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7-4 暫定政府会見



 渋谷駅前。

 いつもなら雑踏の溢れるスクランブル交差点だが、今日は通行人の姿が見受けられない。


 昨日まで、この周囲一帯には死者たちの亡骸が山積していた。それも今では撤去されており、あちこちに血の跡が残る、閑散とした無人の景色に変貌していた。見る者のいない、巨大な街頭ビジョンは、ポツリと(むな)しく、ビルの壁面に設置されている。その画面には、先ほどから試験放送のカラーバーが表示されていた。


 忠犬ハチ公像前。

 待ち合わせ場所として有名な、渋谷のランドマークだ。


 その近くのベンチに腰掛けて、イリアは街頭ビジョンをぼんやり眺めていた。傍らには銀髪の少女が座っており、イリアの肩にもたれかかって寝息を立てている。その頬には、流れた涙の痕跡が残っている。泣き疲れて眠っているのだ。アデルの背を優しくさすってやり、イリアは重苦しい溜息を漏らした。


 そんな2人の傍へ、歩み寄ってくる人物がいた。

 黒いロングアウターを羽織った、白髪の少年。雨宮ケイである。

 ベンチに腰掛けて寄り添っている2人を見て、ケイは苦笑して見せた。


「護衛官から、アデルがここにいるって聞いて来たんだ。イリアも一緒だったんだな」


「おまけがいて悪いね」


 いつものように、挨拶代わりの皮肉で応えるイリア。だがふと、ケイの顔を見て、眉をひそめる。ケイの唇が切れており、頬や額に、小さな擦り傷が残っていたからだ。軽傷のように見えるが、明らかに、誰かに殴られた跡に見えた。


「……その顔は?」


「……峰御(みねお)先輩と、少し()()をな」


 皆まで話さず、ケイはアデルの隣に腰掛けた。

 ケイの返事から、おおまかな事情を察したイリアは、ただ嘆息を漏らす。


「何も知らず、無人都市を一緒に冒険していた頃が、今では懐かしく感じるね……。あの時の仲間は、みんないなくなって、そしてバラバラになっていくばかりだ。トウゴが書き置きを残していたのを見つけたよ。ボクたちとは、もう一緒にいられないそうだ。せめて君くらいには、挨拶して行くんじゃないかとは思っていたけれど、どうやら良い別れ方じゃなかったようだね」


「そんなことはないと、思いたいけどな」


 ケイは、イリアの肩に頭を預けて眠るアデルを見やった。

 頬の涙の跡に気づき、悲しそうな表情でイリアへ尋ねた。


「アデルは……泣いていたのか?」


「君の前では一生懸命、普通の女の子であろうとしているのさ。自分は平気だと言いたくて。心配させたくなくて。健気なものだよ」


 イリアは苦笑して続ける。


「1人でいる時のアデルは……最近はずっとこうだ。出会った頃は、無情緒だった正体不明の花なのに。それが今じゃ、すっかり人間らしくなってきている。いまだに自分のことを、人間だとは思っていないみたいだけど、どうだろうね。ボクにはアデルが、どこにでもいる、近所の泣き虫な女の子みたいに思えるよ。ボクの幼なじみに、似ているからかな」


「……エリーみたいに、か?」


「エリーゼ・シュバルツが、君を助けたそうだね。たしかに彼女は、淫乱卿(いんらんきょう)晩餐会(ばんさんかい)に来ていた。君を助け出すことは可能だったろう。でもまさか、あの弱虫で人見知りだった彼女が、君やジェシカたちを鍛えられるくらいに強くなってるなんて。昔の彼女を知る身としては、少々、信じられないよ」


 エリーとイリアは旧知の仲であるらしい。幼少時のイリアがドイツに住んでいた頃、一緒に遊ぶような間柄だったのだと聞いている。2人の間にどういう絆があるのか、ケイは知らない。だが感慨深く目を細めているイリアの態度を見るに、仲が悪かったわけではなさそうである。


 ケイはアデルの寝顔を見つめ、心配そうに言った。


「……自分のせいで、オレやお前が酷い目に遭っているって。そう思って、ずっと罪悪感を抱えていたみたいだ。そこにきて、吉見先輩の件もある。無死の力を失ったせいで、先輩を救えなかったって。またそんなふうに自分を責めて苦しんでいないかと心配してたけど、案の定だったかな」


「まあね。他人のことに思い悩めるなんて、ずいぶんと心優しい花に育ったものさ」


「花か……。人の姿になってから、本体が植物だってことを忘れそうになるよ」


「アデルの身体の構造なんて、誰にもわからないんだ。君の剣を生み出したことで、無死の力も失った。人間らしい感情も備わってきた。彼女は今も、すさまじい速度で変わり続けてるんだ」


「そうだな……。もうとっくに、アデルは花ではなくて、人間になってるのかもしれない。オレのスマホに寄生してバカを言っていた、昔のアデルとは、もう同じじゃないんだろう」


