8-13 獣の賢者
暗闇の中に立っていた。
光のない。何も見えない。黒一色の視界。
色も。音も。匂いもない。ただ漠然と。どこまでも続く虚無だ。
もはや何度目に来るのかわからない、現実ではないような景色の場所。
「……いい加減、もうここがどこなのか、わかっているよ」
少年は、闇の向こうへ語りかけた。
「――――死の世界への入り口。だろう?」
「そうとも言います」
答える声は、少年のすぐ隣から聞こえた。
いつからそこにいたのかもわからない。
だが、この闇のどこかにいるのだろうと思って話しかけたのだ。
驚きはない。
案の定、少女が現れるのは、いつだって唐突だ。
少年は嘆息混じりで尋ねる。
「剣を使った後、死ぬ度にここへ来る。なら、これは剣が見せている臨死体験ってやつなのか?」
「そうとも言います」
判然としない、曖昧な返事。
嫌みでそうしているのではないだろうが、少女の口ぶりは冷ややかだ。
白いワンピースを着た、まだ年端もいかない背格好。白銀の髪の少女である。奇妙なことに、その頭上には、赤い光で形成された、天使の輪のようなものが浮かんでいる。こちらをジッと見つめる表情は、モザイク処理されているかのように、歪んでいて認識できない。
2人で、暗闇の向こうをじっと見つめ続けた。
そうしていると、今度は少女の方から語りかけてきた。
「あなたは、おかしな人ですね」
「……おかしい? なにが?」
少年を見向きもせず、闇の彼方を見つめて少女は言う。
「この世界において、神にも等しい力を与えられながら、何度もここを訪れる。あなたが弱いからなのか。間抜けだからなのか。その力を持ってしても、なお敗北を重ねることは、理にかないません」
「……悪かったな。弱い間抜けで」
「もしかしたら、あなたは剣の“真の使い方”を理解していないのではないですか?」
突然、それを問われる。
何のことを言われているのかハッキリせず、少年はオウム返しに尋ねてしまう。
「真の使い方……?」
「あなたは剣の本質を知りながら、実はまだ、それが意味することに気が付けていない。この世界で最も恐れられる、誰にとっても抵抗不可能で理不尽な暴力。それこそが“死”。剣はそれを操るだけで、力の源泉たる死は、どこにでもありふれている。死は万物に訪れる理。決して、あなたにのみ存在する宿命ではありません」
「……?」
少女が話すことは、いつも通りに難解だった。その婉曲な説明を理解することができず、少年は代わりに、疑問を呈する。
「君は…………誰なんだ?」
「……」
答えを聞く間もなく、いつものように、急速にどこかへ呼び戻される。
そんな感覚と共に、少年は、少女の姿を闇の彼方へ見失っていった。
◇◇◇
意識が戻った時、最初に見えたのは岩の天井だ。
天井も、壁も、岩肌。岩盤を削って造られた、まるで洞窟内のような景観。薄暗い室内を照らすのは、天井に埋め込まれた蛍光灯である。電気配線が剥き出しになっているのを見るに、どうやら雑な取り付け工事だったようだ。
身体はベッドの上に、ベルトで縛り付けられていた。腕も足も、固く拘束されていて、身動きが取れない。すぐ傍らには、輸血パックがぶら下がったハンガーが見えていた。右腕に針の感触があり、輸血を受けているのがわかった。
「……っ!」
意識が覚醒していくのにつれて、痛覚が敏感になっていく。
左腕から、焼きごてを当てられているような凶悪な激痛が生じ始めた。
全身にじっとりと脂汗が浮かび、身を捩って苦しんでしまう。
「おお。まさか本当に目が覚めるとは」
もがいているケイの顔を、覗き込んでくる少女がいた。
ボサボサの白い長髪。頭の天辺から突き出た、三角形の獣耳。獣人族のようだ。気怠そうな顔をしており、ダウナー系な雰囲気である。眠そうな半眼で、ケイのことをじっくりと観察してきている。身の丈に合わない白衣を羽織っていて、袖の部分がだぶついているようだ。
