8-11 動きだす企業国王
黒塊の首都バロール。その最上層である、第80層。成層圏に達する高所だが、層内は、気圧や温度が適切に管理されており、地表近くにいる時と変わらぬ生活ができる。
砕けた月と、満天の星空を見渡せるガラスドームがあった。
その中に設けられた、広く豪勢なカクテルバーこそが、エヴァノフ企業国の玉座である。ネオンライトで飾り付けられたバーカウンター席に腰掛け、暗愁卿は、ブランデーのグラスを睨み付けていた。
腰のガンベルトに帯銃している、目付きが悪いウエイターの黒髪女がいた。
グラスを磨きながら、ボソボソと小声で喋る。
「……恐れながら、主。飲み過ぎるのは、お体に障ります。ほどほどにしておいた方が良いかと」
「黙って酒をつげ、ヴィエラ」
苛立った口調で、暗愁卿はウエイターのヴィエラへ、飲み干したグラスを渡す。命じられては断れず、ヴィエラは黙々と、ブランデーの瓶のフタを開けた。
「四条院。たかだか1000年しか生きておらぬ、あの若造め。真王様の御前で、この吾輩に辱めを与えるとは……断じて許せぬ。必ず、この手で殺してやるとも」
「主。企業国同士の争いは、真王様に禁じられています。主と淫乱卿がいがみ合っていたとしても、互いに手を出すことはできません」
「臣下に指摘されずとも、承知している」
「ひっ」
冷ややかに答えながらも、グラスをテーブルに叩きつける暗愁卿。
そこから少し離れたカウンター席に、日本刀を腰に帯びた侍のような男が座っていた。無骨そうな風貌に似合わず、カラフルなカクテルグラスを手にしながら語りかける。
「御前会議での屈辱について、お聞きしましたぜ、ボス。四条院のヤツ、国境の雑な偽装工作で、我が国を陥れるとは……。そうして他国を味方につけて、自身の立場の窮地を逃れた。相も変わらず食えぬ男。あの好色野郎のことは、前々からいけ好かないと思ってやしたがね。よりにもよってボスを貶めるとは、万死に値する無礼」
「ようやく吾輩の聞きたかった言葉を口にしてくれたな、ゼイン」
暗愁卿は男、ゼインを横目にして微笑んだ。
どういたしましてと、ゼインは肩をすくめて見せた。
「お気持ちは察しますがね。ただ今は、四条院への“返し”については追々することにしておきましょうや。ヤツによって貶められた、エヴァノフ企業国の名誉を回復することの方が先決」
ゼインと呼ばれた男は、顎をさすりながら続けた。
「良いように踊らされているのは腹が立つ。ただ……他の企業国から少しでも疑義の目を向けられている現状、選択肢は少ないもんですわ。我々にとっての問題は、もはや四条院の言葉が事実だったのかどうかじゃあない。少しでも疑いを向けられてしまったという、現実の方ですぜ。我々の手で雨宮ケイを殺して見せねば、四条院の口車を信じかけている他国は、納得しないでやしょうな。それができなけりゃ、これから立場が苦しくなるのは四条院でなく、こちら側の方」
「フン。雨宮ケイを殺して見せれば、吾輩が黒幕ではないのだと証明できる。四条院への信用は失われ、再びヤツの立場を、苦しいものにしてやれるということだ。何としても、ヤツを七企業国王の地位から引きずり下ろしてやる。ヤツが王でさえなくなれば、吾輩が何をしたところで問題ないからな」
暗愁卿は、黙々と酒をあおった。
髪を掻き上げ、舌打ち混じりで毒づいた。
「所詮、四条院は東京廃棄処分の責任を逃れるため、無理矢理に、吾輩の疑惑をでっち上げたのだ。そうして一時的に皆の目を逸らしただけのこと。処刑されるまでの時を稼ぐ、単なる時間稼ぎに過ぎん。罪人のくだらぬ最期のあがきよ。あの若造の仕掛けてきた、児戯のようなこの茶番は、さっさと終えねばならん」
