6-41 紐解かれる狂気
『さあ、私に見せてください、その剣の真の力を! でなければ皆が死にますよ!』
おびただしい数の死体の肉塊を束ね、生み出された巨体。
それを纏って巨人と化した、四条院キョウヤ。
眼球のない不気味な顔が変形していく。口の両端は亀裂が入ったように、左右へ深く裂けた。そうして大きく開かれた口の奥から、放射状のドス黒い光が溢れ、次第に一束の光の帯へと収束していく。刹那、容赦なく放たれた光線は、自衛隊の防衛ラインを直撃し、そこに存在するあらゆるモノを瞬時に溶解させてしまう。
バリケードも。戦車も。自衛官たちも。瞬く間に全てが焼き尽くされ、黒い光の奔流の中に消失した。多くの命が、瞬きするほどの時間で失われてしまった。光線が消えた後、残されたのは何も残っていない、無の焦土。押し寄せる死者たちがそこを踏みしめ、次々と蹂躙していく。
自衛隊の防衛ラインが、突破されたのである。
キョウヤの放った、たった1発の光線の直撃で。
こうなってしまっては、もはや一刻の猶予も残されていない。突破された防衛ラインから次々と死者たちが雪崩込み、国会議事堂周辺へ展開されている他の自衛隊の部隊も、後は、なし崩し的に敗北していくだろう。ついに、人類側の全滅シナリオへと、状況は大きく傾いたのだ。
「――――灼熱彗星!!」
議場の傍聴席の方から、少女の声が聞こえた。
見上げれば、隕石のように大きな火球が放たれ、キョウヤの巨体へ直撃する。
爆砕音を周囲へ轟かせながら、火球は巨人の腕を吹き飛ばすことに成功した。だがキョウヤは、周囲におびたたしく存在しているゾンビたちを寄せ集め、練り合わせることで、また新たな腕を製造する。それを自身の失った腕の代わりに取り付けると、まるで何事もなかったかのように、再び光線を口から放ち、周囲の自衛隊の陣地に向けて発射し続けた。
「ウソ!? 今のが効いてないの?!」
火球を放った少女、ジェシカは驚愕していた。
その隣に立つ峰御トウゴも、暴れ回る巨人を見上げて青ざめる。
「こんな化け物が実在するなんて! ゴジラかよ! 手が付けられねえだろ!」
トウゴの弱音を聞きながら、それを聞くジェシカも、涙目になってしまっていた。
せっかくケイの力になるため、遅れながら駆けつけたというのに。待ち構えていたのは、自分の力など及ばない、途方もない怪物だったのだ。そのおぞましい姿と、破壊の限りを尽くす暴虐ぶりには、背筋を寒くしてしまう。
「……アタシの攻撃なんて、警戒する必要もないってことなの? 900万人以上の死者を操りながら、それと同時に、こんな見たこともない高度な魔術を扱えるなんて、さすがに人間の限界を超えてるわよ、四条院キョウヤ。企業国王の一族は、旧文明の遺跡で発掘された異能装具を無数に所持してると聞いてたけど、それで能力を底上げしてるってわけ……?!」
杖を持つ手が、思わず震えてしまっている。
怖くて。逃げ出したくて。ジェシカの足は竦んでしまいそうになっていた。
そんなジェシカに向かって、ケイは叫んだ。
「やめてくれ、ジェシカ! 吉見先輩が捕まってるんだ!」
名を呼ばれて、ジェシカは我に返る。
ケイの指し示す先へ、視線を転じてみた。
「ヨシミ先輩って……?」
巨人の額。そこに埋もれるようにして拘束されている、1人の少女の姿があった。
それが誰なのか。ジェシカにはわからない。
だが隣のトウゴは、慌てふためき叫んだ。
「そんな! どうしてあんなところに、サキが!?」
ジェシカとトウゴは、傍聴席から議場へ飛び降りる。
そうしてケイの傍まで駆け寄り、合流した。
「ケイ、いったい何がどうなってるの?! あの怪物、四条院キョウヤでしょ!?」
