7-16 最高危険ルート
すっかり日も暮れ、ウルズタットの街には夜が訪れる。
街の上空に投影されたホログラム映像や、AIVで配信されている緊急特番では、この街の転移門で起きた、隣国騎士団同士の戦闘についてを報道していた。ネオンライトに彩られた市街地を、謎の少年に続いて移動しながら、ケイたちはその番組を見ていた。視界の隅のウインドウに表示させてニュースを聞きながら、情報を集めているところである。
居合わせた勇者の活躍によって、攻め入ってきたエヴァノフ騎士団は撤退。その後、転移門が閉鎖されて、現在は怪我人たちの救護活動が行われているようだ。その中には、活躍したのであろうクリスの姿と、助けてもらった様子の、イリアの姿が放映されていた。
「良かったです。イリアは無事だったようですね」
「ああ。一安心、ではあるかな。予想通り、帝国に保護されてしまったみたいだけど……」
「イリアの由緒正しい身分なら、悪い待遇は受けないと思うよ。そうじゃない私たちが保護されてたら……今頃は身元を洗われて、面倒なことになってたはずだし。逃げてきて正解だったと思う」
「だと言いんだけどな」
ケイたちの所感を聞きながら、先ほどからジェシカは空を見上げていた。
四条院家の家紋が描かれた、帝国騎士団の無人戦闘機が、上空で何機も待機しているのが見える。転移門を閉ざした今、隣国からの領空侵犯を警戒しているのだろう。物々しい警備体制である。
「あの戦闘機の数、まるで戦争でも始めるみたいな数じゃない。とんでもない事件になってきてるわね。このニュースも、公開範囲設定がアーク全土になってるし。騎士団同士で、死人が大勢出るような殺し合いだなんて、地方のローカルニュースじゃ済まないわ」
先ほどから道路を慌ただしく走っていく、帝国騎士団の走行車両を見送っていたリーゼも言った。
「空だけじゃ無くて、地上も物騒な雰囲気になってるね。街中の通行人も、姿が少なくなってきてるし、このまま外を歩いていると、私たち目立つかも。たぶんこの様子だと、ウルズタットの街はすでに閉鎖されてて、外に出ることができなくなってるんじゃないのかな」
「もう少しで国境越えができたのに! ホント、アタシたちついてないわよ!」
「でも東京の備蓄物資が切れるまで、残り2週間程度しかないんだ。いつまでも、この街で足止めを食っていられない。何とか街を出て、エヴァノフ企業国へ渡らないと」
そうは言っても、具体的な策があるわけではない。
今はただ、名も知らぬ少年の提案に乗って、ノコノコとその背についていっているだけだ。
苦い表情で、ジェシカは呻くように呟く。
「……アタシたち、大丈夫なのかしら。あんな小さい密入国者の子供を信じて、ホイホイついてきちゃってるけど。これ、どこへ向かってんのよ」
「相手は子供だ。仮に騙されていたとしても、何とかできるさ。そこまで警戒するほどのことじゃないだろ」
「そうは言っても、油断は禁物だよ。アデルを危険な目に遭わせられないし」
唐突に、アデルの腹が鳴る。
切なそうに自分の腹部をさすりながら、アデルは口を開いた。
「ケイ。イリアが無事だとわかったら安心して、なんだかお腹が空いてきました。ブリッククラブを捕まえに行きましょう」
「携帯食料は、車に置いてきちゃったね。あ。車と言えば、守護者の像は元気にしてるかな……取りに戻っちゃダメだよね?」
「はあー。夜は冷えるわ。アタシ、寒いのって苦手なのよね。キャンプ道具は車に置いて来ちゃったし……待って。じゃあ、もしかして今日って野宿? 最悪じゃないの!」
「意外と君たち、楽観的で自由だよね……」
少年に案内されたケイたちは、昼間に訪れた、神殿広場の前へ辿り着く。
だが園内には入らず、薄暗い脇道の先にある、古びた用水路の前まで案内された。
