7-6 死継の理
帝国騎士団が、白石塔の内外を出入りする方法。
それには、専用の“通用門”を使用している。
通用門と呼ばれるそれは、白石塔の東西南北にそれぞれ、いくつか掘られたトンネルのことを指す。その坑道内部には、駐在の帝国騎士たちの居住空間があり、白石塔を出入りする者をチェックするための、検問所も設営されていた。トンネルの突き当たりは転移門になっていて、そこを通過した先は、すぐに東京都内である。
つまり通用門は、物理的には白石塔内部に繋がっていない。出入口とは言っても、空間転移によって、行き来ができる場所である。
白石塔の内壁のほぼ全面が、巨大な転移門だ。普段であれば、接続先を切り替えるだけで、都内のどこからでも任意の通用門にアクセスすることができていた。そこから外に出ることは簡単だった。だが、廃棄処分を受けた今の東京は、転移門機能が停止している状態である。
今は通用門から、白石塔の外へ出ることはできない――――。
物理的に出入りできる場所があるとすれば、それはケイが赤剣で裂いた、空の傷跡だけだ。さすがに、そこまでよじ登って、また下りることは容易ではないだろう。別の方法で、白石塔の外へ出ることを考えなければならない。
旅支度を調えたケイたちは、第三東高校の近くにある森林地帯に来ていた。
そこには1軒だけ、山小屋が建っている。
以前、ケイたちが白石塔の外へ出るために利用した、正規の出入り口ではない“裏口”がある場所だ。再びそれを利用できないかと考えてやって来たのだが……残念なことに、それは東京の転移門を利用したシステムだったようで、廃棄処分後には故障して、使用不可状態になっていたようである。
そのことは、事前にアデルから聞かされていた。
どうやら、アデルを誘拐した斗鉤ダイキも、この場所から東京の外へ脱出しようと試みていたようだ。だが予期せず故障していた裏口によって、脱出計画が頓挫したらしい。別の出口を探して、去っていたのだと言う。その後、斗鉤兄妹は姿を目撃されていないが……四条院キョウヤの操る死者たちの餌食になったのか、まだ東京に潜伏しているのかもしれない。
「……」
出発の時間まで、ケイたちは山小屋のリビングで寛いでいた。ウッドテーブルに、ウッドチェア。それぞれコーヒーカップを手に、思い思いにしている様子だ。
イリア。ジェシカ。それにアデル。ケイを含めた4人だけの時間だ。
ケイはおもむろに、コーヒーカップをテーブルに置いて、真顔で隣のジェシカに尋ねる。
「……本当に良いのか、ジェシカ。オレたちに着いてきてしまって」
しつこいかもしれないが、それでも彼女のことを思えば、念を押したくもなる。
「オレとアデルは、四条院企業国から本気で狙われてる。これ以上、オレたちに関わっていたら……最悪、命を落とすことだってあるかもしれないんだぞ」
「そうね。そうかもしれないわ」
「この東京の惨状を見れば、もう危険性はわかっただろ? 今回の戦いで、お前には十分に助けてもらったよ。すごく感謝してる。でも、もうエマと一緒に、例の魔術の学園に帰った方が良いんじゃないのか? このままだと、いくら中立の組織に所属しているからって、目を付けられかねないだろ。手を引くなら今しかない。ここで離れたからって、オレはお前を恨んだりなんてしないよ」
ケイに問いただされたジェシカは、複雑そうな顔で考え込む。
そんなジェシカの反応に、黙って聞いていたアデルとイリアの視線も集まった。
ジェシカはやがて、真顔でケイに応えた。
「たしかにね。アタシとエマからすれば、四条院家とアンタたちのトラブルは無関係よ。普通は、この辺で身を引いた方が賢いと思うし、本来ならそうしたでしょうね。けど、事情が変わってきてるのよ。あんたの、その赤剣。あの力を見たら……ここで離脱するわけにもいかないわ」
「どういうこと?」
「アタシもエマも、魔術の道を極めようと学ぶ者の1人だからよ」
ジェシカの眼差しは、真剣だった。
「魔術を学ぶ者にとっての悲願。それは“理の解明”」
「理……」
「コッカイギジドーでの戦いの時にも、ちょっとだけ話したでしょ。この世には理と呼ばれる、覆せない自然法則があるわ」
たしかに。キョウヤとの戦いの最中、アデルの無死の力を説明した時に、ジェシカは理についてのことを話そうとしていた。あの時は、じっくり聞いている余裕はなかった。それを今になって改めて、ジェシカは語り始める。
