7-15 交戦地帯
転移門の前で、国境の開門を待つ車列。
列の先頭付近で、車に乗っている老夫婦は、奇妙なことに気が付いた。
「……おんや?」
フロントウインドウの向こうに見える道路。その行き先は、トンネルのような大きなリングの中へと続いていた。リングの中に、白い光の粒子が漂い始めているのが見える。光は見る見る間に密度をあげていき、すぐさま、白く輝く、無形の壁を形成した。
道の行き先に現れたのは、白光の壁だ――――。
国を隔てて住んでいる息子夫婦に会うため、老夫婦は毎月、国境を行き来している。そんな2人にとって、それは見慣れたものだ。対となる転移門と接続された時に、輪の中で生じる光の塊。その壁を運転席から見つめ、老夫は首を傾げてしまう。
「はて。転移門が、向こう岸へ繋がったぞ。もう開門の時間じゃったかの?」
助手席の妻。
老婦人が、細い手首に巻いた腕時計を見下ろして答えた。
「……おかしいわ、あなた。まだ開門の予定時間より、ずいぶん早いのよ。ほら、まだ15分もあるわ。いつもなら時間ぴったりのはずでしょ?」
「そうは言っても、どう見ても開いておる。今日の開門担当者は、もしかしてせっかちなのかのう。まあ良い。転移門が繋がったなら、通らないと。後ろの車がつかえるでな」
老父はアクセルを踏んで、車を発進させようとする。
だが思わず、その足は止まってしまう。
開いた転移門の向こう側から、大勢が転移してきたからだ。いずれも帝国の騎士たちである。騎士団支給のミスリル製突撃自動小銃で武装しており、駆け足で、ゾロゾロと光の壁の中から現れてくる。その腕章に描かれたエンブレムを見て、老夫は眉をひそめる。
「あの家紋は……エヴァノフ企業国騎士団のようじゃなあ」
「私たちの国の兵隊さんってこと? まあ、いったい何の騒ぎかしらねえ」
突如、大挙して転移してきたのは、転移門の、反対側の岸を警備しているはずの他国軍。エヴァノフ騎士団のようだった。対して、こちら側の岸を警備している四条院騎士団は、隣国の騎士団がわざわざ大勢を送り込んでくることなど、事前に聞かされていない。その理由にも、まるで心当たりがなかった。
……両国は敵対関係の間柄でもないのだ。
別に、来訪することを強く拒む理由はない。
だからただ、困惑しつつも、四条院騎士団は成り行きを見守ってしまう。
四条院側の部隊長が、転移してきたエヴァノフ騎士の1人を捕まえて「何事なのか」と問い詰めていた。だが下っ端の騎士は立ち止まることすらせず、四条院の部隊長を無視して過ぎ去ってしまった。そうして、あっという間に、エヴァノフ騎士団は転移門を渡って、ゲートの周囲へ部隊展開を終えてしまう。その数は100人にも近い人数だ。
隊長の号令で、エヴァノフ騎士団は一斉に銃を構えた。その先には、越境待機列に並んでいる多くの車両と、唖然としている人々の姿があった。
◇◇◇
ケイとクリスが対峙して、間もなくのことだった。
2人の間に張り詰めた空気は、予期せず轟いた銃声によって、かき消されてしまう。
「……?」
「銃声……?」
クリスが呟き、音の聞こえた方角を横目に見る。
銃声は1発で終わらなかった。まるで花火のように、最初に数回だけ聞こえたかと思えば、すぐに連続音に変わっていく。間もなく激しく撃ち合いが始まり、あちこちから、逃げ惑う市民たちの足音と悲鳴が聞こえだす。
「なんだ?!」
ただならぬ異変が生じている。
それだけはわかった。
だが、具体的に何が起きているのかがわからない。
決闘の意気を失い、クリスもケイも、周囲の確認を優先した。
ゲートの方角から逃げてくる大勢の人々。その背を追いかけるように、銃口を構えた帝国騎士たちの姿が見えた。信じられないことに、騎士たちが丸腰の市民たちを射殺しているではないか。そうして、乱心しているとしか思えない彼等に向かって、銃弾を浴びせる別の騎士たちの部隊もいる。
無差別に市民を襲う帝国騎士たちと、それに応戦している帝国騎士だ。
2つの勢力に分かれて、騎士団同士が争っているように見えた。
