7-7 アトラスの遺産
「今は12月のはずなのに……白石塔の外は、それほど寒くないよな」
「私はまだ、四季の気温変化を、それほど経験したことがないので。これは冬ではないのですか?」
「まだ秋ってところじゃないかい? 暑すぎず、寒すぎず。ボクは快適だと思うけど。まあ、クリスマスも近いシーズンに、この暖かさは戸惑うね。それでも、夜は寒いだろう。防寒着は必要そうだ」
ケイたちが話していると、草原に駐まっていたSUV車の運転席から、リーゼが下りてきた。そのままケイたちの傍に歩み寄って、声をかけてくる。
「ジェシカ」
呼ばれたのは、ジェシカだった。
リーゼは手に何かを握り込んでおり、それをジェシカへ差し出してくる。
「頼まれてたもの。一応、調査は終わったよ」
「あらそう、意外と早かったのね。助かるわ」
ジェシカが受け取ったそれは、指輪だった。純金だろうか。ズッシリとした重みのありそうな、高価そうな代物である。ハッとしたアデルが、ムッツリ顔で推察を披露した。
「指輪を手渡す……。もしやこれは、人間が行うと噂される“ぷろぽーず”の儀式というものでしょうか!」
「違うわよ! どっからどう見たらプロボーズなのよ! しかも女同士でしょうに、アホな勘違いはやめなさい!」
「ジェシカ、その指輪は?」
ケイに改めて尋ねられ、ジェシカは答えた。
「あー、これ……? 四条院キョウヤの持ち物よ。アイツ、明らかに人間の能力を超えた魔術を使ってたでしょ? 1000万人分の死体を、たった1人で操るなんて、人間よりも遙かに魔術に長けている魔人族にだって、真似できない芸当よ。だからたぶん、異能装具を使って能力増強してたんじゃないかと疑って、それらしい指輪を見つけたからさ。異能装具って、先代文明の遺跡で見つかったものか、機人族が造ったかのどちらかでしょ? ちょうど都合良く、リーゼがいたから調べてもらってたわけ」
「結論からすると、何らかの異能装具なのは間違いなさそうだったよ。おおよその機能もわかった。たぶんだけど、魔術の“影響範囲を拡大する”って感じの拡張機能が封入されてるんだと思う。かなり高度な造りで、強力な部類。もしかしたら、四条院家の“家宝”なんじゃないかな。名のある宝石かもしれないよ」
「おおよそとか、たぶんとか。なんかフワッとした解析結果ね」
「異能装具って、作者個人のノウハウや造り方によって色々あるから。細かい諸元までは、短時間じゃよくわからないんだよ。私の里にある、専用の機材とかがあれば、話しは別なんだけど。旅路の空の下じゃ、これ以上のことはちょっとね」
「そう、残念。まあ、やっぱり異能装具だったってことがわかっただけでも、収穫はあったわ。ありがとう」
「どういたしまして」
ニコニコと微笑むリーゼ。
そんな彼女に、ケイは違うことを尋ねた。
「それで……リーゼはどうするんだ? このまま、まだオレたちに付き合ってくれるのか?」
「私は、アデルが行くところだったら、どこまでもついていくよ」
「……?」
妙なことを言う。そう思った。
たしか。そもそもリーゼが東京へ来た目的は、人類の中に眠るという、伝説の王冠を探し出すためだったはずだ。リーゼがなぜそうするのか。詳しい事情を聞かされたことはないが……機人族のためにも、その王冠の力を使って、人類を帝国の支配体制から解放したいのだと考え、旅をしていたらしい。
それなのに、どういうことなのだろう。
「王冠探しが目的だったはずの君が、なんでアデルに着いていくんだ?」
「……そうだね。話しておくのには、今がちょうど良いのかもしれない。この話しは、信用できる人たちにしか、知らせるつもりがなかったことだから」
リーゼはそこで、意味深げに黙り込む。
ケイ、アデル、イリア、ジェシカ。
その場の全員が、怪訝な顔で機人の少女の沈黙を見守った。
そよ風が、草原の緑を揺らす。
やがて、リーゼは厳かに口を開いた。
「これから話すことは、絶対に口外しないで」
「妙に勿体つけるな。いったい何の話しをしようって言うんだ?」
「ケイたちが無人都市で出会った、自称、機人族。アトラスの遺体を調べたの」
「……!」
ケイたちは驚く。
1人だけ、話しについていけないジェシカが、不思議そうな顔をしていた。
「は? アトラスって誰よ」
「それは、話せば長い……。後で説明するよ」
苦々しい顔で、ケイがジェシカに応えた。
興味深そうな顔で、イリアは腕を組んでリーゼへ尋ねる。
「面白い話しが聞けそうだ。それで、機人の君から見て、彼はどうだったんだい? やっぱり、自称していた通りに機人族だったのかな?」
「そこはわからなかったわ。たしかに有機機械細胞を有した、機人族の組成に近い身体構造をしていたよ。けれど、機人と呼ぶには異質で、そもそも肉体を持っていた形跡がない。感覚的に言えば、異常存在に近いとさえ思ったわ」
「なら結局、リーゼから見ても、アトラスの正体については、何もわからなかったのか」
