8-12 奴隷のアデル
「――――――」
誰かが、何かを言っている。
しかし、よく聞こえない。
「――――――――ろ――――」
声をかけられるたびに意識が覚醒し、次第に視覚や聴覚がハッキリしてくる。
自分に話しかけてきているのが、粗野な男の声だとわかった。
「――――おい、起きろ!」
頭から、バケツいっぱいの冷水を浴びせかけられた。
全身を濡らす感触に驚き、アデルは目覚めた。
気絶していて、椅子に縛られ項垂れていたようだ。
長い銀髪が濡れ、毛先からポタポタと、床へ滴を落とす。
目覚めたばかりの頭はぼやけており、何が起きているのか理解しきれない。足下は、何かの油に汚れて黒ずんだ床。顔を上げれば、薄暗い地下室のような、圧迫感のある部屋の様子が見える。目の前にいる、汚れたエプロンを着た半裸状態の男が、アデルに水をかけたらしい。アデルの頬を乱暴に叩き、起こそうとしていた。
「…………ここは?」
「ようやく目が覚めたか。このガキ、手間取らせやがって」
「おい、さっさと連れてこい。モラー様を待たせるのはまずい」
部屋の中には、3人くらいの男がいたようだ。
話し合っている。
エプロンの男は、椅子に縛られていたアデルの拘束を解く。そうして後ろ手に手錠をかけて、背中を突き飛ばしてきた。そうして「歩け」と命じてくる。言われるがままに歩き、部屋を出た。そこはやはり、薄暗い通路になっている。鉄格子の牢が無数にあり、その中には、ぼろきれ1枚をまとっただけの、怯え竦んでいる人々の姿があった。
奴隷――――。
そうとしか思えない扱いを受けている人々だ。
ここは奴隷を集めた、地下監禁施設か何かではないだろうか。
風呂に入っていないのであろう人々の、体臭と汚物のにおいが酷かった。
男たちに前後を囲まれるようにして、アデルはただ通路を歩かされる。
どこへ向かっているのかは説明されない。
何をされるのかもわからない。
それがたまらなく不安だった。
リーゼが格闘で負けた後、アデルとザナは薬を嗅がされた。
その後の記憶がなく、気が付けばこの悪夢のような場所である。
「ここだ。入れ」
牢が並ぶエリアを抜けた先に、扉があった。
男たちはそこへ入室するよう、アデルへ命じてくる。
怖くて逆らうことができず、恐る恐る、その中へ足を踏み入れた。
入ってすぐの場所に、椅子が置かれていた。先ほど、アデルが拘束されていたのと同じような姿で、見知った顔が座っていた。青い髪の、機人族の少女。金属プレートのように見える、アンテナ耳を持つ有機機械体の仲間だ。いつも羽織っているフードローブは奪われ、その下のボディースーツ姿である。
リーゼ・ベレッタ。
その右耳は切り取られ、流れ出た血が、右頬を伝っている。
「リーゼ! その耳は!」
たまらずアデルは駆けより、リーゼを抱き起こそうとする。
だが後ろ手に手錠をかけらているため、そうすることは叶わない。
リーゼは弱りきっている様子だった。
口をテープで塞がれ、しばらく意識を失っていたようだ。
アデルの呼びかけに気付いたらしく、うっすらとだけ、目を開けて反応した。
目尻には涙を流した後がある。おそらく、意識がある状態で、生きたまま耳を切り取られたのだろう。痛くて。怖くて。泣いたはずなのだ。それを思うだけで、アデルの胸は締め付けられるように苦しい。なぜ、何も悪いことをしていないリーゼが、こんな残酷な仕打ちを受けているのか。まるで理解できなかった。
遅れて部屋へ入ってきた、3人の男たち。
彼等がやったのか。いずれもニタニタと微笑んでいる。
怒りと恐怖が入り交じった思いで、アデルは睨み付けた。
「どうして……! どうしてこんな酷いことを、リーゼに……!」
「――――儲かるからだよ、お嬢さん」
