7-13 越境待機列
ジェシカに買ってきてもらったコンタクトレンズ。
AIVを目に入れてみたケイたちは、すぐに驚いた。
視界のあちこちに、ホログラム映像が浮かんで見える。まるでPC画面に表示されたウインドウが、画面を飛び出して、宙を漂っているようであった。ウインドウの1つに手を伸ばしてみると、それに触れることができた。触感があったわけではない。だが、ケイの指の動きに連動していて、ウインドウの位置を、自在に動かすことができるようだ。
「すごいな、これは……!」
感心しているケイ。
それは、アデルとイリアも同様だった。
得意気に腕を組んで、ジェシカは説明する。
「白石塔の世界で言うところの、スマホってヤツ? ケイが使ってるの見たけど、似たようなものよ。ただし、スマホは機械の筐体とディスプレイを有したものでしょ。AIVは、このレンズ1枚に全ての機能が入ってるわ。ちなみに、Augment Information Visionの略称ね。目の焦点位置をトレースしたり、手のジェスチャーを認識してるから、アンタの手や指のジェスチャーで、注目中のウインドウとかを退かしたり、消したりもできるわよ。大気中のマナ伝播で、音楽まで聴けるんだから」
「ふむむ。街中で、たまに空中に指を這わせたりしてる人たちを見かけるのは、このせいだったのですね」
「これは素直に、すごいテクノロジーだよ……!」
アデルとイリアも、手前に表示されているウインドウに触れて、試しに動かしてみてるようだ。ケイはウインドウから目を離し、すぐ傍の道路脇に生えていた、花に目を向けた。すると花から吹き出しのウインドウが飛び出し、そこに、花の名前と特徴の説明文が表示された。
「なんだ? 花を見たら、急にその説明文が表示されたぞ……?」
「見たものを理解する機能。それが“説明情報”よ。アンタが注目しているものをAIVが判別し、それが何かを説明してくれてるわけ」
「そんなことまでできるのか!」
「これは……色々と捗りますね!」
感動している様子のケイたちを見て、ジェシカはさらなるドヤ顔になって続けた。
「一般的な説明文以外にも、関連情報へのリンクや、誰かが書き加えたコメントとかレビューも出てくることがあるわ。まあ、うざったいから、アタシは普段、説明情報表示切ってるけどね」
「たしかに、いちいち説明文が出てくるのはうざったいな。見たことないものの説明が出てくれる時は、ありがたいことだけど」
「でしょ? 知らない場所に初めて来た時とか、そういう時には、ガイド役みたいで便利なこともあるのよ」
ジェシカは2本指を立てて、ケイたちへ教える。
「良いこと? アークのインターネットの基本は、“トーク”と“ライブラリ”よ」
「なんだい、それは?」
「トークは通信機能。近くにある帝国のサーバーを経由して、離れた相手と通話したりメッセージのやり取りができるわ。メッセージは公開範囲が設定できて、全世界から個人グループ内まで色々よ。公開範囲を広く設定すれば、SNSみたいに使うこともできるわ」
「ほほう。これは電話機としても使えるコンタクトレンズなのですか」
「そうね。んで、ライブラリは情報倉庫ね。こっちがアンタたちのよく知る、インターネットに近いんじゃないかしら。テキストとか、イラストとか、動画。企業国が登録したものから、個人が登録したものまで、ありとあらゆる情報が格納されてるの。検索して自由に閲覧できるけど、利用するには最低限、市民権がないとダメよ。アンタたちが市民権を得るまで使えなかったから、だから買ってすぐに教えなかったのよ。ちなみに、閲覧するのに専用端末や正規資格認証が必要な機密情報もあるから、そう言うのはさすがに見られないわよ?」
「いやいや、これは便利だ。使い慣れれば、色々とできそうだな」
「ただ、気をつけなさい」
ジェシカは警告する。
「AIVは帝国のシステムを介して動作しているものよ。つまり使う度に、帝国のシステムに感知される危険性があるってこと。普通の市民ならともかく。アンタたちはお尋ね者みたいなものなんだから。無警戒に使いすぎるのは危険だからね」
「……気をつけるよ」
「普段は、ネット接続を切っておく設定にしておいた方が良いかもね」
「しかし、すごい道具です。いったいどんな技術で、こうしたことを実現しているのでしょうか」
興味本位で尋ねるアデル。
だがジェシカは、少し困ったような表情で言いよどみ始める。
「そ、そんな詳しい機械の仕組みなんて知らないわよ! アタシの専門は魔術なんだから! 使い方だけ知ってれば十分でしょ?!」
「なんと。ジェシカは機械オンチだったのですか」