「あの腕章は、エヴァノフ企業国の帝国騎士団だって?! なぜ隣国同士の騎士たちが争っているんだ!」
信じられないものを見たという態度で、クリスは青ざめて言う。その場にケイたちを置き去りにしたまま、クリスは混乱の渦中へ向かって、駆け出していく。
「この決闘の続きは後だ! 今は密入国者のことより、市民たちの避難が優先だよ!」
クリスは振り向きざまに、ケイへ言い捨てて遠ざかって行く。唖然とそれを見ていたケイたちだったが、すぐ近くに流れ弾が飛んできたことで、悠長に突っ立ってはいられない状況になる。公開処刑を見物にきていた周囲の野次馬たちも、蜘蛛の子を散らすように解散して、その場から駆け足で逃げ出していった。ケイは殺されかけていた下民たちに、今のうちに逃げるように指示する。そうして身を低くしながら移動し、イリアたちと建物の陰に隠れた。
銃声に混じって、爆発音まで聞こえてきた。
もはや大声で話さなければ、ロクに会話もできないほどに騒音だらけである。
いきなり戦闘地帯と化した路上の端で、ケイはわけがわからず、ジェシカへ尋ねた。
「エリーから聞いてた話しと違うぞ! アークでは、人間同士の争いは1万年間、起きてないって言ってたのに! なら今起きてる、この隣国間の戦闘は何なんだ!?」
「そんなのアタシが聞きたいくらいよ! 絶対権力者の真王が、企業国同士の争いを七企業国王たちに禁じてるのよ?! なのに企業国同士の戦いなんて……こんなのどう考えても、前代未聞な大事件よ!」
「ならこれは、帝国史初の、人間同士のイザコザなのかよ?! なんでよりにもよって、オレたちがいる時にそんなことが起きるんだ!」
「すこぶるツキがないってことでしょ!」
イリアも、周囲の音に抗うように、声を張り上げて言った。
「そもそもボクたちがこの街に来た目的は、国境越えだ! なら、向かうべきは元来た道じゃない! この混乱に乗じて、コッソリ転移門を通過できないだろうか!」
言われてすぐに、リーゼは自身の機械眼で索敵を始める。周囲の状況を透過視して調査した。わかったのは、騎士たちの人数。装備。交戦エリア。どこが危険で、どこが安全なのか。
その結果は悪かった。
リーゼは声を上げて報告する。
「ゲートの通過は無理! エヴァノフ騎士団が布陣してるし、四条院騎士団と交戦中! 私たちの戦力なら、強行突破しようと思えばできるけど、目立ったらまずいでしょ! 国境を越えた先で、エヴァノフ騎士団に包囲される可能性があるわ!」
「突破はしない方が無難ってことか……なら、今はとにかく戦闘地帯から離脱しよう!」
ケイに賛同し、全員が顔を見合わせて頷く。
だがすぐに、再びリーゼが声を張って告げてくる。
「まずいよ、ケイ!」
その口調は苦々しい。
「ゲート方では、エヴァノフ騎士団と四条院騎士団が交戦中! 後方からは、四条院騎士団側の応援部隊が向かってきてるみたい! 私たちは、その中間に挟まれている位置にいるわ!」
「挟み撃ち状態ってことか!」
「ボクたちはまだ、騎士団に正体を見破られて、狙われてるわけじゃない! 後方から来てる連中の横を、素知らぬ顔でさりげなく通り抜けられないか!」
「やるしかない……!」
ケイたちは身を低くし、路上に放棄された車両を弾除けにしながら、来た道を、徒歩で戻り始める。他の市民たちも、ケイたちと同じようにして、銃弾の飛び交う路上を慎重に進んでいた。戦場から逃れようとする人混みに混じって、ケイたちは、応援で駆けつけた四条院騎士団の横を通り抜けることにも成功する。途中、リーゼが、車中に残してきた邪神像を取りに戻りたいのだと駄々をこねたが、全員一致で却下する。さしものリーゼも、渋々ながら口を噤むしかなかった。
交戦中の騎士団同士。その前線は、ケイたちの背後を追いかけるように、徐々に迫ってきている様子だった。どうやら、奇襲攻撃を受けた四条院騎士団の方が劣勢で、押し込まれているのだろう。銃弾が飛び交う危険地帯を抜けられぬままだったが、懸命に移動を続けていると、やがて国境待機列の、最後尾の車両が見えてきた。
「良いぞ、出口はもうすぐだ!」
