7-5 暗愁卿
空の中央に太陽が輝く、正午。
東京白石塔から、北西へ120キロ地点。
どこまでも続いていた平原の景色は途絶え、砂地に岩肌が覗く荒野となっていた。
小砂が混じった不快な風に吹かれ、少年と少女が歩いていた。
少年の方は金髪で、青い目。顔立ちは整っており、美形だ。スーツにネクタイと言った、社会人のような格好をしており、古風な片手剣を帯剣していた。
その隣を歩く少女も美しい。緑色の長い髪。エメラルド色の澄んだ眼差し。ブラウスにロングスカートと言った、清楚な雰囲気だ。日差しに素肌をさらすことを嫌ってか、日傘を差していた。
しばらく2人は、無言で並び歩いていた。
やがて、向かう荒野の先にポツリと、黒い人影が倒れている姿を発見する。
行き倒れだ。
長刀を収めた鞘を抱きしめる格好で、黒い和服を着た少女が倒れ伏している。
「見つけたぞ……!」
四条院アキラは、倒れている和服の少女の元へ駆け寄っていく。
その少し後ろを、エリーゼ・シュバルツは追いかけた。
「ユエ!」
アキラは少女を抱き起こし、その様子を確認する。
全身あちこちに、矢で射貫かれたような貫通痕が見受けられた。自分で応急手当をしたのであろう。引き裂いた和服の布地で、止血をした痕跡がある。その布地に、乾いた血が貼り付いているのを見れば、出血が酷かった様子である。おそらく、失血して意識が朦朧とした状態で、なんとかこの場まで逃げおおせてきたのだろう。だが限界を迎え、この場で倒れていたのだと見受けられた。
「しっかりしろ、ユエ! 死ぬんじゃない!」
「……」
懸命に声をかけるアキラ。だがユエの反応はない。かろうじて呼吸と脈が残っているようだが、虫の息なのだろう。弱々しく瞼を開け、焦点の定まらない瞳で、アキラの顔を捉え、呟いた。
「……アキラ……さま……?」
「もう大丈夫だ! 助けに来た!」
アキラはユエを背負い、エリーに目配せをする。意図を察したエリーは静かに頷き、通信機で、自分の部下へ「迎え」と「治療」の準備をするように命じた。
背負われたユエは、途切れそうな意識を繋ぎ止めながら、懸命に口を開いた。
「なぜ……私の居場所が……?」
「信用できる追跡魔術の使い手に、お前たちの位置を探らせていたんだ。お前だけは東京白石塔の外にいたから、もしかして生きているんじゃないかと思って、こうして駆けつけた。安心しろ。父上には秘密できているし、付近を巡回中の無人機も追い払ってある。父上を裏切った兄上と、お前は一緒に行動していたんだ。もしも父上に見つかれば、反逆者として嬲り殺しにされかねないからな……」
「ですから。四条院企業国とは関係のない、我がシュバルツ家のスタッフで、あなたを救いますわ、ユエ」
「……貴女様は……シュバルツ家の……」
「エリーゼです」
ユエに名乗りながら、エリーは上品に微笑みかける。
アキラに背負われ、ユエは俯いた。
不甲斐ない自分を助けに来てくれている、アキラとエリー。
そんな2人の好意を受けることが申し訳なくて、ボロボロと涙をこぼし始める。
アキラの服の端を弱々しく握り、ユエは謝罪した。
「申し訳ありません……私はアキラ様のお兄様を……キョウヤ様を……お守りできませんでした……!」
「ユエ……」
「傭兵の奴隷だった私を拾ってくださった……そのご恩を何もお返しできず……私は……!」
「……もう喋るな、ユエ。身体に障る」
「私に力がなかったばかりに……こんな……!」
それ以上のことは口にできず、ユエは黙り込んだ。
涙している兄の忠臣。
その悔しさと無念さを背で感じながら、アキラは歯噛みした。
額に青筋を浮かべながら、胸中で静かに燃やす憤怒を、口にする。
「お前の悔しさは、よくわかっている。僕だってそうだ。絶対に、このままにしておくものか」
ユエは唇を引き結びながら、怒りで眼差しを尖らせた。
「雨宮ケイ…………よくもキョウヤ様を……絶対に許さない……!」
大切な者を奪われた、絶望と憎悪。