「んな! 機械オンチとは失礼ね!」
「アデル、言い方……」
すると、それまで邪神像を抱っこしたまま黙って聞いていたリーゼが、口を開いた。
「じゃあ、その辺は私が教えてあげようか」
「教えてください!」
アデルはムッツリ顔のまま、瞳を輝かせる。
リーゼはニコニコ顔で説明した。
「白石塔の中の機械って、まだ半導体技術が主流でしょ? それって半導体の中に、超小型の電子回路を作る技術なんだけど、帝国の技術は、それよりももっと進んでるの。半導体の中“以外”にも、超小型回路を作ることができるんだよ。原子配列を自在に組み替えることでね」
「ふむふむ。半導体回路ではなくて、原子回路と言うことですか。では白石塔の技術のように、電子回路を半導体の中に収めなければならないという、技術的な縛り条件がないのでしょうか」
「アデルは頭が良いんだね。その通りだよ」
ドヤ顔のアデルの頭を撫でながら、リーゼは子供を褒めるように言った。
「テレテレ」
「技術的なことは、ボクにはサッパリわからないよ。今の話しが理解できてるなら、アデルは本当にすごいんだね」
「人間の科学技術に興味があったから、勉強してきたのです。もっと褒めて良いですよ、イリア」
「このAIVと呼ばれる、帝国が発明したコンタクトレンズは、原子配列レベルからデザインされてるの。レンズ全体が1つの回路。そして電気じゃなくて、大気中のマナをエネルギー変換して使ってるから、物理的な寿命とかで壊れない限りは、動作し続ける半永久バッテリーが搭載されてるよ」
「この小さなレンズに、スマホより高度なコンピュータシステムが搭載されてるってことか」
「ボクたちが相手にしている帝国。どれほど強大なのかを、改めて実感できる技術力だね……」
「少なくとも、科学技術だけとったら完敗だな」
AIVの使い方を確認しながら、ケイたちは出発する。
そろそろ、日が暮れ始めている。
ガレン商隊と、国境の転移門を通るために合流する時間だ。
◇◇◇
飛行機の滑走路を思わせる、長い直線の道路。
その検問所前には、国境越えを待つ多くの自動車が、列をなして待機していた。
自動車だけではない。徒歩の人々の待機列も見受けられる。
転移門は、日に4回だけ接続されるのだ。
集まっている人々は、誰もがその開門時間を待っているところである。
ガルデラ大瀑布――――。
自然が造り出した、天然の国境の壁とも呼べる大河だ。
その両岸に、転移門で結ばれた2つの街がある。
四条院企業国側の岸に位置する国境の街、ウルズタット。
そしてエヴァノフ企業国側の岸に位置する対面の街、グルシラだ。
転移門は、2つの街を結ぶ唯一の陸路である。
そこを守るために、帝国騎士団は、やはり厳重な警備体制を敷いていた。
道路の両脇は、見えない透明な防壁――――防衛障壁によって守られている。その障壁内部には、数え切れない帝国騎士団の歩哨が、銃を持って待機していた。周囲には、見たこともないデザインの無人戦車や、無人戦闘機が配備されている。
素通り可能だった街の出入り口とは一転して、ずいぶんと物々しい厳重警備である。
車窓の景色を見ていたケイは、ふと目に止まった見慣れぬ兵器に注目する。帝国騎士たちに混じって歩いている、体長4メートル近い人型ロボットのようなものを見かけたのだ。人間用とは思えない、巨大な銃器を手に提げている。先ほど使い方を覚えたAIVが、その説明情報を吹き出し表示してくれた。
「…………多環境兵装? 四一式重機甲兵? あんな、二足歩行ロボットみたいな兵器もあるのか」
「あれ、中に人が入ってるわよ? ロボットじゃないわ」
ジェシカに言われ、ケイは少し驚いた顔をする。
「あのデカブツ。人間が着ているスーツなのか。じゃあ、強化外骨格ってヤツか?」
「放射能とか毒とか。魔術に汚染された地域でも、人間を活動可能にする戦闘防護服らしいよ。危険地帯や極限環境地帯へ、先陣を切って突撃するのに、よく使われてるみたい」
答えてくれたのはリーゼだった。
「フーン……。かなり本腰を入れた厳重警備なんだな」
だが果たして“何から”守る警備なのか。
ケイは、それを疑問に感じていた。
たしか以前、エリーから聞いていた話では……。
帝国建国以来、1万年にわたって、長らく人間同士の争いは発生していないのだと言う。隣国同士で戦争をすることもなければ、帝国の体制に反旗を翻す、市民レジスタンスさえ生じていないのだ。なぜなら人々は皆、七企業国王や貴族たちの有する“支配権限”の力によって、強制服従を強いられているからである。どれだけ社会構造に欠陥があろうと、不満を持つ人々がいようとも、絶対に誰も逆らえないのだ。その仕組みこそが、帝国の秩序を永久に保っている骨組みとも言えるだろう。