 それを少し寂しく思いながら、ケイは言う。


 ふと、ケイはイリアの横顔を見る。

 その頬にも、アデルと同じように、薄らと涙を流した痕跡が(うかが)えた。

 よく見れば、イリアの目の(ふち)は、赤く充血している。


「イリア、その目の跡。お前も、もしかして」


 さっきまで、アデルと一緒に泣いていたことをケイに気付かれてしまった。

 照れくさかったのか、イリアは慌てて顔を背ける。

 服の(すそ)で、自分の頬や目尻を(ぬぐ)いながら言った。


「こんな時……サキくんがいたら、もっとうまく(はげ)ましてやれたのかもしれない。彼女はボクと違って、人当たりが良くて、優しかったから。アデルも、彼女にはよく(なつ)いていたよ。これまでのボクの人生にはいなかった、当たり前みたいに善良な他人だった。いなくなったことが、本当に悔やまれる」


 素直に口にしないが、イリアもサキの死を重く受け止めているのだ。

 それがわかって、何だかケイは安心した。


「アデルの話しを聞いてやってくれたんだろう? 十分さ。オレには話しづらいことでも、お前には打ち明けられるってことだ。だから……ありがとう」


 ケイは視線を転じ、スクランブル交差点の街頭ビジョンを見上げた。


「吉見先輩が命と引き換えに残してくれた、オレたちの未来だ。お互い、いつまでも悄気(しょげ)ていられないよな」


「……そうだね」


 イリアも、ケイと同じように街頭ビジョンを見上げる。


 今はまだ試験放送用の画面しか映っていないが、もうすぐ暫定日本政府の発表放送が行われるのだ。それを大画面でよく見たくて、イリアとアデルは、この場に来ていた。


「放送開始まで、もうすぐだよ。ボクたちの考えた“アルトローゼ自治領構想”の公式発表だ。ボクたちのアイディアが、東京の生存者たちの趨勢(すうせい)を決めるんだ。覚悟はできているかい?」


「とっくにな」


 ケイは即答する。

 だが珍しく、イリアは不安そうにしていた。


「生き残った人たちは、この方針を受け入れてくれるかな」


「受け入れるしかないさ。他にマシな選択肢がないんだから」


 ケイは力強く断言する。

 そうして語った。


「東京は今、約170万人近い大所帯だ。近隣の小都市には、それを受け入れる義理(ぎり)もなければ、キャパもないだろう。なら発想の逆転だ。近隣都市にオレたちを受け入れさせるんじゃなくて、オレたちが近隣都市を受け入れるようにすれば良い。死体だらけの、この白石塔(タワー)を“放棄(ほうき)”する。そして生存者たちとアークの新天地を目指して、そこに新たな定住地を造る」


「国造りか……。まったく、君の考えることはスケールが大きすぎる」


「ただの苦肉の策だよ。必要な物資やエネルギーは、近隣都市と“貿易”することで分けてもらえるだろう。幸い、アークの社会にも紙幣制度があって、両替は必要だろうが、日本円にも価値があるみたいだった。東京には通貨発行機能を持つ日本銀行がある。つまり日本円を()れる設備があるんだ。目先の資金力は十分だろ。それに、アークの人々が興味を持つだろう“特産物”もある」


「ワクチンだね」


「ああ。ワクチンは、アークの市民や下民階級の人々を、貴族たちの“支配権限(しはいけんげん)”の呪縛から解放することができる。帝国のやり方に不満を持ってるヤツらが大勢いるなら、(のど)から手が出るほど欲しいと思うヤツも大勢いるだろう。ワクチンと物資を交換し、さらにワクチンがアーク全土へ伝搬していけば、やがて帝国の支配制度は揺らいでいくはずだ。正面からの武力勝負で勝てないのなら、政略で戦う。これは非対称戦争(ひたいしょうせんそう)だ」


 言いながらケイは、少し自嘲(じちょう)気味に微笑んだ。


「まあただ。新天地での生活は、きっと楽じゃない。しばらく生活水準は低下するだろうな。でも今を生き延びるためには、これしかないと思う。目下の問題は、どこを新たな定住地として。どこの都市を味方にするか、だな」


「ボクたちは、このアークでは下民の扱いだ。階級社会における最下層の地位で、奴隷(どれい)も同然だろ? 以前に見た、ラヴィスの村の人たちと同じ扱いのはずだ。対して都市に住んでいるのは市民。ボクたちよりも1つ上の階級で、アークにおいては“人権”を持つ人たちだ。奴隷に協力して、味方する都市なんて、都合良く見つかるのかな」


「どうだろうな……。だが、味方は必ず見つけなきゃいけない。アークにおいて、オレたちは丸裸(まるはだか)の弱者だから。このまま孤立していたら、近い将来、必ず帝国によって全滅させられるだろう」