それを滾らせる2人の姿を、少し離れた背後から、エリーは見守っていた。
「やはり貴方が、台風の目でございましたね、ケイ様」
誰にも聞こえぬ令嬢の呟きは、ただ砂風の音にかき消された。
◇◇◇
四条院企業国――――。
アークの東部大陸を統べる2つの企業国。
そのうちの、北部の草原地帯を統治している国だ。
保有している都市数は、大小合わせて56都。そして、管理を巻かされている白石塔の数は135柱。主に日本や中国、アジア圏に属する白石塔の維持管理が、帝国の主たる真王より命じられた、淫乱卿が履行するべき使命である。
特に重要だった“東京”。
その白石塔はすでに、企業国王の意思に反して失われてしまった。
「……よくも私を裏切ってくれたな、キョウヤ……!」
八つ裂きにしても殺したりない。
何度でも復活させて、何度でも殺して。
永遠の死を味あわせてやりたい。
度し難い怒りが絶えずこみ上げ、企業国王の胸中を焦がしていた。
オールバックにした黒髪。整えられた口髭。高価そうなタキシードを着ており、黄金のタイピンや指輪など、数々の宝石を身につけている。洒落た格好をした、美形の中年だった。その両眼は血走っており、握った拳は戦慄いている。
神殿を思わせる広大な広間。
その王座に腰掛けた淫乱卿は、怒り狂っていた。
下民の少年の剣に不覚を取り、しばらく再生治療を受けていたらしい。こうして意識が戻り、目覚めた時には、息子が父親への反逆を試みていたことを知ることになった。おそらく、企業国王を殺せる剣と、支配命令に抵抗できる少女の力に目を付けたのだろう。それを手に入れれば、自分が新たなる企業国王になることを目論んだに違いない。
だがその浅はかな思惑のせいで、東京は滅んだ。
報告に寄れば、四条院キョウヤも、あの下民の少年の前に敗れ去ったのだと聞く。
そうして今、淫乱卿の立場は窮地に陥っているのだ。
周囲のものに当たり散らしたいところだが、呑気に怒っている場合ではない。
自らの保身を考えなければならないのが現状だ。
「なんと言うことだ! 下民に不覚を取り、しかもそのせいで東京を失ってしまうとは……! 隠し通せるはずがない……! いったい真王様に、何と申し開きをすれば良いのか!」
まだ声はかかっていない。
だが時間の問題だ。
東京の異変は、すでに七企業国王の全員の耳に入っており、その理由について不可解に思われているはずだ。四条院企業国は釈明を求められるだろう。その時に、いったいどのような言い訳をすれば良いというのか。全て、1人の下民の少年にしてやられたのだとは説明できない。そんな不甲斐ない話しを口にすれば、たちまい笑いものだ。
それどころか、企業国王の地位さえ剥奪されるだろう。
全ての地位と、全ての権力を奪い取られるのだ。
そうされるくらいなら、殺された方が、まだマシだろう。
「キョウヤ……許せない……! この私の立場を危うくし、それどころか四条院家の名を貶めおって……!」
ふと、淫乱卿の目前にホログラムの映像が現れる。
虚空に浮かぶモノリス状のディスプレイ。
表示されているのは、通話を求める呼び出しコールである。
企業国王の専用回線を使った連絡だ。
つまり、呼び出しをしているのは、他国の企業国王である。
暗愁卿――――。
四条院企業国の隣国である、エヴァノフ企業国。大陸南部の密林地帯を統治している王だ。今は人と話す気分ではなかったが、通話相手の地位を考えれば、出ないわけにはいかなかった。
淫乱卿の手のジェスチャーに反応し、通話が始まった。
「……何の用だね、暗愁卿。私は忙しいのだが?」
『久しぶりなのに、よそよそしく爵位呼びとは。ご挨拶ではないか、四条院」
相手の顔は表示されず、音声だけのやり取りである。
野太い男の声である。
「ではエヴァノフ。知っての通り、企業国王は多忙な身なのでね。今はあまり、話しをする時間が取れないのだよ」