ペンライトを点けたり消したりして、少女はケイの瞳孔反応を確認してくる。
そうしてから興味深そうに、カルテボードにペンを走らせて呟いた。
「ふーんむ。心停止していて脳波もなく、元より死んでるのと同じ状態だったのに……。傷口の縫合と、軽い心臓マッサージで息を吹き返し、あとは輸血だけして放置しておいたら、本当に勝手に蘇生したぞ。いったいどういう身体の構造だ? 分解して確認しておくべきか……?」
良からぬことを、真面目に思案している様子の少女。
ケイは左腕の痛みに歯を食いしばる。
そうして、苦しげな表情のまま尋ねた。
「……ここは……どこなんだ……?」
「見ての通り、私の手術室だ」
「……」
この状況と会話のパターンに、ケイは心当たりがあった。
淫乱卿との戦いの後。
空中学術都市ザハルで、ドクターによって蘇生させられた時のことだ。
あの時も、こんな風に拘束されていて、つかみ所のない会話を繰り広げた。
白衣の少女の雰囲気は、ドクターに似ているのだ。
「オレはたしか……ジェシカを助けるために、異常存在を殺して……。そうか、この痛みは、噛みちぎられた左腕の……!」
見やった左腕は、肩から先がなくなっていた。
その絶望的な光景を確認し、青ざめてしまう。
ショックを受けているケイへ、白衣の少女は思い出したように手を打って言った。
「そう言えば。とっくに死んでるとばかり思っていたから、まだ鎮痛剤を投与していなかったな。死人には不要なものだと思っていたが、こうなると話しは違う。少し待て」
白衣の少女は引き出しの中に転がっていた注射器を取り出し、針先をライターの火で炙った。それが消毒代わりなのだろう。まるで野戦病院でしか見ないような手順である。
慣れた手つきで、白衣の少女は、注射器の液体をケイの右腕へ注入した。
すると、歯を食いしばるほどの痛みが、ウソのように引いていく。
「落ち着いたか?」
「……ああ。ありがとう。痛みが引いたよ」
「お前の左腕は、上腕部から引きちぎられていて、傷口が腐り始めていた。肩から先を切除する以外になかったので、私が手術したんだ。良かったな。このジャングルに、私のような名医がいて」
「君が医者……?」
見た目は、ケイたちと離れた歳に見えない。どう見ても大人ではないが、ジェシカたち魔人族のような、肉体年齢と精神年齢が異なる種族もいるくらいだ。もしかしたら、獣人も見た目と実年齢が違っているのかも知れない。
「そうだ……ジェシカはどうなった!?」
思い出し、ケイは白衣の少女を凝視した。
そうされている白衣の少女の方は、首を傾げている。
「ジェシカ?」
「オレと一緒に、小さな女の子がいたはずだ!」
「あー。ジェイドが連れてきた、あのやかましい魔人のチビっ子か。安心しろ、別の病室で静養させている。起きている間はウルサいので、睡眠薬を投与して黙らせたが」
「無事……なのか?」
「無事に決まっている。そもそも、死んでいたお前に輸血しておけば、そのうち蘇生すると言い張っていたのが、あのチビっ子だ。にわかには信じられん話しだったが、面白そうだから試してみたんだ。実際にこうなると、さすがに私でも驚くが」
「そうか……」
それだけ聞いて、ひとまずは安堵する。
「じゃあ君とジェシカが、オレを助けてくれたんだな……。ありがとう」
「礼を言われるほどのことはしてない。傷口を処置して、輸血して放置しておいただけだからな。勝手に蘇生したのは君だ。カピカピに干からびかけていたのに、水やりだけで蘇るとは、カップラーメンみたいなヤツだ」
少女はムッツリ顔で答えた。
なんだか、アデルと話している時を彷彿とさせる無表情さである。
「でも、どうしてオレたちを助けてくれたんだ? たしか覚えてる限りだと……オレとジェシカを見つけた獣人の男たちは、オレたちを殺すつもりに思えたけど」
「ジェイドたちのことか? まあ、アイツ等は知能が低いからな。人間と見れば、見境なく殺さずにはいられない、しょうもない習性みたいなもんがあるんだろう。なにせ“戦争派”の連中だ。野蛮なこと、この上ない」