「ああ……死肉を寄せ集めて、強化外骨格として纏っているらしい。しかも強化魔術で強化された、死体で作られた鎧だよ」
「何なの、そんな魔術は聞いたこともない! しかも、あの姿は……! というか何でアイツ、目の前のアタシやアンタを攻撃しないで、じえーたいの連中ばかりを攻撃し続けてるのよ!」
「オレが剣の使い方を解明するまで、虐殺の手を止めるつもりがないってことだろうさ」
ふと、ジェシカは、ケイが抱きかかえている少女の姿に目を落とす。白銀の髪の少女だ。意識がなく、うなされている様子だ。そのあまりの美貌に、思わず息を呑んでしまう。
「ケイ……もしかしてその子が」
「ああ。アデルだ」
呑気に話しているケイとジェシカに我慢ならず。
余裕のないトウゴが、ケイの肩を掴んで話しに割り込んできた。
「おい、雨宮! サキが!」
「わかってます……!」
焦っている様子のトウゴへ、ケイは苦々しい口調で応えた。
皆まで言わずとも、助けたいと思っている。
ケイがそう考えているのは、態度から理解したのだろう。
だが黙っていられず、トウゴはケイへ詰め寄り、尋ねてしまう。
「もちろん、助けられるんだよな!?」
「……」
ケイは即答できなかった。
悔しそうに、唇を引き結ぶしかない。
それはつまり「サキを殺すこと」も、選択肢として考えている。沈黙するケイの態度が、そうであるのだと、トウゴに告げていた。理不尽な怒りがこみ上げてきて、トウゴは思わず、ケイの襟首を乱暴に掴み上げてしまう。
「……答えてくれよ、雨宮。今、この場でサキを助けられるとしたら、お前だけなんだろ……?」
「先輩……」
トウゴも、ケイの手にしている赤剣の話しを聞いているのだろう。その視線は、剣の方に向けられている。すぐ傍で暴れ回っている巨人。自衛隊も、ジェシカの魔術も歯が立たず。倒せるとしたら、ケイの剣の力だけ。それはつまり、サキを救えるのも、その力だけだと考えているはずだ。
苦しげな顔で沈黙するケイを、トウゴは睨み付けるしかなかった。険悪な雰囲気になっている2人。そこにかける言葉を見失い、ジェシカは困ってしまった。
『――――聞こえているかい、雨宮くん』
頭上から、聞き覚えのある声が聞こえた。
見上げれば、いつからか、近くを飛行している1機の小型のドローンがいた。ドローンは、まるでケイとトウゴの仲裁するよう、2人の間に飛び込んできた。それを避けようとして、トウゴは掴んでいたケイの襟首を離す。
「イリア?!」
ケイがドローンに向かって尋ねると、イリアの声で返事があった。
『君とジェシカの動向は、このドローンで監視していた。すでに状況は掌握しているつもりだよ。敵にサキくんが捕らえられ、人質に取られているようだね』
「……ああ」
トウゴとジェシカも、ドローンに注目する。
するとイリアの声は、少し苦しげな口ぶりで告げてきた。
『わかっていると思うが……二者択一だ。サキくんの命を選ぶか。生き残った都民の命を選ぶのか。どうするべきかは、君ならわかるだろ?』
「おい……ふざけんなよ、イリア……!」
トウゴは額に青筋を浮かべながら、ドローンのカメラ越しにイリアを睨んだ。
「サキを見捨てるって言ってんのか……?」
『……』
「サキは友達じゃなかったのかよ!? お前がどう思ってたのか知らねえがな、少なくともサキは、お前のことを友達だと思ってたはずだ! なのにお前にとっちゃ、サキのことなんて、どうでも良い他人だったって言うのか?! だから見捨てるのかよ!」
『ボクが好き好んで、こんなことを言っていると思っているのか!』
イリアが怒りに任せて、声を荒げてくる。
そんなふうに熱くなるイリアは、初めてだった。
