8-2 ガルデラ大瀑布
四条院とエヴァノフの企業国を隔てている、国境のガルデラ川。
ガルデラ川は、上流から河口までの距離が、およそ7000キロメートル。いくつもの支流に分かれて流れている川幅は、最も広い場所で10キロメートル以上あると見られ、大洋に繋がる河口幅にもなれば、その横幅は800キロメートルにも及ぶと言われる。大河の一部は、南米白石塔のアマゾン川に繋がっており、アークでも屈指の超大河として数えられていた。
その中腹あたりに位置する、巨大な滝。
ガルデラ大瀑布――――。
国境の街の狭間に位置する、落差70メートル、滝幅4キロメートルにもわたる規模の滝だ。ブラジルにある「イグアスの滝」よりも巨大な瀑布である。その滝へ流れ込む河水の勢いは激しく、橋どころか、船を渡すことすら難しい急流が生じている場所もあるのだと言う。
人が泳いで渡ることなど、まず不可能な川。そこを徒歩で横断するというのが、獣人の少年、ザナが提案してきたルートだった。
ウルズタットの街の下民街で、一夜を過ごした後に出発した。
用水路を通過した先。長く暗い通路の行き先が、唐突に途切れている。ケイたちの進行方向からは、朝の陽光が差し込んできていた。やがて辿り着いたのは崖っぷち。眼下に河水が流れている、ガルデラ川が一望できる場所だ。壮大な自然のパノラマが広がる、用水路の行き止まりである。
ケイは、目の前の景色を見渡してみる。
大河とは言っても、その全てが河水で満たされているわけではない。
川と言うよりは、むしろ森に見える。
まばらに緑地となった小島が浮かんでおり、水中から生え出た巨大樹木が、鬱蒼と茂っている場所が多く見受けられた。まるでアマゾン川流域に広がる、ジャングル地帯のような景色だ。川でありながら森林。その自然の中に紛れるように、高層ビルの廃墟や、ドーム状の建物の残骸が見受けられている。
もともとは大都市だった場所が、ジャングル化した後に、水没している。
そんな風景に見えた。
「まるでアマゾンに来たって感じだな。これじゃあ川って言うよりも、むしろ森だろ」
「でも足下は地面じゃないみたいですよ、ケイ。時系列で考えると、大都市がジャングル化して、長い時間経過の中で大河に呑まれ、その一部と化したように見えます」
「オレも同じことを思ってたよ。あちこちに、近代的な建物の廃墟が見えてるし。もともとは川じゃなくて、ここには人が住んでた都市があったのかもしれないな」
「正解だよ、ケイ。ガルデラ川の中には“白の森”が存在しているの」
隣のリーゼが答えた。
白の森。ラヴィスの村があった錆谷都の都市廃墟も、そう呼ばれていた。たしか、放棄された近代都市の跡地のことを意味する呼び名らしい。コンクリートの白基調の風景であるため、白の森と言う名になっているのだそうだ。
「うーん。ここから見えてる建物の建築様式からして……帝国史以前。1万年以上前に造られた都市だと思う。たしかこの辺は、ニグレドって呼ばれる国があったから、やっぱりその遺跡だろうね」
「水没した都市、ニグレドか。ザナの話しじゃ、そこを通るんだったよな」
「見えましたよ、あそこが入り口です!」
ここまで先頭を歩いて案内してくれたザナが、次なる行く手を、指さした。
ケイたちが立っている崖っぷちの下方。水中から生え出た樹木が生い茂っている。その少し先に、水底に半分沈んでいる、苔生したビルディングの廃墟が見えていた。ザナが指さしているのは、その廃ビルの割れた窓である。
「樹木の上を伝って、あの廃ビルの窓から、建物の中へ入るんです。密入国の請負業者から聞いたルート情報によれば、あのビルの地下には、川底を突っ切るトンネルがあるんだそうですよ」
「ちょっと、正気?! 川から生えた木の上を伝って行くって……落ちた先は急流じゃない! 死ぬわよ?!」
「ですね……」
「だな……」
ジェシカの感想を聞きながら、ケイは足下に転がっていた虎ロープを拾い上げて言う。
