの病気を治すために、薬を探しに人里へ向かったのか」
「本人からは、そうだと聞いてます」
落ち込んでしまった様子の、ガイア。
そこに話しかけるのは心苦しかったが、ケイは恐る恐る尋ねてみた。
「その……ガイアさんの病気と言うのは……?」
「……」
答えづらそうにしているガイアに代わって、主治医であるステラが答えた。
「……8年前の大虐殺の時だ。始祖は血族を守るために、この国の企業国王である暗愁卿と戦った。そして、ヤツの“権能”の力を右脚に受けたんだ」
「権能?」
「真王が企業国王たちへ授けた王冠の力。詳しいことは知られていないが、魔術の力でもなく、異能装具の力でもないらしい。伝説によれば、この世界よりも、さらに上位にある世界の力。理に干渉する力なのだと言われている。暗愁卿の権能によって、始祖は“呪い”を受けた。それ以来ずっと毎日、少しずつ衰弱し続けているんだ」
ステラが口にした奇妙な単語を、ケイは理解できなかった。
「呪いって……。この国の企業国王は、他人に呪いをかける力を持ってるのか?」
「誤解がないように言っておくが。呪いというのは、あくまで比喩的な意味で、私が使っているだけの表現だ。権能を受けた始祖の肉体に、外傷などはない。だが……」
「見せた方が早いだろう」
そう言うと、ガイアはズボンの右脚をまくり上げる。
体毛に覆われた、自分の膝から下の部位を、ケイへ見せた。
「……!」
「まるで、枯れているようだろう?」
ガイアの右脚は、骨と皮だけのように干上がってしまっている。窶れてしまった部位だけ、体毛が禿げ抜け落ちてしまっていた。膝から下がミイラのようになっていて、当人が言うとおり枯れ枝のようになっている。簡単に折れてしまいそうな脚だ。
「暗愁卿の呪いは、ずいぶんと遅効性であるらしい。最初は臑あたりの肌が、乾燥する程度のことでしかなかった。だが、年月が過ぎるごとに右脚は枯れていき、今では膝から下の感覚がほぼなくなってしまった。右脚を初めとして、上半身もどんどん枯れ始めていてな。最近は、全身の脱力感が尋常ではなくなってきた」
悲惨なガイアの患部を見やりながら、ステラが付け足して言った。
「わけがわからない症状だよ。人狼血族は肉体の自然治癒能力が高い種族だから、四肢を切断しても、時間さえあれば新しい手足が生えそろう」
「そうなのか?! すごいな!」
失った四肢を、獣人は再生させることが可能だという。
にわかには信じられない、規格外な種族である。
だがだとしたら、考え得ることがある。
「なら、問題の右脚を切断すればもしかして……」
「ああ。そう思って、始祖の脚の切除手術を行ったんだ。けれど結果は見ての通り。新たに生え出た右脚も枯れてしまっている。遺伝子レベルで、何か狂わされている様子だ。暗愁卿の権能がどういった性質のものなのか不明だ。だが、こんな症状を引き起こしてるんだ。……呪いと表現するのがわかりやすいと思ってな」
「なるほどな……」
まくっていたズボンを元に戻し、ガイアは自嘲して言った。
「不甲斐ないことだ。ワシがこの様だから、倅のザナに心配をかけてしまった。あの子が、ワシの身体を治す方法を、子供なりに一生懸命に調べていたことは知っていた。だがまさか、ワシを治せる薬が、人間の街にあるのだと信じて飛び出して行くとは……無茶をしたものだ」
「集落のみんな、しばらくずっとザナの行方を捜索していたんだ。けれど見つからなくてな。ジェイドは、自ら捜索隊を買って出たくらいだ。お前を助けたと言うよりも、ザナを助けたい一心だったんだろう」
粗暴で、怒りやすく、話しの通じない黒い人狼血族。ジェイド。
けれど、ザナのことを心配して身体を張るような男ではあったらしい。
2人がどういう関係なのかは知らないが、ザナのことが余程、心配だったのだろう。
ほんの少しではあるが、ジェイドの気持ちがわかったような気がした。
「すまない、始祖」