『多忙、ね。まあ、それはそうだろう。重要管理拠点である東京を、独断で廃棄したのだからな』
「……」
やはり、他国の企業国王にも、すでに東京の廃棄処分が行われたことは知られている様子だった。それはそうだろう。東京という、日本の首都がなくなったのだ。そのつじつまを合わせるために、白石塔内の社会に住む全ての下民に対して、大規模な記憶改竄処理が行われた。他の白石塔を管理している企業国王たちに、気付かれないはずがない。
暗愁卿は皮肉っぽい口調で、楽しげに続けた。
『良いだろう。なら用件を手早く話してやるとも。吾輩が言いたことは、ただ1つだ。――――四条院家は“人類不滅契約”を軽んじているのではないか?』
人類不滅契約。
真王から王冠を授かる代わりに、七企業国王に与えられる責務だ。白石塔に住む下民たちの社会、文明を、アークの社会から独立させたまま維持存続させ、滅亡しないように管理する。そうする理由は知らされていないが、それが真王の意思なのだから仕方ない。
東京を廃棄処理する行為は、指摘されている通り、真王の意向に反することだ。
『近く、七企業国王が集まっての会議が招集される。貴公の元にも、そのうち知らせが届くだろう。それはそうだろうな。真王様や周辺国に何の断りもなく、たかが1つの企業国の独断専行で、東京が廃棄処分にされたのだ。責任問題にならざるを得ない事態だとも』
「……あれは、出来損ないの愚か者が、勝手にやったこと。私の考えではない」
『言い訳なら、吾輩ではなく真王様の前ですることだ。愚息の監督すらできん若造が、企業国を維持し、白石塔を管理することなど、できるはずもなかったのだ。放蕩がすぎる貴公の私生活は、以前から目に余っていた。元より貴公には、王の資質などなかったのであろう』
癇にさわる物言いである。
以前より、暗愁卿とは相容れぬ間柄だ。
互いに嫌っている相手が、追い詰められ、破滅しようとしているのだ。
それを眺めるのは、さぞ愉快なのだろう。
「なるほど……。これはつまり、嫌みの連絡というわけかね?」
『クク。まあ、会議の結果など、すでにわかっている。おそらく王冠を剥奪され、貴公は企業国王の地位から転落するだろう。処刑されるか、あるいは下民に成り下がるかもしれん。奴隷に身を落とすなら、我が家で飼い慣らしてやっても良いぞ? 貴公と腹を割って話しをするのも、これが最後かと思えば。なるほど愉快なことだとも。真王様の御前で、せいぜい苦しい言い訳をして、無様をさらしてくれることに期待している』
一方的に話しを終えると、暗愁卿は通話を切った。
淫乱卿は王座に腰掛けたまま、頭上を見上げた。
長く沈黙し、そうしてじっと天井を見上げ、考えを巡らせる。
先ほどから王座の周囲には、無数のホログラム映像が浮いて漂っている。
その中の1つは、遠隔監視中の、雨宮ケイたちの姿が映し出されていた。
偵察無人機――――。
大気中のマナをエネルギー変換することで、理論的には無限時間の滞空を可能にする、高性能カメラ付きの無人機だ。光学迷彩で姿を隠しているため、一般人たちが目視することはできず、四条院企業国の各所を常時飛行し、領内を監視し続けている。
下民であるがゆえに、白石塔の科学技術ではできないことが、帝国の技術では可能だということを知らないのだ。気付かれていないのだと甘く考えているようだが、東京の戦いを生き延びた下民たちが、隣国へ新天地を求めて移住しようと目論んでいることは、淫乱卿には筒抜けであった。もっとも今のところ、その動向を把握できているのは、監視映像へのアクセス権を持つ一部の部下たちと、淫乱卿だけではあるが。
少年が手にしている赤剣。
そしてその傍らに立つ少女の姿を見やり、淫乱卿は怪しく笑んだ。
「企業国王を殺す者…………雨宮ケイか」
暗愁卿に挑発された淫乱卿だったが、怒り狂うこともなく、ただ静かに薄ら笑いを浮かべる。
「…………感謝するよ、エヴァノフ。おかげで1つ、妙案を思いつけた」