そのロープは、どうやら最寄りの木に結ばれているようだ。おそらく、密入国業者が用意したものだろう。このロープを使えば、木の上まで下りられそうである。
「よく見れば、木の枝が太いから、上を渡り歩いて建物まで辿り着けそうだ」
「マジでここを通るの……?!」
「アデル、私におぶさって」
言われてアデルは、ムッツリ顔のままリーゼの背に背負われた。
リーゼは悪気なく微笑んで、ケイたちに告げる。
「それじゃあ、私たちは先に行ってるね」
そう言うと、リーゼは崖を飛び降りていく。「おお?!」というアデルの声が聞こえたものの、リーゼはそのまま難なく木の上に着地し、軽々しく跳躍して、ビルまで辿り着いてしまう。あっという間に、ザナが示した割れた窓へ飛び込んだかと思えば、そこでアデルを下ろして、呑気に手を振ってきた。こちらへ向かって何か言っているようだが、川の流れる音が酷くて、よく聞こえない。
「なんでアデルばっかり特別扱いなのよ! 戻ってきてアタシのことも、背負って連れて行きなさいよ、天然エルフ!」
ビルの近くは、さらに川の流れる音が激しいようで、ジェシカの声はリーゼに届いていないようだ。怒り心頭のジェシカの隣で、あまりにも簡単に辿り着いてしまったリーゼを見たザナは、衝撃を受けている様子だった。
「驚きました! 機人族の方には初めて会いましたけど、獣人の僕たちと同じくらい、力があって身軽なんですね! アデルさんを背負っているのに、あんな簡単に……!」
「ん? 僕たちと同じくらいって?」
「じゃあ次は、僕が続きますね。雨宮さんとジェシカさんは、ゆっくりで良いので、安全についてきてください」
言うなり、ザナも崖を飛び降りていく。
そうしてリーゼと同じように、軽々と木の上を跳躍してビルまで渡りきって見せた。
「獣人族も、身体能力がかなり高いんだな。あの動き、魔術じゃないんだよな?」
「ぐぬぬ……! 何で誰も、ロープがあるのに使おうとしないのよ!」
歯噛みして苛立っている様子のジェシカが、不貞腐れたように虎ロープを拾い上げている。それを伝って下りていくつもりなのだろうか。危なっかしくて見ていられなかった。
ケイは言いづらそうに、ジェシカへ声をかけた。
「えーっと……。あのさ。一応、オレも強化魔術が得意だから、たぶんあそこまで行くのに苦労しないんだけど……」
「ケイ、アンタまで……!」
「そんな顔するなよ! もしもイヤじゃないなら、オレがジェシカ背負っていくけど?」
「っ!」
ジェシカはいきなり赤面し、後退る。
「な、ななな、アンタがアタシを背負うって!」
「そんなロープを伝っていくなんて、心許ないだろ。どう考えても危ないし」
「でで、でも、そうしたらアンタとアタシが密着して……!」
「だからイヤじゃないならって――――」
「イヤじゃない!」
俯き、なぜか半泣き状態になっているジェシカが、真っ赤になっている。何を怒られているのかわからないものの、ケイはジェシカに背を向けて腰を下ろした。
「ほら。早く乗って」
ジェシカは耳先まで赤熱しながら、意を決して、ケイの背へ抱きついた。ケイは片手にスーツケースを提げたまま、もう片方の手のひらで、ジェシカのヒップを持って支える。
「ひにゃああっ! そ、そこぉっ!」
ジェシカはケイの背で、変な声を上げている。
何だか気まずくなって、ケイはさっさと木の上を渡り終えることにした。
◇◇◇
「さっきから、何か不機嫌じゃないか、アデル……?」
「別に、不機嫌じゃありませんが」
「……」
ジェシカを背負って廃墟まで辿り着いた途端、なぜかアデルが不貞腐れていた。
いつものムッツリ顔は変わっていないが、ケイによそよそしい。
なんだか怒られているような気がして、居心地が悪かった。