最後尾の車両の向こうは、市街地へ続く検問所がある。開け放たれた鋼鉄の扉の向こうには、ウルズタットの街のメインストリートが見えてきていた。
――――その門が閉じ始める。
「なっ!」
劣勢の四条院騎士団。攻め込んできているエヴァノフ騎士団の攻撃が、市街地へ及ばないように、検問所の門を閉ざそうとしているのだ。おそらく、この転移門前の道路へ、敵陣営を隔離して閉じ込めるつもりなのだろう。被害を抑えるための措置に違いない。
それまでは慎重に歩を進めてきた市民たちだったが、門が閉ざされようとするのを見て、慌てて駆け出す。逃げ遅れれば、戦闘地帯に閉じ込められてしまうことを察したからだ。門に向かって、人々は一斉に殺到し始めた。
「まずいわよ! アタシたちも早く行かないと、この戦場に閉じ込められるわ!」
「急ぐよ、アデル!」
「おお、いきなり何をするのです、リーゼ! これではお姫様抱っこです!」
「ケイたちも、急いでついてきて! 逃げ遅れたら面倒だよ!」
リーゼはアデルを抱き上げ、すぐさま駆け出す。機人族の全速力は素早く、門前へ殺到する人々の隙間を華麗に縫って、ごぼう抜きしていった。
「ずっる! アタシのことも、おぶっていきなさいよ、天然エルフ!」
「仕方ないさ。ヒトの王の身の安全が、最優先ってことだろうしね……」
「オレたちもリーゼに後れを取ってられないぞ!」
ケイたちも、瞬く間に視界から消えたリーゼに続こうとするが、周囲は見る見る間に、とんでもない人だかりになっていく。1度に市民たちが門前に押し寄せてきているため、四方八方からの押し合いになり、ケイたちは人混みに飲まれそうになる。ケイはジェシカに手を差し出した。
「ジェシカ! オレの手を掴め! お前は小柄なんだから、はぐれるぞ!」
「こ、子供扱いしないでよ!」
なぜか赤面しながら、ケイの手を取るべきか悩んでいるジェシカ。それを焦れったく思い、ケイはひったくるようにジェシカの手を取った。「まだ心の準備が!」と喚いているジェシカに構わず、ケイは背後のイリアにも声をかけようとする。
だが、イリアの姿が見当たらない。
「イリア! どこだ!」
見失ってしまった。
激しい人混みの中で探している余裕はない。近くにいることを信じて、ケイはジェシカを連れ、何とか門の向こうへ向かった。人々を押しのけるようにしながら、閉じかけていた門の向こう側へ、何とか身体を滑り込ませた。そうした時にふと、閉じていく門の向こうに、イリアの姿を発見した。
「イリア!」
逃げ遅れている。
門のすぐ近くまで来てはいるが、殺到する人混みの勢いに呑まれ、それを掻き分けて辿り着くことができずにいた。すでに門は半分以上、閉じてしまっている。それが完全に閉じきる前には、とてもではないが、イリアは逃げ切れそうにない。
「くっ!」
「無茶よ、ケイ! こんな人混みの中を逆流して、イリアを連れてこれないわ!」
「けど、このままじゃイリアが逃げ遅れる!」
遠目に、イリアはケイと視線が合う。自分だけ、門が閉じる前に通過することはできないと判断したイリアは、手にしていたスーツケースを高く掲げた。それをケイの方へ向かって、精一杯に投げてくる。ケイは右腕の異能装具を発動させ、宙を舞うスーツケースを虚空で受け止める。それを引き寄せて手に取る。
「忘れるな! ボクたちは東京の生存者たちの命を背負った、外交使節団だ! 残り2週間程度しか時間は残ってない! こんなところで捕まって、足止めを受けていられないんだ!」
閉じていく門の向こうに、イリアの顔が見えなくなっていく。
スーツケースを投げ渡したイリアは、ケイに向かって声を張った。
「そのワクチンと現金は、重要な交渉材料! 持って、今は先に行ってくれ!」
「イリア!」
今にも自分を助けに駆けつけてしまいそうなケイを留めるべく、イリアは微笑んだ。
『――――大丈夫だよ』
「!」
企業国に通話を聞かれるかもしれないリスクを無視して、AIVの通信機能で、イリアはケイへ語りかけた。
