8-1 ユニオン御前会議
闇に覆われていた――――。
静寂によってのみ満たされた、荒野のように広い黒の間。
中央には、薄らと赤い光を放つ、大きなクリスタルが浮かんでいた。
その輝きによって照らし出された限られた空間に、円卓が置かれている。
アークの全土を統べる7人の王。すなわち七企業国王。
この場は、人類の頂点に立つ7人の超富豪たちが集う会議場である。
用意された席は7つ。
しかし腰掛けているのは6人。
そのうちの1つは、空席である。
向かい合って座る6人は、じっと見つめ合って口を閉ざしていた。その中でも最高齢と思わしき、白髭を蓄えた重鎮の老人が口を開く。1人ずつの顔を見て、その名を呼んだ。
「……シエルバーン。バフェルト。エヴァノフ。四条院。そしてこの私、ローシルト」
老人は、最後の末席に座った1人の男と、空席を横目にして言った。
「エレンディアは欠席。グレイン企業国は、代理の者が出席か……。真王様より拝命された、名誉ある七企業国王の責務も、ずいぶんと軽く見られたものだな。私の招集を受けても、全員が集まらないとは情けない」
本来であれば、グレイン企業国の企業国王が座るべき席に、そうでない立場の男が腰掛けている。長い黒髪を結い上げている、緑眼の壮年男。細面の表情には、穏やかな笑みを湛えている。黒いネクタイに、黒い喪服の礼装。王の代理として、この場に送り込まれた貴族である。
忌々しそうに緑眼の男を見ている、小柄の少年がいた。ブラウンの髪。頭にはゴーグルを乗せている。少女のように整った顔立ちだ。白衣を羽織った、奇妙な出で立ちをしている。
少年は嫌みな口調で、緑眼の男に向かって言った。
「グレインの代理が貴殿とはね、サイラス・シュバルツ。“剣聖”と呼ばれる男は、会談の場でも、弁を振るえる才覚があったのかな?」
「とんでもありません、シエルバーン殿」
緑眼の男、サイラスは愛想笑いを浮かべて応えた。
「私ごときが、七企業国王の皆様に意見を申し上げるなど、おこがましいこと。私はただ、我が王から賜ってきた言葉を口にし、この場で話し合われた結論を持ち帰るためにのみ、参じています。単なる、傍聴人の身にすぎません」
「へえ。グレインから賜った伝言ね。それは何と?」
「我が主の言葉は――――“貴公等のような俗物と語る口はない”とのことでした」
参加者たちの顔色に、露骨な不快の色が混じる。
サイラスに警告したのは、女だった。
「口に気をつけなさい、サイラス。一介の貴族風情が、七企業国王を愚弄するつもりかしら?」
赤く長い髪の女。大きな尖った帽子をかぶっており、魔女のような出で立ちだ。顔はベールに覆われていて、よく見えない。だが、スタイルの良いその肉付きと、麗しい美声から、美女であることは察することができた。
赤い髪の女に、サイラスは変わらぬ愛想笑いのまま、謝罪を口にする。
「ご気分を害されたなら申し訳ない、バフェルト殿。ですが、主より言伝を受けておりましたゆえ、家臣としては一言一句、正確にお伝えするより他ありませんでした」
「相も変わらぬ忠誠心には感心しますが、時と相手を選んで発言することですね。我々の支配命令を以てすれば、この場で貴殿に“自害”を命じることもできるのですよ?」
「そうされる場合は、皆様が命じるより先に“全員を斬って捨てよ”との命も受けております」
「へえ……僕たち企業国王も、舐められたものだね」
シエルバーンと呼ばれた少年と、バフェルト女史は、不穏な気配を漂わせる。2人の企業国王から殺意を向けられてもなお、サイラスは余裕の笑みを浮かべていた。
「よさぬか、ここは真王様の御前なるぞ」
殺し合いになりそうな雰囲気に制止をかけたのは、議長であるローシルト老人だった。
ローシルトは、円卓の上空に浮かび漂うクリスタルを仰ぎ見て言った。
「我々は今、真王様の“眼”の下に在る。この議場に我らが参じたのは、四条院企業国での事件があってのこと。議題以外のことで、くだらぬ小競り合いは無意味。時間を無駄にするな」
議長の仲裁により、ひとまずその場は収まった。