答えたのは、男たちではない。アデルの背後。リーゼの座っている椅子が向いている先。粗野な部屋に似つかわしくない、豪勢な執務デスクに座した、金髪の、太ったスーツ姿の男である。その目の前のデスクには、大瓶が置かれている。リーゼから切り取った耳が、液体に満たされて保管されていた。それを嬉しそうに見つめ、微笑んでいた。
「少し前に名乗りはしたが、その後、すぐに薬で眠らせてもらったからねえ。覚えていないかも知れないから、もう1度だけ名乗っておこうか。私はモラー・フェルティエ。君たちの新しい主だ」
モラーは葉巻の先を切り落とし、そこに火を点けながら言う。
「ここは……何なのですか?」
「うちの農場の近くにある地下施設さ。いわゆる“査定場”だよ。新たに連れてきた奴隷は、ここでその価値を査定するのが手順でねえ。労働力にならないだとか。女として使えないだとか。そうした欠陥品が混じっていることがある。そういうのは解体してパーツに分けて、有効利用したりするんだよ」
平然と恐ろしい発言をするモラー。
アデルは、その意味を理解して青ざめる。
だが勇気を出して、モラーへ言った。
「どうしてリーゼの耳を奪ったのですか……!」
「さっきも言っただろう? 儲かるからさ。高く売れるんだよ。その女の身体は」
「売るって……リーゼは売り物なんかじゃありません! 私の大切な友達です!」
「おやおや。どうやらお嬢さんは、この社会の仕組みをよくご存じないようだねえ」
モラーは葉巻を吹かしながら、小馬鹿にした態度でアデルへ説明する。
「良いかね? 世の中のあらゆるモノには“値段”が付いている。人間はどんなものにも価値を見いだし、それらに大小を付けて、比較し合う生き物だからねえ。簡単に入手できなければできないモノほど“希少価値”が付く。だからさ。機人や獣人といった別種族は、希少価値が高い。手に入れようとしても、個体の戦闘能力が高い生物だから、生かしたまま捕らえようとするのが難しい。きっと大勢の人間が死ぬだろう。だからさ。人間の奴隷よりも遙かに価値が高い」
「あなたは、リーゼに値段を付けて売るつもりなのですか……!」
「彼女だけじゃない。あの獣人の小僧も、私にとっては大事な商材さ」
「ザナもここに……!?」
「ほほ。私の説明のおかげで賢くなれたかな、お嬢さん? もちろん、あの小僧も売り物さ」
モラーは下卑た笑みを浮かべて続ける。
「獣人のオスの子供は、それほど珍しくはないが……。まあ、そういうのが好きな変態に売れるだろう。それより素晴らしきは、機人が手に入ったことだ。しかも“女”だぞ?」
「……女だから、どうだと言うのですか?」
「ほほ。それがわからぬとは。お嬢さんは、ずいぶんと無知なご様子だ。機人族はただでさえ少数の種族で、その姿を見かけること自体が非常に希だ。有機機械化された眼球や耳、骨格や臓器は、どこの部位だろうと高値で取引されている。しかも、若い女とくれば、さらに価値が上がる。とんでもない高値が付くだろうなあ。そういう用途で使えるようにするため、片耳だけで済ませてやったんだぞ? 本当は目玉も欲しかったところだ。いやはや、予期せぬ拾いものだとも」
モラーは席を立ち、スーツの襟を正して言った。
「さてと。お嬢さん。ここからは君の今後についての話しをしよう」
モラーは、デスクの下に置いてあったスーツケースを拾い上げる。
それをリーゼの耳の横に並べ、指さして尋ねた。
「君たちが持っていた、このトランクケース。中身は何なのだね?」
「……!」
「機人の女が、このケースをなかなか手放そうとしなかったのでね。少々痛めつけてやった。そうまでして大切にしているモノなのだ。中身は相当に価値のあるものが入っていると見ている。機人の造る道具は全て価値が高いからね。私はぜひ、それを手に入れたいのだよ」