暗愁卿は、カウンターでグラスを磨き続けているヴィエラを、ギロリと横目で睨んだ。
「ひっ」
「それで、問題の雨宮ケイは見つかったのであろうな?」
「もちろんです、主」
ボソボソと喋り、ヴィエラは肯定する。虚空を撫でるようなジェスチャーを行い、そうして自身のAIVを操作し始めた。するとカウンターに、ホログラムの映像が浮かび上がった。遠い上空から、衛星が捉えた画像だろう。どこかの川辺を俯瞰表示している。
川辺が拡大表示され、そこに人影が2つ、並んでいるのが見えた。
ヴィエラが画像を表示させ、説明するのはゼインの方だ。
「3時間前。人工知能衛星が、雨宮ケイらしき人物の姿を捉えやした。ガルデラ大瀑布から500メートルほど下流の川辺。仲間と思わしき少女を川から引き上げた後に、力尽きて倒れていた様子ですな。どうやら四条院の情報通り、ヤツはこの企業国へ入国しています。奇しくも、ボスが帝国転覆を目論んでいるという、四条院のホラ話を補強する状況でさあ。本当に、この国が匿っているのだと、他国から誤解を招きかねない状況ですぜ」
「いつまでも野放しにしておくのはまずいです。なるはやで殺しましょう、主」
「言われずともだ」
暗愁卿は、嘆息を漏らす。
「しかし……。この雨宮ケイという小僧は何者なのだ。四条院が情報を隠蔽しているせいで、出生情報なども満足に調べられん。ヤツの情報を鵜呑みにするわけではないが、企業国王の支配命令にも屈せず、さらには企業国王を殺せる剣を手にしていると聞く。四条院が1度、この小僧に殺されかけたとも聞いているが……もしも事実なら、完全に帝国にとっての天敵。強いては、真王様にとっての脅威になりかねん存在だ」
「帝国史1万年において、企業国王を殺せる人間など存在しませんでした。にわかには信じられない話しです、主。四条院が情報撹乱のために流布した、デマではないでしょうか」
「だが、そんなデマを流す理由が不明でさーな。とにかく、国境で起きた事件のことを考えれば……雨宮ケイがこの国へ現れたのは、もしかしたら四条院の手引きとも考えられますぜ。この小僧の目的は不明。下手をすれば、四条院の放った刺客。ボスの命を狙っている手練れなのかもしれやせん。手を下すため、ボス自らが出向くのは、少々リスクがありそうに思いますわな」
「けれど手練れと言うわりには、もう死にかけてるみたいです。コイツ、聞いているよりも弱いのではないですか、主? 本当に、あの死霊使いを倒した男なのでしょうか?」
「……」
「誰かボス以外の適任をぶつけ、ヤツの戦力評価を行った方が良いかもしれやせんな」
ヴィエラとゼインの考察は、もっともに思えた。
果たして雨宮ケイとは、話しに聞いていたほど、恐れるべき相手なのだろうか。
遭遇する前から死にかけている少年に、今のところ脅威など感じはしないが。
「それにしても、川辺か……」
感慨深く、暗愁卿は呟いた。
「まさか、大河を泳いで国境を越えようとでもしたのか? バカなヤツだ。仲間の少女とは……国境の映像に映っていた連中の一味のようだな。何者だ」
「雨宮ケイと同じく、四条院側から情報調査妨害を受けている様子。いまだに身元不明です」
「四条院。どこまでも邪魔なヤツです、主」
「まあ良い。雨宮ケイ以外は、それほど重要ではない。それで、肝心の当人はどうした? 川で溺れて死にかけていたのであろう。すでに部隊を送って、トドメをさせたんだろうな。ヤツさえ殺せば、話しは早いのだぞ」
「それが少々、奇妙なんでさ」
「奇妙とは、何のことだ」
「雨宮ケイと少女は、その場に現れた“獣人たち”に拉致されていきました」