ようやく議事に集中できるようになり、ローシルトは語り出した。
「人の世の混乱は、人の手で治めよ。それが真王様の意向だ。王冠の力と引き換えに取り交わした“人類不滅契約”に従い、我等は白石塔内の社会に生きる、下民たちを絶滅させぬように導き、その文明を維持し続けなければならない」
言いながら、ローシルトはギロリと横目で、四条院コウスケ――――淫乱卿を睨む。
「で、あるのにだ。その契約に反する行為が、四条院企業国の領内で確認されている。白石塔内の社会――つまりは内部社会において、重要都市の1つであった東京。それが、四条院家の独断によって“廃棄処分”とされた。他の企業国王の承認を得ずにだ。おかげで事後処理のために、我々は、自国で管理している白石塔の全てに、緊急の歴史改竄の処置を行うしかなかった。一時的ではあったが、危うく内部社会の秩序が崩壊する寸前にまで陥ったのだ」
一同の注目が、淫乱卿に注がれる。
「これは明確に、真王様との契約に違反する行為だ。いかなる事情があったのか。納得のいく説明を聞かせてもらえるのだろうな、四条院」
ローシルトの鋭い眼光を向けられた。
だが淫乱卿は、颯爽と自席を立つ。
着ていたタキシードの襟を正しながら、余裕の笑みで答えた。
「端的に言えば――――このアークに“企業国王を殺せる力”が現れた」
七企業国王たちは、皆が怪訝な顔をしていた。淫乱卿の口にした言葉の意味を、すぐには理解しかねている様子である。
淫乱卿は続けた。
「3ヵ月ほど前のことだ。私が開いたパーティーに刺客が潜り込み、それに私は襲われた。その時、私は王冠の力を解放している状態だった。そんな私を、刺客は真っ向から斬り捨てたのだ。その後、再生治療を受けていてね。君たちが言っている東京の廃棄処分は、その間に起きた」
「……王冠の力を解放した企業国王が、遅れを取ったと言っているのか?」
「まあ、そうなるな。あの時、私は王冠の“権能”を行使したわけではなかったが、それでも正面から力負けしたのだよ。あの“赤剣”にね」
「赤剣……?」
「その使い手の“雨宮ケイ”には、私の支配命令が効かなかった」
議場に、疑念と驚きの声が漏れた。
企業国王同士、互いの力が、いかに強大なものであるのかは熟知している。不意打ちであったならともかく、それを真正面から打ち破った、赤剣という得体の知れない力の実在を、淫乱卿が語り出しているのだ。半信半疑。むしろ、そんな異質なものの存在など信じがたかった。
疑義の目を気にせず、淫乱卿は語り続けた。
「私が意識不明で、四条院企業国が無防備だった期間に、全ては起きた」
そう告げてから、まるで悲劇を語るように話す。
「私の愛する息子であるキョウヤが、私の暗殺を試みた刺客、雨宮ケイの後を追ったのだ。ヤツが東京白石塔へ逃げ込んだために、そこが戦場になってしまったのだよ。無論、元よりキョウヤには、東京を廃棄処分にするつもりなどなかった。だが赤剣の力は、今のアークの社会秩序を破壊し得る危険なものだ。放置しておけない、あまりにも危険なものであったがために、やむなく東京を犠牲にしてでも、封じ込めが必要だと判断したのだろう。それが真実だ」
それまで腕組みをして、黙って話しを聞いていた男が口を開いた。
「若造め。どんな言い訳を口にするのかと思えば……。バカバカしい話しだ、四条院」
帽子をかぶった、長い白髪の窶れた青年である。赤い瞳をした、不健康そうな顔立ち。ズートスーツを羽織った、マフィアのような出で立ち。落ち着いた雰囲気だが、どこかに獣を思わせる、荒々しい気配を漂わせていた。明らかに淫乱卿よりも年下に見える外見であるのに関わらず、見下した物言いである。
淫乱卿は微笑むことをやめ、銀髪の男へ尋ねた。
「何がバカバカしいのかね、エヴァノフ?」
エヴァノフ――暗愁卿は、鼻で笑いながら、淫乱卿の話しのおかしな点を指摘した。
「なるほど。では実際に、貴公の言う、その赤剣とやらが実在するとしよう。その危険性を取り除くため、やむなく東京を犠牲にするという判断があったとしたら、百歩譲って理解できなくもない。だがなぜ、貴公の息子は、最初から他の企業国への助力を求めなかった? たとえば、隣国の吾輩にだ」