ステラは申し訳なさそうに、ガイアへ謝った。
「ザナが人間の街へ向かった責任は、おそらく私にもある。ザナに色々と聞かれて、始祖の容態に効き目があるかもしれない、つまりは治癒の“可能性”があるだけで確証のない薬を、あれこれ紹介してしまった。獣人の集落にいる限りは、人間たちが使うような、効能の高い薬や医療設備なんて手に入らないからな。まさかそれを得るために、人間のところへ行くとは思っていなかったんだ」
「謝るな、ステラよ。全ては、この始祖の不徳が成すところ。責められるべきはワシだ」
ガイアは、落ち込んでいる様子のステラの頭を撫でてやった。
まるで父親がそうするように、ステラのことを慰めた。
「――――これはこれは、誰かと思えば始祖様ではないか」
ふと、ケイの知らない男の声が現れた。
獣道を掻き分け、森の中から現れたのは、人狼血族の若い男たちだ。7人くらいで連れ立って歩いている。話しかけてきたのは、その集団の先頭を歩いていた、体躯が大きくて強そうなリーダー格の男だ。
鷹を思わせる鋭い目付き。彫りの深い顔立ち。他の人狼血族たちと同じ、ブラウンカラーの体毛だ。何か生き物を殺してきたばかりなのか、全身に返り血を浴びており、血まみれの大斧を肩に担いでいた。
「……ダリウス」
「ガイア殿。今日も、まだしぶとく生きておられるようで何より」
ニタニタと微笑み、ダリウスは敬意に欠く、皮肉っぽい挨拶をした。
それにつられて、仲間の人狼血族たちもニヤけた。
「我が“牙迅隊”は、本日の巡回警備のシフトを終えて、これから酒場へ向かうところです。人間との共存を願うあなたには酷なニュースですが、今日も、集落に近づこうとする人間たちを見つけたものでして、喰い殺してやりましたよ」
「……」
「人間の肉は不味いので、あまり好きじゃありませんがね」
どうやら、ダリウスの身体に付着した血痕は、人間のものであったらしい。
ガイアの背後にいるケイの姿を見つけ、ダリウスは感心したように尋ねてくる。
「おや。そちらにお連れしているのは、もしかして人間ですかな?」
「……ワシの客人だ。手出しすることは許さんぞ」
「ハハ。始祖様の客人に手を出すほど、獣人族の掟を軽んじてなどおりませんよ。血族において、1番強き者が始祖を名乗り、皆はそれに従う。あなたは群れを守るために、企業国王にさえ立ち向かっていった英雄だ。子供の頃から、俺はあなたを尊敬している。ただ……」
そこまで言って、ダリウスは不敵に笑んだ。
「最近はだいぶ弱っておられる様子。そろそろ、後任の誰かに交代しても良い頃と思ってますがね」
「……」
「それにしても。獣人と人間の共存ねえ。ハッキリ言って、俺にはその理想が理解できませんなあ。帝国は約10年ごとに、獣殺競技大会として称して、我々を面白おかしく虐殺しようとしてくる連中です。人間は、殺しの愉悦に狂った種族。そんな連中と友人になろうなどという発想自体が、なぜ生じるのか」
「……人間の行いに理解を示しているわけではない。ただ、いつまでも互いに殺し合っていたところで、どちらかが滅びるまでそれが続くだけだ。ワシは、そんな不毛な未来を、若者たちに残したくはないと思っている。殺し合いなど、もうたくさんじゃないか」
「話しはもっと単純だと思ってますがね。つまり――――人間の方が先に滅べば良い」
「……“戦争派”は、獣人が人間に勝利できると考えているようだな」
「始祖は勝てないと、お思いで? ずいぶんと、弱腰な考えになってしまったものです」
ダリウスは仲間を引き連れ、ガイアやケイたちの横を通りすぎようとしていく。
最後に、捨て台詞のように告げてきた。
「あなたがどう思っていようと、帝国はまた、必ず攻めてくる。群れが鉄風雷火に曝されてもまだ、人間との共存など唱え続けていられるのか。俺はそれが見物ですよ」
「……」
意味深げに笑んで、ダリウスたちは酒場の方へと歩み去って行った。