スーツケースの中身は――――生き残った東京都民たちの“希望”。
人類を帝国の支配権限から解放できる、ワクチンのサンプル。
それに、日本政府の国庫から金を引き出せる、特別なクレジットカードだ。
エヴァノフ企業国にある都市と交渉し、東京都民を避難させるために転移門を繋いでもらい、物資をわけてもらう必要がある。その同盟締結交渉のために不可欠な交渉材料。失えば、ここまでの旅の全てが無意味になる。東京都民たちも、死体だらけの白石塔の中で餓死することになってしまうのだ。
「我が家で雇っている魔導兵が言うには、だ。残念なことに、このケースには施錠魔術の処置が施されている。資格のある人物でなければ開くことができず、資格がない者が無理に開けようとすれば、自壊する現象理論になっているそうだ。つまり君たちにしか開けられないということだ。どう言うわけか、持っていた機人当人も開けられず、獣人の小僧でもダメだった。なら、君は開けられるのかね?」
アデルは答えない。
沈黙するしかない。
170万人の命がかかっている宝物を、こんな男に渡すわけにはいかない。
たとえ殺されたって、口を閉ざし続けるつもりである。
「ダンマリか……。おい」
モラーが命じると、アデルの背後で控えていたエプロンの男が歩み出る。アデルの手錠を外し、その手を乱暴に引っ張って、スーツケースの前へ引きずっていく。アデルは懸命に抵抗した。
「やめて! やめてください!」
「騒ぐんじゃねえよ、このガキ! 腕を切り落としてやったって良いんだぞ!」
頬を叩かれた。
怯んだアデルの手を使って、スーツケースのロックを解除させた。
「モラーさん。開きましたぜ」
「ほほ。ご苦労」
男はアデルを突き飛ばす。
赤く腫れた頬をさすりながら、アデルは悔しげに涙していた。
そんなことは気にもせず、モラーはスーツケースの中身を物色し始めている。
「これは……何かの薬品? それに、古風なクレジットカードか。いったい何なのだ」
ふと、ケースの端に転がっていた貴金属を取り上げ、目を輝かせた。
「ほほお。この金の指輪は、かなりの価値がありそうだ」
それは、ジェシカがリーゼに解析を依頼していた指輪だった。四条院キョウヤが使っていた、魔術の効果範囲を拡大する効果を持った、至宝なのだと聞いている。貴重品は、ほとんどがスーツケースの中にまとめられていたようだった。
モラーは指輪を自分の指にはめる。
そうしてスーツケースを閉じると、面倒そうにアデルを向き直った。
「トランクの中身については、これからじっくりと査定させてもらうとしよう。さて、こうなった今、お嬢さんはもう用済みなわけだが」
「……解放してもらえるのですか?」
「ほっほっほ! 本当に純真ですなあ! いったいどのように育ったお嬢様なのです?」
モラーはアデルに歩み寄り、その耳元に囁いた。
残酷な口調で。
「バカを言うな。お前ほどの上玉の女、欲しがる買い手ならごまんと見つかる。これからうちの娼館で働かせて、死ぬまで身売りさせてやろう。最期の一瞬まで、金を稼いで我が家の礎となるが良い」
突如、それまで沈黙していたリーゼが動き出す。
座っていた木製の椅子ごと身体を浮かせ、着地の衝撃で、椅子を破壊する。
後ろ手に手錠をかけられたまま、リーゼはモラーに体当たりをして突き飛ばした。
「このエルフ女! まだ動けたのか!」
口を塞いでいたテープが剥がれると、リーゼは必死にアデルへ言った。
「アデル、今のうちに逃げて!」
「リーゼ!」
暴れるリーゼを、男たちが押さえにかかる。
反抗は虚しく。弱っているリーゼでは、簡単に組み伏せられて無力化されてしまった。
リーゼは涙ながらに、男たちへ懇願した。
「お願い……アデルに手を出さないで……代わりに、私はどうなっても良いから……」