丘陵の斜面に存在する、四角形に掘られた、コンクリート製のトンネルだ。人工的に造られた場所だと見てわかるが、周囲に人気のない場所で、ポッカリと口を開けている闇の穴なのだ。目の前に立つと、まるで洞窟の入り口のように感じられた。
「この先です」
「この先って……真っ暗だけど」
「大丈夫ですよ」
害意はなさそうに、少年は微笑んで答える。
小型の懐中電灯をポケットから取り出し、少年は用水路の中へ入って行ってしまう。
「ケイ、ちょっと怪しすぎない……?」
「まあな……」
認めながらも、ケイは少年に続いて進む。
アデルとリーゼも、平然とした態度で、用水路の奥へ足を踏み入れた。
嫌そうな顔で渋々と、ジェシカもついていく。
用水路の先に、分厚い鉄の扉が現れた。少年は、錆びたそれを押し開ける。
すると扉の向こうから、ほのかな明かりがこぼれ出た。
「ここは……」
「クサいわね……」
扉の向こうにも、用水路の坑道が続いていた。だが先ほどまでとは違って、あちこちに、人の姿が見られる。それも1人や2人ではない。大勢だ。こんなところに追いやられるようにして、たむろしている。普通の身の上ではないだろう。異様である。
すぐに、ケイは察っすることができた。
「この人たち、もしかして“下民”なのか?」
いずれも身なりが薄汚れており、風呂にも入っていなそうな、みすぼらしい格好の人々である。小さな子供や、老人の姿も見受けられる。人々は集まって、ドラム缶に薪やゴミをくべて燃やしているのだろう。そうして起こした焚き火を、あちこちで囲んでいる様子である。
その炎だけが、この坑道内における照明であり、暖房だった。
「ここは、ウルズタットの日陰の部分。いわゆる“下民街”ですよ」
「ロータウン?」
「ええ。家も金も、人権もない。そんな行き場のない人たちが集まってできた、貧民窟です。どこの街にも、多かれ少なかれありますよ。ここもそうですけど、たいていの場合は、下民たちが勝手に集まって居座っているだけの場所です。帝国騎士団に発見されれば、すぐに粛正されてしまいますから。お互いの命を守るために、下民以外は知らない、秘密の場所なんですよ」
「ラヴィスの村みたいなものか……」
かつて訪れた、錆谷都の廃墟。そこには、近隣の都市から逃れてきたという、下民たちの集落があった。貴族たちから強いられる、奴隷のような扱いに耐えかね、自由に生きたいと願った人々が集い、生じた村だ。だがそこは、帝国騎士団に見つかってしまい、“粛正”の名の下に住人たちは皆殺しにされてしまった。
もしかしたら、ここにいる下民たちも、帝国騎士から逃れて隠れているのだろうか。
だとしたら、見つかり次第、殺されてしまうのだろうか。
「ここは、帝国の社会に居場所のない人たちが集まる場所です。どんな過去でも、どんな人種であっても受け入れてもらえる。だから、僕みたいなのが混じっていても、それを気にする人はいません。ちょっと居心地が良いんです」
そう言って少年は、かぶっていたフードを頭から退かした。
少年の素顔を見て、ケイたちは驚いた。
「その耳は……!」
少年の頭部から、突き出るように獣耳が生えていた。
犬のような、三角形の尖った耳。人間に、そんな器官は存在しない。
「アンタ、獣人族だったの!?」
「こ、殺さないでください!」
少年は、頭部を守るように手をかざす。
詰め寄ってきたジェシカに乱暴されるのではないかと、身構えているようだ。
「あ。いや……ちょっと驚いただけで。別に獣人だとわかったから殺すとか、そう言うんじゃないんだけど」
「なんで殺すとか、そういう物騒な発想になるんだよ」
怪訝な顔をしているケイに、リーゼが説明してくれた。
「ケイは知らないだろうけど、獣人族って種族は、帝国にとって唯一の“敵対勢力”なんだよ」
「敵対勢力って……そんなのがアークにいたのか?!」