「君は、アイツ等みたいに凶暴じゃなさそうだな。落ち着き払ってるというか……。獣人って、みんなあの男たちみたいに、血気盛んな連中なのかと思ったよ」
「おい、私を他の脳筋どもと一緒にするなよ。私は賢いのだ」
白衣の少女は腰に手を当て、不服そうに言った。
「たしかに、私たち人狼血族は、全体的に血の気が多い種族だ。どいつも脳みその代わりに、筋肉が詰まってるんじゃないかと疑うバカさであることも認める。だが私は違う」
白衣の少女は、ドヤ顔で胸を張って名乗った。
「私は“倫理なき医師団”に在籍している、人狼血族では史上初の医者。ステラだ。私を呼ぶときは、敬意を込めてドクターと呼べ」
どこかで聞いたことがある名前の団体。
そして、以前に会ったことのある男と、似たような名乗り。
偶然の一致とは思えず、ケイは恐る恐る訪ねた。
「えーっと……。倫理なき医師団とかいう団体に所属してるドクターって……すでにキャラがかぶってる、ドミニクとかいうオッサンを知ってるんだけど」
「なっ! お前、ドミニク先生を知っているのか!」
「やっぱり知り合いなのかよ……」
「知り合いも何も、私の師匠だ! 先生とはどういう繋がりだ?!」
狼狽えている様子のステラを見て、ケイは頭痛がしてくる。
どういった偶然なのか、ステラは、ドミニクと師弟関係があるらしい。師弟揃って、半死状態のケイを治療してくれるというのも、不思議な縁である。ケイはドミニクとの関係を、ステラに説明してやる。話を聞いていたステラは、興味深そうに頷いていた。
「……面白い。お前は、ドミニク先生が製造した実験体だったというわけだな。道理でおかしな身体をしているわけだ。しかし色々と合点は言ったぞ。さすがはドミニク先生の実験体だ。死んでも死なんとは、理屈もへったくれもない」
「実験体って言い方は引っかかるけど……。まあ、患者なのは確かだね」
「むー。さすがにドミニク先生と比肩した呼び名で、お前に呼ばれるのは気後れするぞ。仕方がない。私のことを、ステラと呼ぶことを許そう」
ステラは、ケイの手足のベルトを解き、拘束を解除する。
自由になった手足で上体を起こして、ケイは改めて室内を見渡した。
どう見ても、洞窟である。岩肌を掘って作られた空間で、床は砂地。人の住居とは思えない造形の部屋だが、そこに人間が造ったと思わしき医療機材や、ベッドが並べられていた。人間から奪ったものだろうか。それとも、獣人が製造したものなのか。
そのことよりも、ケイは意外そうにステラを見た。
「……良いのか? オレを解放しても」
「解放したら、私のことを襲うつもりだったか?」
「……いいや」
「だろう? 見たところ、お前は義理堅いタイプだ。命の恩人に仇なすような、礼知らずじゃないだろう。私が患者を診る目は、常に正しい。なら、別に問題ないじゃないか」
「ずいぶんと自分の審美眼に自信があるんだな」
「私は、他の脳筋どもと違って賢いからな。とは言え、お前が持っていた剣は没収させてもらっている。担ぎ込まれた当初は、握っている右手から引き離せなかったが、知らない間に剥がれて転がっていたのでな」
「……」
ケイは改めて、失われた自分の左腕を見下ろした。
寂しげな表情で、ステラへ訪ねる。
「ドミニクみたいに、オレの腕は治せないのか? たしか、再生治療って言うのがあるんだろ?」
「人間の街に行って、しかも貴族のように最先端の治療を受けられるなら、そうすれば良い。少なくとも今、この集落で生きている人間は、お前だけだ。そんな場所に、人間用の再生医療設備があるように思うか? ここは獣人のねぐらだぞ?」
「……だな」
「わかったならついてこい」
ステラはケイに背を向け、指をクイクイと曲げてみせる。
「自分で歩けるだろう? お前が起きたら、ジェイドが話したいと言っていた。今から連れて行く」