「リーゼ! そんなのダメです!」
「アデルは……貴方たちヒトにとっても希望なんだよ……それを壊さないで……!」
目の前で、アデルの大切な友人が傷つき、泣いている。
リーゼの悲しそうな顔を見ているだけで、アデルは胸中を掻きなじられる思いだ。
叩かれるのは痛くて。また叩かれるのかと思うと怖くて。
けれど耳を取られたリーゼは、アデルより、もっと痛かったはずなのだ。
それなのに立ち向かい、アデルを助けようとしてくれた。
命を賭けて。
「煩わしいクズどもだ。おい、さっさと連れて行け」
「へい」
エプロンの男は、アデルを元の部屋へ戻そうと近づいてくる。
表情を陰らせていたアデルの腕に、触れた途端だった。
――――脈絡なく、男の手が破裂する。
「!?」
「うぎゃああああああ!」
手首から先が吹き飛んだ男。
グズグズの肉塊と化した断面から血を吹き出し、痛みで床を転げ回る。
爆ぜて部屋中に飛び散った肉と血しぶき。モラーたちは驚き、身を竦ませる。
いつの間にかパチパチと、アデルの身体の周りに放電現象が生じていた。
アデルの瞳に、赤い光が灯っている。
涙を流しながら、怒りに満ちた眼差しをモラーに向けて宣告した。
「これ以上、リーゼに酷いことをしないでください……! 許しませんよ……!」
「アデル……その力はいったい……!」
「ほお。まさかお嬢さん、魔術を使えたのかね……?」
凄んで見せたものの、慣れない力を使えば、すぐに限界がくる。
放電現象が収まり、アデルの頭がグラリと、円を描いて揺れる。
力尽きたように、アデルはその場で倒れ伏して気絶してしまった。
男たちは、動かなくなったアデルを遠巻きにし、警戒しながら呟く。
「いったい何なんだ、このガキ……」
「驚かせやがって。気絶しやがったぞ」
アデルが無力化したのだと察すると、男たちは恐る恐る、その華奢な身体を担いで部屋を出て行く。そうしてアデルは、元の部屋へ連れ戻されていった。
用が済んだため、モラーも部屋を後にする。
屋敷の地上階へ戻ろうとしていた時だった。
進行方向から、息子のサドンが駆け寄ってくるのが見えた。
なにやら慌てている様子である。
「……地下へは下りてくるなと、以前に注意したはずだろう、息子よ。ここは汚い。高価な召し物が汚れるぞ」
「父上、それどこではありません! エヴァノフ企業国全土の貴族へ、通達が出ているのです! いち早くお伝えしなければと思い、こうして駆けつけたのです!」
「通達……?」
「企業国王からの直接宣言です! 父上のAIVにも通達が来ているはずです! ご確認ください!」
「……物々しいな」
息子に促され、モラーはAIVのメールを確認する。
すると、国の要人たちへの暗号通知が届いていることに気付いた。
データを開封し、そこに記載された文章に目を落とす。
「…………狩猟解禁……!」
「ええ、父上。またついに、あの獣狩りの“闘技大会”が始まるのです。国を挙げた祭事が!」
親子は思わず、笑みを浮かべる。
胸中に沸き立つ興奮を抑えきれず、モラーは思わず拳を固めた。
「ほほほ。急に運が巡ってきたのか? これは面白いことになってきた……!」
モラーは、近くにいた手下の男へ命じた。
「おい。機人の女と、獣人の小僧。それに、さっきのお嬢さんを売るのは取りやめだ。大会に参加する奴隷として、ミーナと一緒にエントリーする」
「ハッ! ……って、さっきの銀髪女もですか?」
「魔術を使えるのだろう? なら、その辺の奴隷よりも強いはずだ」
「わかりました!」
「ほほ。また、莫大な金が動く。これは大儲けのチャンスだぞ……!」
モラーの薄汚い計算は、すでに高速で回り始めていた。
他のライバル貴族たちを、出し抜くために。
次話の更新は月曜日を予定しています。