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声のかけ方がわからない

作者: 町田丁

 30代になると途端、恋愛の仕方を忘れてしまった。

 10代の頃は、女の子と付き合うことに必死だったし、20代の頃も3人の女性と深い付き合いをすることはあった。いずれも2年から3年と続いていたけれども、結局結婚の話が出ることもなく別れることになった。20代は仕事を始めたばかりということもあり、必死に打ち込んでいたためにプライベートが疎かになっていたのかもしれない。


 30代を迎えて数年立つ今は、仕事も順調で懐にも時間にも余裕ができてきた。周りの友人達も、結婚して子供を育てているのをみていると、そろそろ家庭を持つのも悪くないかもと思えるようになってきた。


 だが、どうやって付き合いを始めればいいのかが分からなかった。一度覚えた自転車の乗り方は忘れないというけれども、いままで何度も経験があるはずの恋愛については、初心者に立ち返ったようにどうすればいいのかが分からなくなっていた。


 この年で、何をうぶなことを言っているのかと自分でもバカらしく思うが、女性に声をかけることすら億劫になってしまっている。もちろん、女性と気軽な会話ができないわけではない。幸運なことにも職場には女性も多く、独身のものたちもいる。彼女達と日常的に、他愛のないおしゃべりをすることは多々あるのだけれども、じゃあ食事に誘おうかと思うと、そういう気分にもなれないし、かといって誘い方も分からない。


 十代の頃はともかくとして、20代の頃の最初のデートではどう声をかけたのだろうかと記憶を辿ってみても満足には思い出せない。たぶん、素直にご飯にでも誘ったのだろう。それを何度か繰り返し、本格的なデートに移行したはずだ。と思う。


 少なくとも女性から告白されて付き合ったことのない僕にとって、恋愛のスタートは必ずこちら側から始めたはずなので、声のかけ方すら分からないというのも不思議な話である。人は経験を繰り返すことで、成長し過去の失敗を繰り返さないようになる。

 

 こと恋愛においてはその法則は成り立たないのかもしれない。10代の頃の我武者羅さや、20代の頃の情熱を失えば、どんどんへたくそになってしまうのかもしれない。そう考えれば、幼児期においてはだれかれ構わず「好きだ」と言っていたような記憶すらある。


 少なくとも、いままで告白してきた相手は、遠いところにいる存在ではなく近くにいる者たちだった。クラスメイトや、同僚、友人の友人。友人とつるんで街中で女性に声をかけたことはあるけども、一人でそれをしたことはない。つまるところ、話したこともない相手に告白することに躊躇っているだけかもしれない。


 僕と彼女の接点は些細なものだ。僕の勤務先と取引のある会社の事務員という、むしろ、接点と呼ぶことさえ難しいかもしれない関係性。僕は彼女のことを知っているけれども、彼女は知らないだろう。ただの取引先の一人という程度の認識だと思う。


 一度目は声だった。

 仕事の電話をかけたときに取ったのが、たまたま彼女だった。そのとき僕の耳をやさしく包んだ少し低めの落ち着いた声。


 二度目は目だった。

 彼女のいる営業所を訪ねたときに、覚えのある声に目を向けると、誰かと会話している彼女が、同僚の言葉に小さく笑っていた。そのときの、笑うと糸のように細くなる少したれ気味の目。


 三度目は気配りだった。

 会議室で資料の準備をしているときに、コーヒーをいれて運んできた彼女は、資料にうっかりこぼさないようにと少し離れた場所にカップを置いて、さらには資料を各机へと運ぶ手伝いをしてくれた。会議の参加者が来ると、すっとドアを開けて入るのを待ち、座るべき椅子を探していると、少し控えめな仕草で誘導した。些細なことだけれども、よく気のきく女性だと思った。

 コーヒーの入れ方も美味かった。


 会ったのは僅か1度きり、声を聞いたのも電話越しの2回。彼女の営業所との仕事は半年は掛かるプロジェクトだから、これからも会う機会や話す機会はあるかもしれない。20代のころのように焦る必要はどこにもない。これからゆっくり距離を詰めていけば良いと思う。


 でも、どうやってそれをすればいいのか分からない。

 彼女は直接的にプロジェクトに関わっているメンバーというわけではない。あくまで事務員なので、電話をかければ彼女が取ることもあるだろう。会議を行うときに、彼女がまたコーヒーを持ってくるかもしれない。それだけで、距離が縮められるとは思えない。


 20代の頃に付き合った同僚は、経理課に勤める二つ上の女性だった。それこそ、同じ会社内にはいたけれども、接点という接点はなかったのではないかと思う。たまに経理伝票の処理の間違いで、内線でお叱りを受けることはあったけれども、日常的に顔を合わせる機会は皆無だったんじゃないかと思う。


 どうして彼女と付き合えることになったんだろうかと思う。あの時も、最初に僕の心を揺さぶったのは彼女の声だった。あれだけ接点の少なかった彼女と付き合えることになったのだから、今度も何とかなるかもしれないと思いながらも、方法が分からない。


 今日も僕は彼女のいる営業所へと足を運んでいた。

 左手には書類の入ったカバンを提げて、電車に揺られている。次の駅を降りたら歩いて3分ほどで会社が見えてくるはずだ。彼女がいるからといって、特に緊張するわけでも、どきどきして仕事が手につかないということはない。10代の頃は、一日中女の子のことで頭がいっぱいだったけれども、20代の頃には気持ちの切り替えが出来ていた。30代の頃には、女のことを考える時間は圧倒的に減っていた。


 もちろん、こうして考えているわけだから、全くないとは言わないけれども、こんなことを考えてしまうのは今日が2月14日だからだろうか。十代の頃は、何個チョコがもらえるかと必死になっていたけれども、いまとなってはどうでもいい日だったりする。


 それでも、町の至るところや、車内広告などを見ているとふとそんな考えが頭をよぎってしまったのだろう。

 車内アナウンスが聞こえて、電車は停車しステップを降りる。初めての場所ではないので迷いなく改札口を抜けて、右に曲がる。真っ直ぐ歩いて、取引先のビルが見えてきた。


「こんにちは」


 入り口を抜け、受付の人と二言三言話をして会議室へと案内される。前回、指摘された内容を直して、新しく作り直した書類をテーブルに広げて、パソコンとプロジェクターを繋いでいると、ノックの音が聞こえ彼女が入ってきた。


「失礼いたします」


 営業用の言葉の中にも、彼女の声の優しい響きが感じられてホッとする。彼女はトレイの上に乗っているカップをテーブルに載せると、持ち手が左側にくるようにとくるりと回す。一度しか会っていないのに、僕が左利きだと気づいたのだろうか?ソーサーの上には、砂糖とミルクとティースプーンともう一つ。


「バレンタインデーですので、遠藤さんもお一つどうぞ」


 ばら撒きようの小さなチョコレート。取引先の会社の人間なので、名前を知っていても不思議ではない。でも、たったそれだけのことをうれしく思った。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


昨日がホワイトデーだったので、なんとなく書いてます。


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