「……」
「淫乱卿が倒れたとなれば大事。言い方が悪くて失敬するが、企業国王を殺せるほどの力を相手に、たかが一介の貴族。貴殿の息子ごときで敵うはずもない。それが単独で、どうこうしようなど、無謀がすぎるだろう」
鋭い指摘を受けても、淫乱卿は平然と言い返す。
「それは、息子の若さ故の過ち。父親を斬られ、逆上していたのだと、部下から聞き及んでいる。怒りのあまり、冷静な判断ができず。自分の手で復讐しようとしていたようだ。父親としては、息子の未熟さを申し訳なく思っている」
「そこは、父親である貴公の責任であると認めるのだな?」
「……察していただけるとありがたい。東京を失ったのは痛手だった。だが同時に、私は息子を失っているのだ。この悲しみこそが、私に与えられた罰。刺客である雨宮ケイの手によって、キョウヤは無残にも返り討ちにあった。アークのために尽くした我が息子の無念を思えば……やりきれん」
「白々しい。息子のことなど、歯牙に掛けてもいなかったくせに、お涙ちょうだいとはな」
いがみ合う2人の企業国王。
その会話を聞いていたバフェルト女史が、口を開いた。
「驚いたわね……。四条院家の者が、返り討ちにあったですって?」
「企業国王に及ばずとしても、たしか四条院キョウヤは死霊使いと恐れられた使い手。我がシュバルツ家で言えば、第3階梯に匹敵する実力者が敗れたことになります。刺客は、かなりの手練れだったということでしょう。赤剣の使い手、雨宮ケイですか……興味深い人物ですね」
「……興味深いで済ませられるほど、今のは悠長な話しじゃないな。支配命令でさえ制御できない人間がいて、その手には企業国王を殺せる剣が握られていると言うんだろ。これが僕たちにとって、脅威でなくて何だと言うんだ」
「ふむ。1万年に及ぶ帝国史の中で、そのような異質な力が確認された例はない。真王様に与えられし、我等の力が及ばぬモノが現れるなどと、にわかには信じがたい話しだ。もしも四条院の話しが事実ならだが。たしかに、それは東京を犠牲にしてでも滅しておくべきものと言える。失敗したとは言え、四条院の息子の判断事態は、あながち間違っていなかったことになるだろう」
「だからと言って、東京を無断で廃棄したことを良しとするわけにはいかないな」
「淫乱卿。貴殿を暗殺しかけ、その上、ご子息を殺した刺客。雨宮ケイは、今どこにいるのかしら?」
バフェルトに尋ねられた淫乱卿は、エヴァノフを横目に見やる。
「そのことについてだが……エヴァノフ。私は貴方に教えてもらいたい」
「……?」
突然、話題の矛先を向けられたエヴァノフは、怪訝な顔を返す。
淫乱卿は、不敵に笑んで尋ねた。
「雨宮ケイの背後で糸を引いているのは――――貴方ではないのか?」
「……なっ!?」
全員の視線が、エヴァノフに向けられる。
慌てて言い返した。
「いきなり何という無礼な発言をするのだ、若造! 真王様の御前だぞ!」
「真王様の御前であるからこそ、事実をハッキリさせておかなければならないのだろう?」
淫乱卿はニヤニヤと笑み、続ける。
「実は、大変に興味深い情報を掴んでいてね。雨宮ケイは今、エヴァノフ企業国の領内に潜伏している可能性があるようだ。まるで、四条院企業国から逃げるように」
「逃げる……。刺客が、雇い主に助けを求めて戻ろうとしていると。そう言いたいのかい?」
シエルバーンは、淫乱卿の言わんとすることを察して尋ねる。
たまらず、エヴァノフは否定した。
「何を言い出すのかと思えば! 証拠もない言いがかりはよせ!」
「証拠ならあります。ご覧になられますか?」
淫乱卿は、自身のAIVに表示されたウインドウの1つを、円卓の上へ放り投げる。すると卓上に、そのウインドウがホログラムとして現れた。
車が並んでいる、どこかの道路。それを上空から、偵察無人機で撮影した俯瞰像の動画である。
「この映像は……?」
シエルバーンに尋ねられ、淫乱卿は答えた。