「それには同意だよ。未来は決して楽観的じゃない」


 やってみなければ、わからないことだらけだ。

 それでも成し遂げなければ、未来はない。

 ケイたちを含め、東京都民全員が、絶体絶命の危機に追いやられているのである。


 だからこそ、ケイもイリアも、それ以上は悲観的な予想を口にするのを控えた。思い悩んでいても、苦しくなるだけだからだ。気を取り直すように、ケイは微笑んで言った。


「……()()だってある。四条院キョウヤは、療養中(りょうようちゅう)の父親の目を盗み、独断で東京に来ていただろ。自分の父親を(くだ)し、やがてアーク全ての企業国(ユニオン)を統べる真王に、とって代わろうという野望からの行動だ。だとすると。現時点で、赤剣やアデルの存在を知っているのは、まだ四条院企業国(ユニオン)の中だけに留まっている可能性が高い。他の企業国(ユニオン)を出し抜くために、四条院家は情報を隠しているはずだ」


「それはボクも考えていたよ。つまり、他の企業国(ユニオン)は“事情をまだ知らない可能性がある”ってことだろ? 今ならまだ、そこに生き延びるチャンスが残っているのかもね」


「ああ。四条院企業国(ユニオン)の外。“隣国の領土”に避難すれば、四条院家は今までのように、簡単にオレたちへ手出しはできなくなるはずだ。他国への派兵になるからな。まず目指すは、ここから南西方向へ700キロ行った先にあるという大瀑布(だいばくふ)。それを隔てた向こう岸にあるらしい“エヴァノフ企業国(ユニオン)”だ」


 生前戦略会議で、総理大臣たちと話し合った決定事項を、改めてケイは口にする。

 それを聞いて、何だかおかしなって、イリアはクツクツと笑ってしまう。


「……。君と一緒にいると、本当に飽きるということがないよ。次から次へと、よくもまあトラブルと奇想天外な提案を持ち込んでくれるものさ。こんなに長い間、退屈せずにいられたのは初めてだよ。君には、感謝してる」


「たしか。退屈な人生は死んでいるのと同じ、だったか?」


「おや。あのボロ宿屋の酒場で話したことを憶えていたのかい? ああ。まったくもってその通りさ。君といるのは楽しいよ。生きているという実感を得られる」


 生き生きとした目で、イリアは優しい微笑みを浮かべる。普段は不遜(ふそん)な態度で、いつも他人を見下したような顔をするイリア。だが今は、着飾らない素の笑顔を見せてくれているように見えた。そんな無防備な感情を向けられたケイは、少し赤面してしまった。


 ケイの反応を見て、イリアは、自分が口にしてしまったことの恥ずかしさに気付く。

 少し頬を熱くしながら、咳払いと共に、別の話題を振って誤魔化す。


「と、とにかく! 建国と同時進行で、帝国に対して政略戦を仕掛けるというアイディアは理解できた。けれど、ずいぶんと時間がかかりそうな作戦だ。目論見が成就するまでに、数年はかかるかもしれないよ? その間に、ボクたちの新天地が、帝国に蹂躙(じゅうりん)されなければ良いけどね」


「そこは時間との勝負だ。オレたちは一刻も早く、近隣都市との“同盟関係”を締結する必要がある。帝国に攻め込まれる前に、それに対処できる環境を整えないといけない」


 街頭ビジョンの画面に、変化が生じる。


 映し出されたのは、無人都市で最も高いビルディング。その最上階の執務室だ。壇上(だんじょう)に立ち、報道席の記者たちからカメラを向けられているであろう、仙崎(せんざき)総理が映った。


 発表が間もなく始まるのだ。

 それを2人で見つめながら、ケイは言った。


「四条院キョウヤを倒した今……これから四条院企業国(ユニオン)が、どういう攻勢に出てくるのかは検討もつかない。けれどハッキリしていることがある。狙われているのは、オレの持つ赤剣と、アデルの身柄だ。都市の廃棄処分を生き残った、170万人の東京都民の命じゃない」


「そうだろうね……」


「連中からすれば、東京の下民がいくら群れていようが、何の脅威にもならないと思ってる。放っておいて、ただ野垂れ死にするのを待っていたって良いんだ。オレとアデルさえ離れていれば、四条院家が、積極的に東京へ攻め込んで来る理由はなくなると思う」


「……雨宮くんの予測は、間違っていないと思うよ。仮にボクが四条院家の一員だったなら、正直に言って、廃棄処分を受けた白石塔(タワー)の生き残りが何人残っていようが、それを驚異とは感じない。先の戦いで損耗したボクたちは、もはや戦える人数も武器も揃えられない現状だ。帝国騎士団の力を以てすれば簡単に殲滅できると考えるだろうし、そもそも放っておけば、食料やエネルギー問題で勝手に自滅するからね。実際にそうなっているわけだし」


 マイクテストが終わったのだろう。

 記者会見の現場の音声が聞こえ始めた。


「オレとアデルは、東京の人たちとは常に別行動を取ることが最良だと考えている。これから派遣される“外交使節団”にも、参加するつもりだ」


「……」


 イリアは寂しそうに目を細め、ケイの意見を聞いていた。

 血濡れた無人のスクランブル交差点には、人々の運命を左右する重大な放送が流れ始めた。





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