「そうね……。たとえばこうよ。炎は熱いし、氷は冷たいわ。生命は生まれるし、生まれた者は必ず死ぬわ。そういう“絶対不変のルール”が理よ。どんな魔術もルールの中で生じるものであって、ルールに逆らって発現することはできないの。だから、熱い氷も、冷たい炎も生み出せない。そんなルールが、この世になぜ存在するのか。なぜそう言うルールになっているのか。謎を解き明かし、世界の真理に至ることこそが、学問における魔術の、究極の目的なのよ」
ジェシカは冷や汗を浮かべながら、ケイが帯剣している赤剣を見つめて言った。
「それを踏まえた上でだけど。その剣……“死”という、恐るべき理を操る剣よね。自分の死を、他人に押しつけるなんて……“死継”の力とでも呼べば良いのかしら」
「他人に死を継がせる力か。良い表現かもしれないな」
「簡単に言うけど、アタシはそんなもの、今までに聞いたこともない。旧文明の遺跡で見つかった、どんな聖遺物の中にも、理に干渉できる代物なんて存在しないわ。まさにその剣は、特別な至宝。魔術が目指す究極の答えが、そこに詰まっているわ」
「そうなのか」
「少なくとも私とエマは、そう思ってる。そんな剣を生み出したという、アデル。そして、その力を振るうアンタ。みすみす放っておいて、帝国に取り上げられてしまうのを見過ごすことなんてできない。たとえ学園を退学になったとしても、アンタたちと一緒に行動することに、価値はあると思ってるわ。大げさかもしれないけど、アンタの剣とアデルには、人生を賭ける価値さえあるのかも」
「そこまで言われると、何だか気負うな……。だから手伝ってくれるのか」
「まあね。それに……」
コーヒーが飲めないジェシカは、1人だけオレンジジュースのグラスを手にしていた。
それに口を付けてから、少し照れくさそうにそっぽを向いて言う。
「ここ何日か炊き出しを手伝ってたけど、東京の人たちってみんな親切だし。アンタのおじいちゃんも、良い人だった。アタシたちみたいな魔人族にも、普通に接してくれる人間たちって初めてだわ……。そんな人たちが大勢、故郷を失ったのよ? そう言うのって、アタシもエマも、どうしても放っておけない性分みたいだから」
「ジェシカ……」
初めて会った時のジェシカは、人間のケイを嫌悪さえしていたはずだ。
帝国の人間たちに故郷を滅ぼされ、それでも人の社会の中で生きてきたクラーク姉妹。彼女たちは、魔人族を差別する人間たちに囲まれ、いつも息苦しく生きてきたのだと聞いている。そんなジェシカが、人間の力になりたいと言っているのだ。意外なことである。
「ありがとうな。でも、お前もエマも、無理はしないでくれ」
「わかってるわよ。アタシだって、エマを危険な目に遭わせたくないし」
ジェシカと話をしていると、リビングにレイヴンとエマがやって来た。
イリアの姿を見つけたレイヴンは、ニヤリと笑んで告げた。
「準備できましたよ、イリアさん」
「ご苦労」
イリアは手にしたコーヒーカップをテーブルに置いた。
ケイたちも同じように席を立ち、レイヴンに先導されて廊下を進む。
行く手には、以前に使用した裏口が現れた。
見た目は、なんの変哲もない扉だ。だがその縁の部分には、複雑な光の文字が羅列されて浮かび上がっている。前に見た時とは、浮かんでいる文字の形が違って見えた。
「俺が修理して、エマちゃんが接続先を少し改良してくれたんだ。バッチリ使えるように直してあるから、安心しな」
「レイヴンさんと……直しました……!」
腕を組んで得意気にしているレイヴン。
その横で、エマも気恥ずかしそうに俯きながら言った。
なぜかジェシカも、得意そうに胸を張って自慢した。
「さすがアタシの妹! エマがこう言う、細かい魔術の調整が得意で助かったわよね!」
「そうだな。ジェシカの魔術は、大雑把でがさつみたいだしな」
「弟子のくせに、知ったようなこと言ってんじゃないわよ!」
「ふふふ……」
ケイとジェシカのやり取りを聞いていたエマは、楽しそうに微笑んでいる。
裏口を抜けた先は、いつか見た草原の風景だった。
空に輝く太陽。風に揺れる緑。鼻孔に漂う、青草の香り。
そして、1台のSUV車が駐まっていた。運転席にはリーゼが見える。
「騎士団の詰所に置き去りにされてたのを、1台かっぱらってきたわけだ。携行食糧と、飲み水。野営装備に、多少の武器。最低限の荷物は積み込んでおいたし、ガソリンも満タンにしておいたぜ。ガソリン車なんて骨董品じゃ、大した距離は走れないだろうが。それでも、国境の近くまでは行けるだろうさ」