だからこそ、怒り心頭だったトウゴも、思わず口を噤んでしまう。
ドローンのカメラの向こうで、イリアがどんな顔をしているのかは見えない。
だが、少し涙ぐんだような口調で、喚き立てる。
『ああ、そうとも。サキくんはボクの大切な友人さ。だけど彼女1人の命のために、今まさに危機に瀕する、他の数百万人の都民の命を犠牲にすることはできない。最大多数の、最大幸福を優先するのなら、それが正解だろ。こんなこと、ボクだってできることなら、提案なんかしたくないさ。でも……でも仕方ないだろ! 他にどうすれば良い!』
ケイもトウゴも、黙り込んでしまう。傍から聞いていたジェシカも、いたたまれない気持ちになって、悲しそうな顔をしていた。
だがそんなとき、ケイがポツリと口を開いた。
「……1つだけですけど。作戦があります」
「雨宮……!」
涙ぐんでいたトウゴの表情に、希望の色が滲む。
ケイは、抱きかかえているアデルを見下ろして言った。
「……アデルの頭から生えている“無死の赤花”。周囲の生命体の魂を、強制的に肉体に固定する力を持っています。つまり、アデルの傍でなら、肉体がどんな致死ダメージを受けても、絶対に死に至ることがない。四条院キョウヤを赤剣で殺した時、吉見先輩の傍にアデルがいれば……先輩だけは死なずに済むかもしれません。ただし心臓を失った状態のようですから、新しい心臓を移植するまでは、地獄の苦しみを味わったまま生き続けることになります」
「首を折られても死ねなかった、佐渡先生みたいになるってことか……」
「はい。しかも、都合良く四条院キョウヤを倒せて、先輩を助けられたとしても……何ヶ月も苦しみ続けるかもしれませんよ。こんな廃墟寸前になってる東京で、すぐに心臓移植手術なんて、やれるとは思えない」
心臓を失った状態で生活するというのは、どのような苦しみなのだろう。想像もできない。そんな痛みが何ヶ月も続くとなれば、サキの精神は正常でいられない可能性が高いだろう。そうしたリスクを考えた上で、なお、サキを生かしてやるのが幸せなのかどうか、ケイは迷っていたのだ。
悩んでいたケイに、トウゴが頭を下げて頼み込んだ。
「……それでも良い。やってくれ、雨宮」
「……」
「サキだって、死ぬよりその方がマシなはずだ。それしか助かる道がないなら、仕方ない」
黙って頷き合う2人の会話についていけず、ジェシカが困惑して尋ねてきた。
「ちょ、ちょっと待って、2人共! 魂を、強制的に肉体の中に閉じ込める力がある、そんな花があるですって? それってつまり“死”を操る魔術を、このアデルって子が使えるって言ってるの?!」
「ああ。信じられないだろうが、その通りだ」
「信じるもなにも……わかってんの? 死は、この世の“理”なのよ? 魔術は、理というルールに従った形でしか発現しない。ルールそのものを変更する力なんてないわ。それを制御する魔術の現象理論なんて、誰にも書けるはずがない。四条院キョウヤの魔術だって、死んだ人の肉体を再利用する魔術なだけであって、死、そのものを操っているわけじゃないのよ」
「ジェシカ、説明は後だ。だが今は信じてくれ。現実にアデルは、死を操る」
「……!」
真顔で断言するケイに押し切られ、ジェシカはそれ以上、何も言えなくなってしまう。
「ジェシカ。ここから先は、何が起きるかわからない。危ないかもしれないから、オレとアデルから離れていてくれ。何か自分の身に危険が迫ったら、先輩を連れて、迷わずこの場から逃げて欲しい」
「ケイ……!」
「頼むよ、師匠」
いきなり敬称で呼ばれたジェシカは、意表を突かれて口を噤んでしまう。
だがやがて、小さく苦笑して、ケイに応えた。