『運の良いことだが。この戦場には、通りすがりの勇者一行がいる。彼等の戦力なら、この混乱をきっと何とかしてくれるだろう。君はもう、合わせる顔がないかもしれないが、ボクはそうでもないはずだ。なんとかクリスに合流して、保護してもらおうと思う』
「……」
『それに君だって、もう知っているだろうが……。どうやらボクは、下民の生まれじゃないらしい。あの淫乱卿でさえ、ボクの身の安全には気を遣ったんだ。君たちだったらともかく。ボクだけなら、仮に帝国に身柄を拘束されても、殺されたりなんかしない』
イリアの言うことには一理あった。
5000体の異常存在を倒したと言う勇者と、その仲間たちがいるのだ。騎士団の一般兵たちが束になってかかっても、退けることすらできないだろう。ケイ自身も認める実力の男が、この混乱を収めようとしている。なら、すぐに鎮圧できるのは間違いない。
それにイリアが、捕まっても殺されないであろう身分であることも確かだ。実家と疎遠であるとは言え、七企業国王の1人である、エレンディア企業国の王族にあたる血統なのだ。だから無事なのかと言えば不安は残るが……筋は通っている。
門が閉ざされる。
ケイは悔しげな顔で、見えなくなったイリアに向かって誓う。
「……また誰かを失うのはごめんだ。必ず助けに戻る。だから大人しく待っていろ」
『君を信じてるさ』
通話を終えて、ケイとジェシカは、リーゼとアデルに合流する。
イリアが逃げ遅れたことを告げると、アデルが「助けに戻る!」と言い始めたが、イリアの言っていたことを教えると、何とか溜飲を下げてくれたようだった。ケイ自身も、全て納得できているわけではないが……今助けに戻れば、帝国や勇者とのトラブルに巻き込まれかねない。その対処に時間をかけていては、残り僅かしかない東京の生存期限までに、隣国都市との外交交渉を取りまとめることなど、到底できないだろう。
残酷だが――――。
今は時間がない以上、イリアを助けることを後回しにするしかない。
門を通過した人々は、市街地の方へ散り散りになって避難していく。
いまだ銃声が聞こえる中で、ケイは言った。
「参ったな……。原因はわからないが、いきなり隣国の騎士団が攻めてきて、戦いが起きたんだよな? 事態が収束しても、これからしばらくの間は、転移門が封鎖されてしまうんじゃないか?」
ジェシカが、残念そうに肩を落として肯定する。
「まず間違いなく、そうなるでしょうね。転移門を通って隣国に行くルートは、諦めるしかないんじゃないかしら?」
「しかし……ではどうしましょう。両国を隔てているガルデラ大瀑布は、ところどこに急流があると言う大河なのですよね。とてもではありませんが、泳いでいくことはできませんし、船で渡ることも難しいのではないでしょうか。実際に、水上定期便の運行はないようですし」
「ならさ。船は船でも、空を飛ぶ飛空艇を使うのはどうかな?」
「アタシたちは貴族じゃないのよ? 自家用の飛空艇なんて持ってないし。市民用の定期便は乗れるでしょうけど……どうせ転移門と同じで、しばらく欠航すると思うけど。今は隣国と揉めてるんだから。その辺の外交問題が解決するまでは無期限休航だと思うわ」
「……じゃあ聞く限りは、打つ手無しなんだけど」
ケイたちが困った顔で話し合っていると、歩み寄ってくる小さな影があった。
「あの~……」
声をかけられたケイたちは、一斉に振り向く。
フードを目深にかぶった、見覚えのある少年である。
「君は、さっきの密入国未遂の……」
「雨宮さん、でしたっけ? さっき、勇者にそう呼ばれてましたよね」
少年は恐る恐る、上目遣いでケイを見上げて言った。
「その……ちょっと聞き耳を立ててました。雨宮さんたちも、国境を越えたいんですよね? 僕、実は国境を越えられるかもしれない“別のルート”に心当たりがあります」
「!」
「僕も急いでエヴァノフ企業国へ戻りたいんで、困ってたんです。知る限り、残っているルートは、その1つだけなんですけど……僕1人じゃ無理なルートなんで。できれば、雨宮さんたちがついてきてくれるなら、もしかしたらもしかするかも、って感じなんですけど」