一方、ジェシカは足取りがフラついており、腰が砕けたようにヨタヨタと歩いている。その隣でリーゼが、「どうだった? どうたった?」と聞いて、あおり立てている様子だった。「うるさい、天然エルフ!」と、ジェシカが悪態をついているのが聞こえる。
ケイは溜息を漏らす。
陽光が差し込む廃ビルの中を、ザナの背に続いて歩いていた。
「雨宮さんたちは仲が良いんですね」
「まあ、そうなのかもな。騒がしくて悪いね」
「いえ、人間と他種族が仲良くしてるのって、これまで見たことないですから。何だか新鮮です」
「……獣人族は、人間と戦争し続けているんだったか?」
「ええ。知らないような口ぶりですけど、雨宮さんたちの住んでる場所では、そういう争いって起きたことないんですか?」
「田舎出身なんでね。そもそも獣人に会ったのだって、オレとアデルは初めてだよ」
「そうだったんですか……。争いのない、とても良い場所に住んでいたんですね」
人間と獣人の争いについて、ザナは詳しいことを語ろうとしなかった。
黙り込んだザナの後を続けるように、追いついてきたリーゼが、話しかけてきた。
「遺跡の中、思ったよりも綺麗に現存してるよね」
「ああ」
言われてケイは、周囲を見やった。
「1万年以上前から存在するって話しだったよな? 見た感じ、コンクリート造りのビルみたいだけど、人間の建造物が、そんなに長い間を放置されても、ここまで原型を留めて残っていられるものなのか?」
ケイの感じた疑問を、アデルも考えていたのだろう。
会話に割り込んでくる。
「しかも急流の水の中に存在してるわけですから、とっくに跡形もなく消え去っていて、おかしくないはずです。人工物が朽ち果てず、こうして自然の中に現存しているというのは、考えてみると奇妙ですね」
「ケイとアデル、すごく良い質問!」
「出るわよ……。遺跡マニアの天然エルフ相手に、やらかしたわね2人とも」
目を輝かせながら、リーゼが鼻息荒く、揚々と説明し始めた。
「帝国史以前の世界。つまり星壊戦争の前だね。その当時はもちろん、帝国のような世界全体を統治する体制は存在していなかったわ。遺跡から見つかる文献や、メモリーチップの情報によれば、今ではあちこちに立ってる白石塔さえも存在していなかったみたい。真王がまだ、ヒトの世に介入してくる前の時代だったから、当然なのかもしれないけど」
「ということは……。オレたちが住んでいた白石塔の社会は、帝国史と同じく1万年くらい前に、ようやく始まったってことか」
「ほほう。世に真王が現れ、世界を平定したと言われる“降臨”。その歴史的な大イベント以後のようです」
「1万年も前だと、オレたちはまだ、マンモスを狩ってるくらいの時代か? でもたしか、人類史はもっと前から始まった痕跡があるって言う研究もあったはずだけど……そうすると1万年以上前から、白石塔が存在していないと辻褄が合わないな。どういう理屈なんだろう」
「もはや誰も記憶に留めていない2500万年前。その当時に起きた、人類と真王の戦争を生き延びたと言う、アトラスのような輩もいたわけです。なら、白石塔がなくとも、アークと人類自体は、何千万年も前から存在していることになるわけですから。矛盾はしていないと思います」
「まあ、そうかも……。真王に品種改良された現世人類の全てが、白石塔の外で、自由に生きてた時代があったってことか。そう考えてみれば、帝国人と、白石塔に住む下民たちのルーツって同じなわけだ。住んでる場所の違いだけで、今では、ずいぶんとおかしな差別社会になったもんだよ」
ケイとアデルの会話が途切れると、待ち構えていたようにリーゼが続きを語る。
「それでね。その当時のアーク各地には、大小様々な国があったの。人間の国だけじゃなくて、様々な種族の国が乱立してたんだよ。それらが領土や物資を巡って争う“千国時代”があった」
「千国時代……言い得て妙な呼び名だな。そうして多種族が争って、星壊戦争に発展したわけか」