「獣人族には、帝国貴族たちの支配権限とかは通用しないの。強制的に言いなりにできないとなると、お互いに怒りを買ったら、それはもう対立したりするじゃない? 過去に帝国と獣人族の間には、たくさんのいさかいがあって、ずっと憎み合い、殺し合う関係になってる。見つけ次第、人間は獣人を殺すし。獣人も人間を殺す」
「リーゼたちみたいな機人族は、見た目が人間と違うから良いんでしょうけど。アタシたち魔人族は、見た目が人間そのものだから。よく間違われて、獣人の襲撃を受けたりするのよ。ホント迷惑な話。人間と獣人の争いなんだから、他の種族を巻き込まないで欲しいわ」
「……ようやく合点が言ったよ。人間同士の争いが起きない帝国で、どうして帝国騎士団が軍拡を続けていたり、あちこちを警備しているのか。変だと思ってたけど、ちゃんと、獣人族っていう敵が存在したわけなんだな」
「そう言うことだね」
ケイたちが手を上げる様子がないのを見て、少年は嬉しそうにしていた。
「良かったです。やっぱり雨宮さんや、ジェシカさんたちは、獣人だからと言って、僕を襲ってくるような人じゃなかったんですね。雨宮さんは、下民のことを命懸けで守ってくれるような人だから、きっと優しい人だと思ったんです」
「……ここの下民たちも、君のことは襲わないのかい?」
「みたいですね。自分たちの生活のことに精一杯で、僕の正体なんかどうでも良いみたいです。ここには、仲良くしてくれる人もいるんで。ここでなら、皆さんに正体を明かしても大丈夫かなと思ったんです」
「オレたちが君を襲っても、ここでなら、周りの人に助けてもらえると踏んでたわけか」
「まどろっこしくて、すいませんでした。でも、獣人が人間の街で行動するなら、慎重にならないといけなかったんです」
「気にしてないよ」
少年は改めて、ケイたちを見渡して言った。
「僕の名前はザナ。人狼血族です」
ケイたちも簡単に名乗って、自己紹介をする。
一通りの挨拶が終わると、ケイは改めてザナに尋ねた。
「それで。転移門も、空路も使わずに、今すぐ国境を越えられるルートがあるって言ってたよな。それは、どこにあるんだ?」
「――――ガルデラ大瀑布を“歩いて通るルート”です」
「はあ?」
ジェシカが、素っ頓狂な声で尋ね返す。
ザナは苦笑して続けた。
「密入国者たちの間でしか知られてない、秘密のルートですよ」
「まさか、水の上を歩いて行くって言ってんの?!」
「正確には、水の上だったり、下だったりですね」
「どういうことなんだ?」
「ガルデラ大瀑布の水底には、大昔の大都市の遺跡が水没してます。その中には、歩こうと思えば、歩いて渡れる場所があちこちにあるらしいんですよ。ただそのルートは普段、野生の異常存在たちが徘徊している危険な場所みたいなんで……無事に通過できるかどうかは、いつも確実じゃないんです」
「つまり……都市の遺跡を、歩いて通過していくルートってことなのか?」
「そんなことが可能なのでしょうか」
「みたいです。実際に僕がこちらへ来る時に、国境越えの請負業者が、そういうコースを提案してきました。密入国者たちに案内役と護衛をつけて、そうして危ない道を通る国境越えのやり方があるんですよ。ただ危険すぎて、よく人が死ぬから、あんまり人気がないコースらしくて……。値段が格安なんですけど、その分、人数が集まらないと利益が出ないんだそうです。僕の時も人数が集まらなくて、実行できませんでした。ただ、ルートだけは教えてもらっています」
「なるほどな……。なら、案内役は君。足りないのは護衛ということか」
「はい。ですので護衛役を、雨宮さんたちに、お願いできないかと思って」
ザナは、無垢な眼差しをケイへ向けてくる。
良い返事を期待しているのだろう。
目を期待で輝かせていた。
「……他に方法、ないんだよな?」
ケイは嘆息して、答えるしかなかった。