「ありがとう、レイヴン。それにエマ。オレたちが不在の間、東京の人たちを頼む」
ケイに言われて、エマは両手を胸元で握って頷く。
「任せてください。お姉ちゃんがいなくても……留守番できますから……!」
「まあ、俺もイリアさんから貰ってる金の分だけは、働くぜ。それ以上のことは知らんけど」
レイヴンはポケットに手を突っ込んで、皮肉っぽい返事をした。
そうして続ける。
「こっちは機人みたいに治りが早いわけじゃない、人間の怪我人だし。ついていっても、今は足手まといにしかならんだろう。実際、留守番くらいしかできんしな。なら、東京の転移門修理の、監督指揮でもやってるさ。一応は俺、戦場に援軍を呼ぶための転移門工事に駆り出されたことあるし、エマちゃんも手伝ってくれるみたいだから、何とかなるだろ。んで、その間に雨宮少年たちの外交交渉が、まあ……うまくいったとして、もしも説得できる都市があれば、東京の転移門と接続してくれる算段なわけだろ?」
答えたのは、イリアだった。
「ああ。そうすれば、170万人近い東京の人たちだって、2~3日もあれば、あっという間に隣国領土まで移動できるだろう。ボクたちが道を造れば、生存者たちは白石塔の外に広がる、危険な旅路を通らなくて済むわけさ。ショートカットができるようになるからね。ぞろぞろと170万人が大挙して、国境の川越えなんてできないから、それしかないよ」
ジェシカも、2人の話しに賛同した。
「まあ、アークの都市間移動は転移門や鉄道が基本だものね。外は異常存在がうろついてる危険地帯もあるし、普通の人は、あんまり出歩かないわ。東京にある転移門は、本来なら人々を白石塔の世界に閉じ込めておくためのものだったんでしょうけど、ちょっと改造すれば、たしかに都市間の移動に使えるようにもなるんじゃないかしら」
「簡単に言ってくれちゃうじゃないの、ジェシカちゃんは。それって結構、大変なことなんだぜ?」
「生存戦略会議で、オッサンが自分で提案したことでしょ!? 責任持ってやりなさいよ!」
「へいへい」
レイヴンは肩をすくめてヘラヘラと微笑んだ。
だが再び真顔に戻ると、ケイを見て、念を押してくる。
「改めて忠告しておくがな。帝国の技術は、白石塔の社会の技術よりも進んでいる。地上のほぼ全土が、人工知能衛星によって24時間の監視をされてるし、特に企業国が管理している都市ともなれば、周辺は半永久機関を積んだ偵察無人機が無数に巡回飛行もしてるんだよ。監視社会ってヤツだな。おまけにそいつらは、光学迷彩で目視できないときてる。すでにこの東京都内にも、監視の目が入ってる可能性だってあるんだ。くれぐれも見つかるなよ」
「そのために、ボクたちだけで外交使節団を編成して、少数行動をするんだ。武装した自衛隊の大軍で移動するよりも目立たずに済むし。何より、今の雨宮くんたちの方が、自衛隊よりも強力だろうしね。残念ながら、自衛隊ではアデルを守ることもできないだろうし」
「……戦力的にベストでも、隠密行動をしなきゃいけないんだ。難しい話しなのは変わりないよ。しかも、見えない敵の目から逃れる必要があるんだろ?」
「でもやらなきゃならん。これから外に出て野っ原を移動してれば、少数でも否応に目立つ。しかも下民の御一行様だってわかれば、いきなりミサイル攻撃を受けることだってあり得るんだ。雨宮少年とアデルちゃんは、四条院企業国じゃ有名人になっちまってるだろうし、特に顔を隠していた方が賢明だろうな」
「目立たないよう、アークの社会に紛れて行動するよ。気をつける」
レイヴンは複雑そうな表情で、イリアを横目に見やって言う。
「外交なんて、そんなにうまくいくとは思えませんがね……。まあ、期待せずに待ってますよ。俺も四条院家には、裏切りがバレてるみたいなんで。いつまでも四条院企業国に留まってたら命が、危ういんですわ。そう言うわけなんで、よろしく頼みましたぜ、イリアさん」
「こうして白石塔を出ても、すぐにミサイル攻撃を受けていないんだ。まだ大丈夫だろう。この辺の街道を定期的に通ってるって言う、商隊の車群を見つけて紛れてみるさ」
「色々と、綱渡りな国境越えになりそうですな」
レイヴンとエマに、しばしの別れを告げる。
2人は裏口を通って、東京へ戻っていった。