「残念ながらね。でも、代わりにこれを見つけた。アトラスの“記憶素子”だよ」
リーゼは、懐から金属片を取り出して見せた。
「ほとんどのデータは破損していて、解読できた情報はごく僅か。けれど、そこに“アデルの正体”に関する情報が残されていたわ」
「!」
「ごめんなさい。言い方が適切じゃなかったわ。正確には、アデルが宿った肉体の方の情報。花に関することじゃない。アトラスが冷蔵保存していた、少女の素性についての情報だね」
リーゼは、アデルを見つめる。
その視線を向けられ、アデルは困惑した表情をした。
人類最後の希望――――。
アトラスがそう言い残し、ケイたちに託した少女は、不慮の事故で死んでしまった。彼女の肉体は、アデルに寄生されたことで、今も生存状態を保てている。
「この肉体の持ち主……死んだ彼女が誰だったのか。それがわかったと言うことでしょうか」
「ええ。彼女の名前はソフィア」
「ソフィア……」
初めて聞く名前。
アデルはそれを反芻した。
「教えてくれ、リーゼ。ソフィアとは何者だったんだ」
「……ケイたち。つまりヒトは、生まれながらに知覚制限を設けられ、支配権限への絶対服従を、遺伝的に仕込まれている。アトラスの情報によれば、遙かな昔に人類は、真王と戦った。その結果として敗れ、以後は真王が管理しやすいように、品種改良されているからみたいだね」
「その話しが、私の身体……ソフィアと、どういう関係があるのですか?」
「ソフィアは、そんなケイたちのような“ヒト”とは異なる存在だよ。真王によって品種改良された現代の人類ではなくて、彼女は、品種改良される前の存在。アトラスの言うことが正しいのだとしたら……真王との戦争を繰り広げた、先代文明の時代の人」
「……待ってくれ。それってつまり」
「彼女こそはオリジナル。真の人類。その最後の生き残り」
言葉を失った。
思わず、全員の視線がアデルに集まってしまう。
アデルは戸惑っていた。
「私の身体が……人類のオリジナル……」
「全て、アトラスの情報によれば、だけど。今のこの世界に存在しているEDENは、元々、先代人類文明が発明した、世界制御システムだったそうね。そして真王がそれを改悪し、今ではアークを支配するシステムとして運用している」
「らしいな。証拠を見たわけじゃないけど」
「EDENはそもそも、オリジナルの人類たちのために創られたシステム。言い換れば、今ではソフィアのために存在しているシステムとも言えるわ。ソフィアの肉体に入っているから、アデルは容易にEDENを知覚して制御できる。経路を素手で遮断したり、配布済みの拡張機能を複製するなんて、離れ業まで簡単にできてしまった。彼女に“もっと強力なアクセス権”さえあれば、真王をEDENから追い出し、世界を自在に操ることだってできる。その無制限アクセス権を得るための道具こそが“罪人の王冠”の正体」
「……?!」
「品種改良されていない彼女は、あらゆるEDEN攻撃の影響を受けないわ。それどころか、真王の支配の力が及ばない、唯一無二の存在。淫乱卿の支配命令さえ効かなかったことが、その証拠。つまり、今はソフィアの肉体を引き継いだアデルこそが――――“真王を倒し得る存在”で間違いないよ」
「ちょ、ちょっと待って。そんな話し、聞いたこともないわ!」
話しを聞いていたジェシカが、混乱して口を挟んでくる。
「EDENが、帝国史以前の人類が発明した世界制御システムだったって、そう言ってるの? 物事には何にでも起源があるのはたしかでしょうけど……EDENの起源がそんなだなんて、初めて聞いたわ。本当なの?」
「……」
「アデルが真王を倒しうる、原初の人類だって。いったい何の話しをしてるのよ、アンタたちは……」
ジェシカの疑問には、誰も確証を持って答えられない。だがケイたちの脳内では、アトラスから聞かされていた様々な話しが、ようやく繋がったように思えた。
人類最後の希望とは、文字通り、人類の最後の生き残りのこと。そして、真王からEDENの力を取り上げる資格を有した、唯一無二の存在だった。そう考えれば、アトラスが命懸けで彼女を守ってきた理由も頷ける。同時に、その存在が帝国に知られれば、真王たちが血眼で探し回ることになるだろうという、アトラスの警告も、今になれば意味がわかる。
リーゼはアデルの前へ歩み出る。
いつものムッツリ顔のまま、アデルは、自分よりも背の高いリーゼを見上げた。
リーゼはアデルの右手を取り、跪いて、その甲に口づけをした。
「!」
「雨宮アデル。いいえ――――“ヒトの王”よ」
爽やかな風が吹き抜け、草原を波打たせる。
アデルとリーゼの髪が風に揺れ、ちぎれた草が、宙を舞って飛んでいく。
「あなたこそが機人の……。いいえ、アークの希望。罪人の王冠を冠し、この世界を、真王の帝国から解放する存在。あなたに永久の忠誠を。機人の誇りと、この命に賭けて、御身をお守りいたします」
眩い太陽が輝く緑の野で、機人の少女は、王への忠誠を誓った。