「そうだね。千国時代に、この辺りにニグレドという国があった。王政じゃなくて、ケイたちの国みたいな民主制だったみたいだよ。“植物性科学”が進んでいた文明だったみたい」
「植物性科学、とは何でしょうか?」
「わかりやすく考えるなら、金属ではなくて、植物を材料に使用する機械文明だった、ってところかな」
言われてケイは立ち止まる。
手近な壁に、手を当てて触れてみる。
一見して、鉄筋コンクリート製の、グレーがかった色の壁だ。
だが触り心地はザラついており、冷たくもない。
まるで樹木の幹に手を当てているような、そんな感触なのだ。
だからケイは気が付いた。
「もしかしてこの建物、コンクリじゃなくて、植物でできてるのか?!」
「正解!」
リーゼは親指を立てるジェスチャーで肯定する。
「植物を硬質化させて、コンクリート並みの強度にした建物を建造したんだよ。このガルデラ大瀑布の水底に現存している都市は、植物の性質を有した建物ばかりだから。急流で破壊されながらも、同時に自己再生も続けてるのね。そうして1万年以上の月日が流れた今も、元の形を留め続けてるんだ」
「自己再生する建物! 1万年間、メンテナンスフリーで無料な優良物件なのですね!」
「アデル、ネット動画の不動産広告を見すぎな言い回しになってるぞ」
「ケイたちの白石塔も、このニグレドの技術を利用して建造された構造物だって言われてるんだよ? すごいよね! 美しい遺跡だよね! 全体的にすごくかわいいよね!?」
「かわいいって、なんだ……?」
「リーゼさん、遺跡についてすごく詳しいんですね! この辺が大昔にニグレドっていう国だったなんて。僕、初めて知りましたよ!」
話しを聞いていたザナも、感心して会話に混ざってくる。
リーゼの説明に感銘を受けているケイたちへ、ジェシカが冷ややかな態度で警告した。
「……それと同時に、その技術は、帝国の“異常存在製造”にも応用されてるって聞いてるわ」
「!」
「アンタたち、気をつけなさいよ。このニグレド遺跡には、帝国が製造した異常存在だけじゃなくて、ニグレド国が製造した“元祖の異常存在”も、現存してる可能性がある。建物が1万年も壊れずに残ってるのよ? 帝国も知らないような、太古に創られた未知の化け物が眠っててもおかしくないわ」
「こ、怖いこと言わないでくださいよ、ジェシカさん……!」
怯えるザナを見て、ジェシカは得意気に胸を張って告げた。
「フフン。でもアンタ、ツイてたわね、ザナ。天才魔導兵のアタシと、最近なんか強敵を倒して女の子たちにチヤホヤされて調子こいてるケイがついてるのよ? 異常存在ごときにやられたりなんかしないわ」
「……今、なんかオレのことディスらなかった?」
「ディスってないわ、事実よ! だって見たんだからね! アンタ、出発する前、東京解放戦の活躍を見た女子たちに囲まれてキャーキャー言われて、めちゃくちゃ鼻の下伸ばしてたでしょ!」
「う……」
ジェシカに指摘されて、言い淀むケイ。
それを冷ややかな横目で見やり、アデルが軽蔑するように言った。
「ケイ、それは本当ですか? まさか……イヤらしいケイのことです。集まった女性を全員、視線でニンシンさせたのではないでしょうね」
「できるか! お前はいい加減に、正しく妊娠のプロセスを理解しろ!」
「やり方を教えてくれと頼んだのに、ケイが教えてくれないのが悪いのです」
「お、教えられるわけないだろ!」
「??? なぜですか?」
「ちょっとアンタたち、なんて会話してんのよ! 破廉恥すぎるわ!」
「ケイ、アデルの前でなんて下品なことを言うの! この子に性教育は、まだ早いよ!」
「過保護エルフかよ……!」
ケイたちのやり取りを聞いていたザナは、おかしくて、クスクスと笑っていた。
「たしかに、皆さんと一緒なら大丈夫そうですね」
遺跡の攻略は、まだ始まったばかりである。
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