帝国は、人間から攻撃される可能性がないのだ。
それなのに日々、軍拡をしているのだと聞く。各都市にも警備体制を敷設している。帝国に攻撃を仕掛けてくる外敵がいるとすれば、思い当たるのは、野生化した異常存在たちくらいだが……それにしても過剰な戦力すぎる印象だ。
車列は止まったままで、転移門が開門するまでは進みそうもない。
ケイたちが車内で退屈を持て余していると、無線機越しに男の声が聞こえてきた。
『やあ、ケイくんたち。言っていた用事は済ませて、ちゃんと迷わずに越境の待機列に並べているかな?』
「クリスさん」
無線で話しかけてきたのは、クリスである。
ケイは無線機に返事をした。
「ええ。こちらも待機列に並んでますよ。クリスさんたちのいる商隊は、たぶんオレたちよりも前の方にいるんじゃないかと思います」
『良いね。そこから道路脇に、休憩所があるのが見えるかい?』
言われてケイたちは、窓の向こうに目を向けて見る。100メートルくらい先に、高速道路のサービスエリアのような駐車場スペースが見えた。売店や屋台もあるようだ。休憩所とは、おそらくそこで間違いないだろう。
「見えますね」
『そこで落ち合わないか? どうせ、この車列は開門まで動かない。他の車の人たちも、一端下りて、休憩所で寛いでるところだよ。かれこれ1時間くらい、俺も車中に閉じ込められてて息が詰まりそうなんだ。気分転換に、アデルとイリアも連れておいでよ』
「はあ……。まあ、そうおっしゃるなら」
『じゃあ、待ってるよ』
クリスとの会話を終えると、通信が切れる。
話を聞いていたジェシカが、嫌そうな顔で言った。
「あのエロ勇者……絶対にアデルとイリアのこと狙ってるわよね」
「だろうね……」
面倒そうに、顔をしかめたイリアが同意する。
「ここ3日間。毎晩のように、夜のお誘いを受けてるよ。剣の訓練と同じくらいに、どうやら種蒔きにもご熱心な性格のようだ」
「連れのローラにも聞いたけど、あちこちの街で、たくさんの女を泣かせてきてるみたいよ。ようするに女の敵。ちょっとばかりカッコよくて強いからって、みんながみんなコロっと騙されると思わないで欲しいわよ!」
「クリスが狙っている……? ハッ! まさか私とイリアは、クリスに命を狙われているのですか! なぜ?!」
「アデルについては、この通り無知でバカすぎて、誘われてても意味を理解してないみたいだから……最近はクリスも諦めつつある感じがするわよね」
「それは。ボクから見てても、ちょっと気の毒ではあるんだが……。まあ、アデルは人間のように見えて、実質的には花だし。それを口説いているようなものだから。人間相手の美辞麗句は通用しないだろう」
「大丈夫だよ、アデル。私がついているからね。人間の男なんかに、変なことはさせないよ。そもそもヒトの王に対して、あんな女ったらしが気安く触れるなんて、非礼にも程があるよ」
「???」
アデルはムッツリ顔のまま、首を傾げている。
女子たちの会話を聞いていたケイは、苦笑した。
「たしかにクリスさんは、女にだらしない人ではあるけど、実力はたしかだ。勇者と呼ばれて、みんなから尊敬されてるのもわかるし、頼りになる人だよ。正直、一緒に同行できて安心なくらいさ」
「おや? ボクが勇者の手込めにされそうなのに、それが安心だと言うのかい?」
なぜか少し苛立った口調で、イリアはケイに尋ねてきた。
「イリアが選ぶ相手のことに、いちいちオレが口出しするわけにもいかないだろ? それに、クリスさんがかっこいいのは、その通りだし。イリアだって、剣術素人のオレに守られるよりも、経験豊富なクリスさんに守られた方が安心じゃないか?」
「……」
イリアは、露骨に不快そうな顔をする。自分のスーツケースを手に取って、黙って車を出て行ってしまった。
「あ、おい! イリア! 独りで勝手に行くなよ!」
ケイたちも車を降りて、イリアの背に続いて休憩所を目指す。なぜか怒っている様子のイリアに、ケイは困ってしまう。
「……急になにを怒りだしてるんだ、あいつ」
そんなケイとイリアのやりとりを見ていて、ジェシカが不安そうに呟いた。
「うそ。もしかしてイリアも……」
「聞こえたよ」
「ひああっ!」
いきなりリーゼに話しかけられて、ジェシカは悲鳴を上げる。
「イリア“も”って言うのは、どう意味かしら?」
「なな、なんでもないわよ!」
真っ赤な顔で喚くジェシカを、リーゼはニヤけてからかった。
次話の更新は月曜日になります。