「四条院企業国と、エヴァノフ企業国の国境の街。ウルズタットの、転移門前です。これはゲートの開門を待って待機している、越境待ちの車列です」
「昨日、騎士団同士の戦闘があったという場所か。そのことについても、議題として取り上げる予定であったが……」
画面の中央には、赤い剣を腰に提げた、フードの少年の姿が映っていた。少年の姿から吹き出しで説明情報が表示されており、そこには「雨宮ケイ」の名が記載されている。
「我が国と、あなたの企業国との国境。その転移門の前で、雨宮ケイたちの姿が目撃されている。そして彼等が越境待機列に並んでいる時に、エヴァノフ騎士団が我が国の領土へ攻め入ってくる事件が起きた」
少年は仲間を引き連れ、騎士団同士の銃撃戦が起きている現場を、コソコソと歩き回っている。動画の途中で偵察無人機が撃墜されたらしく、動画はそこで途切れていた。雨宮ケイたちがどこへ向かったのか、それ以上の情報はない。
淫乱卿は、口を開く。
「皆さんご存じの通り、この後、エヴァノフ企業国側の釈明会見が行われた。その発表によれば、あの戦闘行為を率いた騎士団は、実は騎士の格好に扮した、傭兵集団だったのだそうだ。支配権限によってウルズタットを襲撃するように命じられた形跡があり、現在はその犯人である貴族を捜査しているというのが、公式見解だった。だが、果たしてそれは事実だろうか。確かなことは、あの戦闘のドサクサの中に、偶然にも雨宮ケイたちがいて、偶然にも姿を眩ますことに成功していると言うことだ。果たして今……彼等はどこの国の領土で匿われているのかな?」
そこまで言われれば。
淫乱卿の考えが、エヴァノフにはハッキリとわかる。
「吾輩が、雨宮ケイを四条院企業国へ送り込んだ“黒幕”だったと言いたいのか?」
明確な殺意の眼差しを向けてくるエヴァノフ。
それを涼しい顔で受け流しながら、淫乱卿は飄々と続けた。
「率直に申し上げてだ。私は、貴方がアークの勢力図を塗り替えようとしている可能性を疑っている。もしかしたなら、赤剣によって、真王様を亡き者にすることさえ考えておられるのでは?」
「バカな! 侮辱がすぎる! 吾輩が真王様を亡き者にするなど、ありえぬことだ! それは貴様の考えであろう!」
「どうだろうか? 赤剣の出所はわからない。だが貴方は、剣の力を測りたいと考えたはずだ。本当に、企業国王を殺せるだけの力を秘めているのかどうか。それを確かめるために、私の暗殺を目論んだのではないか? 貴方は隣国の企業国王である、私のことを嫌っている。貴方から見れば、私はうってつけの実験台だった。違いますかな、暗愁卿? そうだとすれば、東京を失った責任をとるべきは、貴方だと思うがね」
「若造め……! 自分の失態を私になすりつけるつもりか! 全て、姑息なお前の小細工だろう! そうでもなければ、国境で騎士団の小競り合いが起きるはずなどない! 背後にいたのはお前だろう、ようやく合点がいったわ!」
怒り心頭で、もはや「お前」呼ばわりで淫乱卿をなじるエヴァノフ。
それを冷ややかに窘める。
「そう言うからには、証拠があるのかね? 私の方は、証拠となる映像をお見せしたが? そもそも私が黒幕だとしたら、私自身を殺すために刺客の雨宮ケイを使ったとでも言うのか? 医者に確認を取ればわかるが、私は瀕死の重傷を負ったのだ。自分で指示して、自分で死にかけたのだとしたら、それこそ馬鹿げている」
「減らず口を……! 赤剣の情報を自分しか知らなかったことを利用して、こちらの知らぬ間に、あれこれ手を回しおったな……! なんたる侮辱! もはや生かしておけぬ!」
怒りで我を失いかけているエヴァノフ。
今にも殺し合いを始めそうな2人を、議長であるローシルトが一喝する。
「やめぬか! 真王様が禁じた企業国同士の争いを、この神聖なる場で、無様に繰り広げることはまかりならん!」
仲裁されてもなお、激怒したエヴァノフは淫乱卿を睨み付けている。
それを嘲笑し、淫乱卿は首を傾げて告げた。
「なら、黒幕ではないのだと証明いただけますか。ご自身の手で、雨宮ケイの首を討ち取って」