「仕方ない弟子ね。少し下がったところから、サポートしてあげる。危なっかしい弟子を、放っておけないもの」
ジェシカとトウゴは、議場の中央から離れ、ケイから距離を取る。いつでも撤退できるよう、出入り口の傍に立ち、そこからケイの背と、その向こうに立ちはだかる巨人を見やった。イリアのドローンも、ケイの傍を離れ、再び上空へと舞い上がっていく。
2人が離れたのを視線の隅に留めながら、ケイは、抱きかかえていたアデルの身体を、ゆっくりとその場に置いて横たわらせる。そうしてその傍に立ち、剣を頭上に掲げて見上げた。
「化け物を倒すにしろ、吉見先輩を救うにしろ。まず今ここで、オレがこの剣の謎を解かなければ仕方がない。このままじゃ、東京は全滅だ……!」
ケイは眼差しを鋭くして、思考を深くしていく。
「考えろ、ケイ! 淫乱卿との戦いの時にあって、今ここにないものは何だ……!」
それこそが答えになるはずだった。
かつての晩餐会で、ケイが企業国王を退けた戦い。
その当時、ケイに意識はなかった。
つまり思い出せる情報は、ケイの記憶の中には、1つとして存在しないのである。
だからこそ、これまで出会ってきた人々のことを思い出す。
彼等、彼女等から聞いている断片情報を、整理していくしかない。
――――四条院キョウヤは言っていた。
剣が力を振るった時。その場にあったのは、アデル。剣。ケイ。その3つだ。今ここに、それは全て揃っている。その全てが揃っていても、いまだ何も起きていないのだ。まだ足りていない“要素”があるのかもしれない。
――――エリーゼ・シュバルツは言っていた。
空中学術都市ザハルの、著名な科学者たちに、この剣の組成を解析させた。その結果、未知の物資で製造された、超硬質な武器であるのだということだけがわかった。剣自体に、魔術のような力が宿っている様子はなく、ただの金属の塊であるとしか、分析できなかった。つまり剣は、能動的に力を発揮する代物なのではなく、外部から“何かしらの影響”を受けて力を発揮する、受動的なものの可能性がある。
――――ケイを治療したドクター、ドミニクは言っていた。
淫乱卿との戦いで、ケイは死体も同然の外傷を負っていた。頭部を破壊され、左腕は潰れ、あちこち裂傷や銃創だらけだったのだと聞かされた。限りなく死んでいるに等しい状態であったにも関わらず、不思議なことに死には至らず、魂が肉体に残り続けていたらしい。まるで無死の赤花の傍にいる時のような“無死状態”である。完全な死に至る前であれば、死ぬ前に身体を治せば良い。だからこそケイの治療は可能だった。
「……?」
おかしいことに気付く。
なぜ、ケイは無死状態だったのだろうか。
わざとレイヴンに捕まって、淫乱卿の城に忍び込んだ時に、持ってきていた無死の赤花は没収されてしまっている。目覚めた時、近くにアデルもいなかった。長時間、無死の赤花から遠く離れた場所にいたのに、ケイは無死状態のまま生き延びることができた。
…………治療中、ケイの右腕から赤剣を引き剥がすことができなかったのだと、ドクターが言っていた。無死状態のケイの傍にずっと存在したのは、アデルが生み出したと言う、この赤剣だけだ。
「!」
全てのピースが、綺麗にはまった。
謎の赤剣の使い方。
それがわかった気がした。
おそらく剣は、外部で起きる“何か”の影響を受けて力を発揮する。
そして力を発揮している時には、使用者に“無死”の効力を与える。
剣を起動させる“何か”。
それは、淫乱卿の戦いの時にはあって、今ここにないもの。
つまり。
「――――オレの“死”だ」
手にした剣の刃を、自身の手首に当てる。
ケイは動脈を、思い切り掻き切った。