「……獣人だと?」
意外な種族の登場に、暗愁卿は怪訝な顔を返す。
獣人自体は珍しくない。太古より人間といがみあっている種族であり、現代では帝国に刃向かう、唯一の敵対勢力だ。どこの企業国領内にも生息しており、繁殖力も生命力も強いため、駆除したところで必ずしぶとく生き延びている。各国で、帝国騎士団へゲリラ戦を仕掛けて襲ってくることが多々あり、エヴァノフ企業国においても、それは変わらない。
証拠となるホログラム映像を、ヴィエラが表示する。獣人たちによって、少年が背負われ、少女は小脇に抱えられて、連れ去られていく場面が映し出された。
「雨宮ケイを連れて行ったのは……人狼血族か。好戦的で強靱、肉体再生能力まで有している、厄介な連中だったな。いったい、この獣人どもの目的はなんだ? 人間なら誰であろうと構わず、見つけ次第に殺す連中だったはずだ。それがなぜ、雨宮ケイとその仲間を連れて行く。まさか助けるつもりだとでも言うのか? 考えられない行動だ」
「……雨宮ケイと獣人は仲間なのでしょうか、主」
「フン。あり得ぬ。人間と獣人が相容れるものか。やつら獣人は、帝国史が始まるよりも以前、1万年以上にわたって人類を憎悪し続けている種族だ。その憎しみを、今さらなかったことになどできん。人間と和解するのなら、時が遅すぎている」
ゼインが腕を組み、面倒そうに眉をしかめて言った。
「さて。ここからの我々の動きはどうしたものか。獣人たちの寝床は、それこそ国内のいたる場所に点在してますぜ。騎士団長の立場で言わせてもらえば、全てのねぐらを、うちの騎士団が総当たりにして探し出すのは骨が折れる」
「森に逃げ込まれると、見つけにくくて厄介だ」
「ええ。しかも獣人が相手ともなれば、それなりに犠牲も出るでしょうな。歩兵を投入すれば、おそらく1万はくだらない死者が出る。かと言って、戦闘無人機を使えば鳥人血族たちに気取られ、雨宮ケイを取り逃がす可能性もあるでしょう。単純に攻撃するだけなら、無人機や、戦闘用の異常存在任せで構わないところを、暗殺狙いだと、どうにもやりづらい。確実に死んだことを確認する必要があるんで」
「最寄りに駐在しているのは、城塞都市ベルディエ常駐の騎士団が20万人ほど。それが消耗したのを好機と見て、隣国の獣人たちが領土侵犯してこないという確証はないです、主。あの地域は国境に近い。国境警備の任務にあたる騎士団の損耗は、あまり好ましくないでしょう」
「なら“騎士団以外の歩兵”を投入して、獣人共々、雨宮ケイを殺せば良かろう?」
「……?」
「騎士団以外なら、死んでも構わん人間は星の数ほどいる」
「まさか、それは」
「ああ、その通り。――――最後の“狩猟解禁”は、8年前だったか?」
薄ら笑う暗愁卿の言葉で、ゼインとヴィエラは察する。
意図が伝わったことを悟り、暗愁卿は言葉を続けた。
「獣人共の繁殖能力は高い。8年も経っているのだから、その勢力もだいぶ増えてきているだろう。そろそろ“数減らし”が必要な時節のはずだ。それに、ちょうど我が国の民たちも、刺激の足りない毎日に娯楽を求め始める頃だろう。たまには貴族たちも楽しませてやらんと、ガス抜きにならんのだ」
「妙案ですな、ボス」
「楽しくなってきました、主」
ゼインとヴィエラも期待し、ニヤけて賛同している。
暗愁卿は手にしたグラスを空にすると、それをテーブルに置いた。席を立ち、ハンガーにかけておいたズートスーツを、マントのように羽織る。帽子をかぶって外出の装いになると、冷ややかに命じた。
「貴族たちに通達しろ。選りすぐりの奴隷を集め“獣狩り”に備えろとな」